086 引き抜き 石田佐吉
誘いの言葉をかけてきた怪しげな男の後について、暗くなり始めた町を歩いていく。
正直言って、あまりいい気分ではない。この男、何を聞いても『上の者が待っているのでそちらから直接聞いてほしい』の一点張りだ。たぶん、言われたことを口にしているだけで、俺のことなんてどうでもいいと思っているのだろう。
下手に断ったりしたら問答無用で斬られる気がして、ついて行かざるを得なかった。
それに、この男の上役がどのような話をするのか聞いてみたいという興味もある。
──やがて町を抜けて少し行くと、小さな祠のある鎮守の森に、数人の男たちがたむろしていた。
その中心にいるのは、少し穏やかな空気をまとった初老の男だ。これがこの者たちの主か。
「貴殿が石田佐吉殿ですか。突然お呼び立てして申し訳ない」
「断れば斬られるような気がしたもので──是非もありません」
少し不機嫌な感じは見せておく。旨い話にすぐ飛びつくような軽薄な男とは思われたくないからな。
「いや、これは我が家臣が大変ご無礼をいたしました」
「それより、まず貴殿のお名前を教えていただけませんか。どこの誰ともわからぬ人と話をしても時間の無駄ですので」
「ごもっともですな」
初老の男が居住まいを正した。
「それがしは藤田と申します。どこの家中かは、貴殿がこの話に応じていただくまでは伏せさせて下され。
ただ、羽柴家同様に、織田家中でそれなりの立場にある家だとだけお伝えしておきましょう。その当主──我が主が石田殿のことを大変に買っておられて、ぜひ召し抱えたいと申しておるのです」
「よろしいのですか? 羽柴家の家臣を無断で引き抜くなど、両家のもめ事の種になるのではありませんか?」
「ああ、そのぐらいは事後承諾で何とでもなるでしょう。本人のたっての希望で、とでも言っておけば。
当家も、そこまで羽柴の顔色を窺わねばならない程度の家ではありませんので」
──うかつですね、藤田殿。今の言い方でだいぶ条件は絞られた。羽柴家より上席ならそういう言い方はしないだろう。同格かやや格下くらいとなると──やっぱりあの家、だよなぁ。
「しかし、羽柴家には父(石田正継)や兄(石田正澄)も仕えております。
わしが不義理をすれば、そちらにも迷惑がかかります。そう軽々しくお話に乗るわけにもいかんのですが」
「何を言われます。乱世なれば、親兄弟で別の家に仕えるなど良くある話ではないですか。
それに失礼ながら、お父上や兄上も羽柴家でさほど重く用いられているわけでもないでしょう。よろしければ、お二方もともに当家に来ていただいてもよろしいのですぞ」
「ほう? それがしのような小姓上がりの若輩に、またずいぶんと高い値をつけられたものですね。
そこまで評価されるほどの実績を残した覚えもないのですが」
「そこはそれ、見る者が見れば素質の有無はわかるものです。今のやりとりや落ち着きようを見ても、年に似合わぬ分別を身につけておられることは充分に察せられますぞ」
──はいはい。仕事ぶりはろくに見ていないってことだな。それに、父上たちのことまで調べているということは、前々から俺に何かをしようと狙っていた、ということなんだろう。
こうやって聞いていると、言葉の端々から色々なことが見えてくる。やっぱりうかつだよ、藤田殿。
「貴殿のように有能な方が、子守のようなつまらん仕事では大いに役不足でしょう。それに、さほど歳も離れていない小娘に上役面されるのにも、かなりご不満を溜め込んでおられるのでは?」
──まあ、そう見えるように、行き帰りにはわざとそういう表情を作っていたからな。
さて、のらりくらりと話を引き延ばしているうちに、男たちの後ろの祠に大きなカラスがそっと降り立つのが目に入った。
そろそろ、頃合いか。それに、この策士気取りの連中につき合っているのも正直飽きてきた。
「──で、藤田殿。それがしは具体的に何をすればよろしいので? まさかこのまま連れて行こうということではありますまい?」
「おお、では当家の誘いに乗って下さいますか!
