055 探り合い 竹中半兵衛重治
さて、お館様から去り際に、かなり時間的にも厳しめなご命令──もとい『ご希望』を頂いてしまったのですが、頭が痛い問題が山積みです。
その晩、小一郎殿の屋敷で治部左衛門殿を交えて、さっそく作戦会議です。
「ふう──。よりにもよって、駒殿を明智様の養女に、ですか」
険しい顔で、治部左衛門殿が嘆息します。
「お二人が見るところ、明智様は無明殿である可能性が一番高い、とのことでしたな」
「話が話ですから、こちらからお願いしに行かないわけにもいかないのですが──坂本城は仮想敵地の真っただ中ですからねぇ」
「お館様からのご希望ということなら、やらないわけにもいかんでしょうしな」
「しかもお駒殿を連れてとなると、相当に危険が──」
「──んー、まあ、何とかなるじゃろ」
それまで黙って考え込んでいた小一郎殿が、ふいにあっけらかんとした声を上げました。
「小一郎殿?」
「坂本では、そこまでの危険はないと思うぞ?
養女の話となれば、向こうは奥方も同席するじゃろ。愛妻家の十兵衛殿が、その前で何か仕掛けるとは思えんな。
それに、坂本でわしらの身に危害が及べば、さすがに明智家にもお咎めなしというわけにもいくまい」
「いや、それはそうでしょうが──」
「それにな、わしゃ考えてみたんじゃ。もし、わしが無明殿ならどうするか、とな……。
まずは、こちらの目的を探る。その上で、自分の目的に協力させられそうか、従属させて利用できそうか、もしくは敵として潰すべきかを判断する。
おそらく今回は、腹の探り合いで終わるんじゃないかの?
仮に敵と見做して潰すと決めたとしても、絶対に自分に疑いがかからん状況を選ぶじゃろ」
「確かに一理ありますが、警護する身としましては最悪の事態を想定しないわけにはいかんのです。
──特に、道中は充分警戒しませんと。
まだ六角や、叡山の僧兵の残党も潜伏しておるでしょうから、その辺りをそそのかして襲わせるということも考えられますので」
「まあ、確かにその辺りにゃ、わしゃだいぶ恨まれてそうじゃからの」
あ、自覚はあるんですね。
「──ともかく、今は情報が足りません。里の皆が持つ情報をすり合わせて、船で行くか陸路を行くかも含めて、経路を検討したいと思います。二日ほど時間をいただけませんか?」
ところが、次の日。
事態は思いもよらぬ展開になって来たのです。
「──何っ!? 明日、十兵衛殿が小谷に来る、じゃと!?」
今浜の築城現場にその知らせをもたらしたのは、いつぞやの若い忍びです。
「はっ。先ほど先触れの使者が小谷に来られました。
美濃へ行く所用があるので、そのついでに若様たちの誕生の祝いを持参したいとのことです。おそらくは小谷に一泊されるのではないかと」
「──わかった。新吉、治部左衛門に伝えてくれ。
わしらだけでなく身内への警戒も怠らぬように。こちらからの手出しは厳禁、接触も避けよ。それと治部左衛門は、わしらと十兵衛殿の会談を陰から観察してほしい、と」
「はっ、承知しました──では、これにて」
「うむ、ご苦労」
真面目な顔で、素早く遠ざかる新吉殿の背中を見送ると、小一郎殿はとたんにうろたえ始めました。
「──ど、どういうことなんじゃこれは!? わしゃどうしたらいいんじゃ、半兵衛殿ぉ!?」
「ふう、ちょっと落ち着いて下さいよ。
おそらく、養女の件はまだ明智様の耳に入っていないでしょう。お館様は、派閥間のことに介入を避けたがっておられたので、ご自分からは言わないと思いますし」
「──となると、今回来るのは、本当に言葉通りの理由なんかの?」
「まあ、その辺はどうでもいいでしょう。
──これは逆に好機です。敵地に行くことなしに、無明殿かどうかを見定め、腹を探れるのですから。養女の話もこの際、一気に片付けてしまいましょう」
