057 中島三郎助殿 竹中半兵衛重治
「中島三郎助殿? ──えっ!? 海軍伝習所の一期生だったという、あの中島殿ですか!?」
中島三郎助永胤殿。
次郎殿が語ってくれるその来歴は、まさに驚くべきものでした。
──三郎左衛門殿はまだ事情を把握し切れていないため、小一郎殿たちの身に何が起こったのか、部屋の向こう側ではじめから治部左衛門殿に説明してもらうことにしました。
時折、『はあぁっ──!?』だの『訳が分からん、何じゃそりゃぁっ!?』などの奇声が聞こえてきますが、気にしない気にしない。
中島三郎助殿は、相模国(現・神奈川県)浦賀で、龍馬殿より十五年早く生を受けました。
中島家は代々、幕府の海上防衛の要である浦賀奉行所の与力を務める家系で、彼も若い頃から各流派の砲術を修めてきたそうです。
異国の船が近づいた時には、大砲で威嚇し、追い払ったこともあるのだとか。
しかし、突然アメリカ国の艦隊が押し寄せて来て、幕府と直に開国の交渉をしたいと圧力をかけてきた時に、通訳とともにその船に乗り込み、外交の窓口である長崎に回航するよう最初の交渉をします。
その時に、大胆にも異国の船や大砲の構造をつぶさに調べ上げ、幕府にその脅威と必要性とを建白し、日ノ本初の西洋式軍艦の建造に携わることになるのです。
その後も、幕府が開設した海軍伝習所の一期生としてオランダ軍人から造船や操船を学び、その後は後進の指導や軍艦製造の責任者を任されたり、そのための造船所を作ったりと、まさに日ノ本の海軍設立の礎の一人となったお方なのです。
しかし、持病の喘息が悪化したことからお役目を降りたり、復帰を命ぜられたりしているうちに、世は倒幕の機運が一気に高まってしまうのです……。
「砲術と造船の専門家とはまた、凄い経歴じゃのぅ」
次郎殿の話を聞いていた小一郎殿が、しみじみと嘆息します。
その二つの分野は、小一郎殿がぜひ開発を進めたいと望んでいたのですが、知識が不足していて、どうにも進捗が遅かったところなのです。
まさにおあつらえ向き、『天の配剤』ともいえる人材なのでは──?
「実は、蒸気船や旋状溝を施した大砲については、まだ開発に着手したばかりでな。大砲はまだ何とかなりそうなんじゃが、蒸気機関の方は正直いって初手から難航しとるんじゃ。」
「ああ、龍馬殿は作る方の専門家ではなかったですからね」
「職人たちに、蒸気機関の概念を伝えるだけでもひと苦労でなぁ、なかなかこの時代の人には理解してもらえんのじゃ」
──いや、それは小一郎殿の伝え方が問題なのでは?
『お湯を沸かすと湯気が出るじゃろ、それをぎゅーっと閉じ込めるとぼかーんと──』などと、やたらに擬音や身振り手振りばかりで説明しようとするんですから。
職人たちもしきりに首を捻ってましたし、私もいまひとつ理解できているとは言えませんし。
「──まあ、蒸気機関の基礎については、私から職人に説明しましょうか。とりあえず、今の製鉄技術についても確認しないと、どの程度の規模のものが作れるものか、強度などもわからないですしね」
「それもそうじゃな。
──あ、そうじゃ、次郎殿。織田筒を元込め式にすることは出来んじゃろか?
わしゃ、雷管の作り方がわからんので早々に断念したんじゃが」
「ああ、雷管なら三郎助殿の知識で作れますよ。
しかし、そこまで急いで鉄砲を進化させる必要はあるのでしょうか?」
「いや、確かに今は他の鉄砲を圧倒する性能だとは思うんじゃが、わしは織田筒の優位性はもって五年ほどと見とる。
やはり、関わる者が増えれば増えるほど、情報を秘匿するのは難しくなるでな。
いずれ、他国も織田筒を模倣して作れるようになるのではないかと──」
「では、数年後を目途に、開発を進めてはどうでしょうか。ぱーかっしょんろっく式にしようとするなら、銃弾の方にも加工が必要ですし、今のままでは大量生産も難しいでしょう」
「ううむ、そうか──」
「そこまでしなくても、銃弾と火薬の一包化や、火薬の燃焼速度の調整など、まだ織田筒の性能を上げる手立てはいくつもあります。そちらから始めましょう。
蒸気機関の方は──そうですね、まずは小型低圧の蒸気機関から試作しましょうか。で、その動力を使って金属加工ができるような旋盤を作りましょう。
この先、いろいろなものを作っていくにも、やはり精度の高い金属加工技術は必要になりますからね」
これは凄い。やはり専門家が一人いると、話の進み方がまるで違いますね。
今まで迷走していた課題に、何となくひとつの道筋が見えてきたようにも感じられます。
──そこに、ようやく治部左衛門殿からの説明を聞き終えたのか、三郎左衛門殿もやって来ました。
お二人とも、だいぶ消耗し切った様子ですね。
「三郎左衛門、おおよその話は理解してくれましたか?」
「──まあ、まだ納得し切れたとはいえませんが、ひと通りは理解しました。
しかし、藤吉郎殿が天下人になるとか、その後に三河の田舎者が天下を取るとか──あまりに荒唐無稽すぎて、逆に信じる気にはなりましたわな。
わしを皆でたばかるつもりなら、いくらなんでも、もう少し信憑性のある話を用意するでしょうからなあ。
うう、しかし、いっぺんに多くの話を聞きすぎて、頭がどうにかなりそうですわ」
「はは、これで私が寝込んだ理由もわかってもらえましたか?
