065 追放処分 羽柴駒
それから藤吉郎殿と小一郎は、政務についての引継ぎがあるとかで、別室に場所を移していきました。
与右衛門もお義母様の警護に就くように言われて席を立ち、あとには真相を知る面々だけが残されます。
「何と言うか──予想外の展開続きで、ひどく疲れました……」
小一郎たちの話し合いにまだ慣れていない次郎殿が、大きく溜息をついてからぽつりと感想を漏らしました。
「小一郎殿は、いつもこんな感じなのですか?」
「まあ、おおむねそうですな」
治部殿が、少し同情したような顔つきで答えます。
「小一郎殿はその場で思いついた策を、事前の相談もなくいきなり繰り出したりしますから、周りはついていくのが大変でしてね。
それに、どうやらお駒様にもその傾向があるようで、──この先がいささか思いやられますなぁ」
「あら、それって褒めてる?」
「断じて褒めてません。どう聞いたらそう感じるのです?」
そんなやり取りをしている私たちを、半兵衛殿やおね様が何だか不思議そうな顔で見ています。
「──あの、お駒殿、治部左衛門殿?
お二人はずいぶんと気安い間柄にも見えるのですけど、以前からお知り合いだったのですか?」
おね様に訊かれてしまいました。ええと、これはどう答えたものか──。
「いや、実 は そ う な の で す よ!」
その時、私の横で治部左衛門殿がやにわに大きな声を上げました。
「お駒様の父上とは古い友人でしてな。お駒様にも子供の頃、何度か会ったことがありまして」
あっ、ずるい──!?
自分からバラしておいて、しかも微妙に内容を改竄してるし──。
何だか『これで借りはひとつ消えましたが、何か?』とでも言いたげに、横目でこちらを見てほくそえんでいるのが、ちょっと腹立たしいです。
「──まあ、いいわ、貸しはもうひとつ残っていることだし。治部殿、ひと働きしてもらうわよ?」
「というと──お館様との面談の手筈、ですかね? しかし、それはさすがに難しいと思いますぞ。
正面から行ってもまず門前払いでしょうし、それがしが岐阜城に潜入して接触出来たとしても、そもそも話を聞いていただけるものかどうか──」
「そういえば、先ほど『勝算ならある』と言ってましたね。お駒殿、その勝算とやらを聞かせてもらえませんか?」
半兵衛殿も問いかけてきました。
「ああ、実は私、お市様にひとつ貸しがあるんですよ。
治部殿にやって欲しいのは、お市様への渡りをつけてもらうことね。
それで、お館様との面談の機会をうかがってもらうよう、手伝ってもらいましょう。
もちろん、問答無用でお手討ち、なんてことにならないように──茶々様と遊んであげてる時にばったり、なんて感じがいいかしらね?」
──何だかこの、自分の発言で皆があっけに取られているのを見るのって、なかなかに気持ちいいわね。
「──あ、いや、それで仮に話を聞いてもらえることになったとしても、お館様に何と言って説明されるのです?
まさか、小一郎様の秘密を教えるわけにもいきませんし、それでどのように──?」
しばし唖然としていた治部殿が、重ねて質問してきます。うーん、確かにそこは問題よね。
たぶんお館様は、小一郎がそんなことをしでかした真意を、内心では絶対に知りたいと思われるはず。
どれほどお怒りになっていたとしても、最初さえ何とかしのげれば、話を聞いてもらう余地はあると思って、つい『任せて』なんて言っちゃったけど。
でもその後、小一郎の秘密を隠したままでどう説明を──って……あれっ?
その時、私の頭に突然、とある疑問が浮かんできたのです。
「ねえ、今ちょっと思ったんだけど──そもそも、そこまでして小一郎の秘密をお館様に隠し続ける意味って、ある?」
『──は、はぁっ!?』
私の言葉に、皆が面食らったように絶句しています。
「ほら、さっき小一郎が義兄上様に打ち明けた内容──龍馬殿が未来の人だということを伏せた『生まれ変わり』の話なら、お館様に知られてもさほど問題はないと思うんだけど?