そうですな、明後日の今時分にここまで来て下され。お迎えに上がりますぞ」
「明後日ですか。──なるほど、北畠の御隠居様を美濃に護送する出立日ですな」
「──は?」
俺の言葉に、藤田殿や男たちの気配がはっきりと変わった。
「石田殿、いったい何の話を──?」
「御隠居様を護送する際に、追放された家臣たちがそれを奪還しようと企んでいることはもうわかっております。そそのかしたのは、貴殿たちですかな?
そしてその騒ぎの中、わしが姿を消す──。北畠や羽柴の者には、わしが何か手引きをしたのではないかと疑う者もおるでしょうな。
あ、いや、そういううわさをわざと流していくんですか? そうなれば、わしも羽柴や北畠に戻るのを諦めざるを得んでしょうからね」
俺の言葉に、藤田殿たちの顔がみるみる険しさを増してくる。何人かが刀に手をかけるのを、藤田殿が身振りで制した。
「──これは驚きましたな。その若さで、まさかそこまで読んでおられるとは」
抑えるように言っているが、そうとう苛立っているのがわかる。いや、実は見破ったのは俺じゃなくて、あんたらが舐めていたその『小娘』なんだけどな。
「しかし、まだ青いですなぁ、石田殿。調子に乗ってご自分の見立てをひけらかすとは──。
そこまで見破られていると知って、我らが貴殿をこのまま大人しく帰すとでもお思いか?」
今度は藤田殿も含め、全員が殺気を身にまとって刀に手をかける。
「ずいぶんと物騒ですね。まあ、わしとしても、このまま斬られたり誘拐されたりするのはまっぴらですが──『黒』っ!」
事前に打ち合わせしていたように俺が鋭く声をかけると、祠の上のカラスの『黒』が大きな声で鳴き、とたんに辺り一面からけたたましいほどのカラスの鳴き声と羽音が湧き起こった。
『な──何だこれは⁉』『いったい何が──⁉』
藤田殿たちがそちらに気を取られたその瞬間に、俺をかばうように二人の忍びが忽然と姿を現わした。新吉殿と楓殿だ。
「佐吉殿、あまり冷や冷やさせないでくださいっ! あんなに怒らせるほど挑発しなくてもいいじゃないですか⁉」
楓殿に怒られてしまった──って、今はそれどころではないか。
「何っ、忍びだと!? ──ふん、しかしたった二人で我らを相手に出来るかな? その小僧はおよそ戦力にはなるまい」
あ、もう立ち直ったか。さすがに藤田殿は古強者だな。しかし──。
「ならば、わしがお相手仕ろうかの?」
「なっ──は、羽柴小一郎⁉」
俺たちの後ろから、まるでふらりと散歩中に立ち寄ったかのように小一郎様が現れた。のんびりとした風情だが、藤田殿たちはもう完全に気圧されている。
「なぜだ、貴様はすでに奥志摩に向かったはずでは──」
「おんしらの目論見なんぞ、とうにお見通しでな。ええと──十兵衛殿の腹心の藤田伝吾(行政)殿じゃったかな。今浜で一度ご挨拶しとるはずじゃが」
それには何も応えず、藤田殿が険しい顔で周りの手下どもと目配せをする。手下どもが足止めをしている隙に、藤田殿だけでも逃そうという算段だろうか。
「ああ、逃げようなどとは思わんことじゃ。この森の周りは、もう三介様の鉄砲隊百人が囲んでおるでな」
「くっ──」
「なあ、ここは大人しく降伏してくれんかのう。
どうあっても抗うというのなら──かなり痛い目に合う覚悟はしてくれ。
わしも十兵衛殿には色々としてやられとるからな、正直言って腹に据えかねとるんじゃ。
──手加減などしてやれる自信はないぞ」
珍しく怒気をあらわにする小一郎様に、藤田殿たちがたじろぐ。しかし──。
『な、舐めるなぁっ!』『お覚悟!』
意を決したのか二人が同時に斬りかかる。一人は頭、一人は胴を狙った斬撃だ。だが小一郎様は、攻撃が当たる寸前に一歩下がりながら一振りで攻撃を弾き返し、返す刀で二人の胴を一気に薙ぎ払った。
うわ、峰撃ちとはいえ、あれ肋骨が何本かずつ折れてるよなぁ。
声も出せずに地面に転がって悶絶している二人を見下ろし、小一郎様はどこか他人事のような間の抜けた口調で語りかける。