──さて、小一郎殿。この話を知っているのはこの場にいる者で全てですか?」
「いや、あと二人ほどおります。一人は義姉上です。そして実は、織田家の上層部の中にもう一人、未来の記憶を持つ者がおるらしいのです」
そこで、次郎殿たちにも『無明殿』のことをひと通り説明します。
あの鉄砲評定での一幕のことや、敵か味方かも定かではないこと、明智殿ではないかと疑っていたがどうも違うらしいこと──。
「なるほど。あのとき小一郎殿が次郎様のことを『三人目』と言ったのは、そういうことだったのか」
「私のような若輩者が、織田家の上層部の方と接する機会はそうないでしょうが──私の秘密が知られないように、細心の注意はしなければなりませんね」
「そうじゃな。──治部左衛門、次郎殿の警護にひとり用意できるか?」
「は、お任せください」
「──次郎殿、三郎左衛門殿。実はこの日比治部左衛門は、忍びの首領でな。次郎殿の警護のために配下の者を一人お近くに置きます。何か危険を感じたら、その者を使ってくだされ」
「これはお気遣い、かたじけない」
「いや、当然のことじゃ。何しろ次郎殿は、わしに不足している豊富な専門知識をお持ちの方じゃからな。
ようやく技術改革が前に進めそうだという今、次郎殿に何かあったら、それこそ日ノ本全てにとって大きな損失というもんじゃ。
しかし、これほどの幅広い知識──中島殿は、新政府になってからもさぞご活躍されたんじゃろうな」
「新政府──?」
素直に感嘆する小一郎殿のその言葉を聞いたとたん──どういうわけか、温厚そうな次郎殿の顔が激しい怒りの表情に歪められたのです。
「え? ──ど、どうされたんじゃ、次郎殿?
わし、何か悪いことでも言ってしまったかのう?」
急に様子の変わった次郎殿に、小一郎殿が心配そうに声を掛けるのですが、次郎殿はうつむいて黙ってしまったままです。
激しい怒色は一瞬で消えたのですが、ぎゅっと目を強くつむったその顔は何だか苦しそうで──内心の葛藤に苦しんでいるようにも見えます。
「──すみません、取り乱してしまいまして──。
龍馬殿は大政奉還の直後に亡くなったのだから、その後の新政府について知らなくとも無理はないですよね……」
しばらくして、ようやく次郎殿が言葉を発します。
「その辺りの話は、出来れば当分は勘弁してください。
どうも三郎助殿の新政府に関する記憶は、激しい怒りの感情を伴ったものらしくて、思い出そうとするとどうしても、心がその感情に引きずられてしまうのです。
今は、冷静に話をする自信がありません……」
「──そういうものなのですか?」
治部左衛門殿が、いぶかしげに小一郎殿に訊いてきます。
「ああ。わしも龍馬の記憶が一気に入ってきてしばらくは、感情が不安定になっちょった。
自分の心が小一郎のままなのか、それとも龍馬のものになってしまったのか、わからなくなってしまってな。
何しろあの頃は、龍馬に関する記憶ならどんなことでも、たった今見てきたことのように鮮明に思い出せたんじゃからな。
まあ、自分が小一郎なのだとはっきり自覚してからは、龍馬の記憶も普通の記憶と同じく、少しずつ薄れていくようになったんじゃが……」
「ああ、そうなのですね。なら、三郎助殿のこの強い怒りの感情も、いずれは収まっていくのですね」
次郎殿が、少し安堵したような弱々しい笑みを浮かべます。
「実は私も、自分が誰なのかをしばらく見失いそうになっていました。
でも、お館様の事績に関する書物を読んだ記憶があって、その中に堀家がいずれ没落するという記述があることを思い出し、これは今のうちに何とかせねばならないと強く思ったのです。
──それで、自分が堀次郎秀村であるということをはっきりと自覚するようになったのです」
「な、何ですと! 堀家がいずれ没落する、と言われるのですか!?
次郎様、お任せください! このわしがいる限り、断じて堀家をそんなことにはさせませんぞ!」
そう、励ますように力強い声を掛けた三郎左衛門殿に、何故か次郎殿は、少し切なそうな表情を浮かべました。
「三郎左衛門、堀家が没落する原因になったのは──実は、そなたの背信行為なのです」
「なっ──!?」
あまりの意外な言葉に、三郎左衛門殿が絶句します。
我らとて信じられない思いです。この忠義に厚い三郎左衛門殿が、まさか背信行為──裏切り!?
