051 農業と食の改革 浅井駒
「──で、小一郎。次の新しい産業とはいったい何だ?」
ひとしきり私たちをからかって気が済んだのか、お館様がようやく話題を変えられました。
──半兵衛様も一緒になって楽しんでましたよね? 覚えてなさい、次に芳野様が暴走した時、止めてあげませんから。
「新式の兵器か、それともまた何やら旨い食い物でも──」
「いや、わしゃそう食い物のことばかり考えとるわけではないんですが──むしろそれを作るための工夫です」
そう言って、小一郎に案内されて入った部屋には、いくつもの木製の大きな道具が並べられていました。何なのこれ?
「これは──農機具か?」
道具だけを見ても何に使うものかわからないのですが、そばに稲の穂が束になって積んであるので、お館様には見当がつかれたようです。
「はい。普段は誰かに見られてもすぐには何かわからないよう、ばらばらにして置いてあるのですが、職人に手伝ってもらって何とか組み立て終わりました」
部屋の隅には、二人の職人らしき男性が小さくなって平伏しています。
「うむ、ご苦労。
どうせ、小一郎は案だけ出して、実際の工夫はこの者たちに丸投げしたのであろう?」
「は、仰せの通りで」
「よし、その方ら、面を上げよ、直答を許す。ひとつずつ、どのようなものなのか説明せよ」
お館様はそう言うと、一番近くにある水車の模型のようなものに近寄りました。
職人たちはどうしたらよいのやら戸惑っているようでしたが、小一郎と半兵衛様が大きく頷いたのを見て、まず年かさの一人が口を開きました。
「これは『踏み車』にございます。──現物は大きすぎて持って来られないので、試作段階で作った模型なのですが」
「水車ではないのか?」
「はい、この部分に人が乗り、足踏みをすることでこの輪を回します。すると、こちらからこちらへと水が運ばれます。田畑などで、低いところから高いところに用水をくみ上げるための道具です」
「ほう──竜骨車というのは聞いたことがあるが、それとは違うのか?」
「はい、あれは構造が複雑すぎて高価ですし、故障も多いため、あまり普及しませんでした。
これならば構造が単純なので値段が抑えられますし、一人の力で動かせますので、大いに普及するかと」
「ああ、あと、尾張では水害対策にも使えますぞ」
「!?」
ふと口を挟んだ小一郎の発言に、お館様だけでなく職人も少し意表を突かれたようです。
「洪水で水浸しになった地域からいち早く排水するのにも役立つはずです。これは早くに普及させるべきでしょう」
「なるほど──逆の発想ですか、その考えはなかった。さすがは小一郎様」
若い職人が嘆息します。
そういえば、聞いたことがあります。尾張の川は暴れ川で、とても洪水が多いのだとか──。
今まで、三介殿のように好奇心に顔を輝かせていたお館様が、少し難しい顔で何かを考えておられます。やはり、水害で統治に苦労されてきたからなのかしら。
「──よし、次は何だ?」
しばしの沈黙の後、お館様が続きを促します。
「はっ。これは新型のクワです──と言っても、形自体は古くからあったのですが」
そう言って小一郎が差し出したのは、先が鉄の一枚板ではなく三つに分かれたクワでした。
「今までのクワですと、先に土がこびりつくのでなかなか重労働だったのですが、これだとこびりつきにくくなるので、より少ない力で深く耕すことができるようになります」
「こんなちょっとした改造で、それほど変わるのか……」
「はい、これは何人かの農家で試してもらって好評でしたので、すでに量産化の準備を進めています」
──小一郎ってやっぱり変わってるわよね。清酒を作ったり、鉄砲を改造したり、醤油を作ったり、今度は農機具?
およそ武家の仕事じゃないわよねぇ──って、そういえば元々が百姓だったのよね。
「そして、こちらのふたつが本命です」
そう言って小一郎がまず示したのは──何か禍々しい形をしているんだけど、武器じゃないわよね?