「そ、そうじゃな。まあ、兄者も同席するじゃろうから、あまりあからさまな質問などは出来んが──龍馬の時代の者にしかわからん単語を少し混ぜるようにしてみるか」
「その時の反応を見る、ということですね。いいんじゃないでしょうか。
どのような単語を使うか、候補だけは教えてもらえますか? 私も観察してみますので」
そして、翌日。
私は、駒殿を伴って小谷に到着。駒殿の着替えを侍女たちに任せて、小一郎殿と共に広間に向かう途中、天井から微かな声が聞こえました。
『──治部左衛門です、部下たちを屋敷内に配置し終わりました』
「お子たちは──?」
『無論、おね様とお駒殿もそれぞれ警護させております。明智の家臣の方々も、部屋の出入りも含めて監視しています。これで、直接的な危険は阻止できるかと』
「おんしは十兵衛殿の話を聞いてくれるんじゃな?」
『は、よく観察してみます』
そこで、小一郎殿が会話に混ぜ込むこの時代にはない言葉を、いくつか手短に伝えます。
『承知しました。──では、御武運を』
広間では、藤吉郎殿と明智様がすでに差し向かいで歓談中でした。
「おお、小一郎、半兵衛殿、来たか! 見よ、十兵衛殿から無双丸と双葉に、こんなに祝いの品を頂戴したぞ!」
藤吉郎殿はずいぶんと上機嫌です。二人分とはいえ、なかなか奮発していただいた量ですからね。
「これは大変結構なものを。誠にありがとうございます」
小一郎殿が、お二人より少し控えた位置に座って頭を下げます。私もその後ろに座ったのですが、藤吉郎殿が手招きされます。
「十兵衛殿がな、四人だけでもあるし、車座でざっくばらんに話したいと申されるんじゃ、二人ともこっちへ来い」
「はあ、では失礼して──」
改めて座り直し、小一郎殿がまず口を開きました。
「明智様、此度は美濃に行くついでと伺いましたが、美濃で何か──?」
「それがな、小一郎。わしと同じで、お母上をお迎えに行くんじゃと!」
藤吉郎殿が代わって答えます。
「左様。今、母は美濃の明智庄におるのですが、私が城持ちとなったのに母親が侘び住まいでは、やはり外聞がよろしくありませんからな。なかなか首を縦に振ってくれんので、こうなれば直接説得しに行こうかと」
「わかりますぞ! わしの母様も畑から離れたくないと、城住まいに二の足を踏んどりましてな。
城内に畑を作るという条件でやっと折れてくれて、ようやく春には来てくれそうなんじゃ」
「ははは、そうでしたか。
──で、その畑ではやはり蕎麦を、ですかな?」
明智様が、顔色を窺うように小一郎殿に話しかけます。ふむ、そろそろ探りを入れてきましたかね。
「小一郎殿が、蕎麦が脚病にいいという触れ込みで広めようとしていることは、坂本にも聞こえて来ております。しかし、坂本の医師たちは皆、そのような話は聞いたことがないと言っておりましてなぁ。
小一郎殿、その知識はいったいどこから──?」
「ああ、信州の方から来た商人からある逸話を聞きましてな。
──昔、ある地方が飢饉で米不足となり、領主自ら率先して蕎麦で嵩増しした飯で我慢していたところ、何と脚病が平癒したとか。
それ以来、その地方では蕎麦をよく食べるようになり、脚病もほとんど見られないそうです」
──これは大嘘です。たぶん今、即興ででっちあげましたね。
徳川の時代、江戸に住む上級武士が白米を好んで食べるようになったところ、脚病が蔓延して『江戸わずらい』とも呼ばれるようになるのだとか。
蕎麦切りはその頃には少しずつ広まり始めていたのですが、いつしか経験的に『蕎麦好きに脚病があまり見られない』ということが知られるようになり、大いに流行ることとなったそうなのです。
「ほう、そんな話が──」
