091 次なる献策 竹中半兵衛重治
およそ一刻(2時間)ほどのあいだ、お館様も近衛様も全く口を開かず険しい表情のまま、小一郎殿の荒唐無稽とも思えるような告白を聞いていました。
──金ケ崎の混戦の最中、三百年後に生きた坂本龍馬殿の全記憶が頭に入ってきたこと。それによって藤吉郎殿が暴君と化した晩年の姿を知り、それを阻止しようと決心したこと。日ノ本を豊かにし、異国との交易をしたいという願望を持ったこと。そして、無明殿の存在とその勢力との駆け引きのことなど──。
そして、他にも未来の記憶を持った者が何人か現れたため、そろそろお館様に打ち明けるべきだと三介様に説得されたことを語ると、そこでようやくお館様が口を開かれました。
「──なるほど。三介、良い判断だったな」
そこで、お館様は近衛様と何やら目配せすると、小一郎殿を睨みつけるように意外なことを切り出されたのです。
「実はな、小一郎。少し前からわしも殿下も、おぬしが未来の記憶を持っていることには気付いておったのだ」
「な、何ですと!?」
これには皆、一斉に息を呑みました。まさに先ほど、私が懸念していた通りではないですか。
「公家の中にもひとり、同じように未来の記憶に目覚めた者がおってな。
初めは、自分が妙な妄想に取りつかれてしまったのかと悩んでいたらしい。だが殿下が種痘を上奏した時、ようやくその記憶が正しいのだと気づき、殿下に相談してきたのだ」
「そ、それはどなたなのですか?」
「武家伝奏(朝廷と武家との連絡係)の──いや、それはどうでも良かろう。
そのお方が殿下に、この種痘の発案者も自分と同じなのではないかとおっしゃられてな。それで殿下もその結論に達して、わしに伝えてきたというわけだ」
そして、お館様は恐ろしいまでの威圧感をにじませながら、小一郎殿に告げました。
「危ういところだったのう、小一郎。
この何日かのあいだにおぬしに問い質し、あくまで白を切り通すようなら、わしはおぬしを見限るつもりであった。
自分の目的のために、主君の命運までおのれの意のままにしようとする不遜な家臣など不要。
奥志摩でものづくりだけさせておいて、死ぬまで飼い殺しにしておくかとも思うておったわ」
──こ、これは相当に危ないところでした。三介様には感謝してもし切れない、というところでしょうか。
「──で、ここにいるのが共犯者どもということか。
半兵衛に駒、三介に忍びの者たち──いや待て、そうか。
堀次郎、おぬしも小一郎の発明を手助けしていたということは──小一郎と同類なのだな?」
お館様の推測に、次郎殿が観念したように平伏します。
「はっ。ご慧眼、恐れ入ります」
「ふむ。で、他に何人いる?」
「今、奥志摩でふたり働いてもらっております。
それと他家にひとり。誰かはちょっとお教え出来んのですが、今のところ織田家の敵にまわるつもりはないようです」
「──まあ、それは今は良い。
今のところ、その者と無明殿とやら以外は、おぬしの下で働いておるのだな」
「はっ」
「ならば、おぬしの意思こそがもっとも肝要だ、ということだな。
──小一郎。改めて訊く。
藤吉郎を天下人にしないことがおぬしの最大の目標だというのなら、わしが天下を治めることに異論はないのだな?」
お館様の挑むような問いに、小一郎殿は決意を固めるようにほんの一瞬だけ俯きましたが、顔を上げてまなじりを決して答えました。
「無論です。我らの持つ知識や技術で、お館様の天下布武を二心無くお支えいたします。
ただ一点──その覇業を異国にまで広げない、という点だけお約束いただけるなら、ですが」
「ううむ。今からそんな先のことまで約束しろと言われてもな。
確かに今は日ノ本のことだけで手一杯で、そこまでは考えてはおらんのだが──」
お館様が腕組みをして考え込まれてしまった横で、近衛様が代わりに口を開きました。
「そこがどうにもわからんのですけどな、どうしてそこまで異国とのいくさに反対されますのや?