木で組んだ枠の一部に、びっしりと鉄の釘みたいなのが植え付けてあるんだけど、あれ、触ったら相当痛そう──。
「本来、稲の粒を稲穂から取るには、こうやります」
稲穂を一本左手に取って、右手に握った二本の棒で挟み込むようにして稲粒を器用に扱き取っていきます。
「これを一本一本、手間暇かけてやるわけなんですが──この『千歯扱き』を使えば、こうです」
そう言って無造作に稲束を掴んで、釘の山に引っ掛けると、一気に引き抜きます。
すると、二十本くらいの稲穂から一斉に稲の粒が零れ落ちました。
「おおっ!」
「今まで、丸一日かけて脱穀していた量が、ものの一刻もあれば片付きます」
「──これはすごいな」
「そして、脱穀した稲粒は叩いて籾殻を取り、風の力で籾殻と米粒に分けるのですが──」
小一郎がひとかたまりの稲粒を載せた箕を手に取り、上下に振るって稲粒を宙に舞わせてみせます。
「こうやっている時に風が当たると、籾殻や塵が飛ばされて、米粒だけが残るわけなんですが、これもなかなかに重労働でしてなぁ」
そう言って小一郎が目配せをすると、若い方の職人が子牛ほどもあるような木の箱に近寄り、横に付いた取っ手をゆっくりと回し始めました。あれ? 何だか風が──。
「この箱の中で羽を回し、手ごろな風を作り出します。そして、上から稲粒を入れると──」
小一郎が箱の上に開いたところから稲粒を流し込むと、箱の横の穴から勢い良く細かい塵が吐き出されてきました。
「──このように、余計なものを吹き飛ばして、重い米粒だけが下に溜まる、という仕組みです。『唐箕』と名付けました」
──この二つの道具、凄くない? これがあれば、どれほど百姓の負担が減ることか!?
職人たちも、実に自慢げな顔をしています。
──でも。
「待て、小一郎。この『千歯扱き』と『唐箕』の凄さはわかった。
おぬしのことだ、この秋の収穫でもどこぞの村で試してみたのだろう?」
「はっ」
「では、何故これほどの道具を、今までわしに報告してこなかったのだ?」
「ああ、実はその──この二つにはいささか問題がありまして、そこを何とかしてから来年か再来年に広めて頂こうかと思っておったのですが」
「問題だと?」
「はい。確かに効率は良いのですが──あまりにも効率が良すぎるのです。
この二つを使ってみたところ、十人がかりで十日ほどかかっていた作業が、二・三人で一日で終わってしまいましてな」
「それの何が問題なのだ?」
「実は、収穫期の手伝いというのは、特に一家の働き手を失った後家にとっては、数少ない貴重な現金収入の場なのです。
実際、試してみた村ではおなごたちに大変不評でした。『私たちを飢え死にさせる気か!』と。
まあ、多少の金や米を渡すことで、その場は納得してもらいましたが」
「そうか、その者たちの仕事を奪ってしまいかねんということか」
「──あ」
思わず声が出てしまいました。
「む? どうした、駒。何か気づいたのか?」
お館様がすかさず反応されます。ええと、答えないわけにもいかないわよね?
「あの、小一郎様、半兵衛様。お二人が昨日の会議で、やけにおなごの働き口を作ることにこだわっていたのって──」
「うん、良く気づいたの。これらを普及させる前に、少なくとも織田領内では、おなご衆が路頭に迷わんで済むだけの手は打っておかんとな」
「──ふう、聞いたか、駒。小一郎とはこういう男だ。
新しい道具などを作る者は他にもおる。だが、その道具を普及させることで世の中がどう変わるのか、困る者は出ないかまで考えを巡らせる者はそうはおらん。
風変わりな男だが、わしにとっても欠くことの出来ぬ大事な人材だ。嫁として、しっかり支えてやってくれ」
「は、はい!」
ああ、やっぱり小一郎が褒められるのって──嬉しい。
「──しかし、今ひとつわからんな。
この道具で百姓の仕事が楽になることはわかる。だが、暇が出来た百姓どもに、お前は何をさせたいのだ? もっと米を作らせようということか?」
お館様が、唐箕の中を覗き込みながら、疑問を口にされます。
「ああ、いや、出来れば他の作物をもっと作らせたいと思いまして。
わしが思うに、この国の農業は米に偏り過ぎています。天候不順や、稲の病気の流行を考えますと、もっと米以外の作物にも目を向けるべきです」
「ふむ。例えば?」
「お館様、今朝、朝餉で出すように指示しておいたのですが──」
「ああ、あの麺料理か! あれは旨かったな!
醤油を出汁で割った汁に冷たい麺を付けて食べるというのも珍しいし、あの香ばしい麺も喉越しが良くて旨かった。あれは何だ? 素麺でも無し、うどんとも違うようだったし──」
「あれ、実は蕎麦と小麦で作った麺です」
「そ、蕎麦だと!? 以前、蕎麦粉を水で練ったものを食ったことがあるが、ぼそぼそして旨くも何ともなかったぞ!?
──あんな救貧作物があれほど旨くなるとは……」
「信濃あたりで最近流行り出した食べ方で、『蕎麦切り』と言うそうです──醤油がないので、味噌を溶いた汁で食べるそうですが。
それと、食後にお出ししたお茶、あれも蕎麦の実の茶です」
「うむ、あれも旨かったな。ほのかな甘みがあって苦みが少なく、しかも実に香ばしかった」
「あれを、庶民にも手軽に飲める飲み物として普及させましょう。蕎麦なら痩せた土地でもよく育ちますし、収穫も早い。いざとなれば食用にも出来る。
そして何より──蕎麦は、脚病(脚気)に効果があるのです」
「な、何だと!?」
脚病は原因不明の難病です。食欲がなくなったり疲れやすくなって、やがて手足がしびれたりむくんだり、ひどくなると心の臓にまで影響が出て死に至ることもあるとか。
しかも、予防法も治療法もなく、不治の病とされているのです。
それが、蕎麦なんかで──本当に!?
