058 婚礼の準備 浅井駒
いよいよ、小一郎との婚礼の日が近づいてきました。
羽柴家の家臣の方々や、小一郎の家臣の方々が次々とお祝いに訪れて来られるのですが──さすがにこんなに大勢の顔と名前は、一度には覚えられません!
もともと浅井家の家臣だった方も多く、皆様が父上のことを『残念なことであった』『惜しいことをした』と言っていただけるのはありがたいのですが──会う人会う人皆にそう言われて、毎回毎回同じ答えを返すというのも、さすがに気疲れします。
また、小一郎の屋敷の使用人の採用も急がねばならないのですが、肝心の小一郎は最近ものづくりの方がとても忙しいようで、なんと全て私に丸投げしてきたのです。
『すまん、お駒、家人の採用にまで手が回らん! 悪いが治部左衛門と相談して、お駒の目で決めてくれんか?』
まあ、それはいいんだけど。
治部殿が身元調べを請け負うと言ってくれたから、他家の間者かどうかは気にしなくていいですしね。
どうしても間に合わないようなら、当分の間は羽柴本家から人を貸してくれる、とも聞いたのだけど、双子騒動の頃のおね様へのあの接し方を見ていたら──それもちょっと考えものです。
幸い、治部殿が父に仕えていた下男や女中たちを探し出してくれて、何人かは来てくれることになったのですが、女手はまだ足りません。
一応、広く募集はしているのですが、仕事を探している女性たちの多くは、酒蔵や、最近できた醤油蔵・甘辛煮工房の募集に行っちゃっているみたいで、なかなか集まらないのです。
固苦しい武家屋敷のお勤めよりはそちらの方が気楽そうだから、仕方がないんだけど。
──まあ、いざとなったら多少のことは自分で何とかしますか! 人に何でもやってもらうなんてやっぱり性に合わないし、竹中家でも色々経験してきたんですからね。
朝、竹中屋敷から小一郎の屋敷に来ると、庭の方からなにやら猛々しい掛け声が聞こえてきます。
見ると、数人の男性が木刀を振るって鍛錬の真っ最中です。
婚礼前の雑事係兼護衛役として藤吉郎様が貸してくれた家臣の方と、その家臣の方々です。
──その人選を聞いた時、与右衛門が笑いを堪えて、何か言いたそうにしていましたが──はいはい、言わなくても大体言いたいことはわかったわよ。
「あ! これはお駒様! お早うございます!」
私に気づいた猪右衛門(山内一豊)殿が元気な声で挨拶してきます。
「お早うございます、猪右衛門殿。朝早くから熱心ですね」
「はは、それがしはこれしか能がありませんので。
──こら、そこ! 気を抜くな!」
『はっ!』
──山内猪右衛門殿は、武勇に優れた方ですが、不器用で愚直でどうにも要領が悪く、これまであまり出世に縁がなかったそうなのです。同輩からも『文字どおりのイノシシ武者』などと揶揄されているくらいで……。
対照的に、奥方のお千代殿はとてもかわいらしい方です。
先日、おね様のお見舞いに伺った時にたまたま同席したのですが、私より年下なのにしっかりしていて、ほがらかで、とても感じの良い方でした。
おね様とは、尾張にいた頃にすぐご近所だったそうで、前田又左衛門(利家)殿の奥方と三人、とても親しくしていたのだとか。
ただ、藤吉郎様や前田殿がご出世される中、猪右衛門殿は出世の波に乗れず、いまだ藤吉郎殿の与力として微禄に甘んじているのです。
その暮らしぶりもあまり楽ではないようで、お千代殿が一足先に帰られた後、おね様が少し困ったようにこぼされていました。
『お千代殿もだいぶ苦労されているようなんですけど、私が猪右衛門殿の出世に口を利くというわけにもいきませんしねぇ。私から手助けを申し出るというのも、自尊心を傷つけてしまいそうで──。
かといって、お千代殿からは絶対に助けて欲しいとは言わないでしょうし──何とももどかしいですね』
──あっ、ひらめいた!
