041 叡山問答 竹中半兵衛重治
「──織田弾正大弼である。面を上げぃ」
叡山からの使者は二名。正使である位の高そうな初老の僧と、恐らくは交渉を実際に行う副使の利発そうな若い僧です。
正面上座にお館様と二条関白殿下、向かって右手に公家衆、左手に織田家の重臣がずらりと並ぶ中、若い僧は緊張した面持ちのまま平伏した姿勢から少し頭を上げました。一方、高僧の方は、背筋を伸ばして座ったまま、鷹揚に軽く頭を下げただけです。
自分たちは公家にもおいそれと平伏するような立場ではない、ましてや織田のような下賤なものになど、とでも思っておられるのでしょう。
「此度は、会談の場を設けていただき、誠にありがたく存じます。こちらにおられますのは正覚院豪盛様──」
「その方らの名などどうでも良いわ」
まず正使から紹介しようとした若い僧を、お館様は言葉短く遮られました。
「おぬしらの話は、こやつが代わって聞く。小一郎、これへ──」
「はっ」
私とともに家臣末席にいた小一郎殿が立ち上がり、重臣方の後ろを回り込んで、お館様の斜め前に座り直します。
──ちなみに私は、小一郎殿が暴走してしまった時の抑えとしてこの席に置かれているようです。何だかもう、完全に二人一組の扱いになっちゃいましたよね。
「代わってお相手を務めさせていただきます。羽柴小一郎長秀にございます」
──公家衆の間に小さなざわめきが起こりました。『どなたさんやろ』という声に交じって『あれが清酒の──』だの『ほれ、浅井を助けたという──』などの声もちらほら聞こえます。
そして、叡山の僧たちは──ああ、これは伴天連たちの様に、小一郎殿のいい噂だけ知っているようですね。若い僧は明らかに安堵の表情を浮かべ、そして高僧の顔にほんの一瞬、嘲るような嫌らしい笑みが浮かびました。
『ふん、やはり手出しなど出来まい、どうせ脅しだけなんだろう?』とでも言うような──。
その様子を見て、小一郎殿の顔にかすかに苛立ちの色が浮かびました。私以外の誰にもわからないでしょうが──どうやら、まず相手の心を完全にへし折ることに決めたようですね。お気の毒に。
「さて、まずはご用向きの件を伺いましょうか」
小一郎殿がかしこまった声で切り出しました。
「──しからばまず、この軍勢はいったい如何なることにございますか?
叡山は御英慮に従い、六角親子を引き渡しました。それなのに何故このような軍勢を──」
「織田に直接引き渡せば何も問題なかったものを、公方様を間に挟まれましたな。
大方、六角を見殺しにしたとの風聞をおそれ、ついでに公方様にも貸しを作ろうとの魂胆でしょうが──公方様が幕臣である六角の助命を求める事など自明の理でしょう。
まったく、余計なことをして下さいましたな。──おかげで、こちらは公方様の顔を立てないわけにもいかず、六角親子の命は取れずじまいでした。
つまり叡山は六角をかくまい、六角の延命に手を貸したことになります。『朝敵』と見做す理由としては充分でしょう。
ならば──叡山も御英慮に従って『朝敵』として攻め滅ぼすのみ」
「な、何ですと──!?」
お二人だけでなく、公家衆や重臣方もあっけにとられているようです。穏健派の最たるものと思われていた小一郎殿の口から、まるでお館様のような主戦論が語られたのですから。
「お、お待ちください! 羽柴様、貴殿は家中の反対を押し切って浅井家との和睦を主導され──」
必死で小一郎殿の慈悲にすがろうとする若い僧に、小一郎殿はがらりと口調を変えました。
「──ふう、あのですな。どうもそれがし、慈悲深い男だなんぞと妙な噂が流れとるようですが、あくまでその時々で織田にとって利が大きいと考えた手を打っただけじゃ。
で、わしは、今の腐れ切った叡山などさっさと滅ぼしてしまった方が、織田や帝、ひいては日ノ本の万民にとって大いに利があると思うとるんじゃがな?」
そこからの小一郎殿はいつもの口調で、まさに情け容赦なく、二人の僧の反論をことごとくねじ伏せていきました。
お館様に、かしこまった口調では本領を発揮できないからとお許しは得ていたのですが、公家衆たちにはかなり粗野に聞こえるのでしょう。始めは眉を顰める方も少なくありませんでしたが、やがて小一郎殿の話に引き寄せられるように、皆が注意深く耳を傾けるようになってきました。
「──そもそも、由緒ある叡山を朝敵呼ばわりなど、不敬きわまりない!
恐れ多くも、今の天台座主は帝の弟君、覚恕法親王猊下にあらせられるぞ!」
「それが何か関係ありますかの?
歴史を紐解けば、過去には上皇様や、上皇の意に逆らって帝の地位を追われた方ですら朝敵とされたことがあるんじゃが、まさか老師はその程度のこともご存じないので?