「予防になるのはもちろん、重篤な状態になる前なら多少の治療効果もあります。
蕎麦茶を、あくまでも『脚病にも効く体に良い飲み物』として全国に広めましょう。あまり手軽に作れる救貧作物という点を強調すると、お偉い方が手を出しにくいとも思いますしな。
脚病はむしろ高貴な方々に多い病気です。お公家衆や朝廷にも、この知識はきっと喜んでいただけるでしょう」
「まことに脚病に効くなら、とんでもない大発見だが──珍しいな、これで一儲けしようとは考えなかったのか?」
「いや、さすがに無理でしょう。金を出して蕎麦を買おうという人など、そうはおらんでしょうし」
小一郎が苦笑いして応えます。
「ここは、多少の銭を得ることより、公家衆や朝廷の評価を得ることをもって良しとすべきかと」
「評価、とはどういうことだ?」
「『食に関しては、織田からの話には耳を貸す価値が大いにある』という評価です。
──これからは、異国から次々と新しい作物が入って来るでしょう。
暑さに強いもの、寒さに強いもの、日照りに強いもの──。
いずれは、そういったものの試験栽培も奨励したいと思いましてな。
様々な作物が普及したり、既存の作物の新しい食べ方が普及することで、日ノ本全体が飢饉になりにくい豊かな国になると思うのですが──お偉い方々が新しいものに拒否反応を示されると厄介ですので」
「なるほど──確かに、あの方々は前例のない新しいことを嫌うからな」
「しかし、これからはそれでは駄目です。異国の航海技術が発達し、異国の文化が次々と入って来る以上、有益なものは恐れずに取り入れていかねば──。
わしは、ゆくゆくは食肉の禁忌も緩和していただきたいと思うちょります」
「食肉の禁忌の緩和、か──ううむ」
お館様が、小一郎の発言に腕を組んで考え込まれてしまいました。
──古来より、日ノ本では何人もの帝が、食肉を野蛮なこととして禁じてこられました。
特に、牛や馬、鶏など、生活に役立つような動物についてはかなり厳しく。
『血』や『死』を穢れたものとみなし、なるべく避けるようにという仏教の教えからだと聞いたことがあります。
野鳥やイノシシ、鹿などはあまり厳しくは言われていないのですが、私も、やはり肉を食べるということ自体に少し後ろめたさのような感じはあります。
──あの軍鶏鍋は美味しすぎて、そんなこと考える暇もなかったのだけど。
「──しかし、考えてみて下され。日ノ本同様、仏教を信奉する唐天竺では、僧侶以外は普通に肉を食べているのです。でも、それで仏罰が下ったなど、聞いたこともありません。
食肉が人の体を丈夫にするのは確かです。
身体が弱かった半兵衛殿も、以前は季節の変わり目ごとに熱を出して何日か寝込んでいたのですが、このところはそんな事もありません。
永年、子供が出来ぬことを悩んでおられた義姉上に子が出来たのも、羽柴家がよく軍鶏やその卵を食べていたことと無関係ではないと推察いたします。
脚病の件もそうですが、食肉の件についても、確かに効果があったとの事例を数多く集めていけば、いずれは禁令を緩めていただけるのではないかと。
──この先、異国との戦の可能性もありましょう。ただ日ノ本の民を飢えなくするだけでなく、ゆくゆくは民の身体を強く丈夫にすることも考えていくべきかと存じます」
「──なかなか、あの方々に考えを改めていただくのは難しいぞ?」
難しそうな顔でおっしゃられるお館様に、小一郎は悪戯をするような顔でけろりと応えました。
「まあ、時間はかかりましょうが──なぁに、旨いものを食わせてしまえばこっちのもんですわ」
お約束の内政チートの話です。
『千歯扱き』『唐箕』は、もはや採用していない作品を探す方が難しいくらいですよね。
ひとつくらいは他の人が書いていないネタを入れたいと、必死に探してはみたのですが、『龍馬の死以降に発明されたもの、渡来したものは不可』という悪夢のような制約がありまして──むしろ他の方々が採用している内政ネタの大部分が使えないという、厳しい現実にぶち当たってしまいましたw
脚気対策としての蕎麦の普及は、自分がかつて読んだいくつかの作品中では見かけなかったのですが──まあ、これもたぶん誰かに先を越されちゃってるんでしょうね……。




