056 謎の会話 樋口三郎左衛門直房
別キャラからの視点です。
『誰だったっけ、このおっさん?』などと思い出せない方は、第六章045あたりをご確認ください。
──いかん、また知らんうちに溜息をついておった。
ただ馬の歩みに身を任せて揺られているだけなのに、たかだか三里ほどで、もうしんどいと感じている自分がいる。
不惑(40歳)を超えてから、どうにも身体のあちこちにガタが来ているように感じられてならない。
思えば、若い頃から戦続きの半生だった。
その間、北近江の主は京極家から浅井家に変わり、その浅井も六角家に従属したり離反したりと目まぐるしく立場が変わり、今では浅井から織田家配下の新興の羽柴家に替わった。
世の流れというのは、まったくもってわからんものだなぁ。
わしが仕える堀家も浅井家の被官だったが、浅井備前守様が羽柴兄弟の説得で織田に降伏したことにより、羽柴家の与力となった。
まあ、それは乱世にはよくあることで、特に驚くにはあたらない。
だが、最近、ふと気づいて愕然としたのは──浅井と織田の戦が無くなり、その後の六角や叡山との戦でも槍働きの場が無かったのだが、そのことにどこか安堵してしまっている自分がいたことだ。
昔なら、戦場に行きながら出番がなかったことに、さぞ憤慨していただろうに──。
わしも老いて、気力が萎えてきてしまったということなのだろうか。
そのように老いを自覚するようになったのは、最近、才気溢れる若い者たちに立て続けに出会ってしまったからなのだろう。
先日、行軍を共にした藤堂与右衛門殿──。あれは文武になかなか優れた才を持つ男だ。若さゆえの生硬さはあるが、いずれ経験を積めば、羽柴家の中核ともなるひとかどの武将となるだろう。
そして、その少し後に出会った織田家の御曹司──まだ幼さの残る年頃だが、強い意志を宿した、実に良い眼をしておった。
大恩あるおね殿の危地を何とかしたいと、夜道の危険も顧みずに鎌刃城に単身駆け込んで来たそのお姿──。
思わず、意気に感じて京までご一緒してしまったわ。
あのお方も、いずれ織田家の一門衆として、大いに名を馳せる器だと確信した。
彼らの、まばゆいばかりの若き姿を目の当たりにして、時代の主役が移りつつあることを実感してしまったのだ。
──無論、我が殿、次郎(堀秀村)様とてそう見劣りするほどではない。
同年代の彼らと比べるといささか物足りなさはあるが、決して凡庸ではなく、それなりに出世していけるだけの器はあると思う。
家中のまとまりも悪くない。わしの後見がなくとも、堀家当主としてご立派にやっていけるだろう。
そろそろ家督を息子に譲って、隠居を願い出るいい頃合いなのかも知れん。
──そう思っていた矢先に、あの次郎様の急病だったからなぁ。
「それにしても、これは大したものだな」
ようやくたどり着いた今浜の町並みは、実によく整えられている。おそらく、城造りを始める前に、縦横に走る道筋をきっちりと定めておいたのだろう。
工事の人足目当ての雑多な商店の掘立小屋が並んでいるが、それも実に見事に並んでいる。
このままいけば、近江でも屈指の美しい城下町となろう。
さすがは、織田家有数の知恵者である羽柴兄弟と半兵衛殿による町造りだな。
──まあ、今の羽柴家による北近江の統治は悪くはない。
織田家の支配下では、関が廃されたおかげで人や物の往来が活発だ。
特に、この北近江には、羽柴の小一郎殿が次々と魅力的な商品を生み出すことで、商人たちがどんどん集まって来る。旅の経費として金を使ってくれるためか、民の暮らしぶりもだいぶ良くなってきているようだ。
今浜の町への街道沿いでも浮浪者の姿を見ることもなかったし、道行く者たちの身なりも心なしこざっぱりしているようにも見える。
工事をする人足たちの威勢のいい掛け声や、客を呼び込む商人の声などの喧騒の中を進んでいると、心なしか気分が湧きたつ気がする。
「おお、樋口殿ではありませんか!」
にぎわう往来の向こうからよく通る声を掛けてきたのは、藤堂与右衛門だ。
「与右衛門か! 息災にしておったか?」
「はい。それより、此度はどうされたのです? 今浜に来るとは聞いていませんでしたが──」
「ああ、それなのだがな──」
これから持ち掛けなければならない、気の重い用件を思い出して、また少し気分が萎えそうになる。
「すまんが、小一郎殿に取り次いでもらえんか? 大事な相談がある、と」