「あーあ、だから手加減など出来んと言うたじゃろうが。
──さて、伝吾殿。そろそろあきらめてくれんか? わしは確かに人を斬らん男じゃが、どうやら峰撃ちの方が斬られるより何倍も苦しいようだからのう」
しばし苦悩の表情を浮かべていた藤田殿が、やがて大きく溜息をついて刀と脇差を腰から外して地面に置いた。家臣たちも渋々それに倣う。
「やむを得ん。我らではとても相手になるまい」
それを聞いて小一郎様が目配せをすると、新吉殿が藤田殿たちの刀をかき集め、楓殿が怪我人の手当を始める。
「だが、わしは何を聞かれても一切答えんぞ。拷問でも何でもやってみるがいい」
苦々しく吐き捨てる藤田殿に、小一郎様は気にした風もなかった。
「ああ、別にかまわんよ。どうせ、何も知らされてはおらんのじゃろ?」
「──何?」
「始めから何も知らされていなければ答えようがないからの。
しかしな、おんしらが神戸家や北畠家に伊賀攻めをそそのかしたことについては、すでに証言を得ておる。おんしらを罪に問うにはそれで充分じゃ。
だがおそらく十兵衛殿は、お館様からおんしらの罪について詰問されたとしても、自分は関係ない、知らぬ存ぜぬで押し通すじゃろ。──お気の毒にのぅ。おんしらはいざとなれば見捨てられるぞ」
「そ、そんなはずは──⁉」
藤田殿たちの顔に、明らかに狼狽の色が見える。ううむ、わからん。小一郎様はいったい何をしようとしているんだ?
「なあ、伝吾殿。最近の十兵衛殿のやりよう、おかしいとは思わなかったのか? どう考えても、織田家への背信行為じゃろうが」
「それは──」
「おおかた、こう言われたんじゃろ。『今は何も聞かず、自分の言うことに黙って従ってくれ』とでもな。
そうやっておんしらが何も知らん状態にしておけば、いざという時に切り捨てられる、自分の身だけは守れるからの」
「そんなはずはない! 十兵衛様にはきっと何か、我らにはわからんような大きなお考えがあって──」
「本心からそうだと思っとるのか?」
小一郎様の鋭い一言に、藤田殿がたじろぐ。
「どうして何も教えてくれないのか、せめて自分にくらいは事情を教えてくれてもいいのではないか──そう不満を感じ、疑問に思っておったのではないか?
教えてやろう。なぜおんしに事情を教えないのか──それは、いざという時に切り捨てるためじゃ。十兵衛殿はおんしらを『トカゲの尻尾切り』として使おうと──」
「黙れ! 黙れ黙れ! 十兵衛様が俺を切り捨てるなど──そんなことは断じてない!」
「──以前の十兵衛殿ならば、な」
これ以上聞きたくないというように悲壮な声を上げる藤田殿に、小一郎様が残酷なまでに冷たい一言を返した。
藤田殿たちも薄々気づいてはいたのだろう。最近の十兵衛殿がおかしいということに。
気づいていても認めたくはなかったことを小一郎様に突きつけられ、完全に打ちひしがれてしまった。
すると、小一郎様はがらりと口調を変え、顔に一抹の寂しさすらにじませて語りかけた。
「──なあ、伝吾殿。十兵衛殿は何で変わってしもうたんじゃろうなぁ。
家族思いで温厚で礼儀正しく、忠義に厚い──まさに武士の鑑のようなお方じゃった。
さすがは前の公方様の信頼厚く、お館様からもたちどころに信頼を勝ち取ったお方だと、わしも尊敬に近い思いを抱いておったんじゃ。
そんなお方だからこそ、おんしらも心からの忠義を尽くしておったんじゃろ?」
その口調はあくまで穏やかで温かく、いつしか聞いている藤田殿たちの目がうるみ始めている。
──大した役者だな、この人。
「なのに、今の十兵衛殿はどうじゃろう? 裏で策を弄し、お館様の逆鱗に触れかねんような危険極まりないことを繰り返しておる。
まるで人が変わってしまったようだとは思わんか? 本当に今の十兵衛殿のやりようは間違っていないと思うか?」
小一郎様の指摘に、藤田殿たちは唇を噛んでうなだれている。
「──なあ、もう一度よーく考えてみてくれ。
主君の言うことにただ闇雲に従うだけが忠義なのか?
