075 人として 原田新吉
少し目先を変えて、別キャラからの新視点にしてみました。
小一郎に同行している、若い男の忍びです。
──結構前から、ちょこちょこと出てはいたんですけどね。
近衛(前久)様は驚くほど気さくなお方だ。
公家の頂点に昇りつめたほどのお方なのに、家人たちにも全く偉ぶる様子がないし、俺と楓姉が忍びだと知っても、少しも蔑む素振りを見せなかった。
むしろ、初めて出会う忍びとその術について興味津々なようで、特に楓姉の『口寄せの術』については、少年のように顔を輝かせて次々に質問をしてこられる。
──こんなことは以前には考えられなかった。
忍びなど、犬畜生にも劣る使い捨ての道具扱いが当たり前。
任務完了の報告に行った時でさえ、依頼主に汚らわしいものを見るような眼を向けられたことも、一度や二度じゃない。
だが、不思議と小一郎様の周りの方々は、俺たち忍びを蔑むことも嫌悪することもなく、普通に接してくれる。
それは別に小一郎様がそうしているからとかではなく、元からそういう気質の人があの方の周りに集まってくるということなのだろう。
だが──孫一、あんただけは別だ。やっぱり、何だか少し気に食わない。
近衛様との会談で小一郎様にやり込められたらしく、しばらくは元気がなかったが、いつの間にか立ち直って、また楓姉に馴れ馴れしくちょっかいを出し始めている。
「なあ、楓殿。カラス使いのおぬしと、八咫烏の神孫の俺──これはもう運命的な出会いだとは思わんか?」
「いえ、別にそうは思いませんけど。
──あまりしつこくするようなら、カラスたちをけしかけますよ?」
妻子持ちのくせに、何やってんだか。大体こいつ、いつまでついてくる気なんだ?
「──何だ、新吉殿。俺と楓殿の仲に嫉妬でもしているのか?」
ちっ、じろじろ見ているのがバレたか。──っていうか、今のやりとりに嫉妬するようなところなど微塵もなかったけどな。
「あー、いえ別に。ただ、雑賀党の大将がいつまでも雑賀を離れていていいのかと思っただけです」
「ああ、むしろ今はその方がいいんだ。
あいつら、根が単純だからな。また本願寺が督戦に来たら、やっぱりそちらにつくとか言い出しかねん。俺も、皆を押さえ続けるのは骨が折れるからな」
「え? なら尚更、雑賀にいないとまずいんじゃないですか? 留守のあいだに皆が本願寺方でまとまってしまったら──」
「それが逆なんだよなぁ。土橋や佐竹、的場あたりは家同士のいざこざも多くてな、誰が音頭を取るかで絶対にもめる。
雑賀党は、俺が指揮を執ることで辛うじてまとまっているんだよ。一応、鉄砲の腕も戦の駆け引きも、俺が一番だと認められてるからな。
だが、自分こそが俺に次ぐ実力者だと思っているやつが何人もいてな。俺以外の誰かがまとめようとしても、絶対に反発する者が出てくる。
留守を預けた弟(鈴木孫六)にもその辺は伝えてあってな。『誰が指揮を執るべきか自分には決めかねるので、皆で話し合って決めてくれ』とでも言っておけば、あとは勝手にもめ続けてくれるだろうさ」
へえ。へらへらしているようで、意外に考えてるんだな。
──まあ、近江まではそう遠くない。どうせ楓姉には相手にされてないし、小一郎様も同行を許しているんだから、しばらくは好きにさせておくか。
もっとも、楓姉に相手にされていないのは俺も同じなんだけどな。はぁ……。
こたび近江に戻ることになったのは、首領からの連絡が届いたからだ。
どうやら、明智様が大陸から取り寄せた牛を横取りすることに成功したらしい。
その牛を使えば何やら病の研究が出来るそうなのだが、明智様はその研究をよこしまな目的に使おうとしているそうなのだ。
それを阻止して、研究を進めるために牛を横取りしたということなのだが──別に牛泥棒をしたというわけじゃない。
航海の途中で病死して、腐敗してきたので海に捨てたということにしてもらって、こちらが密かに買い取ったのだ。
──口止め料込みで、相当な額を吹っかけられたらしいけど。
北近江の羽柴領は、もうすぐそこだ。
「──近衛様。もうじき、兄者の迎えが参ります。
以前にお話しした通り、わしは羽柴家から追放されているという形になっておりますので、迎えの一行が来たところでこっそりお傍を離れます。非礼をお許しください」
「うむ、苦しゅうない。小一郎殿、そなたらとの旅は実に楽しかった。またゆっくり話そうぞ」
やがて、迎えの一行が道の向こうに小さく見えてきた。藤吉郎様と竹中半兵衛様、蜂須賀小六様の姿もある。それを見て、樋口殿が口を開いた。
「では、小一郎殿。わしが近衛様をお連れする。で、孫一殿はどうする?」
「いや、やめておこう。俺が今、羽柴家当主と正式に会ってしまったら、完全に織田方についたように見なされてしまうだろうからな。