なら、いっそのことお館様にも小一郎の秘密を打ち明けてしまって、味方に引きずり込んでしまった方が、あとあと面倒がなくていいんじゃない?」
「──ひ、引きずり込むって、また何て無謀なことを──!?」
「ある程度の秘密を打ち明けて納得していただければ、それ以上の詮索も避けられると思うのよね。
それにほら、人って秘密を共有すると自然と仲間意識が高まるものだし」
「い、いや、それは確かにそうですが──」
「──ああ、そうね。何もお館様だけじゃなくてもいいのかも」
『はぁっ──!?』
何だか、皆の反応を見るたびにどんどん楽しくなってきて、ちょっと勢いが止まりません。
「お市様や浅井長政殿、竹中の殿(半兵衛の弟・久作重矩)に──丹羽様あたりもかしら?
──そうそう、三介様も外せないわよね。
羽柴家に好意的で、この先頼みに出来そうな方々にも『生まれ変わり』の秘密を共有してもらって、いざという時に確実にお味方してもらえるようにしておきましょうか。
──特に、三介様にはちゃんと事情を説明しておかないとね。あの子が追放の話を聞いたら、『小一郎は無実だ!』とか、お館様に直談判に駆けつけたりしかねないもの」
「お、お待ちください! 秘密を自分たちから広げてしまうなど、いくら何でも無茶苦茶です!
──半兵衛殿も黙ってないで、このイノシシ娘の暴走を何とか止めて下され!」
治部殿、何よ、その与右衛門みたいな言いぐさ。さすがに調子に乗り過ぎちゃってるのは自覚してるけど。
ふと見ると、半兵衛殿は皆のように唖然とした表情ではなく、腕組みをしてじっと何かを考え込んでいるようだったのですが、やがて顔を上げて口を開きました。
「──いや、これはなかなかの妙案かもしれませんよ?」
「は、半兵衛殿まで何を──!?」
──これは意外な援軍です。ここは、皆の説得は半兵衛殿に任せてしまった方がいいのかも。
「──此度の件では大方様が狙われてしまいましたが、もし藤吉郎殿が小一郎殿別人説を吹き込まれて信じ込んでしまったら、もっと厄介なことになっていたところでした。
他の方に対してもこの手が通じないよう、ある程度の情報を事前に開示しておくのは、確かに有効かもしれません。
無論、打ち明ける対象や、どこまで話してよいかはよく考えねばなりませんが、──お駒殿、我らが最優先で隠し通さねばならないこととは何だと思いますか?」
「ええと──『小一郎の知識が未来のものであること』かしら?」
「正解です。
まあ、『生まれ変わり』の話も相当に突飛な話だとは思いますが、『未来の知識を持っている』という話に比べれば、まだ受け入れられやすいはずです。
それほど重大な秘密を、自分を信頼して打ち明けてくれたと思ってくれれば、その裏にもっと重大な秘密が隠されているとはさすがに思わないでしょう。
仮に無明殿側からの接触があったとしても容易には応じないでしょうし、監視の網を拡げることにも繋がります」
「──その人たちに、無明殿のことはどこまで話すべきでしょうか?」
私と半兵衛殿の考えに納得したのか、次郎殿が質問してきます。
「そうですね──織田家中の誰かが小一郎殿の素性に気づいて、羽柴兄弟の仲を裂こうとしている、くらいに留めておきましょう。
あと、小一郎殿の発明の情報を入手して、それを悪用することを思いついたらしい、といったところですかね」
「痘瘡のことは伏せておくのですか? その辺も詳らかにしてしまった方が、説得もしやすくなるのではないかと思うのですが」
「いや、それはやめておいた方がいいでしょう」
そういえば半兵衛殿は、先ほども小一郎が無明殿の企みを話そうとしていたのを遮ってましたしね。──あっ!?
「──そうね。私も痘瘡の件までは話さない方がいいと思うわ」
すかさず賛同して、私は半兵衛殿の目をじっと見つめます。半兵衛殿が危惧していることに私も気づいたのだと伝わるように──。
半兵衛殿も、私の意図を察したのか、小さく頷き返してきました。
「ま、まあ、お二人がそうまで言うのなら、私はそれでもかまいませんが──」
次郎殿が自説をすぐに取り下げてくれたので、ちょっと安堵しました。
──藤吉郎様のことが大好きなおね様の前では、さすがに口に出せませんが。
無明殿が考えている『痘瘡を兵器として使う』という策は、藤吉郎様やお館様には絶対に知らせるべきではありません。
そんなことはないとは信じたいのですが──野心家のお二人が、その策が自分にとっても有用だと気づき、切り札として秘蔵しておくべきだと考えてしまう可能性もあります。
だからこそ、痘瘡の予防策を確立して大々的に広めるまでは、これも絶対の秘密にしておかねばならないのです。
「──さて。夜もふけてきましたし、そろそろ話をまとめましょうか」
半兵衛殿が皆の顔を見渡して、話を切り出します。
「私もおね様が言われるように、お駒殿がなかなかの策士なのだと認識を改めました。
お館様やお市様、長政殿あたりへの対応は一任しても大丈夫ではないかと思います。
──ただ、丹羽様に打ち明けるのはまだやめておきましょう。おそらく無明殿ではないと思うのですが、絶対の確証がまだ得られていません。
三介様へは──おね様が文を書いていただけますか? それが一番確実だと思いますので。
それと、次郎殿。お駒殿がお館様と話をする際にご機嫌取りに使えるよう、いくつかの発明を簡単な文書にまとめてもらえますか?
