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【本編完結!】戦国維新伝  ~日ノ本を今一度洗濯いたし申候  作者: 歌池 聡
第九章  近江・伊勢

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077   蒸気船   竹中半兵衛重治


 入り江の入口辺りでしばらく風待ちで停泊していた丸子船が、ようやく帆を上げてこちら──大浦に向けて動き始めました。南寄りの風に変わったのでしょう。


 あの船にはお館様と近衛様と藤吉郎殿、そして久しぶりに会う小一郎殿が乗っているはずです。


 あの辺りからはまだ見えないのですが、この入り江の奥には更に左側に奥まった小さな入り江があり、そこでは我々の作った試作蒸気船がお披露目の時を静かに待っています。


 さあ、蒸気船が実際に動いているのを見た時に、小一郎殿がどれほど喜んだ姿を見せるのか──。

 船の到着を待つ私と次郎殿、治部左衛門殿は、内心そんな光景を期待していたのですが──どうも船上の様子が変です。

 蒸気船が見えるあたりにさしかかっても誰もそちらに目を向けることもなく、何やら船の上で言い合いをしている二人の方ばかりを見ています。あれは小一郎殿と──誰ですかね。


 すると、私の隣で目を細めてじっと見ていた治部左衛門殿が、苦々しい声で呟きました。


「あれはどうやら、鈴木孫一ですな」


 え、会見の場にまで勝手についてきちゃったんですか?