「あの、猪右衛門殿、少しよろしいですか? ご相談があるのですけど──」
「え!? 千代をこのお屋敷に、ですか!?」
「人が集まらなくて困っているのです。お手空きの時だけでいいので、しばらくの間、手伝いに来てもらえないかしら? もちろん、お手当はお支払いいたしますので」
「ううむ……」
猪右衛門殿は腕組みをして、難しい顔をしています。いくら生活に困っているとはいえ、妻を働かせるのは男の沽券にかかわる、とでも思っているのでしょうか。
ここは、あくまでこちらの事情で無理に、という形で押し通すしかありません。
「何人か侍女は決まっているのですが、町人の出の者ばかりで、武家のしきたりを良く知る者がいません。
私も母親を早くに亡くしているので、武家のおなごのしきたりをあまり教わってなくて──お千代殿には、その辺りも教えてほしいのです」
「うーむ……」
「本当に困っているのですよ。もう何人か集まるまでの間でいいから、ここはひとつ、私や小一郎を助けると思って──何とかお願いできないかしら? ね?」
「うーん……」
ようやく猪右衛門殿が折れてくれて、お千代殿からも承諾を得ることが出来ました。
最初、お千代殿は私からのお願いにずいぶん当惑されていましたが、やがて私の意図に気づいてくれたのか、一日おきくらいに来てくれることになったのです。
これで、おね様も少しは安心してくださるかしら。
でも、その日の夕食の時、小一郎にお千代殿のことを報告し、『これで、あとは猪右衛門殿がどんどん出世してくれるといいですね!』と言ったら、小一郎がなんだか複雑そうな顔で生返事してたんだけど──山内家との間に何かあるのかしら。
さて、婚礼の前日。
今日は小谷の屋敷で、明智様のご家族との初顔合わせです。
私の養母となる煕子様はとてもお綺麗な方で──ただ、噂に聞いていたとおり、頬のおしろいの下にうっすらとあばたが見えます。
幼い頃に痘瘡(天然痘)を患い、一命はとりとめたものの、お顔にあばたが残ってしまわれたのだとか。
普通、嫁入り前の娘の顔に傷が残るというのは、この先もう良い条件での嫁入りは望めないことを意味します。でも、明智様はそんなことを全く気にもせず、昔からの約束どおりに喜んで煕子さまを娶ったそうなのです。
私の養女の話も、すんなりと引き受けて下さいましたし──お優しい方ですよね。
なのに、前にお会いした時には、小一郎が明智様のことを少し苦手としているようにも感じたのですが──何故なんでしょう?
明智様の娘さんたちも可愛らしくて、特に三女の玉殿は、まだ十にもならないのにいずれ世の男どもを夢中にさせること間違いなしの容貌です。
でも、いくら綺麗な子でも中身はまだ子供。儀礼めいた堅苦しい挨拶のあいだも、遊びたくてうずうずしているのがわかります。
「──うむ、では、これからは明智家と羽柴家の懸け橋として、よろしく頼むぞ、お駒」
「はい、精一杯努めます。養父上、養母上」
「では、話は終わりだ。──もう良いぞ」
そう明智様──養父上が破顔して声を掛けられると、玉殿たちがわっと駆け寄ってきました。
「こま姉さま、あそぼう!」
「あそんでくださいませ!」
──うわ、何、この幸福感はっ!?
よーし、今、駒お姉様が、お手玉の秘技をみせてあげますからね!
こんなこともあろうかと袂に入れていたお手玉を取り出そうとすると、ふいにその袂が後ろからつんつんと引っ張られました。
振り向くと、そこには四歳くらいの女の子がじっと私の顔を見て立っています。あれ、いつの間にかひとり増えた?
