052 命名 竹中半兵衛重治
三日後。
今浜の築城現場で仕事をしている我々の元に、待ちに待った朗報が届けられました。
「──申し上げます! 先ほど、お方様が無事ご出産された由にございます!」
「生まれたか! で、義姉上たちは?」
「はっ、母子ともにご無事! お生まれになられたのは──お世継の若君と姫君にございます!」
「やったぁぁっ!!」
真っ先に両の拳を突き上げて喜びを爆発させたのは、三介殿です。
「よし、与右衛門殿、すぐ行こう! 早くお祝いに行かねば──!」
「──あ、いや、待て、茶筅丸。小一郎や半兵衛もだが──今日のところは止めておけ。
早くに会いたい気持ちはわかるが、おねも疲れておろう。
今日ぐらいは、親子水入らずでゆっくりさせてやれ。
赤子の顔は、明日、皆で見に行こう。それでよいな?」
「うう──かしこまりました」
三介殿も、不承不承頷かれます。
お館様、意外にこういう細やかなところもあるのですね。
ちなみに、その後で三介殿がお館様の真意についてこっそり教えてくれたのですが。
「半兵衛殿、小一郎殿。父上のあれ、気をつかって言っているように聞こえたが、実はちがうぞ。
父上は男二人、女二人の時の名前はもう考えたと言われてたが、たぶん、男女の組み合わせの名前は考えてなかったのじゃ。
あれ、ただの時間かせぎだぞ」
三介殿、それ、バラしちゃっていいんですかね?
そして、翌日。
芳野やお駒殿も一緒に、皆でおね様のところにお祝いに訪問しました。
「おね、でかした! 無事でなによりじゃ!」
「お館様。お褒めに預かり、光栄に存じます」
床に着いたまま、上体だけ起こして謝辞を述べるおね様は、だいぶ疲れからも回復したようで、何よりそのお顔は誇らしさに満ち溢れ、まばゆいばかりでした。
「藤吉郎も、念願の世継じゃ。嬉しかろう」
「は、しかし、世継うんぬんより、母子ともに元気でいてくれることが何よりですじゃ」
藤吉郎殿も、ずいぶんと柔和な表情ですね。
「うむ、この子たちか──実に元気そうだな。良かったのう、小一郎」
「は、誠に──」
小一郎殿が、珍しく少し涙を浮かべています。やはり、双子の出産の危険性などについて調べていたので、相当に心配していたのでしょう。
それと何より、おね様と藤吉郎殿の間に子が出来なかったことが、後の羽柴家を襲ういくつもの悲劇の遠因となっているとのことなのです。それが、今回の出産により回避できたかもしれない。──その安堵の思いもあるに違いありません。
「おお、実にかわいいなぁ。ほれ、手のひらなどこんなに小さいのに、わしの指をしっかりにぎって来るぞ」
「まことにそうですね、三介殿。何と言いますか──赤子とは実に尊いものですね。
──うちも半兵衛様にもっともっと頑張っていただかねば……」
──聞こえないふり聞こえないふり。こんなところで何てことを口にしてるんですか。
「姫さま、お父上に似なくて本っ当に良かったですねー」
いや、お駒殿、その発言はちょっといかがなものかと。
「さて、藤吉郎。その子らの名を決めてやらねばと思うのだが、良い名は思い付いたか?」
「無論です。皆、これでどうじゃ!?」
お館様の問いに、藤吉郎殿が鼻息も荒く二枚の半紙を高々と掲げたのですが、そこにかなりの悪筆で大きく書かれていた名前というのが──。
『鶴松』
『亀』
「──あー、その、何て言うか──普通ですね」
「安直じゃな」
「捻りがないのう」
「ちょっと月並みじゃないかしら」
「う、うるさいわ! お館様の考えた名と比べれば、普通が一番だと皆もわかるはずなんじゃ!」
「──ほう、ほざいたな、藤吉郎。
わしの考えたこの名を見ても、果たして同じことが言えるかな?」
そう挑むように言って、お館様が掲げた名前は──。
「──あら」
「これは──意外と」
「おおっ、これは強そうじゃ! かっこいいですぞ父上!」
「姫様の方も、『亀姫』よりもずっとかわいいですね」
「──あ、お館様、この字は……」
やはり、おね様がまず名前に使われた字に気付いたようです。
「うむ。やはりこの子らは、堂々と双子であることをおおっぴらにしてしまった方が良いのではないかと思うてな。
どちらにも『双』の字を使ってみた。どちらの名にも、丈夫に育ってほしいという願いを籠めておる」
「ううむ──これは……」
藤吉郎殿は、しばらく苦悩の表情を浮かべながら、皆の反応と、そしておね様の表情を見ておられましたが、やがて決心されたようでした。
「悔しいですが、お館様の考えられた名の方が良さそうですな。この名、ありがたく頂戴いたします。
おね、それで良いな?」
「もちろんです。とてもいい名をいただいて、この子たちもきっと喜んでいますよ」
おね様が嬉しそうに大きく頷かれます。
──こうして、羽柴家の二人のお子は、お館様が考えられた名で命名されることとなりました。
若君は『無双丸』様。
姫君は『双葉』様。
羽柴家の次代を担う、私たち皆の希望のお子たちです。
「ははは、どうだ! わしとてその気になれば、皆が納得するような良い名を考えられるのだ!
