088 新選組の話 羽柴駒
史実通りの徳川の世を目指すのなら、断固阻止する──。
そう威圧するように言い放った小一郎に、本多殿もむっとしたように険しい顔で睨み返します。
え、ええと、こういう場合はどうしたらいいんでしょう──⁉
一触即発の空気に私が狼狽えていると、部屋の外から絶妙の間合いで声がかけられました。
「おーい、小一郎殿。入るぞ」
どこか間の抜けたような声で、返事も聞かずに入ってきたのは三介様です。
「お客人もおられるな。ちょうどいい」
そう鷹揚に言って、さも当然のように二人の間を通って上座に座りました。
小一郎が上座に向かって頭を下げると、本多殿も慌ててそれに倣います。
「本多平八郎殿だな? 北畠三介である。
先ほどご挨拶に来てくれたそうだが、ちと工事の視察に行っておってな。失礼いたした」
「い、いえ。徳川三河守家臣、本多平八郎忠勝にございまする」
「うむ。よくぞ参られた。──さあて、挨拶は済んだ。わしにかまわず、話を続けてくれてかまわんぞ」
「え──?」
そう言われて、小一郎たちが気勢をそがれたようにお互いの顔を伺います。それはそうよね、一気に空気を変えられちゃったもの。
──もしかしてこれ、部屋の外でここぞという時を窺ってたのかしら。
「二人とも、少しは頭が冷えたか? いかんぞ、頭に血が昇ったまま話をしてもろくなことにならん。
あちらの部屋に、羽柴流の軍鶏鍋を用意させてある。ともに飯を食ってから、おちついて話そうではないか。
わしも、小一郎殿の事情についてはあらかた聞いておるのでな」
小広間に移ると、囲炉裏に大鍋がかけられ、傍についたお美代殿が大皿に盛られた具材を順番に入れているところでした。
それを見て、本多殿が怪訝な表情を浮かべます。
「む? ──膳の用意がまだ整っていないようですが」
「ああ、三河にはまだ広まっておらんのだな。膳などいらん。皆でこの鍋を囲んで、直接取り分けて食うのが羽柴流の飯だ」
「な、何と──⁉」
唖然とした本多殿を見て少し得意げな三介様が、ふと思い出したように天井に向かって声をかけます。
「おーい、新吉殿、楓殿、警護はもういいぞ。降りて来て、一緒に飯にしよう」
すると、新吉殿たちが音もなく現れ、当たり前のように囲炉裏の周りに座りました。
「ま、まさかその忍びどもも一緒に、でござるか⁉」
「だから『皆で』と言ったではないか。ここでは身分など関係ない。駒殿やそこの侍女も一緒だ。
──実は、お館様もこのやり方が大のお気に入りでな。いずれ徳川家でも流行るじゃろう。
本多殿も、今のうちになれておくといいぞ」
「はぁ……」
困惑し通しの本多殿でしたが、ひとくち軍鶏鍋を口にするや否や顔を輝かせて、その後は子供のように無心でがつがつと食べ始めました。
──まあ、お館様をはじめ、何人もの人を虜にしてきた自慢の料理ですからね。
さて、食事中はもっぱら三介様が、南伊勢で進められている新事業立ち上げや治水工事について話し、ときおり本多殿に三河ではどうなのかなどと尋ねています。
その話しぶりに何となく違和感を感じていたんですけど、少しずつ隠された意図がわかってきました。
どうやら、開発などの全てを小一郎が考えたことにして、次郎殿たちの存在は完全に隠し通すつもりのようですね。あくまで徳川殿に忠義を尽くそうという本多殿は、まずこちらの陣営には来てくれなさそうですし──敵に回る可能性も大いにあるわけですから。
先ほど、ふたりの険悪な雰囲気に水を差した間合いといい、この話の持っていき方といい、──三介様もなかなかの策士になってきたじゃないですか。
「──さて、本多殿。まずはひとつ訊いておこう。
部屋の外で、ふたりのやり取りはおおよそ聞かせてもらったのだが、そなたは徳川殿に天下を取らせたいのだな?」
やがて食べる速さが落ち着いてきた頃、おもむろに三介様が切り出しました。
「あ、いえその、それは──」
本多殿もさすがに言葉を濁します。ここで素直に『はい』などと答えてしまったら、それは織田家による天下統一を阻止するという意思表示にもなりかねませんし。
「ああ、かまわんぞ。鍋の席は無礼講だ。ここでの発言を後で問題にしたりはせん。
──そなたは、徳川殿が天下人になる未来を知ってしまった。だが、そなたの記憶の持ち主の原田殿とやらは、あまり徳川の世ではいい目を見てこなかったのだろう? それで迷いがあるのではないか?」
鋭く切り込んだ三介様の言葉に、本多殿はしばらく押し黙っていましたが、やがて俯きがちに口を開きました。
「──おっしゃる通りです。家臣としては、殿の大望を何としても叶えてさしあげねばという思いはある。しかし、それがしの中の原田が『徳川幕府の連中なんてくそったればかりだ』という思いを強く持っていることもまた確かなのです。
それがしは、いったいどのような途をとるのが正しいことなのか──」