「こいちろうの──およめさん?」
その子が、おずおずと訊いてきます。
「ええ、そうよ。お駒っていうの。あなたは?」
もじもじとして答えてくれないのだけど、よく見るとずいぶんと上等なお召し物で、しかもこれがまたすっごい美形なんですよね。
そういえば、明日の婚礼に、何だかすごいお方が来ることになったとかで、家中がかなり慌ただしくしていたみたいだけど、そこの娘さんなのかしら?
「おじょうさん、お名前は? お父さまかお母さまはいっしょじゃないの?」
玉殿が優しくその子に話しかけてみます。と、その時──。
『──どこにいったのです、勝手に歩いてはいけませんよ、茶々』
そんな呼び声とともに部屋の前を通りかかったのは──何なのこれ! 何でこんなに美人ばかりひとところに集まるの!? 今来た人って、もう、これ以上の美人が想像できないほどの絶世の美人じゃない!
「あら、こんなところにお邪魔していたのね、茶々」
「こ、これは──お市様!?」
養父上が慌てて平伏します。え、お市様って──お館様の妹で浅井長政の奥方の──じゃあ、この子って、茶々姫様!?
「ご無沙汰いたしております、明智十兵衛めにございます!」
「まあ、明智様、そのように平伏などしないで下さいな。今の私は浅井家の者なのですから」
「な、何故このようなところに──」
「ああ、実はお館様の名代として明日の婚礼に出るように、と仰せつかったのです。
まったくもう、都合のいい時だけ織田の者として扱うんですから──。
どうやら茶々が、どうしても小一郎殿のお嫁さんをひとめ見たいとお館様におねだりしたみたいなのです」
そう困ったように言われる表情も、実にお美しいですね。
「ああ、こちらが明智様のご家族ですね?」
「は、はいっ、煕子と申します! こちらは娘たちにございます」
「まあ、とても愛らしいこと。──あら?」
玉殿たちを見ていたお市様の目が、茶々様が袂を掴んだままの私のところで止まりました。
「もしかして──あなたがお駒殿?」
「は、はいっ」
「そうですか……。
明智様、もしお話がお済みのようでしたら、少しお駒殿と二人で話させてもらえないでしょうか?
──茶々、ちょっと母様に、先にお駒殿とお話しさせてもらえないかしら?」
「……わかりました」
「さ、皆下がるぞ」
養父上が皆に声をかけて部屋を出ようとすると、ふいにお市様が玉殿に声をかけられました。
「あ、ちょっと──ねえ、お名前は?」
「明智玉です!」
「お玉殿、よかったら少しの間、茶々と遊んであげてくれないかしら?」
「は、はい! 茶々さま、あっちであそびましょう! ──こま姉さまも、あとできっと、ですよ!」
えーと、二人で話っておっしゃられていたけど、いったい何の話なんでしょう?
まさか、お館様の時みたいに、気づかぬうちに何かやらかしちゃったってことはないわよね!?
「まずは、お駒殿。此度の御婚礼のこと、心よりお喜び申し上げます」
そう言って、お市様が頭を下げられます。
「あ、はい、ありがとうございます」
私も頭を下げ返すと──えっ、お市様!?
「そして──お父上のことは誠に申し訳ありません。夫、長政に代わり、深くお詫び申し上げます」
「お市様!? そのように深々と──どうか、どうか頭をお上げくださいませ!」
まさか、お市様のように高い身分のお方が、私なんかにこんなに頭を下げられるなんて──!?