どんな地位にあろうが、朝廷の意に公然と逆らえば朝敵と見做される。──兄弟の情なんぞ持ち出しても無駄です」
「前回提示した矢銭(軍資金)黄金三百枚に加えてあと百枚献上いたしますゆえ、どうか焼き討ちだけは──」
「織田家は金欲しさにやって来たわけではないんじゃがな。
そもそも、ぽんと何百枚も黄金を出せるほど、ひとつの寺が常日頃から強欲に金を集めとることが問題じゃと言うとるんじゃ」
「僧侶だけではない、叡山にはその家族である女子供もおるのだぞ!?
それをも根切りにしようとは──貴様らに人の心はないのか!」
「おかしいですなぁ。そもそも妻帯を禁じられとるのに、何で叡山に女子供がおるんかの?
おおかたそれは人ではなく、人をたぶらかす狐狸妖怪の類でしょう。これは、ますますもって全山焼き払って浄化せねばなりませんなぁ」
「酒色に溺れ、僧の本分を見失っている者も確かにおりますが、ごく一部です! それで全山焼き討ちというのはあまりに──」
「ごく一部、ですか? まったく説得力がないですな。
わしは織田の清酒の流通を管理しとります。どの商人からどこに売られたか、大口の顧客についてはあらかた把握しとりましてな。
で、どの商人も口を揃えて、最も大口の買い手は叡山じゃと言うとるんじゃが?」
さすがですね。
始めは朝敵認定や全山焼き討ちの話だったのが、徐々に叡山の寺社としての在り方の是非を問う方向に話を持っていっています。
そうなると、実際に堕落して腐敗し切った叡山側がどう言いつくろおうとも、理屈で敵うはずもありません。
若い方の僧は、おそらくそんな叡山の中にあっても腐ることなく、真摯に修行や学問に打ち込んでこられたのでしょう。叡山の腐敗ぶりを指摘されると口ごもり、悔しげに唇を噛んで黙ることが多くなってきました。
一方、高僧の方は次第に感情を高ぶらせ、声を荒げるようになってきました。
それこそ小一郎殿の思うつぼ、なのですけどね。
「──だから、六角に手を貸したのも、ごく一部のものの仕業だと何度も言っておろうが!
それで全山に責任を負わせるというのは、暴論もいいところではないか!
それとも何か? 織田家では一兵卒が罪を犯せば、織田家全体の罪になるとでもいうのか!」
「はぁ? ──何をたわけたことを。その時はその兵卒だけを罰するに決まっとるではないですか」
高僧の怒声を受け流すように、さらりと小一郎殿が答えます。
「そうであろう! ならば──」
「──で……」
小一郎殿の目の色が変わりました。そろそろ畳み掛ける頃合いですかね。
「叡山は何故、その『ごく一部のもの』とやらを、いつまでたっても処罰せんのかの?」
「は?……」
「御英慮に逆らったのも、酒色に溺れて山の風紀を乱すのも、あくまでその『ごく一部のもの』の仕業と言い張るんなら──
そいつらの首ぐらい手土産に持ってくるのが筋じゃろが、と言うとるんじゃ!!」
小一郎殿が、お館様もかくやというほどの怒声を高僧に叩きつけました。
「──!?」
「──出来んじゃろ? 出来る訳もないわなぁ。
何しろ、清酒を買うために、大名ですらおいそれと出せんほどの莫大な金を動かせるんじゃ、まさか下っ端の独断なはずもあるまい。
首謀者は、覚恕猊下に近い立場にある者か、あるいは猊下ご本人ですかの?
そいつらの首も身柄も引き渡さずに、ただ一方的に自分たちの言い分を呑めなどと──話にもなりませんな。
一度帰って、首を持って出直して来て下され」
「何っ!? ──い、言うに事欠いて、法親王猊下の首を寄こせだと──!?」
「ああ、やはり首謀者は猊下でしたか」
「くっ──お、おのれ、この仏敵め! 御仏の怒りに触れ、いずれ貴様には仏罰が下るぞ!」
「はあ、どうぞ。いずれなんぞと言わず、今すぐにでもかまいませんぞ──出来るもんなら、の」
小一郎殿が平然と答えたのに、思わずぎくりとさせられました。恐らく、重臣方も同じでしょう。
命がけの働きをする武士にとっては、縁起を担いだり、神仏に祈るのはおろそかに出来ない大切なことなのです。私とて、やはり仏罰が下るのが怖いという思いは少なからずあります。
それを、こうも事も無げに──!?
「き、貴様、まさか仏罰が怖くないとでも言うのか!?」
「ふう──あのですな、今は乱世じゃ。ほとんどのもんが戦で死ぬか、病で死ぬか、飢えで死ぬかじゃ。天寿を全うして安らかに死ねるもんなんぞ、ほんの一握りしかおらんじゃろ。
適当に『いずれ仏罰が下るぞ』と言っておけば、そりゃ大概は当たったように見えますわなぁ。
誰にでも当てはまりそうなことを言っておいて、何か凄い能力があるように信じ込ませる──ま、イカサマ占い師あたりがよく使う、まやかしの手口と同じですな」
「なっ!? ──」
小一郎殿の意表をついた例えに、周りの方々からかすかな含み笑いが漏れました。
それが高僧をいっそう激高させ、立ち上がらせました。
「き、貴様! 拙僧や叡山を愚弄するつもりか!?