小一郎殿の真新しい屋敷は、まだ使用人などもいないらしい。与右衛門は声もかけずに屋敷にずかずかと上がり込み、広間の少し手前で立ち止まって声を掛けた。
「小一郎様、与右衛門です! お話し中、失礼致します。堀家の樋口三郎左衛門殿が訊ねて来られました」
「──樋口殿が?」
広間から小一郎殿がひょいと顔を覗かせた。
「おお、先日は与右衛門が世話になりましたな! ささ、中へお入り下され」
「突然に申し訳ない。実は、折り入って相談があってな」
与右衛門に刀を預け、広間に入る。与右衛門は、話の内容が耳に入らぬよう玄関に戻って、そのまま番をするようだ。よくわきまえているな。
広間の中には半兵衛殿と、もう一人見知らぬ中年男と、次郎様くらいの年頃の侍女がいた。
「紹介しておきます。家臣の日比治部左衛門と──近々わしの嫁になるお駒です。
皆、堀家のご家老、樋口三郎左衛門殿じゃ」
「おおっ、小一郎殿もついに身を固める気になられたか。これはめでたい!
あ、しかしお相手がその侍女というのは──」
いささか身分が釣り合わんのではないか?
そんなわしの疑念に気づいたのか、小一郎殿が説明を付け加えてくれる。
「ああ、お駒は今、竹中家で侍女をしとるんじゃが、元々は浅井家の一門の──」
「──玄蕃殿の娘御か!?
まだほんの子供の頃に会うたことがあるが、うん、確かに面影がある。大きゅうなったなあ。
──お父上のことは残念だったな、手堅い戦をする良い武将であったが」
「いえ、そう言っていただければ父も浮かばれましょう。樋口殿、ありがとうございます」
そう言って頭を下げる駒殿の所作が美しい。万事に折り目正しかった玄蕃殿の薫陶なのだろうな。
「年内に祝言を上げるつもりなので、その打ち合わせをしておりましてな。治部左衛門に全体の警備計画を任せるので同席させておった。
──で、ご相談とは?」
「あ、ああ……」
本当は、小一郎殿以外には決して聞かせられない話なのだが──。
そのわしの逡巡に気付いたのか、お駒殿がまた頭を下げる。
「では、私はこれにて外させていただきます。樋口殿、今後ともよろしくお願いいたします」
「さて、半兵衛殿とは旧知の仲なのでええじゃろ?
治部左衛門はわしの最も信頼する右腕じゃ。同席させてもよろしいかな?」
ううむ、そこまで言われれば仕方がない。
「実は、次郎様のことなのだがな──」
「ああ、なんでも急な病で臥せっておられたとか──そんなに悪いんですかの?」
「いや、そちらはもうだいぶ良くなったので、心配はいらんのだが……。
なあ、小一郎殿。重い病の後で、急に人柄が変わってしまうというのは、聞いたことがあるか?」
「人柄が変わる──?」
怪訝そうな顔をした小一郎殿が、他の二人の顔を見渡す。半兵衛殿が少し考えて口を開いた。
「ごくまれにそういう話は聞いたこともありますが、どのように変わられたのです?」
「いや、話は普通に出来るし、不自然なところもないのだが、妙に老け込んだような表情をすることが時折あってな。それに、何だか難しい顔で考え事をすることが多くなった気がしてなぁ。そして──」
これもやはり言わないわけにはいかないだろう。気は進まないのだが──。
「突然、わしに無理な頼み事をしてこられたのだ。『織田の新式鉄砲をこの目で見てみたい。小一郎殿に頼んでみて欲しい』と」
とたんに、お三方の顔が一斉に険しくなる。
「い、いや、無論、織田筒が限られたものにしか知らされていない最重要機密だということはわかっておる! 次郎様にも仔細は伝えておらんのだ。
ただ、六角・叡山の始末を報告する際に、射程が大幅に伸びた新式鉄砲があるらしいと、ほんの少し、ちらっと話しただけで──。
次郎様にも、それは機密なのでおそらく許可は出ない、無理だとは何度も言ったのだ。それでも『どうしてもこの目で確認しなければならないのだ』と強くおっしゃられてな。
あのようにわがままを言うことなど、これまではほとんど無かったのだが──」
──うう、駄目だ。この咎めるような視線の圧力には耐えられない。
ここはやはり、次郎様が言っておられたあれを言うしかないのか。
「次郎様はこうも言っておられた。おそらく許されまいが、自分の推察が正しければ、こう伝えれば小一郎殿は必ず許可してくれる筈だと」
「──?」
「──『らいふりんぐを確認したい』と」
その言葉を聞いたとたん、小一郎殿の表情が変わった。目を見開き、顔色が一瞬で青くなる。
半兵衛殿と治部左衛門殿には、何のことだかわかっていないようだが──あんなまじないみたいな言葉に、どんな意味があるのだ?