「思えば、玄蕃丞殿の行いもすべて浅井家の将来を慮ってのこと。例え考え方が相容れなくとも、悪心をもってのことでないのであれば、他にもっとやりようはあったのではないかと夫は今も深く悔いております。
それに、その後のあなた方にご苦労をさせてしまったのも、夫の配慮の足りなさのゆえです。そして──」
「──もうやめませんか、お市様」
ちょっと言い方がぶっきらぼうになってしまったけど、うん、大丈夫。私は今、自分でも意外なほど冷静です。
「あの時は、父上も長政様も、どちらも浅井家のためにそれぞれ最も良いと思う選択肢を選ぼうとしました。
ならばそれが正反対のものであったとしても、どちらも決して譲れないのは当然です。あれは仕方のないことだったのです。
──結果として浅井家は存続を許され、家臣の大半が死なずに済みました。父の判断が間違っていて、長政様の判断が正しかったのです。
正しかった方が間違っていた方に謝るなんて、やはりおかしいです。私なんかに謝ったりしないで下さい」
私の言葉にお市様がきょとんとされています。
「あの──夫を恨んでいるのではないのですか?」
「うーん、全く何も思わないわけでもないんですが──。
生活が苦しかった頃は、すべて長政様のせいだ、羽柴家のせいだ、とも思ってましたし。
でも、羽柴家の──特に小一郎やおね様に出会ってから、その、何だか──馬鹿らしく思えてきちゃったんですよね」
「──?」
「こんな無類のお人好しの人たちを、ずーっと恨み続けて生きていくのが、です。
──こんな乱世です。誰だって誰かの仇に成り得る世です。私だってもしかしたら、父が戦で命を取った誰かの家族に恨まれているのかも知れません。
でも、仇だからと言って、その人の全てを否定してしまうのも何だか違うと思うのです。
いつまでも恨んだり恨まれたり──そんなことに縛られたままずっと生きていくのって、何だかつまらないと思いません?」
私が勢い任せに一気にしゃべったのを茫然と聞いていたお市様は──何故か急に、ぷっと小さく吹き出されました。
「お館様から聞いてはいたのですけど──本当に面白い方ですね、お駒殿は」
「え、笑うところですかそこ!?」
「──実はですね、此度は夫も一緒に来るはずだったのです。
お館様も、夫が敬愛する小一郎殿の婚礼でもあるし、浅井家の娘の婚礼でもあるし、行っても構わないと言ってくださったのです。
でも直前になって、夫は急に尻込みしてしまいまして……。
たぶんお駒殿や、義父上(浅井久政)を慕う者たちから恨み言を言われるかもしれないと、怖気づいてしまったんでしょうね。
こんなことなら無理やりにでも連れて来て、今のお駒殿の言葉を聞かせてあげるんだったわ。
──戦場では怖いもの知らずなクセに、肝心なところで意気地がないんですから。
本当、男って駄目ですよねぇ」
今度は、私が噴き出す番です。
「え? 何かおかしかったですか?」
「あ、いえ──今の言い方が、おね様そっくりだったものですから」
「まぁ!」
そして、私とお市様は、しばらく一緒になって笑い合いました。
「──おね様とも先ほどお会いしてきたのですが、なかなか面白いお方ですね。
おね様ともお駒殿とも──これから仲良くやっていけそうな気がしてきました」
「嬉しいです。
男衆には出世争いだの派閥だのと色々あるようですが、織田家中のおなごたちは、そんな男衆の事情とは関係なく、皆で仲良くやっていけたらいいですよね」
「その通りですね。
──お駒殿。私はもうお父上のことを謝ることはやめにします。でも、やっぱり何もしないままというのも何だか気が引けますし──。
そうですね、ではこの先一度だけ、お駒殿に何かお困りなことがありましたら、私の出来得る限りお力になります。お父上のこととは関係なく、浅井家当主が婚礼出席をすっぽかしたことのお詫び代わりとして。
これならば、いかがですか?」
「はい、お市様。では、貸しひとつ、ということで」
「──ふふ、では、借りひとつということで」
年内最後の更新になります。
投稿を始めて半年。思いのほか多くの方に読んでいただき、望外の幸せです。
来年も頑張りますので、今後も応援のほど、よろしくお願いいたします。
あと、12/16に『第1回 一二三書房WEB小説大賞』の一次選考通過作品に選んでいただきました。
これも日ごろ励ましてくれた皆様のおかげです。心から感謝いたします。
──流行りのジャンルではないので、正直これ以上は厳しいとは思っていますが、少しでも読者数増加のきっかけになってくれれば嬉しいんですけどね。