「ふうむ、なるほどなぁ。
だがひとつ疑問なんだがな。天下人になること──それは誠に今の徳川殿が望んでいることなのか?」
「──は?」
本多殿が、思いがけないことを言われたというように顔を上げました。
「いやな、この先お館様が明智に討たれ、それを討って藤吉郎殿が天下を取り、やがて羽柴家が分裂し──そのどこかで徳川殿も『次は自分が天下を取ってやろう』という望みを抱いたのだとは思う。
だが正直言って、今ていどの身代で徳川殿が天下人を目指しているというのは、ちょっと考えられんのだがな」
「そ、それは確かにそうですが──」
「主君が未だ望んでもいないことを先回りして叶えようとするのは、『せんえつ』というものじゃないか?」
「うっ……」
三介様、なかなかうまいところを突きますねぇ。
本多殿が言葉に詰まってしまったところに、しばらく聞き役に回って黙々と鍋を食べていた小一郎が口を開きました。
「なあ、本多殿。わしは兄者が天下人になるのを阻止しようとして、すでに色々と歴史を変えてしまった。この先、どのように歴史が動くのか、わしにもさっぱりわからん。
もう、自分たちが知っている未来の歴史の知識など、大して役に立たんと思った方がええ」
「──」
「もしこの先、徳川殿が天下人を目指す日が来たなら、その時に全力でお支えしたらいいんではないか? それがもし、わしらの考えと相反するのなら、そのときはやむを得ん、そこで雌雄を決することとしよう。
だが今のところ、わしがお館様のもとで行っとる国や民を豊かにするというやり方が間違っているとは思っとらんのじゃろ?」
「それは、まあ、確かに──」
小一郎はまた鍋の具を自分の器に取り、ついでに本多殿や新吉殿たちの器にも追加して入れていきます。
「──わしはな、本多殿。世の中がこの鍋の場のようになればいいと思うちょるんじゃ。
身分に関わりなく、親しく接する場があれば、とな。
むろん、身分制度を完全に否定しとるのではないぞ?
だが、身分が低くとも有能な者、志ある者が上に行けるような仕組みがあってもいいと思うんじゃ」
──うーん、何だかちょっと話が逸れてきたようにも感じるんだけど。
「身分が低くても頑張れば上に行けるかも知れない。そういう希望があればこそ、人は頑張れる。──だからこそ、新選組もあんなに必死に働いてこれたんじゃろ?」
その言葉に、本多殿がはっと胸を突かれたように目を見開きました。
「──新選組とはな、京の市中警護のために浪人などを集めて結成された組織なんじゃ」
小一郎は私や皆を見回して、説明するように言葉を続けていきます。
「その頃の日ノ本は、異国と付き合っていくか、追い払う『攘夷』をするかで国論が二分しとってな。特に京では、過激な攘夷派による暗殺が横行しとった。
幕府や京都守護職の役人たちだけでは治安維持の手が足りず、それで浪士組を結成した。──それが新選組なんじゃ」
小一郎の口調は穏やかで、どこかしんみりとした響きさえあります。
「新選組の者たちは低い身分の者たちでな、局長の近藤(勇)ですら武州多摩の百姓だったそうじゃ。原田も確か、かなり低い身分だったんではなかったか?」
「──伊予松山藩(現・愛媛県)の中間(武士に仕える奉公人)だ」
そっけなく答える本多殿の声は、かすかに震えています。
──なるほど。本多殿の心を強く揺さぶるには、この話が一番だと見抜いたのね。
「坂本龍馬も、土佐では蔑まれる側の武士じゃったからなぁ。
龍馬も新選組の者たちも、身分制度のために相当につらい思いをしたこともあったろうて。
だからこそ新選組は、自分たちが幕府の役に立てる、頑張れば本物の武士として取り立ててもらえるかもしれない──そういう思いで歯を食いしばって必死に働いた。
そして、いつしか幕府でも指折りの戦闘集団と目されるようになったんじゃ……」
小一郎は、どこか遠くに思いを馳せるかのように、もの悲しげな表情を浮かべています。
──いや、龍馬殿ってむしろ新選組と対立して追われる側だったわよね。何、この新選組の仲間だったかのような語り口は。
「──身分制度の理不尽さに苦しむ中、新選組は這い上がるためにあがく途を選び、龍馬は身分制度自体を壊す途を選んだ。
途は大きく違えど、その原動力は同じだったはずじゃ」
そこで小一郎は、少し芝居がかったように床に手をつき、本多殿に向き合いました。
「本多平八郎殿! もしこの先、お互いの途を違えるようなことがあったとしても、このことについての思いは同じなはずじゃ。
あのように身分で人が縛られることのないような世を、お互いに目指そうではないか」
本多殿はしばし何やら考え込んでいましたが、やがて大きく頷きました。
「心得た。最後は殿がお決めになることゆえ、約束は致しかねるが──出来る限りのことはしてみよう」
「おお、そうか!
