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【本編完結!】戦国維新伝  ~日ノ本を今一度洗濯いたし申候  作者: 歌池 聡
第五章  近江騒動

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042   停戦の条件   竹中半兵衛重治


 会見は、高僧──正覚院(しょうがくいん)豪盛(ごうせい)殿が力なく中座を願い出たことで、しばし小休止ということになりました。

 彼は小一郎殿の先ほどの恫喝で怯えた時に、どうもその、着替えが必要となるような、いささか恥ずかしい事態になってしまったようでして──。


 豪盛殿がそそくさと席を外されると、とたんにお館様が相好(そうごう)を崩して小一郎殿に話しかけられました。


「ははは! 小一郎、おぬしは全く予想外のことばかりしおって! 急に焼き討ちを言い出した時には何事かと思うたわ!」

「いや、あの(ぼん)さんが織田を侮ったような顔をしてましたんで、一度、心をとことんへし折ってやらんといかんと思いましてな。

 正直、使者があの坊さんだけじゃったら、わしも思わず叡山焼き討ちに賛成してしまうところでしたわ」

「──あ、あの、羽柴様? もしや始めから叡山をお助け下さるおつもりだったのですか?」


 若い僧がおずおずと尋ねます。


「んー、まあ、無駄な流血を避けたいとは思っちょったがの。

 だが、あの坊さんは駄目じゃ。自分たちは何も悪くない、何も変えるつもりはないなどと思っておる奴らばかりなら、口先でいくら服従を誓ったところで、結局何も変わりはせん。

 おんしは違うじゃろ? ──ええと、名は聞いておらんかったかの?」

「拙僧は良厳(りょうげん)と申します」

「良厳殿は、叡山の腐敗ぶりを指摘された時、実に悔しそうな顔をしておられた。今の叡山のままでは駄目だとは思っていても、自分の力ではどうすることも出来ない──それが悔しかったんじゃろ?」

「おっしゃる通りです……」


「まあ、此度、織田の力で叡山の体制を変えてやることは出来るんじゃがな、外圧で起きた変化はおそらく長続きはせんぞ? どうしたって不平不満は溜まるからの。

 そのうち、このぐらいはばれないだろうと少しずつタガが緩んで、また少しずつ腐り始める……。

 せっかく変わった叡山を、今のようにはしたくないじゃろ?」


 小一郎殿の問いに、良厳殿が頷きます。


「だからこそ──おんしらもまた、変わらねばならん。

 ただどうにもならん現状を嘆くだけではなく、自分たちこそが何か行動をせねば、というふうにな。


 ──こんなことを言うとお館様に怒られそうじゃがな、この乱世、織田家もいつまで強い織田家でいられるのかはわからん。

 ええか、良厳殿。たとえ将来、織田家の圧力が無くなったとしても、二度と今のような腐敗した叡山に戻させない──そのためには、内部の者に強い意志と覚悟が必要なんじゃ。

 先ほど良厳殿は、わしの脅しにも屈せず、勇気をもって自ら行動する覚悟を示してくれた。

 ──わしが待っておったのは、まさにそれなんじゃ。

 本来あるべき姿の叡山を築いていくのは織田の役目ではない。それはおんしら、今の叡山に不満を持っておる者たちの役目ぜよ。

 良厳殿、不満を抱えとるのは、おんし一人ではないんじゃろ?」

「無論です。他にも叡山の現状を(うれ)うものは何人もいます。

 今までは、我らには愚痴(ぐち)を言い合うくらいしか出来ないと思い込んでいましたが──我らもこの機に、おのれを変えます。変えて見せます!」


「うん、ええ返事じゃ。──では、まずはわしらが叡山をまっさらに洗濯してやろうかの!」

「え? せんたく、ですか?」

「おう。世俗の垢を落とし、煩悩(ぼんのう)の泥を洗い流して、きれいさっぱりと無垢(むく)な叡山の姿に洗濯し直してやる。

 腐れ坊主どもの腐臭を消すために、ごしごしとかなり手厳しく洗ってやるんで、まあ、見といてくれ。

『叡山の洗濯』──なかなか気の利いた言い回しじゃろ?」


 そう言っていたずらっぽくにやりと笑う小一郎殿に、ようやく良厳殿の顔にかすかな笑みが戻られました。






「では、停戦の条件を伝えさせていただく」


 豪盛殿が戻られると、小一郎殿が口を開きました。


 ──小休止の間の短い打ち合わせの中で、お館様は少し自分で交渉をしたそうな素振りを見せられましたが、小一郎殿が『ここ一番で、凄みを利かせて発言して頂くのが一番効果的』と言ったので、引き続き小一郎殿が話を進めることになったのです。


