068 戦の足音 羽柴駒
少し遡って章分けをしました。
なお、後書きに少し大事な連絡があるので、そちらもご覧ください。
岐阜の育児院の運営は、子供たちが前向きな気持ちを持ってくれたことで、何とかうまく回り始めたようです。
あの悪餓鬼──もとい年嵩の男の子たちも、小さな子たちの面倒をよく見てくれるようになりました。学問にあまり乗り気じゃないのはお約束ですけど、三介様が書き記したおね様流の指南書もありますしね。
まあ、元々そこまで性根の曲がった子がいなかったのは幸いでした。
では、他の地域の育児院はどうなのか、というと──。
「どうじゃ、お駒。子供たちから不平や不満の声は届いておらぬか?」
今日の私はお方様の執務室で、他の育児院からの報告書などを確認しています。
岐阜の育児院での手腕を認められ、私とお美代殿は、最近は全体のことも補佐するよう仰せつかっているのです。
「うーん、今のところ不満の声はほとんど届いてないですね」
「そうか、それは何よりじゃな」
お方様はずいぶん満足そうです。でも、私の見立ては逆なんですよねぇ。
「いえ、お方様。逆に、あまりに少なすぎます」
「どういうことじゃ?」
「考えてもみてください。面識もなかった子供たちが、慣れない共同生活を始めたのですよ? 軋轢やいさかいがあって当然。不満の声が上がらないほうが不自然です」
「ならば、どうして──」
「岐阜の子たちも、大人たちを信用していませんでした。自分たちがこの先どうなるのか、ずっと不安を抱えていて──。そんな子たちに、不満があったら申し出るよう言っても、素直に返ってくると思いますか?
大人たちに何か言っても、どうせ何も変わらないと諦めているのかもしれませんし──あるいは、途中のどこかで不満の声が握りつぶされているかもしれません」
「何じゃと?」
「報告書をそれぞれの育児院ごとに連続して見ていくと、自然と見えて来ちゃうんですよ。やる気の有る無しが──。
特にひどいのは北伊勢ですね。三か月も続けて、報告書は判で押したように『特に問題なし』だけです。これ、絶対にやる気ないですよね?」
「北伊勢──三七(信長の三男・後の信孝)のところか……」
お方様が難しい顔をして考え込んでしまわれました。
まあ、三七様は織田家の跡目候補として、奇妙丸様をそうとう意識していますからね。奇妙丸様びいきのお方様の指示で動くのが面白くない、というのもあるのでしょう。上のそういう態度って、下にも伝わるのよね。
一方、ちょっとうれしい発見だったのが──南伊勢のやる気に満ち溢れた報告書です。このびっしり書かれた、決して上手くはないけど一所懸命に書かれた文字って、絶対に三介様ですよね。
三介様が足繁く子供たちのもとに通って心を解きほぐしていき、その経過を嬉しそうに自ら報告書に書いている様子が手に取るようにわかります。うん、頑張ってるなぁ。
また、北近江の育児院も、義姉上様の手腕により上手く回っているようです。世話役の指揮を執るのはお兼殿と山内のお千代殿。あのお二人ならまず問題ないでしょう。
「──ううむ、これはいちど妾が各地に足を運んで、テコ入れせねばなるまいな」
しばらくして、お方様が溜息交じりにこぼされます。
「それもよろしいかと存じますが、その場だけ取り繕われてしまう可能性もあるのではないですか?
まずは子供たちの素直な声が、役人や世話役の手を介さなくともここまで届く仕組みをつくりましょう」
「そんなことが可能か? いったい、どうやって──」
「商人たちを使う、というのはいかがでしょうか?」
各育児所には、食料や日用品などを納入する商人たちが出入りしています。その者にこっそり文を渡せばお方様の元に確実に届くという噂を、子供たちの間に広げるのです。
出来れば、若い手代(使用人)あたりが出入りするようにしてもらう方が、子供たちも親近感を抱きやすいかも。
うまくすると、役人や世話役の不正や怠慢の実態まで暴けるかも知れません。
──私がそんな腹案を説明すると、さすがはお方様、すぐに懸念を返してこられました。
「なるほど。しかし、そううまくいくかの? 役人がその商人を丸め込んでしまうこともあり得るのではないか?」
「たぶん、大丈夫です。しょせん仕事を怠けたいだけの小役人が、こんなことにさほどの大金を積むとも思えません。まともな商人なら、そんなはした金で危ない橋を渡ったりしませんよ。バレれば織田家からの信用を失うわけですからね。
むしろ信用を高めるために『こういう不正を打診してきた役人がいる』と訴え出る方を選ぶんじゃないでしょうか」
「なるほど──なかなか鋭い読みじゃな」
お方様はそう大きく頷かれたのですが──でも、何だか先ほどから、妙な目つきで私を見ているのですけど。
「……まあ、良かろう。お駒、その件は任せる。商人への謝礼など、細かい点を詰めて早急に提出するように」
「はい、承知いたしました」
──何なんでしょうか、あの目つき。値踏みするような、探りを入れるような──もしかして何かマズいことでも言っちゃったかしら。言葉遣いは、そんなに乱れてなかったわよね?