そもそも叡山は伝教大師の開山以来、長年に渡って『鎮護国家』を祈念し続けてきた聖域であり──」
「おんしらが『鎮護国家』とやらを真剣に祈ってきた結果が、今のこの乱世かの?
なら、そんな御利益のない祈念なんぞ、何の意味もありませんな。
これからは、織田が帝の名のもとに武をもって世を平らげ、万民に安寧をもたらし、『鎮護国家』を成します。
叡山などもはや無用の長物。──残しておく理由がまた一つ減りましたな」
「話にならん! こうなれば帝に直接お願いして、宣旨を取り消していただき──」
「無 駄 で す ぞ」
小一郎殿が、ひときわ強い口調で言い放った声に、老僧の動きが止まりました。
「帝は、叡山の者とは決してお会いになりますまい。
──『綸言汗の如し』と言うように、ひとたび帝から発せられたお言葉は、帝ご本人にも断じて覆すことは出来ない、してはいけない。それが古来よりの絶対の定めです。そのくらいはご存じでしょう?」
「ぐっ……。な、ならば、公方様に──」
「ああ、言っておきますが、公方様にとりなしを頼むというのも無駄ですからな。たぶん、今頃は他人のことに構っていられる状況じゃないでしょうからの」
「そ、それはどういう──?」
「公方様は此度の御英慮に背くことを広言されたため、今やただの朝敵に成り果て申した。
さきほど、幕臣どもにその事を宣告したところじゃ。叡山の次は公方様──いや、『足利義昭』の追討じゃ、とな。
──大義は織田にある。もはや足利義昭も叡山もただの朝敵、帝や天下万民に仇なす逆賊じゃ。おんしらを助けるものなど、もうどこにもおらんと心得られよ」
「ま、まさか、公方様を『朝敵』だと!? それに、我らも──そんなまさか──」
高僧が全身から力が抜けたように膝をつかれました。そこへ、立ち上がった小一郎殿が歩み寄り、見下ろしながら凄むように追い打ちをかけます。
「『まさか』ではないわ──書状にて前もってお伝えしたはずじゃ、『此度、織田は本気だ』と。
なのに、おんしの言ってきたことは何じゃ?
『自分たちは悪くないから手を出すな、悪さをした者を処罰するつもりはないが手を出すな、何も反省せんし改めるつもりもないが、自分たちは偉いから手を出すな』
こんなふざけた言い分が通るとでも思っちょったんか? いくらなんでも、武家の本気というものを舐め過ぎてはおらんか?
ならば、身をもって教えてやらんといかんな。
──織田の本気がどのようなものなのか、をな」
「ひっ──!?」
怯えたように後ずさりする高僧に更に近づき、小一郎殿は語気を荒げず、むしろ淡々とした口調で恐怖を植え付けていきます。
「その骨身に刻み付けてやろう。いつ下るかどうかもわからん仏罰なんぞより、織田が現実に下す仕置の方が何百倍、何万倍も恐ろしいということを、な。
言っておくが、ここにいる九万の兵たちは、六角との戦のお預けを喰らって、みな飢えに飢えておるぞ──手柄と、敵兵の血に、な。
一度解き放たれてしまったら、もはや誰にも止められん。
叡山の生きとし生けるもの全てを蹂躙し尽くし、建物を破却し尽くし、浄化の炎で全山を焼き尽くすまでは決して終わらんぜよ。
──まあ、この先、二度と織田に逆らおうなどと考えるものが出て来ぬよう、おんしらにはせいぜい、後世の語り草となるような見せしめとなってもらいましょうか。
そのためにも、考え得る最も残虐なやり方で、叡山全てををこの世の地獄にして差し上げねば、なぁ──」
「──そ、それでも──!!」
その時、それまで黙っていた若い僧の悲壮なまでの叫びが響きました。
「それでも、何としても叡山を焼かれるわけにはいかないのです!
叡山には、貴重な経典や書物など、日ノ本の宝ともいうべきものが数多あります!
失ってしまえば、もはや二度と取り返しがつかないのです!
それらを守るために──我らにこれより何が出来ましょうや!?
それとももはや、我らには何一つ出来ることは残されていないのですか!?」
その精一杯の声を聞いた時──小一郎殿の表情がふっと和らぎました。
「始めから言っとったじゃろ? 『今の腐れ切った叡山は滅ぼした方がいい』と。
叡山が本来あるべき姿に立ち戻る、と言うんなら話は別じゃ」
「……あっ──!」
「──おんしのその言葉、待ちわびておったぞ」