国を豊かにするために領土を広げるのは、誰でもやっている常道ですやろ?
本来の歴史の藤吉郎殿は失敗したようでおじゃるが、今は織田筒やあの南蛮船など異国にもない進んだ武器があります。これをもってすれば──」
「恐れながら、殿下。初めのうちは勝てるかもしれません。しかし、織田筒や新開発の大砲がどれほど進んでいようと、封じられてしまえばそれまでなのです」
「──どういうことでおじゃる?」
「もし異国が結託して、日ノ本に硝石を売らないと決めてしまえば──国内で硝石が採れない我が軍は、それだけでいずれ手詰まりになります」
「あっ」
小一郎殿の予測に、近衛様がぴしゃりと扇子でご自分の頭を叩きます。
──実は、我々は次郎殿の持つ知識で硝石の製造にも着手していますが、そこまで大量に生産できるわけではありません。大陸で膨れ上がっていく戦線を支えるだけの量はとても賄えないでしょう。
「それに、海を渡る技術が進歩しているということは、異国が日ノ本に攻めてくることも容易になってくるということです。
これまでは海が日ノ本を守っていてくれましたが、この先はそれが逆に仇となります」
「ど、どういう意味で──」
「日ノ本は海に囲まれている。──つまり、どの方角からも攻め込むことが可能だということなのです」
「ううむ」
お館様と近衛様の顔がまずます険しさを増してきます。一方、小一郎殿は勢いがついて来たのか、その舌がますます冴えを増してきました。
「よろしいですか? この先、日ノ本の国土を守るには、まず全国の水軍が連携して動けるようにせねばなりません。無論、陸の軍勢もです。
全国に旗振り通信の網を拡げ、どこに攻めてこられようと即座に動きを取れるようにせねばならんのです。
まず国をひとつにまとめ、国防の体制を早急に整える必要があります。異国を攻めることなぞ、考えとる暇はないと思いますが」
「──なるほど。ただ単に、自分が異国と商売するのに邪魔だから、という理由だけでもないようだな」
ようやく納得がいったのか、お館様が大きく息をつかれました。
「いやまあ、それも確かにありますがの。
しかし、硝石の輸入を絶たれれば軍事行動が立ち行かなくなるのです。交易を続けていくためにも、恨みを買うような異国への出兵は止めておくべきかと。
それに、無理な拡大政策をとらんでも、国を豊かにするためにまだまだ出来ることがある──。今まで、わしが身をもって実践してきたはずですがの?」
「ふう──相わかった。絶対にやらんとまでは約束できんが、充分に留意して、軽々に判断するようなことはせん。こんなところでどうだ」
「はっ、有難きお言葉──」
一度深く頭を下げた小一郎殿が頭を上げると、その顔が何だか妙に活き活きと輝いています。
「──そこで、ですな。せっかくなので、この機にお館様にぜひ考えていただきたい話があるのです。
お館様が日ノ本を統べるのにかなり有利になることで、ついでに、わしが異国と商いをするためにもぜひやって欲しいことなんですがの」
「何だ、まだほかにも何かあるのか──?」
お館様がちょっと辟易したような声を上げます。はて、小一郎殿はいったい何を言うつもりなのか──。
「はい、お館様。それは──貨幣の鋳造です」
日ノ本では鎌倉の頃より長らく、貨幣がほとんど作られていません。宋や明との貿易で大量に入ってきた宋銭や明銭が、民のあいだにも普及してきたのです。
やがてそれが不足すると、民間でそれを模した私鋳銭──ビタ銭が作られるようになり、これも広く流通しています。
ただ、商取引でビタ銭を使おうとしても質が悪いために断られるなどの諍いも多く、お館様や各地の大名も、その扱いには苦慮させられているところなのです。
「──しかし、考えてもみて下さい。自国で貨幣を作らず、輸入した貨幣や個人が勝手に作った貨幣を使っているなど、こんなみっともない話はありません。
世界の国々と対等に渡り合おうというなら、どこぞの属国のようなことをしていては駄目です。なんとしても、自国の公式な貨幣を発行しなければ──」
「ううむ、またずいぶんと面倒なことを言い出したのう」
お館様はすっかり苦りきった表情です。まずどこから考えるべきか、どう答えるべきか、即座には考えがまとまらないのでしょう。
──ここは、私が代わって、少し議論を進めてみましょうか。
「しかし、小一郎殿。仮に織田が貨幣を作ったとしても、それはあくまで『織田の銭』です。
自国の公式な通貨とはとても呼べないのではないですか?」
私の発言に、小一郎殿がちょっと虚をつかれたような顔をしますが、すぐににやりと笑って返して来ます。
「いや、やりようはいくらでもあるじゃろ。
織田家は多くの商人と良好な関係を保っておる。その商人たちにちょっと協力を願うというのはどうじゃ?