そこは、隣室で仕事をしながら聞き耳を立てているお美代殿にあとで相談することにして──まずは今の策を練り上げて、と……。
その時。
何だか遠くの方から、騒々しく慌ただしい物音がかすかに聞こえてきました。
「──ん? 何の騒ぎじゃ?」
「あ、ちょっと様子を見て参りましょうか?」
そう言って私が腰を上げかけたとたん、遠くからはっきりとした声が聞こえてきたのです。
『お、お館様、御帰参──!』
えっ? お館様はつい先日、長島討伐に大軍を率いて出陣されたばかりですよね。まだ十日と経っていないのに、もう──!?
あまりに早い御帰参に、私とお方様が顔を見合わせ、何か問題でも起こったのかとあれこれ推測を話し合っていたところに、御小姓が先触れでやってきました。
「お館様のお成りにございます!」
その声とほぼ同時に、湯帷子一枚の楽な格好に着替えたお館様が部屋に入って来られました。
「──外せ」
言葉短く御小姓を追い払うと、お館様は私には目もくれずにつかつかと部屋の奥に進み、お方様の腿に頭を乗せてごろりと横になってしまわれました。
ええと──私は席を外すように言われてないけど、ここにいてもいいんですよね? 正直言って、ちょっと目のやり場に困る状況なんですけど。
「お館様、無事のご帰参、おめでとうございます。あまりに早いご帰参でしたので──」
「何がめでたいものか──くそっ、やり過ぎたわ!」
や、やり過ぎ──!? まさか、叡山でやろうとしていたという根切り(皆殺し)でもやってしまわれたのでしょうか。
同じことを想像したのか、お方様も表情を強張らせてしまったのですが、そんな私たちの様子に気づいて、お館様が言葉を続けます。
「ああ、いや、そんな物騒な話ではない。何と言うか──良いまつりごとをやり過ぎたということだ」
「は? それはどういうことなのです?」
「民に暮らしの不満が少なくなったせいか、此度は一向門徒どもがまるで集まっておらんのだ。
これまでの例からいって八万は集まると思っておったのだが、いざ織田が来るとわかると逃げ出すものも多いようでな。残ったのはせいぜい二万弱、といったところか。
願證寺あたりが必死で参集の鐘を鳴らし続けても、集まるのは微々たるものだ。
これほど戦力差があると、もはや戦にもならん。向こうもひたすらに守りを固めるばかりでな。
らちが明かんので、抑えの兵だけ残して帰ってきた」
──なるほど、そういうことでしたか。
一向門徒は篤い信仰心から一揆にはしるものと思われがちですが、その根底には今の貧しい暮らしに絶望してしまったから、ということがあります。
お館様や小一郎の政策で民が豊かになりはじめ、今の生活を捨てたくないと思うようになってきたということなら、むしろ喜ばしいことだとは思うのですが……。
「それは良かったではありませんか。お館様のまつりごとが実を結んでいるということなのでしょう?」
お方様もそう優しく語りかけるのですが、お館様は不機嫌さを隠そうともせずにのそりと身を起こされました。
「──長島のことはもう良いのだ。一揆に与した罪にも問わん、仕事も世話してやると投降を呼びかけとるからな。いずれ立ち消えになるか──最後に一矢報いようと向かってきたところを叩き潰すか、だ。
だが、問題はそちらではない。煮え切らん長島に見切りをつけたのか、本願寺が大幅に方針を変えてきたのだ。
──武田信玄が動くぞ」
えっ!? 武田が──!?
