040 奇妙丸様 羽柴藤吉郎秀吉
今回は少し短めです。
──いや、実に驚いたのう。
小一郎のやつ、まさかとは思ったが、本当にお館様を止めてしまいよった。
このところ、ますます弁舌が冴えとるんじゃないか?
普通、人から面と向かって過ちを指摘された時、理屈では納得できても、なかなか『ではやり方を変えよう』とは言い出せんもんじゃ。──特に上の立場の者は、な。
それを、意表をついた言葉で笑わせることで一気に空気を変え、お館様が焼き討ちの撤回を言い出しやすい雰囲気を作った。鮮やかなもんじゃ。
少し前のわしなら、小一郎の働きぶりに嫉妬して、また大人げない態度をとってしまったかもしれんな。
じゃが、よくわかった。小一郎はわしのために、命を賭してお館様を止めてみせた。あいつはわしを決して裏切らん。というより、裏切れん。
一向門徒の根切りなどと残酷な事を平然と口にするくせに、あいつは身内への情に捉われすぎておる。
母様や姉上たち、おね、半兵衛殿、三介殿、それと、惚れた娘とやら──。
皆が一斉にわしにそっぽを向かん限り、あいつは終生わしのために働こうとするじゃろう。
ならば、わしは小一郎の働きの成果を、主君として受け取るまでじゃ。『わしの手柄は兄者の手柄』なんぞと言うとるらしいからな、わしのためにどんどん働いてもらおう。つまらん嫉妬心なんぞはとうに捨てた。たまには褒めてもやろう。
──何といっても、小一郎がわしの元を離れて競争相手や敵と手を組むのが一番恐ろしいからの。
それより、お館様はやはりかなり危うい。
何といっても、家臣にご自分の斬新な考えを伝えるのに、あまりに言葉が足りない。あれではそのうち、ついて来れなくなるものが出るぞ?
だからこそ、その欠点を補えるような存在である小一郎を、お館様と組ませるわけにはいかん。
無論、わしにお館様に歯向かうようなつもりは毛頭ないが──将来、万が一にもお館様と敵対するようなことがあった時、つけ入る隙が全く無いようでは困るではないか。
やはり小一郎は、何としてもわしの手元に置いておかねばならん。
──そうか、お館様が危ういのなら、お館様にもしものことがあった後のことも少しは考えておかねばならんな。
奇妙丸様は、成り上がりのわしにあまり好感を持っておられないようじゃが、何とか今のうちに渡りをつけておいた方がいいかもしれんな──。
「藤吉郎殿、小一郎殿。今、少しよろしいですか?」
公家衆と叡山の使者の到着を待つ間、しばし二人で別室で休憩しておると、半兵衛殿が近づいて来た。
「今一つ思いついた策があるのですが──扱いをどうしたものかと悩んでおりまして」
「『宇津右近太夫(頼重)を討つ』だと──?」
「はい。此度、お二人の策は上手くいきました。いえ、むしろ上手くいき過ぎた、と言ってもいいかもしれません。
六角家を事実上滅ぼし、叡山や公方様に朝敵の烙印を押した──しかもほぼ一戦も交えることなく、です。
そしてこのまま叡山を屈服させ、公方様が将軍職を下りる、あるいは京から去ることにでもなると──さすがに織田はやり過ぎではないかとの批判の声が、帝の近くから上がるやもしれません」
「ううむ……」
──さすがは半兵衛殿じゃ。
わしらも、まさか公方様が、自分で自分の首を絞めるような大たわけだとは予想しとらんかったからな、その後のことまでは考えてもおらんかったわ。
「そこで、『宇津討伐』です。
宇津は丹波国山国庄の禁裏御料(朝廷の直轄地、現・京都市右京区北部)を何十年も勝手に私物化し続けている朝敵です。攻めにくい土地ですが、今の大軍をもって圧力をかければ、容易く落とせましょう。
そして、山国庄を帝の手に取り戻して差し上げれば──」
「朝廷の懐具合もだいぶ楽になるじゃろな。そうなると、織田の此度の一連の行動について、さすがに文句も言いにくくなるか」
「なるほど、さすがは半兵衛殿じゃ!
よし、今の策、さっそくお館様に申し上げて──」
「お待ちください、藤吉郎殿。さすがにそれでは羽柴の手柄だけが大きくなり過ぎますゆえ、どうしたものかと悩んでおったのです」
「はぁ? 手柄が大きくて何がいかんのじゃ?
出世するためには、取れるだけ手柄は取っておかんと──」
「それでは、他の重臣方のやっかみを買いかねません! しばらくは皆、大勝に浮かれておりましょうが、やがて──」
「──ふん、さすがは竹中半兵衛。そこに気が付いたか」
その時、わしらの後ろからかけられた声は、お館様によく似た、少し若いものじゃった。
「こ、これは奇妙丸様!?」
小一郎と半兵衛殿も片膝を付いて頭を下げる。
今の話、聞かれておったか──?