もうしばらくは小一郎と行動を共にするさ」
それを聞いて、小一郎様がちょっと眉をひそめる。この後、俺たちの里に行って、色々機密に関する話もあるから、こいつについてこられるとちょっとまずいんだよな。
そのあたりを察してか、楓姉が孫一に提案を持ちかけた。
「孫一殿は近江の暮らしぶりを見に来たんですよね。なら、私が今浜の町を案内しましょうか? 色々、近江の特産品を食べさせる店もお教えしますよ」
「何っ、楓殿が一緒に⁉ おお、ついにその気に──」
「なってません。町をご案内するだけです。
くれぐれも、妙な気は起こさないでくださいね? ──私のカラスたちに、変な餌を食べさせたくはないですから」
さて、皆と別行動になり、あとは俺と小一郎様だけだ。
人目を避けるため街道を離れ、東の山沿いの間道に入ったところで、俺は前からずっと気になっていたことを小一郎様に聞いてみることにした。
──本当は楓姉と一緒の時に話したかったのだが、仕方がない。
「小一郎様、少し大事なお話があります。これは、楓姉とも話し合っていたことなのですが──」
「おっ、何じゃ、新吉。ようやく楓を口説き落としたか?」
「いえ、そういうことではなく、ですね。
俺と楓姉で推察を重ねて行きついた答えなのですが──小一郎様と堀次郎様は、未来の人の記憶を持っておられる。合ってますよね?」
俺の問いかけに、俺の前を行く小一郎様が足を止めた。
「──なぜわかった?」
「まあ、言葉の端々から薄々と、ですかね。自分ひとりなら確信は持てなかったのですが、楓姉に訊いてみたら同じように感じていたようで」
「──おんしらの前では、会話の内容に気をつけておったんじゃがなぁ」
小一郎様が自嘲気味にこぼし、肩を落とす。俺に背中を向けているので、表情まではわからないのだが。
「お怒りはごもっともです。忍びが依頼主の事情をあれこれ詮索するなど、本来すべきでないことはわかっております。
でも、小一郎様が我らに求めておられるのは、道具のように言いなりになるのではなく、人として自分で考えて判断すること、ですよね?
俺たちなりに考えて相談して、お伝えすることにしたのです。以後、俺たち二人に隠し立ては無用です、と」
そこまで言うと、小一郎様は大きく溜息をつき、振り返ってにかっと笑われた。
「まあ、別に怒っちゃおらん。確かにわしがそう望んだんじゃからな。
──おんしらもだいぶ意識が変わってきた、ということじゃな。頼もしい限りじゃ」
里に戻ると、首領をはじめ、年寄りたちや子供たちが出迎えてくれた。堀次郎様も来られている。
「小一郎様、お帰りなさいませ。皆、首を長くしてお待ちしておりました」
「治部左衛門、次郎殿、しばらくじゃな。──おっ、あれが例の牛か」
里の奥の方に、以前にはなかった木の柵で囲った広場があり、そこに十数頭の牛がのんびり草を食んでいる。
「牛痘に罹った牛はおったんじゃろな?」
「はい。というより、二十頭のうち十五頭が病持ちでしてね。
実に阿漕な商人もいたもので」
首領が苦笑いを浮かべる。明智様が病気持ちでも同じ金を払うという条件を付けたら、商人は病気持ちの牛ばかりを運んできたらしい。
確かにその方が仕入れ値は安く済むだろうが──阿漕だよな。
「なら、実験を始めるのに問題はないんじゃな。よし、さっそく取り掛かろう。まずはわしに──」
「いえ、それがその──申し訳ございません!」
小一郎様の言葉を遮り、首領がやにわにがばっと平伏した。
「この治部左衛門、初めて小一郎様のお言いつけに背きました! 実は牛を確保したのはひと月ほど前のことで、実験はすでに済んでおります!」
「何じゃと──⁉」
小一郎様の顔にはっきりとした怒色が浮かぶ。
「どういうことだ、治部左衛門! 厳命したはずじゃ、まずわしの身体で実験する、人を使った実験は断じて許さん、と! ──それから、次郎殿!」
次に、その隣でばつの悪そうな顔をしている次郎様に向き直った。
「なぜ治部左衛門に手を貸したんじゃ! おんしにも、わしが戻るまで絶対に実験をしないよう、あれだけお願いしておいたじゃろうが!」
「──お待ちください、小一郎様」
その時、首領と次郎様をかばうように、里の長老が間に割り込んできた。
「邪魔立てするな、源三殿! この二人は、わしが絶対やるなと言っていたことを──!」
「お叱りはわしらが受けます。首領や堀様に無理強いしたのは、実はわしら年寄りたちなのです」
そもそもの発端は、次郎様の警護についていた一之進が、次郎様と半兵衛様の会話から、病の研究の計画に気づいたことらしい。
そして、小一郎様がまずその実験台になると決めておられることも。