あの『旗振り通信』と──あの農法、火薬の配合比率あたりがいいでしょうかね。小一郎殿の置き土産として渡せば、小一郎殿が今後も織田家のために働く意思があるとの証にもなるでしょう。
赤心斎殿は旅の支度と、ご家族の説得をしっかりとなさってください。
治部左衛門殿は、小一郎殿につける護衛の人選と打ち合わせを。それと、岐阜までお駒殿を連れていく手筈もお願いします」
そう言って皆がそれぞれに頷き返すのを見回し、半兵衛殿が場を締めるように語気を強めます。
「よろしいですか。今宵が我らの正念場です。抜かりのないよう、しかと準備を進めて下さい」
「あ、あの、半兵衛殿、私は何をすれば──?」
「ああ、お駒殿は──お駒殿こそが、此度の一連の策のまさに要です。
先ほど、ざっとひと通りは説明しましたが、小一郎殿と我々がどんなことをしてきたのか、もっと詳細にお教えしておきましょう。策士たるもの、情報はなるべく多く頭にいれておかなければなりませんので。
朝まで時間がありません。手厳しくいきます。しっかり頭に叩き込ませていただきますよ」
「えっ? で、でも、もう夜も遅いですし、そろそろ寝ないと──ほら、明日からは岐阜までの移動もあることですし──」
「ああ、それなら大丈夫ですよ」
私の精一杯の抵抗に、半兵衛殿が実にさわやかな笑顔を返してきました。
「──人間、二・三日くらい寝なくても死にはしませんから」
い、いや、そういうことを言っているのではなくて、ですね──!?
翌日。
小一郎は、朝一番で今浜城からの緊急の呼び出しを受けて登城し、私は屋敷でいつも通り過ごしていました。──睡魔と戦いながら、ですけど。
やがて昼過ぎに、半兵衛殿とともにお城からの使者が来られ、少し気の毒そうな顔で殿からの文書を渡して来られました。
文書には予定していたとおりに、『小一郎が不埒なことを企てたため羽柴家からの追放処分とする』旨が書かれてあります。私は文面に素早く目を通し、沈痛な面持ちを作って丁寧に頭を下げました。
「承知いたしました。──夫の愚行のために、皆様には大変ご迷惑をおかけいたしました」
「いえ、その、お駒殿、あまりお気を落とされませぬよう……」
「お気遣いありがとうございます。──半兵衛殿、少し今後のことで相談があるのですが」
そう弱々しく言って使者殿を見送り、半兵衛殿にはこの場に残ってもらいます。
使用人たちは、何か重大なことでも起こったのかと不安げな顔で遠巻きにこちらを見ているのですが──みんな、不義理しちゃうけど本当にごめんね! いつか必ずおわびはするから。
「──半兵衛殿、それで首尾は?」
別室に入って後ろ手で襖を閉めるなり、まずは手短に訊いてみます。
「上々です。お二人はなかなかの役者ですからね、迫真の演技でしたよ。(蜂須賀)小六殿や(前野)将右衛門殿など、必死で藤吉郎殿をお諫めしようとされてましたし──お二人には少し気の毒なことをしました」
「──ああ、その二人になら、もう打ち明けちゃってもいいかも」
「そうですね、後でおね様にも相談しておきます。
──使用人たちのことは任せて下さい。もう行き先は確保してますので、明日にでも皆に伝えるようにします」
「お願いします。
あと、お千代殿にも少しだけ事情を説明してあります。生まれ変わりの話は伏せてますが、この追放が殿と示し合わせた上でのはかりごとなのだと。家臣や使用人たちの動揺を鎮めたり、変な憶測が広まるのも防いでくれるはずです」
「わかりました。──では、使用人たちに小一郎殿の処分の件を伝えてきますので、皆が混乱して騒いでいる隙に抜け出して下さい。ご武運をお祈りしております」
屋敷を抜け出した後は、今は無人となった小谷の羽柴屋敷に向かい、そこで小一郎や赤心斎殿たちと一度落ち合う手筈になっています。
裏口からこっそり外に出て、まずは治部殿が待つ小屋に向かうのですが──。