「──次郎殿が確かにそういったんじゃな? 『らいふりんぐ』と」
しばらくの沈黙の後、小一郎殿がようやく口を開いた。
「うむ。意味は教えてくれなんだが」
「──よし、わかった。次郎殿に織田筒をお見せする」
「小一郎殿!? それはまずいですよ、お館様に知れたら──」
「そうです、さすがにそれは危険です!」
小一郎殿の決断に、半兵衛殿たちが驚いた表情で口々に異を唱える。
「わかっちょる。だが、これはどうしても必要なことなんじゃ。
──樋口殿。見せるのはいいが、条件はつけさせてもらう。次郎殿がここまで来られることと、同席は樋口殿のみ。そして何より、他言は無用。これは絶対に譲れん」
「うむ、承知した」
「し、しかし小一郎殿──」
なおも反対しようとするお二人に、小一郎殿がよく意味のわからん言葉を告げた。
「半兵衛殿、治部左衛門。おそらく次郎殿は──『三人目』じゃ」
後日、次郎様を伴って、小一郎殿の屋敷を再訪する。
小一郎殿と先日もいたお二方、わしの四人が見守る中、次郎様は実に興味深げに織田筒を観察している。
銃口をじっくりのぞき込んだり、引き金を引いて着火部の動作を試してみたり──。
やがて四半刻足らずの後、もう充分と思ったのか、次郎様は織田筒をそっと床に置かれた。
「──次郎殿、ご納得いただけましたかな?」
「はい、充分です。ふりんとろっく式のらいふりんぐ銃、この時代によくぞここまで──」
感心したように、なにやら不可思議な言葉を呟かれ、次郎様が小一郎殿に向き直られる。
「さて、小一郎殿、まずはお聞きしたいことがあるのですが──」
そう言って、次郎様は言葉を少し濁された。他のお二方のことを気にされているようだが──。
「ああ、この二人なら大丈夫です。わしの事情は全てわかっておりますので。それより、そちらこそ──?」
小一郎殿が、何故かわしの方をちらりと見る。このやり取りはどういう意味なんだ?
「ああ、私はまだ誰にも話してはいないのですが、三郎左衛門にだけは知っておいて欲しいと思ったのです。私にとっては実の親も同然ですから。
──小一郎殿、単刀直入に訊きます。あなたの目指すところはなんですか?
『とよとみ』の世ですか? それとも徳川の世ですか?」
「そのどちらでもないです。わしが望むのは、乱世をさっさと終わらせること、そして、日ノ本を異国と対等に向き合えるような強くて豊かな国にすることです」
その答えに、次郎様はちょっと意外そうな顔をされた。
「『とよとみ』の世は目指さないのですか?」
「はい、兄者を不幸にさせたくはありませんので。ですから、わしのことは兄者には秘密にしております。
次郎殿も、兄者の末路は御存じなのでしょう?」
「──ああ、確かに、あまり幸せな最後とは言えないかもしれないですね」
──待て、待て待て! さっきからお二人は何を話しているのだ!?