もし十兵衛殿が道を踏み外そうとしているなら、命を懸けてでも諫める──それが家臣のあるべき姿ではないか?」
「──え、ええぇっ⁉ まさか、それだけで解放しちゃったの⁉」
夜が明けて、お駒様に事の次第を説明に戻ると、案の定あきれ返ったような声が返ってきた。
「な、あきれるじゃろ、駒殿。わしもわざわざ鉄砲隊を引き連れて行ったのに、まさか小一郎殿がここまでお人好しだとは──」
三介様もあきれ顔だが、小一郎様はいたって真面目な顔つきだ。
「別に、お人好しだから解放したというわけではないですぞ。その方が得だと思ったまでなんじゃが」
「どういうことよ?」
「伝吾殿たちは、本当に十兵衛殿の真意を聞かされていなかったようだからな。あれ以上尋問しても、たぶん無明殿に通ずるような情報は出て来んじゃろ。
神戸や北畠を扇動した罪でお館様に突き出しても良かったんじゃが、たぶん『トカゲの尻尾切り』にされるだけで、十兵衛殿に大して痛手も与えられそうにないからなぁ。
それよりは、不信感を植えつけて明智家に帰した方が、今後の十兵衛殿の足を引っ張ることになるかと思ってな」
「ま、まあ、それは確かに一理あるけど──」
そう言いながらも、お駒様はどうも不満そうだ。せっかく相手をおびき寄せるような策まで立てたのに、あっさり解放してしまったんだからなぁ。
「あ、そうだ! 佐吉はずいぶん怖い思いもしたんでしょ? もっと怒ったっていいのよ?」
「あ、いや、確かに少し怖かったですが、新吉殿たちが守ってくれてるのはわかってましたし──。
それに、うわさに聞く小一郎様の説得術をこの目で見られましたしね」
「そ、そう?」
「だが、やはり犯人を解放してしまったのはまずくないか?」
そこで、三介様が真剣な顔で口をはさんできた。
「後で罪に問おうとしても、何やかやと言い逃れされてしまうのではないか?
証拠といっても三七と御隠居様の証言だけでは──」
「ああ、それなら抜かりはないです」
小一郎様がふところから一枚の紙を取り出し、ひらひらと振ってみせた。
「馬を返してやるのと引き換えに、伝吾殿に詫びを一筆書かせて、血判も押させました。
まあ、あばらの折れた仲間を連れて徒歩で近江まで帰るのは、さすがに大変そうですからの。
それと──あいつらの差し料(刀)は返してやりませんでしたので」
「うぇっ──⁉」
三介様ががく然としたような声をあげた。それはそうだろう。武士にとって刀は命みたいなもの。戦場でならともかく、それ以外の場で刀をうばわれたとなれば、それは耐えがたいほどの屈辱なはずだ。
藤田殿も、それを言われた時には泣きそうな顔をしておったからなぁ。あれはたぶん、十兵衛殿から拝領した刀だったんだろう。それをうばわれたとあっては、事の次第を正直に報告することなど絶対にできないはずだ。
「この詫び状と差し料があれば、こちらはいつでも伝吾殿たちの罪を告発することが出来ます。
まさか、その程度のことがわからん伝吾殿ではありますまい。
──これでようやく、向こう側にくさびが打ち込めた、ということですかいの」
そう言って、小一郎様がにやりとほくそ笑む。
世間では、小一郎様は慈悲深い人だなんぞと言われているようだけど──実はこの人、けっこうな腹黒なんじゃないか⁉