 織田家の機密に近づかないよう新吉殿たちに監視させていたはずですが、これはなかなか油断ならないご仁のようです。

 部下たちが出し抜かれてしまったということなら、忍びの首領としては面白くないでしょうね。


 ──やがて、船が岸に近づくにつれ、二人の会話がはっきりと聞こえてくるようになりました。


「だーかーらー、わしには不相応な家臣などいらんと言うとろうが!」

「まあまあ、そうつれないことを言うなよ、俺とお前の仲じゃないか」

「大体、わしは戦をしたがらん男だぞ。鉄砲屋のおんしがわしのところに来てどうするんじゃ。お館様の直臣が嫌なら、兄者の下につけばいいじゃろが」

「お大名様の下だとやっぱり窮屈そうだからなぁ。小一郎の下くらいが気を使わなくて楽そうだ」

「こっちが気を使うわ! おんしはわしが従えるには大物すぎるんじゃ!」

「なら、客分扱いでもかまわん。何なら義兄弟の契りを交わしてもかまわんぞ、()()()()()?」

「やめぇっ、気色悪い! 大体、おんしの方が年上じゃろうが!」


 凄いですねぇ、あの人。飄々(ひょうひょう)として、小一郎殿の方がむしろ手玉にとられてるみたいじゃないですか。


「──おっと、着いたようだぜ」


 小一郎殿の反論を遮って、孫一殿がひらりと桟橋に飛び移り、手早く杭に縄をもやっていきます。このあたりの手際の良さは、さすがに船乗りだけのことはありますね。






 さて、お館様たちのための渡し板を据えつける間に、手短に小一郎殿と孫一殿に事情を説明してもらったのですが──。

 本願寺との戦で雑賀党は中立を保つと聞いてはいましたが、まさかその後に、孫一殿が織田家の家臣ではなく小一郎殿の家臣になるつもりだとは。


「ほら、いずれ小一郎が異国と商売するにしても、船に詳しい家臣がいた方がいいだろ? それに護衛役も出来るしな。俺はけっこうお買い得だと思うぞ」


 いや、孫一殿はあっけらかんと言っていますが──これはなかなかに重大な問題かもしれません。


 小一郎殿たちの知る歴史では、石山本願寺との戦いは断続的に十年以上続いたと聞いています。

 それほど長く続いたのは、石山の守りの堅さはもちろんですが、門徒たちの数の膨大さと士気の高さ、そして何より雑賀の鉄砲隊と孫一殿の指揮の巧みさによるものなのだとか。


 しかし、孫一殿が事実上織田方についたことや、昨今の門徒たちの集まりの悪さを考えれば、本願寺との戦いはそう長くは続かないのかもしれません。

 さらに東では武田家が半ば死に体となり、勘九郎様と佐久間様がそろそろ侵攻を始めるのだとか。


 ──このところ、小一郎殿や次郎殿の知る本来の歴史との乖離(かいり)がどんどん大きくなってきています。

 もはや、技術的なことをのぞけば、我々に未来の歴史の知識があるという強みはなくなったと見るべきなのかもしれません。


 そしてそれは、無明殿が今の状況下でこの先どう動くのか、ますます読みにくくなるということでもあるのです。


 そう考えれば、小一郎殿の近くに強力な戦力がいるというのは心強くもあるのですが、果たして孫一殿がどこまで信用できるものか──。

 それと、彼ほどの大物を小一郎殿が従えてしまうことに、藤吉郎殿が嫉妬してしまったりはしないか──不安は尽きません。


 ここはひとつ、孫一殿の扱いをどうすべきか、人を見る目の確かなおね様に見てもらってから相談すべきなのかもしれません。






「さて、他にも見せたい発明があるということだったな」

「はっ、ただいま。──ご無礼をいたします」


 お館様の問いかけに、私が呼子笛を吹き鳴らすと、ここから見えない左手の入り江の奥から応えるように笛の音が聞こえ──やがて、野生の獣の息遣いのような低く規則正しい音が聞こえてきました。


「む、何だ、この音は?」

「もう間もなく見えるはずです──来ました、あの船です」


 小さな岬の陰から丸子船が姿を現わします。お館様も近衛様も、いったい何を見せたいのかと訝しげなお顔ですが──真っ先にその船の異様さに気づいたのは、やはり孫一殿でした。


「いや、待て、何だあれは。

 帆も張っていないし、漕ぎ手もいないのに──風上に向かっているぞ⁉ それに、何だあの煙は」

舷側(げんそく)で妙な水車のようなものが水を掻いておるが、漕ぎ手が船の中であれを回しているのか?」


 お館様の問いに、次郎殿が得意気に答えます。


「いえ、乗っているのは舵取りと技師だけで、漕ぎ手は一人も乗っておりません。あれはからくりの力だけで動く全く新しい船──『蒸気船』と申します」


 やがて、蒸気船はゆったりと入り江の中を一周して、こちらに近づいてきます。

 どういうことなのかと説明を求めるように振り返るお館様たちに、次郎殿が説明を始めました。


「湯を沸かすと大量の湯気が出ることはご存じですね。実は、水が湯気に変わる時にとても大きな力が出ていることがわかったのです。

 あの船は、大きな窯で湯を沸かし、そこから出る湯気──蒸気の力であの外輪を動かしているのです」

「何っ、それほどに大きな力なのか?」

「はい。この蒸気船なら風がなくとも動きますし、風に逆らって進むことも可能です。

 さらに帆の力と組み合わせれば、異国まで行けるほどの──」

「いや、それはどうかな?」


 そこに異論を挟んできたのは、孫一殿です。


「帆だけで進むときには、あの外輪はかえって大きな水の抵抗を生んで、邪魔になるはずだ。波の荒い外洋には不向きじゃないのか?」


 そこに気づくとはさすがですね。


「まだこれは試作の第一弾です。より大きな力を生み出せるようになれば外輪もずっと小さくできますし、ゆくゆくは外輪ではない形で船を動かせるよう、実験中なのです」


 これは『すくりゅー』のことですね。(中島)三郎助殿の時代に異国で普及し始めたばかりの最新技術で、次郎殿も詳しい知識は持っていませんでした。でも、このところ熱心に模型で実験を繰り返すことで、ようやく少しずつ実現の可能性が見えてきたところなのです。


「お、何だ、そういうことか。面白そうじゃないか、船のことなら俺にも一枚かませろ。

 何なら、雑賀から腕のいい船大工を何人か連れてきてやってもいいぞ?」


 孫一殿は、おもちゃを見つけた子供のようにきらきらとした目で食いついてきましたが──なぜかお館様と近衛様が先ほどから少し苦い顔をされています。何か懸念でもあるのでしょうか──?