「まずは武装解除じゃ。刀槍(とうそう)や鉄砲は全て没収。以後、それらを所持することは認めん。

 生活に必要な包丁や(はさみ)山刀(やまがたな)などは認めるが、数は厳重に管理させてもらうでな」

「そ、それでは我らは身を守ることが──」


 豪盛殿が何とか反論しようと試みますが、小一郎殿はにべもありません。


「いったい、誰から身を守るんかの? 織田に逆らわん限り、叡山の身は織田が守ってやると言っておるんじゃ。

 ──この近くにも織田の武将が配置されるじゃろうから、何かあればそこを頼ればええ」

「う──」


「それと、今後はまつりごとに介入することを禁じさせてもらう。

 門徒を唆して一揆を起こさせるなど、もっての外。

 戦の際にも、織田の味方をせよとは言わんが、どの勢力にも手を貸さず、中立を保つようにしてもらいます。

 ──まあ、もっとも、今後は手を貸すことなど出来んとは思うがの」

「それは、どういう意味で──?」

「堅田などで商人に上納金を出させることや、関を作って金を取ること、土倉(どそう)(高利貸し)を営むことも禁止させてもらう。

 それと──寺領(じりょう)は一度、全て没収させてもらう」


「そ、そんな馬鹿な!? それでは我々は生きていけませぬ!」

「叡山に残る人数を正確に把握した上で、食うに困らんだけの寺領は認めてやる。何が問題かの?」

「そ、それは──建物の修繕費や、法要の費用など、色々と金が必要になることも多くあるのだ!」

「なるほど、もっともですな。

 では当面は、不当に私腹を肥やしておった高僧どもの貯えをそれに充てられよ。

 それが尽きた後は、必要な費用はその都度、織田に申し出るように。真に必要かどうかを織田家が吟味した上で、承認して金を出す。これで文句はなかろう?」

「い、いや、しかし──」

「もうええ」


 豪盛殿がまだ何か言い返そうとするのを、小一郎殿が(さえぎ)りました。


「回りくどいのは嫌いじゃ、単刀直入に言う。

 織田が叡山に禁止するのは三点。武装すること、まつりごとに介入すること、そして──不相応に金を集めることじゃ。

 それ以外は全て認めてやる。学問や修行、これまで通りの法要などの行事は自由にしてええ。食も安全も保証してやるし、本当に必要なら修繕費なども持ってやる。

 だが、蓄財は認められん。善意の御布施(おふせ)や寄進は受け取っても良いが、叡山から織田以外の誰かに金品を要求することは厳禁じゃ。

 無論、会計に関しても厳しく監視させてもらう。過剰な財が集まるようなら、それらは民の救済に回すようにさせてもらうきに。

 ──良厳殿、これでどうかの? 真摯に学問や修行に励みたいおぬしらのような僧にとっては、充分すぎる条件じゃろ?」

「はい、確かに。まったく異存はありません」

「お、おい、良厳!? 貴様、何を勝手に──」

「そうじゃろ? 異存などあろうはずもないわな。

 この条件で困るのは、金と権力を欲しがる腐れ坊主だけのはずだからのぅ?」


 そう言って小一郎殿が顔を覗き込むと、豪盛殿は苦悩の表情を浮かべながら口を開きました。


「し、しばらく──! これほどの重大事、拙僧の一存では返答致しかねます! 一度持ち帰らせて頂き、皆で協議の上──」


「まだそんなことが通ると思っておるのか──たわけめ」


 ここで、お館様が、満を持して言葉を発せられました。

 酷薄(こくはく)な笑みを浮かべて豪盛殿に歩み寄り、扇子(せんす)で彼の首筋を軽く叩かれました。


「──良いか、この条件でどうかと尋ねているのではない。この条件を呑めぬのなら宣旨の通り朝敵として滅ぼすと言っておるのだ。

 貴様がすべきことは皆との『協議』ではない、皆の『説得』だ。

 刻限は明後日。明後日の正午までに全員、山を下りて身一つでここに来い。

 その時点で叡山に残っている者、武器を手にしている者、ここに来ずに他の道で逃げる者は、条件を呑まぬものと見做して全て斬る。

 ──ああ、良厳、心配は無用だ。貴重な経典や書物を焼くような事はせん、約束しよう。

 だが、この()に及んで織田の意向に逆らおうという者は、腐れ切った叡山のままで良いと考える不信心者だ。一人残らず斬り捨てる」


 そう言い捨て、お館様は豪盛殿の顔を睨みつけられました。豪盛殿が必死に何かを言い返せねばと言葉を探して目を泳がせている時、ふと小一郎殿が口を開きました。


「恐れながら、お館様。それでも血の気の多い何人かは立て籠もったり、下手をすると火を放ったりするやもしれません。