しかし、かけがえのない存在の小一郎様に万一のことがあればどうするのか、果たしてそれでいいのか──悩んだ一之進は里の長老たちに相談したのだそうだ。
「一之進から話を聞いて、わしらはすぐに話し合って全員一致で決めたのです。まずはわしら年寄りが実験台になろうと」
「このたわけが! 誰がそんなことを頼んだ! 言ったはずじゃ、わしはおんしらを道具扱いになどせんと! わしは、おんしらにそんなことを強いるつもりなど──」
「──小一郎様」
ふいに、長老が凄みのある声を発した。小一郎様が思わず言葉を呑み込む。
「馬鹿にしないでいただきたい。わしらも強いられた覚えなどございません。
誰に言われたからでもない、これはわしらが自らの意思で決めたことなのです。
わしらはもう忍び働きではお役に立てない。なればせめて、老い先短いこの身を実験台に使ってもらうことで、小一郎様のお役に立とう、と」
「やめてくれ──!」
小一郎様が、激しくかぶりを振って悲鳴にも似た声を上げた。
「わしは、まだ何もしてやれとらん! おんしらの働きに、充分に報いてやることすらできとらん! そんなわしなんかのために、おんしらが命を差し出す必要など──」
「いえ、もう充分にしていただいておるではないですか、小一郎様」
長老は語気を和らげ、まるで孫をあやすように小一郎様の肩を優しく叩いた。
「小一郎様は、わしら忍びを人として扱ってくださった。
わしらの子や孫たちが、この先も誇りを持って生きていく道を示してくだされた。
ならば、身を挺してでもそのご恩に報いたいと思うのは、人として当然ではありませんか」
その長老の声に、他の年寄りたちも明るく賛同の声を上げ始めた。
「その通り! こんなところで小一郎様にもしものことがあれば、子や孫たちが路頭に迷ってしまいますからなあ」
「依頼期間は『小一郎様の血筋が絶えるまで』でしたな? 跡取りもまだおられないのに、勝手に死なれてはかないませんわ」
「わしらにも少しくらいは役に立たせてくだされ!」
「なぁに、わしらは頑丈じゃからな! 小一郎様のお子の顔を見るまではそう簡単にはくたばりませんわい」
「──小一郎様」
皆の声を身振りで制して、長老が穏やかな口調で語りかける。
「わしらを道具扱いしたくないと言われるのなら──わしらが人として自分の意思で決断したことを、どうか無碍にしないでくださいませ」
「──ったく……」
長老の言葉に、小一郎様が前髪を掻きむしるしぐさをして、ぽつりとつぶやく。
「揃いもそろって、この馬鹿どもが──」
小一郎様の俯いたその顔から、光るものが零れ落ちるのが見えた。
「──ようし、わかった、わしの負けじゃ! おんしらの気持ち、この小一郎、ありがたく受け取らせてもらう!
見ておれ。おんしらの子々孫々、末代にいたるまで誇りにできるような、とんでもなく大きな手柄にしちゃるでな!」
その後、次郎様から実験についての詳しい説明があった。
種痘を受けた長老たち六人は全員無事。三人は二日ほど熱を出したが、すぐに回復したらしい。
その結果を受けて、里にいる現役や子供たち、次郎様も種痘を受けた。その間に、長老たちは痘瘡患者が出たという瀬戸内の小島に渡り、患者と近しく接触したものの、一人も発症しなかったそうだ。
「──この結果からみて、種痘法はもう成功したと判断してよいでしょう。
で、小一郎殿。この後はどうしますか? どのような段取りで広めていきますか?」
「うーん、そうじゃな、まずはわしが接種して、それから兄者に説明してわしの身内、羽柴家の家臣、お館様に説明して織田家の家臣──それから近衛様、というところかの」
「それだと、時間がかかり過ぎませんか? 時がかかれば、それだけ無明殿に察知される可能性が高まります」
「それもそうじゃな」
「──いっそのこと、藤吉郎殿、お館様、近衛様に一度に説明してしまうというのはどうでしょう?」
「うーん、それが叶うなら手っ取り早いが、しかし今のわしは岐阜城にも今浜城にも行けんぞ? 一応、追放の身じゃからな。
それ以外の場所にお三方に来てもらうというのも不自然じゃろうし──いや待て、そうか、鷹狩りか!」
小一郎様の答えに、次郎様が満足したように微笑む。
「ご明察。──とまあ、これは半兵衛殿の考えなのですけどね。
鷹狩りなら、お三方が城以外のところに集まっても不自然ではない。そして、合流したあとは、船で淡海に出る。湖上なら、間者が近寄るのも防げますからね。
それに湖で、他にもお館様にお見せしたいものがあるのです」
「お見せしたいもの? ──あっ、そうか、ついに完成したんじゃな!?」
「はい。ようやく出来ました。まだ出来合いの船に無理やり組み込んだような粗末なものですが──まぎれもなく世界で初めての、蒸気機関で動く船です」