──で、おんしにひとつ、注意しておいてほしいことがあるんじゃがな?」
「む?」
「実は、織田家の重臣の中にひとり、わしらと同様に未来の記憶を持つ者がおるんじゃ」
「何だと──⁉」
「まだ誰なのかははっきりしとらんのだが、そいつは目的のためには手段を選ばん、きわめて危険なやつでな。
このところ、わしらがそいつの企みを阻止し続けておるので、いずれ徳川殿を利用しようと接触を試みるかも知れんのだ。
わしらは、仮に『無明殿』と呼んでいるのだがな──」
私が聞いたのは、そこまでです。
その後も小一郎たちは遅くまで何やら話し込んでいたようですが、私は先に休むようにと有無を言わさず追い出されてしまったのです。
無明殿の話をしたんでしょうが、私はどうしても明智の義父の肩を持ちがちなので、邪魔をされたくなかったのでしょう。
ちょっとカチンときましたが、まあ、最低でも徳川殿と無明殿が組んでしまわないよう手を打っておく必要はあるものね。
翌朝、私と小一郎と三介様は、今から三河に帰るという本多殿から改めて謝罪を受けました。
「昨日は先触れもない訪問、まことにご無礼致した。
また、敵意剥き出しでの会談、まことに汗顔の至り──」
やっぱり口調が堅いわねぇ。素直に『昨日はすいませんでした』でいいのに。
「──小一郎のことを斬るのはとりあえず止めておくことにした、ということでいいのよね?」
「は。確かに、今の殿の意向も聞かずに先走ったのは軽率にござった。
この先、どのような途をとるのが徳川のためか、今一度考え直してみることに致し申す」
「まあ、そうしてくれるとありがたいの。出来れば、おんしと敵対することは避けたいんでな」
「──もう帰ってしまうのか。うわさに聞くその槍の技の冴え、ぜひ一度見せてもらいたいと思っておったのに」
三介様も何だかのん気なことを言ってますし。
「いや、申し訳ござらん。我が殿に無断で伊勢に来てしまったので、一刻も早く戻らねばならぬのです。
では、これにてご免仕る──」
「うむ、平八郎殿、達者でな」
──もう、小一郎も三介様も相変わらずお人好しなんだから。
ここは私がもうちょっと手を打っておきましょうか。今、一手思いつきましたし。
「ちょっとお待ちください、本多殿」
きびすを返そうとしていた本多殿が、私の呼びかけに怪訝そうに振り返ります。
「はて、ご内儀、何か」
「徳川殿に無断で来たのですか、正式な暇乞いもせずに? つまり、本多殿は徳川家家臣のままってことなのね?」
「無論です。それがしは終生変わらぬ忠義を殿にお誓い申し上げ──」
「いや、それはもういいですから。──あのね、それかなり危ないことだってわかってます?」
「お、おい、お駒──」
呆れた口調で返す私に、小一郎が慌てたように取りなそうとしてきますが、ちょっと黙っててくれないかしら。
「本多平八郎殿。徳川家の重臣であるあなたが、お館様の直臣である小一郎を斬りに来た──。
これって単にあなた個人の問題ではなく、徳川家が織田家に敵対行動をとったと取られても仕方ないような極めて重大な問題なんですけど」
「え? ──い、いや、違うっ! 我が殿は一切関係ない、これはあくまでそれがしの一存で行ったことで──」
「その言い訳がお館様に通用するといいわね」
私が冷たく言い放つと、本多殿の顔に初めて狼狽えたような色が浮かびました。
「そ、そんな──まさかそれがしの短慮で殿に迷惑をかけてしまうなど──」
ようやく仏頂面が崩れてきましたね。そろそろいいかな。
「──というわけで、本多殿。今回のことは黙っておく代わりに、ひとつ『貸し』にしておきますね?」
『は──⁉』
私がとびきりの笑顔で宣言すると、本多殿だけじゃなく、小一郎や三介様まで唖然とした顔をしています。あ、そういえば私のこういうところ、ふたりにはまだ見せてませんでしたっけ。
「小一郎も三介様も覚えておいてね。私、『貸し』は作れるときに作っておいて、ここぞという時に返してもらう主義なのよ」
『え──えええ!?』