例えば、しばらくのあいだ商いの際に『織田の銭で支払うなら一割値引く』とでも言ってもらえば、織田と関係のない商人も、こぞって織田の銭を欲しがるじゃろ。
──まあ、その差額分は補填してやらにゃならんだろうが、かなり短期間で普及させることが出来るはずじゃ」
「そ、そこまでして織田に利はあるのですか?」
「ある」
はっきり言い切る小一郎殿の目が、いっそう凄みを発したように光を放ちます。
「通貨の発行権を握るということは、その国の経済を掌握するのも同じじゃ。
何しろ、おのれの都合で、物価を左右することすら可能なんじゃからな」
「い、いや、しかし貨幣を鋳造するには莫大な量の金・銀・銅が必要でしょう? 確かに甲斐の金山は確保しましたが、それだけでは──」
「うーん、確かに問題はそこなんじゃ。やはり但馬の生野銀山(現・兵庫県朝来市)はなるべく早くに抑えにゃならん。ゆくゆくは石見(石見銀山:現・島根県大田市)も──」
「いえ、むしろ優先すべきは佐渡でしょう」
そこに、次郎殿が割って入ってきました。その言葉にお館様が眉をひそめます。
「佐渡だと? 確かに多少は金が採れるようだが、佐渡を獲るにはまず越後の上杉とやり合わねばなるまい。
わしは、謙信とは当面やり合うつもりなどないぞ?」
「いえ、是が非でも佐渡は抑えていただかねばなりません」
珍しく強い口調で主張する次郎殿に、小一郎殿も少し面食らったようです。
「お、おい、次郎殿。あまり無理を言っては──」
「小一郎殿の記憶には、佐渡の金山の詳しい知識はありませんか?
今はまだ少量の金しか採れていないようですが、あと二・三十年ほど後に、とんでもない規模の鉱脈が発見されます。佐渡には、それこそ世界でも最大級の金山が眠っているのです」
『えええっ⁉』
皆が声をそろえて仰天します。小一郎殿も思い出したようにぽんと手を打ちます。
「あっ、そうか。あれは徳川の始め頃じゃったな。
そういや、下野国(現・栃木県)でも同じ頃に──」
「足尾の銅山ですね。あれも早々に抑えておきたいところです」
「──これは、何とも凄いものでおじゃるなぁ」
近衛様がしみじみと溜息をつかれます。
「このさき発見される鉱山があらかじめわかっているとは──未来の記憶を持っているというのは何とも心強いというか、恐ろしいというか──」
「まあ、全てを覚えているわけでもないですし、詳細な位置までは知らないのですけどね」
「だが、他家に先んじてそれを知っているというだけでも相当な強みだ」
お館様が意を決したように力強く頷かれます。
「よし。小一郎、次郎。覚えている限りの鉱山について書き出して提出せよ。織田家の今後の方針も、それによっては考え直さねばなるまい」
「──あっ! 少しお待ちください!」
そこに、何かを思いついたのか駒殿が待ったをかけました。
「他にも未来の記憶持ちが現れるかもしれないということは、他家にも知られてしまう可能性があるってことですよね?