いずれ戦になるという噂は聞いてはいたのですが、いよいよということなのですか?
「──石山本願寺から何人かの坊官が加賀に入り、一向門徒衆を率いて北上を始めた。帰蝶、何が目的かわかるか?」
「それは──能登か越中を獲るため、でしょうか?」
「いや、おそらくは越後の上杉を越中に引きつけるためだ。また、武田は北条と同盟を結び直しておる。
これで武田は後顧の憂いなく、南や西に動けるようになったというわけだ。
今、方々から米を必死でかき集めとるらしい。間違いなく大戦になる。戦場は──遠江か三河だな」
そう言って、お館様はお方様の文机の上にあった織田家支配地の地図を取り、床に広げられました。
「おそらく、武田に呼応して本願寺も動く。
いや、北の不安がなくなったことで朝倉が近江に攻めてくる、ということもあり得るな。
そこは藤吉郎と十兵衛に任せて──いや、摂津の情勢次第では十兵衛はそちらに回さざるを得んか。
──くそ、三正面での戦いとなると、さすがに厳しいのう……」
ああ、ついに大規模な戦になってしまうのですか。
こんな時、小一郎だったらどう考えるのかしら。戦を避けるか、早期に終わらせるためにどんな策を──。
「此度、織田筒は使われるのですか? まだ数が充分ではないと聞いていましたが」
ぶつぶつと呟きながら情勢を考えていたお館様に、おずおずとお方様が声をかけられます。
これについては、以前に半兵衛殿から聞いています。織田筒の存在は、ある程度数が揃うまで、なるべく外部に知られたくないそうなのです。特に紀州雑賀の鉄砲衆には──。
ここぞというときまで秘匿しておくべきだというのが、小一郎とお館様の一致した考えだったそうなのですが、それが今回なのでしょうか。
「うむ、もはや是非もない。武田は手の内を温存して当たれるような甘い相手ではないからな。
しかし、予想していたよりだいぶ動きが早い。今年は米不足になるよう仕掛けたので、あと一年は稼げると読んでいたのだがな。
せめて、鉄砲の半分も織田筒に置き換わった後であれば問題はないのだが……」
織田筒の製法は最重要機密なので、今のところ国友村のみで作らせています。
今、織田家が武田相手に使える鉄砲が四千ほど。織田筒はようやくその四分の一を超えたくらいだそうです。
それでどうやって、最強とも言われる武田の騎馬軍団と戦えばいいのか──。
そんなことを戦の素人なりに色々と考えていたのですが、そんな私に、お方様が唐突に尋ねて来られたのです。
「お駒、お館様がお困りじゃ。何か良い策はないか?」
「え? い、いえ、急にそんなことをおっしゃられても──」
「こういう時に備えた策は、何か授かっておらんのか? ──小一郎から」
え──えええええっ!? 何でそこで小一郎の名前が!?
私、小一郎との繋がりを匂わすようなことは、絶対に口にしていませんでしたよね?
「そなた、小一郎の嫁なのであろう? まあ、おおかた察しはついておったのだがな」
「お、お方様、いったい何故そのような──」
「気づいておらんのか? 商人の性質を良く分かった上での策といい、その策を献ずる語り口といい、小一郎と実によう似とる。
──『考えてもみてください、これこれこうだとは思いませんか?』という話しぶりなど、そっくりじゃったわ」
──ま、全く自覚していませんでしたぁぁっ!
あああ、お館様も『何をやっとるのだ、この間抜けが』とでも言わんばかりに、白い目を向けてこられてますし。
「──しかしまあ、妾がそのように確信したのは、お館様の御振舞いからでしたけれども」
「な、何!? わしが何を──!?」
「お館様が織田筒の話をされる時は、必ず御小姓や太刀持ちすらをも席を外させます。
それなのに、このお駒がいる場で平然と織田筒の話を続けられた。──それは、お駒が織田筒のことを聞いていると知っていたから、ではないのですか?」
お方様、鋭いっ!