 そういった場合の事を考えますと──やはり、叡山のどなたが責任を取られるのかは把握しておきませんと」






 その小一郎殿の言葉を聞いたとたん、豪盛殿の顔色が真っ青に変わりました。やはり、上層部の人事については最後まで()しておきたかったのでしょう。


「──ふむ、一理あるな。では、どうする?」

「お二人にはそれぞれ別室で、責任者の名を上位十名まで書いていただきましょうか。何か不始末があった際は、上の方から順に責任を取っていただく、という事で」

「そ、それは──」

「ああ、下手な小細工はせんようにの。お二人の書く名が一致するまでは、何度でも書き直させますんで。こんなところで時を費やすと、説得の時間がどんどん足りなくなりますぞ?」

「うむ、ではそのようにせよ。

 豪盛とやら。尊い方々が責任を取らされるような事にならぬよう、せいぜい死ぬ気で皆を説得するのだな。

 血の気の多い者たちにも言っておけ。織田とどうしても戦いたいならよそでやれ、とな。

 一度降伏した後は、叡山に留まろうがどこに行こうが勝手だ。ただし、ここで抵抗しようとするなら、それはすなわち、尊い方々が次々に首を(さら)される、という事なのだからな」


 そこでお館様は言葉を切り、良厳殿に向き直りました。


「──良厳、当座(とうざ)の織田家との取次ぎを任せる。

 志をともにする者たちをまとめ、織田の担当者と協力して、綱紀(こうき)粛正(しゅくせい)に務めよ」

「はっ、承知いたしました」

「特に、高僧どもの私有財産については、厳密に調べよ。一切の忖度(そんたく)は無用だ。

 身分を振り回して従わん者や反抗する者は、織田家に任せてくれて良い。こちらで、きっちりと締め上げてくれるわ」

「はっ」 


 

「──会談は以上だ。

 豪盛、向後は余計な世俗の事に気を遣うことなく、こころゆくまで『鎮護国家』とやらを祈っておるが良い。

 ──ああ、矢銭の黄金四百枚は、ありがたく貰っておこう。手ぶらで帰る訳にもいかんからな。

 それと、聖域である叡山に清酒があるのは修行の妨げとなろうからな。これも持って帰ってやろう。

 皆の者! そして公家の皆々様、参陣の手土産が増えましたぞ!」


 お館様が高らかに言われると、一同がわっと沸き立ちました。

 その輪の中で──


「──こ、このような──」


 豪盛殿がわなわなと震えながら声を上げられました。それは、彼に出来る精一杯の抵抗だったのでしょう。


「このような狼藉(ろうぜき)が許されるわけがない! 恐れ多くも帝の御名を盾に、やりたい放題ではないか! これでは、これではまるで──」

「『これではまるで叡山ではないか!』ですかの?」


 小一郎殿がそれを遮りました。


「『強訴(ごうそ)』とか言いましたかな? 神仏の神輿(みこし)を盾に、朝廷に力ずくで無理難題を押し付け、やりたい放題。──古来からの叡山のお家芸ではないですか。

 よかったのう? 神仏にはどうやっても文句は言えんが、帝にはまだ文句を言える可能性はあるからの。

 書状にも書いてあったはずじゃ。『文句があるなら帝に直接言え』とな」






 小姓に(うなが)されて、良厳殿が満足げに、そして豪盛殿が落胆し切った様子で退室されると、お館様が上座に座り直し、口を開かれました。


「さて、これにて、条件提示は終わった。

 やつらに八万の兵に立ち向かう気概があるとは思えんが、まだ小規模な抵抗はあるかもしれん。皆、気を緩めぬように。

 ──小一郎、交渉役、大義であった」

「はっ」

「条件も申し分なしだ。武装、まつりごとへの介入、経済活動の禁止に加えて、人事に手を付けられたのは大きい。これで、寺社勢力としての叡山の脅威は無きものと出来よう。

 それに、あの取り澄ましておった高僧のやり込められた顔──なかなかに見ものであったな」


「ほんにまこと、鮮やかなお手並みにおじゃりましたなぁ!」


 ふいに、二条関白殿下が、扇子で口元を隠しながら大声を発せられました。


「弾正大弼さん、見事に叡山を手懐けられましたなぁ。

 そして何より──弾正大弼さんの焼き討ちを止められ、交渉をまとめられた羽柴小一郎長秀さん──このお方こそ、まさに功一等とも言うべきではあらしゃいませんか、のう、皆様?」


 ──ああ、いよいよ始まってしまいましたか。

 あの隠された扇子の下には、さぞ意地の悪い笑みを浮かべてられるんでしょうねぇ……。


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