「わしの留守中に、次郎殿と職人たちが頑張ってくれました。

 それで、今後この蒸気船をより大きく効率の良いものにしていくために、もっと鍛冶職人や船大工が必要になりまして──お館様?」


 そこでようやく、小一郎殿がお館様たちの様子に気づきました。


「あの、何か気になることでも──?」


 小一郎殿の問いに答えることなく、お館様はしばし近衛様と視線を交わしていたのですが、やがて大きく頷いて驚くべき沙汰を口にされたのです。


「これはいかん。蒸気船の開発はただちに中止せよ」






「な──何故ですか⁉ そりゃ、今はまだこんな小さな船ですが、ゆくゆくは安宅船やもっと大きな船を動かすほどの革新的な──」

「革新的すぎるからまずいと言っておるのだ。小一郎、まあ、落ち着け」


 お館様は穏やかな声で小一郎殿をなだめると、近くにあった漁具を入れる木箱をひっくり返して腰を下ろされ、近衛様もそれに倣います。──鷹狩りの装束なので汚れるのとかは気にしないんですね。

 我らがその前の地面に直に腰を下ろすのを待って、まずは近衛様が口を開かれました。


「夕べ、宴の後で弾正大弼(だんじょうのだいひつ)殿と差しで呑んでましてな。そこで、小一郎殿が新しい船の開発を進めていて、明日はそれを見せる気ではないか、と聞いたんですわ」

「近衛様がそこで懸念を示されてな。そこそこの改良ならまだいい。しかし、これほど船の性能を大きく変えてしまう発明となると、商人たちへの影響が大きすぎる。

 いくさ船として使うだけならいいが、いずれ輸送にも使うつもりなのだろう? そうなると、旧来の船しか持っていない商人にとっては死活問題ともなりかねん」

「そういうことですわな。公家の中には商人と懇意にしているものも多い。もし、商人たちが結託して公家衆を動かしてしもうたら──それこそ簡単に潰されまっせ、羽柴家ごと」


 さらっと言う近衛様の言葉に、藤吉郎殿が青ざめた顔で唾を飲み込みます。


「い、いや、それなら商人たちにも利があればいいのではないですか?

 例えば、商人にも開発に出資させて、蒸気船をいずれ売ってやるとか──」


 慌てて対策を口にする小一郎殿に、お館様は冷静に返します。


「それでも、どうしても得するものと損するものが出てくる。損をさせられた者の妬みは根深いぞ。

 それを防ぐには、全ての商人に公平に売り出すしかないが、それでは逆に織田のいくさ船としての優位性が保てなくなる。

 では、どうするか。──いくさ船として使っている間は技術を秘匿して、織田の勢力がゆるぎないところまできたところで商人に一斉に公開する。これしかない。


 しかし、この大浦で隠し通せるか? 陸地は禁足地に出来ても、すぐそばに二つの栄えた湊がある。例えば、嵐を避けるために入り江に入ってくる船もあろう。すべて防ぎきれるか?」

「そ、それは──」

「中途半端に他家に情報が漏れるのが一番まずい。情報を秘匿できる確証がないうちは、やはり蒸気船の開発に許可を出すわけには──」


「なら、奥志摩(現・三重県志摩市)あたりはどうだ?」


 ふいに、孫一殿が口を開きました。


「奥志摩の英虞(あご)湾あたりはそうとうに入り組んだ地形で、水先案内でもいなけりゃ海から目的のところを探すのも難しい。陸も険しい斜面が多いから、秘密裡に船を造るにはもってこいだ。

 それに、志摩なら九鬼(くき)水軍の船大工が使える。英虞湾は波も穏やかだから、九鬼水軍が船の扱いを覚えるのにも向いている。いいことづくめだと思うがな」

「なるほど、志摩か──」


 お館様もそこには思い至っていなかったのか、あごに手を当てて考え込みます。


「それに、小一郎が言うようにいずれ異国との戦の可能性があるなら、今この研究を止めてしまうという手はないと思うがね」


 その遠慮のない批判的な言葉に、お館様が少し苛立ったような表情を浮かべます。

 うーん、お館様や近衛様に対してもこの物言い──。確かにお館様との相性はすこぶる悪そうです。

 船乗りならではの視点はさすがですし、大局を見る眼も持っていそうなのですが。


「──ふん、良かろう。まず九鬼(嘉隆(よしたか))に話を通して、開発の拠点を奥志摩に移すことにする。

 ただし、開発を続行するにはひとつ条件を呑んでもらうぞ。


 ──小一郎は今後、わしの直臣とする。こたびは拒否することは許さん」






『お館様──⁉』


 羽柴兄弟の驚愕の声が見事に重なりました。


「お、お待ちください! 前にも言ったとおり、わしはあくまで兄の補佐役で──」

「そんなもんで収まりますかいな。小一郎殿、そろそろ自分の存在の大きさを自覚しなはれ」


 呆れたような顔で近衛様が言葉を挟みます。


「これは、麿と弾正大弼殿とで一致した考えでしてな。


 小一郎殿。あんたの考えは斬新すぎる。万事において影響が大きすぎます。

 そして、あんたの新しい発明が、知らずに公家衆の『虎の尾を踏』んでしまうようなものだったとしたら──矢面に立たされるのは主君である藤吉郎殿や。


 公家たちが本気で潰しにかかったら、たかだか二十万石の羽柴家が太刀打ちできると思いますか?