こ、これは予想外の展開です。お方様は凄い目で『さあ、理由を説明してもらいましょうか』とでも言わんばかりに、お館様のことを睨みつけておられます。
でも、お館様は特に焦った様子もなく、悠然と口を開かれたのです。
「──小一郎は今、わしの密命で織田家から離れ、特別な仕事をしておる。家中に敵の内通者がいるので、その目を欺くためにわざと派手な追放の芝居をやらせたのだ。
そうなると、駒も今浜には居づらかろうしな。役に立ちそうなのでおぬしの下につけた。
このことは他言無用だ、奇妙丸にも言うな。奇妙丸の近しいものに内通者がいる可能性もあるのでな」
うわぁ。お館様も小一郎と同じく、すらすらと嘘がつける質のお方ですね。
密命うんぬんはでっちあげですが、少ない言葉の中に重要なことは余さず入れ込んでいます。さすがですね。
「──まことにそれだけなのですか?」
え? お方様のお顔が怖いままなんですけど、いったい他に何を──!?
「小一郎を追い払ってこのお駒を手元に置いてどうにかしようという、よからぬ魂胆でもあったのではないですか、と聞いているのです」
「た、たわけたことをぬかすなぁっ! いくらなんでも家臣の嫁を奪おうとしたことなどないわ!」
「これまでは、でしょう? 実際、吉乃殿(奇妙丸・三介の生母)だけならともかく、何人もの女子に子を産ませておられるではないですか」
「そ、それは確かにそうだが──」
「いくら子を成すのが当主の務めだとしても、限度というものがあるではありませんか。私がその度に、どれほど心を痛めてきたと思っておられるのです!」
あああ、お方様が芳野様のように嫉妬全開になってしまわれました。たぶん、私とのことを本気で疑っているわけではないでしょうが、それをきっかけに、永年溜め込んできたものが一気に噴き出してきちゃったんでしょうね。
お館様、そんな『おい、何とかしろ!』というような顔でこちらを見られましても──。
私がどれほど否定しても全く効果はないでしょうし、他の話で気を逸らそうとしても『後にせよ!』とか言われちゃいそうです。
育児院の話では駄目でしょうし、かといっていくさの話など、他の人から聞いた範囲のことしか知らないもの。
だいたい、織田筒を使いたいけど存在を知られたくないって、かなりの無理難題でしょう?
そういえば以前、小一郎が言ってました。三倍の射程距離と高い命中率の織田筒なら、敵の突撃が届く前に倒せる、と。
確かに、数が揃っていればそうなんでしょうけど、今は全然足りていないですしね。
ええと、あの時、他に何か言ってなかったかな? 確か、三介様や与右衛門ほどの腕があれば、って────あ、あぁっ!?
「──あ、あのう、お館様、お方様……」
まだ不毛な言い合いを続けておられるお二人に声をかけてみるのですが、たぶん私、今そうとうにひどい顔をしているでしょう。
いくら被害を抑えて戦に勝つためとはいえ、これは間違いなく──人を殺めるための策だもの。
──今になって、いくさ嫌いの小一郎が横山城で二百人の浅井兵を始末させたとき、どれほど辛い思いで命令を下したのか、ようやくわかったような気がします。
「何じゃ、お駒!? 妾は今、取り込み中なのじゃ! 後にせよ──って、何じゃその顔色は?」
話が逸れてほっとした表情を浮かべたお館様も、ぎょっとしたように声をかけてこられます。
「どうした、駒? おぬし、真っ青ではないか」
「あの、私、思いついてしまったのです」
──自分が言おうとしていることの罪深さに、震えが止まりません。
でも、これを言わなかったことで織田家が負けでもしたら、もう取り返しがつかないのです。
夫の小一郎が生涯をかけて実現しようとしていることを、妻である私が手助けしないでどうするのです! 躊躇うな、覚悟を決めろ、羽柴駒!
「──相手に織田筒の存在を知られることなく、その性能を最も有効に使う手立てがございます」
岐阜の話はここでいったん終わり、次回から小一郎の方に話が移ります。
この間、小一郎はどこで何をしているのか、また、駒が思いついた策とは何なのか?──というところなのですが。
すみません。ちょっと入院と手術の予定が入ってしまったので、一か月ほど更新を休止します。
命にかかわるようなものではないので、まず間違いなく再開できると思います。
出来ましたら、つけたブックマークはそのままにしておいていただけるとありがたいです。
手術後にごっそり減ってしまってたら、さすがにちょっとメゲそうです……。
まだブクマをつけていない方は、この機にブクマをつけて更新通知をONにしていただくと再開に気づきやすいと思いますので、よろしければぜひ!
再開後も、引き続きお付き合いいただければ幸いです。ではまた。