例えば、もし上杉が金山のことを先に知り、佐渡を抑えようと動いてしまったら──」
「ただでさえ手強い上杉が、大量の金を手にしてさらに強くなってしまうということか」
暗い予想にお館様が苦々しく呟き、皆のあいだにも重い空気が流れました。
「あのー」
その空気を破ったのは三介様の声でした。
「敵に回したくないのなら、いっそ上杉を味方に引きずり込むことはできんものじゃろうか?」
「な、何っ──!?」
お館様が絶句する横で、小一郎殿ががばっと立ち上がりました。
「おおっ、それじゃ! よく思い付かれましたな、三介様!」
「上杉を味方に、だと? しかしどうやって──」
「上杉としても、織田との全面対決は避けたいはずです。ここは同盟を持ち掛け、北陸の一向門徒対策などで協力体制を組むのです。信濃でも、川中島より北は獲らんと約すれば向こうもかなり安心するでしょう。
そして、謙信公には念願だった関東平定にせいぜい専念していただく。そのついでに、異国からの脅威の話をして、それに備えて佐渡島を共同で防衛拠点に開発しようと提案する、というあたりでどうですかの?」
「ううむ。しかしそれでも、上杉が力を増してしまうことには変わりなかろう?」
逡巡の色を見せるお館様に、小一郎殿が少し声を落として打ち明けます。
「実は──謙信公のお命は、もってあと数年です」
「何だと!? まだそんな歳でもなかろうに」
「それが、なにしろ無類の大酒飲みでしてなぁ。
そして、謙信公には子がいない。北条から迎えた養子と、同じく養子にした甥との間でいずれ跡目争いが起こり、家中が割れます。どちらが勝ったとしても謙信公ほどの器ではなし、その後は臣従させるなりつぶすなり、如何ようにも料理できましょう」
「──うーん、やっぱり小一郎殿はかなりの腹黒やなぁ」
呆れたようにこぼした近衛様に、皆が一斉にうんうんと頷きました。
やがて、お館様が話を締めくくるように、大きな音を立てて膝を叩きました。
「うむ、良かろう。上杉に関しては同盟の線を優先して考えてみよう。何なら、わしの娘を甥の方にくれてやっても良い。跡目争いに介入する口実にもなるからな」
なるほど。もう一人の養子には、すでに北条という強力な後ろ盾があります。織田の後ろ盾を望むとしたら甥の方でしょうからね。
「近衛殿下。殿下は謙信とは旧知の仲。織田と上杉の仲立ち、お願い出来ましょうか」
「あまり京を留守にするわけにはいきまへんので、文を書くぐらいしか出来ませんぞ?」
「充分にございます。
──さて、小一郎。先ほどの貨幣の話だが、必要性はよくわかった。いずれ、生野か佐渡の鉱山を抑えてから着手することとしよう。良いな?」
厳かに沙汰を告げるお館様の言葉に、なぜか小一郎殿はすぐに返事をしません。しばし何かを考え込んでいましたが、やがて両手を床について口を開きました。
「恐れながら申し上げます。貨幣制度の整備は一朝一夕にはいきません。出来れば早急に着手すべきかと思います」
「しかし、原料が足りなければ充分な量の貨幣を鋳造できまい。こういうのは一気に広めようとせねば、なかなか普及は難しいのではないか?」
「確かにそうです。しかし、金銀の備蓄量が整うまで待っていたのでは、いつまでたっても取りかかれません。
そこで提案なのですが──宋や明で使われとるという紙の銭、『紙幣』で始めてみるというのはいかがですろ?」