「お駒様、こちらです──」
「治部殿──え? 何でお美代殿がここにいるの?」
そこでは治部殿と一緒に、ばつの悪そうな表情を浮かべたお美代殿が待っていました。
「実はこのお美代は、御身の警護のために竹中家に潜伏させたそれがしの部下なのです。岐阜城にも敵の手が伸びるやもしれませんので、護衛としてお傍に置いてください」
「あのう、お駒様、今まで正体を隠していてすみませんでした!」
久しぶりに会うお美代殿が、勢いよく頭を下げてきます。
「ええっ、お美代殿って忍びだったの? 全然わからなかったわー」
──いや、とっくに気づいてましたけどね。治部殿との約束だから、気づいてなかったことにしておきますけど。
──さて、目立たないように質素な旅装に着替えて三人で移動を開始し、日が落ちる少し前に小谷の屋敷に到着したのですが──何だかすっかり寂れてしまいましたね。
建物自体は新しいのでそこまで痛んではいないのですが、雑草も伸び放題で、何より屋根にものすごい数のカラスが群がっていて、不気味というよりちょっと怖いです。
「おお、来たか、お駒」
小一郎と赤心斎殿が手を挙げて迎えてくれます。それと、護衛の忍びでしょうか。私も面識のある二十歳ぐらいの原田新吉殿、だったかしら──と、もう一人はそれより一・二歳くらい年上で、少し陰がある感じの……。
思わず、顔が険しくなってしまいます。
治部殿、これって何かの嫌がらせ? 何で小一郎の護衛に、こんな若い美女をつける必要があるのよ!?
そう文句をつけてやろうと思った矢先に、治部殿が慌てたように掌を突き出して弁解してきます。
「いや、お駒様、おっしゃりたいことはよーくわかります! ですが、誓って他意はありません。この楓を同行させるのは、この者だけが持つ能力がこの任務に必要だからなのです!」
そう言って楓殿とやらに指図をすると、楓殿が小さく頷いて口を開きます。
「──『黒』、『玄』、おいで!」
涼やかな声が響いたとたん、屋根の上のカラスたちが一斉にざわめき、その中からひときわ大きな二羽が飛び立って楓殿の足元に降りました。そして、そのうちの一羽が大きな声でひと鳴きすると、騒いでいたカラスたちが一瞬で静かになります。え、なにそれこわい。
「──『口寄せ』と言いまして、獣たちを自在に操る術なのです。この楓は、特にカラスたちを手懐けるのを得意としておりまして。
このヒナから育てた二羽は頭もよく、なかなかに複雑な命令も理解するのです」
「私が同行すれば、どれだけ離れていてもこの子たちを使って首領と小一郎様との間で連絡が取れます。私のいる場所を必ず見つけてくれますので。
お駒様も、小一郎様の消息がわからないまま待つのは、不安なのではないですか?」
そ、それは確かにそうなんだけど──。
なおも不安をぬぐえない私に、ふと楓殿が近づいて、妙に色っぽい声で耳打ちしてきました。
「心配はご無用です。私が狙っているのは──首領の後添い(後妻)の座ですので」
え──それはあまり趣味がいいとは言えないような……。
それと、先ほどから新吉殿が楓殿を追う目には、明らかにただの仲間を見るのとは違う熱っぽさが込められていて──何だか複雑な人間関係みたいです。
これ、楓殿を選んだことに他意はないとしても、もう一人に新吉殿を選んだのは──絶対に面白半分よね?
赤心斎殿も、事情を察したのか、なりゆきを楽しむ気満々のニヤケ顔なんですけど。
小一郎、一緒に行くのがこの顔ぶれで、本当に大丈夫なのかしら……。
「──あ、ところで、小一郎。とりあえずどちら方面に向かうかだけでも教えてくれない?」
「うーん、まずは播磨か丹波あたりへ、とも思っておったんじゃが──」
そう言って何気なくあたりを見回した小一郎が、ふと二羽のカラスに目を止めました。
「うん、考えが変わった。まずは南じゃな」