『とよとみ』とか、藤吉郎殿の最後を知っているとか──!?
日ノ本の言葉を話している筈なのに、意味がまったくわからない。
何なんだこれは。わしは今、いったい何を見せられているのだ──!?
「──しかし、まことに『とよとみ』の世を目指さない、と?
今の小一郎殿になら、あるいはご自身による天下すら不可能ではないと──」
「ああ、この方にはそういう野心が全くないんですよ。それは私が請け合います」
半兵衛殿が、お二人の会話に割って入る。
「小一郎殿が何より目指すのは、藤吉郎殿を不幸な独裁者にさせないこと。そして、早くに天下泰平を成すこと、日ノ本を豊かな国にすることなのですよ。
──しかも『なるべく戦をせずに』という、無茶な条件まで付いているんですけどね。
この人に欲らしいものがあるとすれば、それを成した後に商いのために船で異国を存分に回ってみたいということと──あとは、此度の嫁取りくらいですかねぇ」
「ちゃちゃ、半兵衛殿、それは今は関係なかろうが!?」
少し慌てたようなその様子は、いつものよく知っている小一郎殿のままで、少しだけほっとする。
しかし『藤吉郎殿が独裁者になる』だと? まさか、お館様への謀反を企てているとでもいうのか?
いや、次郎様も小一郎殿も、半兵衛殿すらも、まるでそうなることが当たり前のように平然と話している。この先、そうなることをあらかじめ知っているかのように──いや、まさか、な。
「異国との商い? ──ああ、なるほど。それを聞いて、何となく察しがつきましたよ。
『かつ』殿から聞いた記憶があります、商人みたいな風変わりな侍が押しかけ弟子にやってきたと。
──商いや交渉の能力に長け、鉄砲の知識が豊富でいくさ嫌い。
なぜ醤油の作り方など知っているのかと不思議に思っていましたが──その人ならばあり得そうですね。なにしろ、醤油商のところに潜伏していたそうなので。
──小一郎殿。
貴殿の頭の中にあるもう一人の記憶──それはもしや、土佐の『さかもとりょうま』殿のものではありませんか?」
次郎様の言葉に、半兵衛殿と治部左衛門殿の顔に緊張が走る。
が、小一郎殿は、まるでそう言われるのがわかっていたように平然と答えた。
「お察しのとおりです。
で、次郎殿は──? どうやら『かつ』先生のことは御存じのようですが」
「まあ、『かつ』殿とは決して仲が良かったわけではないのですがね」
そう話し出した次郎様が、ふとわしの方に目を向けられた。
「──三郎左衛門。私たちの会話の意味が分からなくて、さぞ困惑していますよね?
にわかには信じられないかも知れませんが、落ち着いて聞いて下さい。
小一郎殿と私の頭の中には、何故かはわかりませんが、別の人間の一生分の記憶があります。
それは、不思議なことに、今から三百年ほど後の世を生きた者の記憶なのです」
「は──はぁぁっ!?」
「浅井家降伏の後、小一郎殿が次々と新しいものを作ることが出来たのは、その未来の知識によるもの。
そして先日、私の頭の中にも、いきなり未来のある者の記憶が一気に流れ込んできたのです。
おそらく、私が高熱を出して寝込んでしまったのも、その影響なのでしょう。
なにしろ私の年齢の三倍以上もの長さの記憶ですからね、しばらくは頭の中が嵐のようにぐちゃぐちゃでしたよ」
──そ、そんな馬鹿な話がこの世にあるのか!?
しかし、半兵衛殿も治部左衛門殿も、真顔で頷いている。──こ、これは、信じるしかないのか?
「──小一郎殿の目的が、まことに私欲によるものでないというのなら、私も協力しましょう。私の持つ知識は、小一郎殿がやろうとしていることに、きっと役立つはずです。
私が受け継いだ記憶とは、『かつ』殿とともに西洋軍艦の造船を学んだ幕臣『なかじまさぶろうすけ』殿のものなのです」