思わず小一郎殿の方を見ますが、小一郎殿にはこの件の記憶はなかったようで、困惑したように小さく首を横に振ります。
「──私の知る歴史では、浅井家は金ケ崎の後も降伏せず、何年かは織田と戦い続けます」
そう言って、次郎殿は小一郎殿に目を向けます。小一郎殿もそれは知っているので、軽く頷き返しました。
「その戦の中で我が堀家は、半兵衛殿と三郎左衛門との縁もあり、早くから織田方に付きます。
大いに武功を重ね、与力でありながらも、かなりの大領を授かることになるのです。
しかし、浅井、朝倉滅亡の後、越前を支配した一向門徒との戦の最中、国境の砦の守備を任されていた三郎左衛門が、何故か敵方と勝手に和睦し、砦を敵方に明け渡して出奔してしまうのです……」
三郎左衛門殿は、もはや言葉もなく、青い顔のまま口をぱくぱくとさせています。
無理もありません。全く身に覚えのない行いを責められているようなものですから。
でも次郎殿は、三郎左衛門殿を責めるというよりどこか悲しそうな表情のまま、話を続けます。
「その後、三郎左衛門は追っ手をかけられ、妻子ともども討ち取られたと書物には書いてありました。その責を負わされ、堀家は所領を召し上げられて追放されるのだとも。
しかし私には、三郎左衛門が悪心からそのようなことをしたとは、どうしても思えないのです。
──私が思うに、その時の三郎左衛門は気鬱を病んでいたのではないかと」
「最近、三郎左衛門が心身ともに疲れているのは、うすうす気づいていました。
近々、隠居を願い出ようとしていることにも──」
しばしの沈黙の後、次郎殿が静かな口調で語り始めました。
「しかし、私はずっと気づかぬふりをしていました。三郎左衛門が隠居の話を持ち出しにくい空気にわざとしたりもしました。
若輩の自分が、三郎左衛門の後見なしで家中をまとめていけるものかと、どうしても不安で、自信が持てなかったのです。
私ぐらいの歳で、立派に当主を務めている方などいくらでもいるのに──情けない話です」
「じ、次郎様、そのようにご自分を責めなくとも──」
「──まして本来の歴史では、あと何年も戦漬けの日々です。しかも戦う相手はこれまで同輩だった浅井家の面々、そして倒しても倒してもきりのない一向門徒たち──。
そんな中、三郎左衛門の心労は如何ばかりだったか……。
その頃の三郎左衛門は、もう疲れ切って、全てを終わらせてしまいたいと自暴自棄になってしまったのだと思うのです。
三郎左衛門がお役目を放棄してしまったのも、後世に『裏切り者』の汚名を残させてしまったのも、全て私の弱さが招いてしまったことなのです──」
そう言って、次郎殿は両の掌を床につき、はらはらと落涙しながら頭を下げられました。
「す、済まぬ、三郎左衛門、不甲斐ない私を許してくれ……」
「何をおっしゃいます、次郎様!? わしが、わしが悪いのです。謝らねばならぬのはわしの方です──!」
「さ、三郎左衛門──!」
「う、う、次郎さまぁぁっ!」
──あー、いや、それ実際には起こってないことなんですけどね?
まだ起こってもいない未来の出来事で、お互いに号泣しながら謝り合っている姿を見せられても、こちらとしてもどう反応していいのやら……。
ああ、小一郎殿も治部左衛門殿も、完全に白けた顔で目線をそらしてますね。私も同じようにしておきましょうか──。
「──小一郎殿!」
「は、はい!?」
泣きながら呼び掛けてきた次郎殿に、小一郎殿がいくぶん気押されたように応えます。
「これが──これこそが私の目的です!
私は、三郎左衛門を『裏切り者』などと後世の者に呼ばせたくはない!
そして、堀家をそれなりの立場のまま存続させたい!
そのために、私は小一郎殿に全面的に協力します! 私の持つ三郎助殿の知識を余すことなく活かしてみせます!
堀家を、織田家にとっても羽柴家にとっても、なくてはならない存在にしてみせます!」
「お、おう──」
初めのうちは、温厚そうで理知的な少年だと思っていたのですが──意外に激情家の部分もあるようで。
この主従とのお付き合いは、なんだかずいぶん面倒くさいことになりそうな予感がしてきました……。
まさかのマイナー人物とマイナー人物との取り合わせw
この中島三郎助という人物も、相当に数奇な運命を歩んだ人なので、いつかは小説にしてみたいと思っていたのです。
後半生についてはここではまだ出てきませんが……。
ちなみに、『中島三郎助』『堀秀村』『樋口直房』の三人とも、『小説家になろう』の検索では、見事に1件もヒットしませんでしたw