 これは、羽柴家と藤吉郎殿を公家の横槍から守るためでもありますのや」


「まあ、そういうことだ。何、これまでと大して変わらん。与力として藤吉郎の下につけるからな。

 ただ、小一郎が何かしでかしてしまった時には、わしが盾になってやるということだ」


 なるほど。確かに公家衆もお館様にはうかつに手を出せないでしょうからね。


 実にお館様らしい心遣いだとは思いますが、あとは藤吉郎殿がこの話をどう受け止めるか──。

 小一郎殿もその辺りは気になっているのでしょう。しばらく黙って考え込んでいましたが、やがてお館様に向き直りました。


「承知いたしました。つきましては一つだけお願いがあるのですが」

「うむ、申してみよ」

「それがしはあくまでも兄の下。格下の分家であることを知らしめるためにも、改姓をお許し願えないでしょうか。

 旧姓の『木下』か、あるいは『小羽柴』とでも──」


 それを遮ったのは藤吉郎殿の明るい声でした。


「いらんいらん! いらん気遣いじゃわ、たわけ。

 ──そりゃ、昔はおんしの才覚に嫉妬もしたがな、今ではおんしに出世欲などないことも良くわかっとる。もう(ねた)んだりはせん。

 それに『こはしばこいちろう』など、語呂も悪いし言いにくいわ。やめとけやめとけ」


 苦笑いしながら小一郎殿の肩を軽くどやしつけ、藤吉郎殿がお館様と近衛様に深々と頭を下げました。


「わしらのための心遣い、深く感謝いたします。

 こたびのこと、全く異論はございません。謹んでお受けいたします」


「いや、実に麗しい兄弟の絆ですなぁ。藤吉郎殿、ささ、頭を上げなされ」


 近衛様が優しく声をかけられ、藤吉郎殿が頭を上げますが──その額に近衛様の扇子がぺちりと当てられました。


「ぁ痛っ!」

「──お辞儀の姿勢が悪い。やり直ししなはれ」






 皆がひとしきり笑っているなか、私の隣で孫一殿が苦笑いの表情で呟きました。


「いやあ、甘い。実に甘いねぇ。この乱世、隙あらば兄弟であっても出し抜くのが常だろうに」

「まあ、それが出来ないのが小一郎殿の弱みでもあり、良いところでもあるんですけどね。

 でも、小一郎殿のそういうところが嫌いではないんでしょう?」

「──まあな」


 孫一殿が横目でこちらを見ながら、にやりと笑ってみせます。

 ──まあ、口は悪いし皮肉屋でもありますが、少なくとも小一郎殿に対する好意だけは嘘ではなさそうです。


「正直言って、小一郎の甘さに賭けてみたいというところもある。小一郎なら、本願寺のことも根切りなどという最悪な幕切れを回避できるのではないか、とな。

 俺は門徒ではないが、顕如(けんにょ)殿は俺のことを一軍の大将として、最高の礼をもって遇してくれた。やはりあのお方が非業な最後を遂げられてしまったのでは、俺も少々寝覚めが悪い」

「まあ、小一郎殿のいくさ嫌いは筋金入りですからね。きっと、最悪の事態は回避してくれると思いますよ」


「それが無事に片付いたなら、俺は残りの半生を小一郎に賭けてみたい。

 あいつが異国と商いをしに行くというなら、喜んで付き合ってやるさ。


 俺は『八咫烏(ヤタガラス)』の神孫。──日ノ本を大きく変える者の道案内をする運命(さだめ)に生まれついた男だからな」





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― 新着の感想 ―
[気になる点] 孫一はなんだかシェーンコップみたい。
[良い点] この時代だと蒸気機関を作るにはちと基礎技術が足りなさすぎるような気もするんですよね…… 高炉法の導入に、鉄鉱石やコークスの入手経路の確保、製鋼や圧延に必要な技術と設備などなど ライフル銃や…
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