「実際、何人かの患者に蕎麦をよく食べるよう指導してみたところ、ほとんどの者に症状の改善が見られまして」
──これは本当。
「その蕎麦茶も旨いでしょう? これなら手軽に蕎麦の栄養が取れますので、大いに広めたいと思っちょります。何と言っても『江戸わずらいには蕎麦』ですからなぁ」
「えど? それは地名か何かですか?」
──おや? この言葉への反応は普通、ですかね。
「あ、ああ、何でもその地方では、脚病のことをそう呼んでいるそうで──」
それからも、小一郎殿は会話の端々に『くろふね』だとか『じょうい』だとか──はたまた『めりけん』などという、どこの言葉かもよくわからない単語を混ぜてはみるのですが──。
どうも、明智様がその言葉を知っている、という風には見えないのですよね。
これは、もしや本当に知らないのか、あるいは相当に芝居が巧いのか──。
「──おい、小一郎! 雑談ばかりしとらんで、肝心の話をせんか。
おんしから十兵衛殿に頼み事があるんじゃろ?」
「頼み事? 小一郎殿がそれがしに、ですか?」
「ああ、はい。実は嫁取りを考えておりまして──」
そして、話題は養女のことへと移ります。
派閥のことや、それをお館様が憂慮されていることなども含めて事情を話し、お駒殿を招き入れて対面させ、明智家の養女としていただくようようお願いをするのですが──。
「ああ、構いませんよ、そのお話、喜んでお引き受けしましょう」
意外なほど屈託なく明智様が応えられました。
「駒殿が今、竹中家で働いておられるのなら、わざわざ坂本まで来られなくても構いませんよ。
妻には、婚礼の時にでも引き会わせましょう。
妻と──ああ、娘たちも婚礼に呼んで頂けますかな? そろそろそういう話に興味がある年頃ですので」
──うーん、何だか拍子抜けするくらいに友好的ですね。
養女の話を引き受ける代わりに、少しくらいは条件を付けて来ることも予想はしていたのですが。
「ああ、もちろんですじゃ。十兵衛殿が小一郎の舅となって下さるのであれば、羽柴家にとっても心強い限りじゃ」
「いや、私も最近、派閥に関する噂はいささか気になっておりましてな。
まあ、あの『鉄砲評定』での三介様の成長ぶりを見れば、奇妙丸様や三七様が焦られる気持ちもわからんではないのですが……」
「ふう、困ったもんじゃ。三介様はそのような野心を持つお方ではないんじゃがなぁ」
「まあ、先日の宇津討伐以来、奇妙丸様は私にずいぶん信を置かれているようですので、私からもいささかお取り成ししておきましょう。羽柴家に派閥を成す意思なし、と。
此度の婚姻が、何よりの証ともなりましょうからな」
──これは、まさにお館様が望まれていたとおりの流れです。
無明殿のことがなければ、我々としても諸手を上げて喜ぶべきところなのですが……。
「──さて」
話の区切りがついたところで、明智様が少し腰を浮かされました。
「明日以降のことについて、少し家臣たちと打ち合わせもしておきたいので、そろそろ──よろしいですかな?」
「ああ、それでは夕餉の時にまた」
「楽しみですなぁ。──実は、噂に聞く『羽柴の軍鶏鍋』目当てで寄ったのもありましてね」
そう悪戯っぽい笑みを浮かべた明智様が腰を上げて、小一郎殿の前に立たれます。
小一郎殿が礼をしようと立ち上がると──明智様が何やら妙なしぐさをされました。
右手の手のひらを横に向けるように、小一郎殿の前にすっと差し出しされたのです。
「小一郎殿、これからもよろしくお願いいたします」
その瞬間、小一郎殿の顔に明らかに動揺が浮かびます。
「──いえ、こちらこそ良しなにお願いいたします、舅殿」
ほんのわずかな逡巡の後、小一郎殿も意を決したように右手を差し出し、明智様の手のひらをしっかり握って軽く上下に揺すりました。──何かの挨拶なのでしょうか、これは?