もう、名付け方が風変わりだの独特だなどと、誰にも言わせんぞ!」
お館様が誇らしげに高笑いされます。その時、その横で──。
「どうせなら、わしらの時にも『その気』になってほしかったものじゃのう……」
ぽつりとこぼした三介殿の言葉を、お館様は聞き逃しませんでした。
「何ぃ? 茶筅丸、貴様──」
一瞬、お館様の顔に怒色が浮かびましたが──何故か急に、いたずらっぽい表情に変わったのです。
「そういえば、茶筅丸。おぬし、ここでは『三介』と名乗っておったらしいの?」
「は、はぁ……」
「なかなか良い名ではないか。
ふ、このわしを超えてやろうということか。ずいぶんとまた、大胆な事を言いおるのう」
「え? ──え?」
ああ、よく意味が分かっておられないようですね。しきりに首を捻っておられますが──これは教えてあげた方がいいでしょうか。
「あの、三介殿。実はですね、おね様は御存じなかったようなのですが──。
『三介』というのは、親王任国の長である上総介、常陸介、上野介の三職を合わせた呼び方でもあるのです。
つまり自ら『三介』と名乗るのは──取りようによっては、上総介を名乗っておられたお館様をはるかに上回る男になってやるという意思表示と言えなくもないのですよ」
「え? ──げえぇぇっ!?」
あ、一瞬で顔色が真っ青になりました。
「あの、父上、わ、わしはそんなつもりでは──」
「茶筅丸よ、なかなかに大胆不敵な宣言ではないか。わしもずいぶんと舐められたものよのう」
「あ、あわわわ──」
睨みつけるお館様に、三介殿はもはや失神寸前です。
──と、お館様はにんまりと笑みを浮かべられたのです。
「なに、冗談だ。別に怒ってはおらん。
男子たるもの、それくらいの気概を見せるくらいで良いのだ。
いつまでも『茶筅丸』というわけにもいかんからな。以後、おぬしは正式に名乗りを『三介』と改めるが良い」
──こうして、茶筅丸様も正式に『三介』と改名されることが決まったのです。
「──さて、三介よ」
お館様が居住まいを正して声を発せられます。
その声色に込められた威厳に、床に着いたままのおね様以外の全員が、一斉に姿勢を正します。
「おねの無事も確認して、無双丸と双葉とも対面した。
そろそろ──よいな?」
「はっ! 伊勢に戻り、北畠家次期当主として家中のしょうあくに努めます」
「良い返事だ。
知人への挨拶回りなどもあろう、明日一日やる。明後日に発つようにせよ。
来年の春から夏に、長島攻めだ。準備しておけ」
「しょうちいたしました」
「わしもそろそろ仕事に戻らねばな。
長島攻めの用意もせねばならんし、京の始末も、いつまでも吉兵衛(村井貞勝)ひとりに押し付けるわけにもいかんからな。
藤吉郎、なかなか良い骨休めとなった。礼を申す」
「は! ありがたき幸せにございます!」
「それと、小一郎!
わしも三介とともに明後日に発つ。明日の夜は──わかっておるな?」
「はい、送別の宴の用意をさせましょう。羽柴流でよろしゅうございますか?」
「うむ、焼き握り飯は忘れるなよ」
ようやく、おね様に子供を持たせてあげることが出来ました。
我ながら、なかなかいい名を考えてあげられたのではないかと思っています。