「──おい、猿。半兵衛に感謝しておけよ。
半兵衛が気付かなければ、わしが後で権六(柴田勝家)あたりに吹き込むつもりだったのだからな。
『おぬしら皆、羽柴が手柄を上げるための使い走りをさせられて、誰ひとり、ろくに手柄も上げられんかったな』とな」
「い、いえ、決してそのような──」
なんと──。奇妙丸様は家中に反羽柴の声を広めるおつもりだったのか。
しかも、部下の前で大昔のように『猿』呼ばわりなど──そこまで、わしを嫌っておいでなのか?
「恐れながら奇妙丸様、此度の策は織田の大軍あってこその策にございます。決して羽柴だけの手柄などと申すつもりは──」
「黙れ、小一郎。そのようにしおらしいふりをしても、結局、父上が最も評価するのは策を立てたおぬしや猿だ。
そのことを面白く思わない者はたくさんおるぞ、わしも含めてな」
奇妙丸様が不機嫌さを隠そうともせずに小一郎を睨みつけられた。
「だいたい、おぬしが父上に余計なことを吹き込まねば、叡山攻めでわしは初陣を飾れたのだ。その機会を奪いよって──気に食わんな」
「は──恐れ入りましてございます」
「ふん、ちっとも恐れ入っているように見えんな。
武家の、それも大きな家に生まれた男にとって初陣がどれほど大事なものか、お前ら百姓上がりごときにわかるはずもなかろう──! せっかくの初陣の機会、どうしてくれるんじゃ!」
──何じゃ、つまらん。しょせんは子供のやつあたりか。
権六をそそのかす、などと言われた時は一瞬まずいとも思うたが、その後どうやって羽柴を追い込むかなどは全く考えてもいなさそうじゃな。
だいたい、本気でそうするつもりなら、まず相手にそれを言ってしまってはいかんじゃろ。
それに、権六の事をまるでわかっておらん。
あいつは確かに戦上手の猛将じゃが、存外、肝の座り切っとらんところがある。
かつて、勘十郎(織田信勝、信長の同母弟)様が織田家を乗っ取ろうとした時にそちらについてお館様とも戦ったが、土壇場で日和ってお館様側に寝返っとるからな。
今でこそ戦の腕を買われて重用されてはおるが、それはあくまでお館様の役に立つからであって、その立場は決して盤石なものではない。
お館様の意に背くような企てになど、権六は決して乗らんじゃろ。──たとえ、それが大嫌いなわしを排除する、ということであってもな。
やれやれ、その程度のこともわからんのかのぅ。
自分の好き嫌いで家中に不和を作り、それが後にどういう影響を生むかもろくに考えてもおらん──まだまだ子供じゃな。これなら三介殿の方がはるかにマシじゃ。
しかし、こうも頭に血が昇っておるなら、ご機嫌をとらんという訳にもいかんか。
やむを得んな。──半兵衛殿、許せ。
「──お待ち下さりませ、奇妙丸様。今の我らの話、どこから聞いておられましたか?」
「む? 何やら羽柴の手柄が大きくなりすぎるとか何とか…」
「そうなのです! 実は、もう一つすごい策があるのですが、さすがにわしがそれを献策すると、羽柴の手柄が大きくなりすぎるので、どなたかにお譲りしようかと相談しておったのです!
──奇妙丸様、この策、詳しくお聞きになりませんか?」
「何っ!?」
「お、おい、兄者──」
小一郎が何か言いかけたが、視線で黙らせた。ここはわしに任せておけ。
「われらの策ということであまり面白くはないかと思いますが、やれば間違いなく織田に大いに利のある策で、お館様も間違いなく賛同されるはずです。
これを、奇妙丸様からお館様に献策されたならば──あるいは初陣を飾る機会も認められようかと」
「ふむ──なるほど、いいだろう。
だが、こんなことでわしに恩を売ったなどと思うなよ!」
「無論にございます。ささ、あちらで詳しくお話いたしますゆえ──」
悪く思うな、小一郎、半兵衛殿。
ここはわしが役に立つということを印象付けて、奇妙丸様との関係を築く第一歩とさせてもらう。それがゆくゆくは、羽柴家全体の利になるはずじゃ。
なぁに、まだこの程度の子供、容易く手懐けてやるわ。
──しかし、前にお会いした時には、もう少ししっかりされているように思ったんじゃがなぁ。
次こそ、いよいよ小一郎の弁舌の才が発揮される話になります。さて、筆者の筆力で巧く表現できますかどうか──!?