「ときに、小一郎殿──まだ『船』はお造りになられないのですかな?」
手を繋いだままの明智様のその言葉に、再び小一郎殿の顔に、一瞬だけ緊張の色が走ります。
「──『船』ですか? 考えたこともありませんでしたなぁ」
「そうですか。今日は船で今浜まで来たのですが、もっと早い船があればより便利になるかと感じましてね。小一郎殿の発明の才で、何か考えておられないかとも思ったのですが」
「なるほど。また暇があったら考えておきましょうか」
──これは、未来のからくり船のことを知っていての探りなのでしょうか。
それとも……?
会談が終わって、別室で私と二人だけになると、小一郎殿は途端にぐたりと床に寝そべってしまいました。
「うああ、緊張したぁぁ……」
「途中までは何事もなく終わるかと思ったのですけど、最後の最後に仕掛けてきましたね。──あの手を繋いだのは何なんです?」
「ありゃ『しぇいくはんど』と言って、敵意がないことを示す西洋の挨拶じゃ。龍馬の頃に流行り出したものなんじゃがな。
それより、『船』を持ち出してきたことの方が問題じゃ。単にからくり船のことを探っただけなら、まだいいんじゃが──」
「龍馬殿の船好きは有名だ、と言ってましたよね。もしかして、小一郎殿が持っているのが龍馬殿の記憶だということに気づいているのかも……」
『さて、それはどうですかな?』
唐突に、天井から声が聞こえ、治部左衛門殿が姿を現わしました。
「おお、治部左衛門! どうじゃった? やはり十兵衛殿が無明殿だと思うか?」
がばっと身を起こした小一郎殿の問いに、しばし黙って考え込んでいた治部左衛門殿は、やがてはっきりと答えました。
「──違いますな」
「な、何じゃと? 『しぇいくはんど』を知っておったし、『船』のことも探りを入れてきたぞ?」
「──それがしは、小一郎殿が今の時代にない言葉を口にしたときの、明智様の反応をよく見ておりました。
息の深さ、目線の動き、鼓動の速さ、声の高さなど──。
あれは、本当にその言葉を知らない反応としか思えませんでした。
となると、考えられるのは──」
そこで、治部左衛門殿は一呼吸おいて、彼の考える結論を口にしました。
「明智様は無明殿ではない。しかし、何らかの形で無明殿と協力関係にある。
『しぇいくはんど』や『船』の事は、それを見せることで反応を窺うよう、無明殿から言われていたのではないかと」
「知らない芝居をしている、という可能性はありませんか?」
「それはないですな。嘘を見抜くことも忍びの大事な技能のひとつです。それがしにすら芝居と見抜かせない──そんな芸当が出来る者など、伊賀にも何人もおりません。
それに、そこまでして隠し通すのであれば、最後にわざわざあのようなことはせんでしょう。まったく意味がありません。
そうなると──未来の知識を知らないということが本当で、最後に、あたかも何かを知っているかのように振舞って見せた、というのが正解ではないかと」
「うーん、となると、無明殿の正体は未だわからずじまいか──」
小一郎殿が腕組みをしたまま、うなだれてしまいました。
「まあ、しかし、明智様も無条件に無明殿に従っているわけではありますまい。明智様ご自身の利害と一致する部分があればこその協力体制でしょう。
明智様ご自身が無明殿でないとわかれば──部下を坂本に潜入させて、もう少し探りを入れてみても大丈夫かとは思いますが」
治部左衛門殿の提案に、小一郎殿はしばらく考え込んでいましたが、やがて大きく頷きました。
「よし、任せる。ただし、その者の命が最優先ぜよ。身の危険があると判断した時には即座に手を引かせるように」
「は、承知しました」
12/3の活動報告でも書きましたが、ここからは週1回の更新にさせていただきます。
ここまでは書き溜めた分があったので週2回更新でやってきましたが、書き溜め分がだいぶ少なくなってきて、ちょっとプレッシャーを感じるようになってしまいました。
ちょっと調子に乗ってましたね、はい……。
更新ペースは落ちますが、執筆意欲も執筆ペースも全く落ちてはいません。
この先、新キャラや新展開も予定しています。
これからも、変わらずお付き合いいただければ幸いです。




