036 異国との付き合い方 羽柴ねね
しばしの小休止を挟んで、会合が再開されました。
「さて、異国の話なんじゃがな。
──わしの知る歴史では、異国の商人たちが、日ノ本の民を南蛮で奴隷として売り飛ばしていたことが、兄者が天下人になった後に発覚する。そして、その事に激怒した兄者が『伴天連追放令』を出すことになるんじゃ」
奴隷とはずいぶんひどい話です。それならば、小一郎殿が伴天連さんたちと少し距離を置きたがったのもわかりますね。
「やがて徳川の時代になると、切支丹の教えを信じること自体が禁止され、──そして異国からの侵略を恐れて、国を閉ざしてしまうんじゃ」
「国を閉ざす──ですか?」
「日ノ本のごく限られた地で、いくつかの限られた国とだけ細々と交易し、それ以外の異国との関りを全て断ち切ってしもうた。──その結果、何が起こったと思う?」
「──」
「日ノ本は、世界の技術の進歩から完全に取り残されてしもうたんじゃ。
確かに、二百数十年もの間、日ノ本から戦がなくなった。──そこは、徳川の功績として認めてやらんでもない。
しかし、西洋ではその間いくつも大きな戦があり、その度に鉄砲やいくさ船などの技術がどんどん進歩していった。
そしてついには、風がなくても自在に航海できるからくりを持った巨大な鉄の船を作り出し、龍馬の時代に、艦隊を組んで海を渡り、日ノ本に開国するよう脅しに来たんじゃ」
「な、何と!? ──それが先ほど言っていた国難ですか?」
「徳川の幕府はどの様に対応したのですか? 戦になったのですか?」
半兵衛様の問いに、小一郎殿は苦々しい笑みを浮かべました。
「戦? ──出来る訳がないじゃろ。なにせ、鉄砲ひとつとっても二百年は遅れとるし、武士たちも実戦経験なんぞろくにないんじゃからな」
そこで、大きく溜息をつくと、小一郎殿は年表の終わりの方を指で示しました。
「──幕府はやむなく開国を決め、いくつかの国と、かなり不利な条件で交易などの条約を結びました。
何といっても、まず異国の技術を学んで差を埋めねば、戦はおろか、対等な交渉すらままならんのですから、それは仕方なかったのでしょう。
しかし、それに真っ向から反対したのが──時の帝と公家たちです」
「帝が──?」
「はい。異人を毛嫌いして、異国の軍事力や国力のことなど何もわからんまま、異人の船など打ち払ってしまえと騒ぎ立てます。
しかし異国の実力を知っている幕府が、そんなことを出来るわけがない。板挟みですな。
ここで、徳川が守ってきた身分制度が完全に裏目に出るわけです」
「身分制度が裏目に──? それはどういう意味ですか?」
治部左衛門殿が訊ねます。彼もずいぶん身分のことで嫌な思いもしてきたでしょうから、気になるのでしょうね。
「徳川はな、幕府への反抗を防ぐために厳しい身分制度を作り、朱子学という学問を奨励してきた。中でも、『身分の上下こそが何より大事、身分が上の者には逆らってはいけない』という部分を強調してな。
ところが、その理屈を突き詰めていくと、『日ノ本で最も身分が高い帝の意に従わん幕府はけしからん!』ということになる。そんな考えが広まってしまうんじゃ。
特に、関ケ原で敗れて大幅に領地を減らされた薩摩や長州などの大名や、身分の低い者たちの間でな。
そして、幕府を倒して、帝の元に有力諸侯や有能な者たちが合議でまつりごとを行う新たな政府を作ろうという大きな動きになっていく。
──そんな中、大きな役割を果たしたんが、一介の土佐脱藩浪人、坂本龍馬でな」
ここで龍馬殿の登場ですか。何だかわくわくするような展開ですね。
「龍馬は、日ノ本が二つに割れて戦になる事を恐れた。そうなれば、戦の混乱に乗じて、日ノ本が西洋の列強に食い物にされかねんからの。
そこでまず、かねてから犬猿の仲だった薩摩と長州の仲を取り持って同盟させ、一大討幕勢力を作り上げたんじゃ」
「え? それでは、まるっきり逆なんじゃ──?」
「そして、幕府に『あ、これはまずい、下手をすれば負ける』とわからせた上で、将軍自ら政権を帝に返してしまう策を献上したんじゃ。そうすれば、倒幕しようにも、そもそも倒すべき幕府がなくなってしまうからの。
徳川が自ら一大名の立場に降りることで倒幕の戦を回避し、そして諸侯の一員として新政府の一角に加わった方が得だ、という算段じゃ。
新政府としても、幕府の役人の経験というものはいずれ必要になってくるはずだからの」
「うわ──それはいかにも小一郎殿が考えそうな、ずるい手ですねぇ……」
半兵衛様はあきれ顔です。
「いや、しかしそれでは、戦をする気満々だった薩摩やら長州やらは、収まりがつかんのではないですか?」
治部左衛門殿の問いに、小一郎殿がいささか自嘲気味な笑みを漏らします。
「まあ、そうだったんじゃろな。
龍馬は、自由に異国と商売が出来る世を作りたかっただけで、新政府の一員になる気もなかったし、手柄もいらんとも言っといたんじゃがなぁ──幕府が政権を返上した直後に、誰ぞにあっさり殺されてしもうたわ。
その後は一体どうなったのやら──まあ、今となっては確かめようもないがの」
「とまあ、少し話が先まで進み過ぎてしまったんじゃがな──」
少し重くなった空気を変えるように、小一郎殿がことさら明るい声で話を続けます。
「今のままだと、南蛮商人の奴隷貿易がバレて、伴天連の教えの禁止や交易の禁止、ということになりかねん。
いちおうフロイス殿たちには、日ノ本の民の売り買いだけでも止めさせるよう、釘は刺したんじゃがな。
──やはり、世界の技術の進歩から取り残されるのは、将来的にもまずい。
武器や船の技術だけじゃない。農業や医学など、遅れてはならん分野がいくらでもある。
さしあたっては、異国から色々な分野の技術者をたくさん招きたいとは思っておるんじゃが──」
「ああ、それは確かに必要でしょうね」
半兵衛様が答えますが、んー、でも、何だかちょっと──。
「あの、ちょっと気になったのですけど……」
「何です、義姉上?」
「日ノ本に来るというのは、異人の方にとっては、言葉も通じないし、暮らしぶりも全く違うし──かなり勇気のいる決断だと思うのですよ。
伴天連さんのように、切支丹の教えを何としても広めたいというような強い使命感がある方ならともかく、普通の技術者の方が、そう簡単に来てくれるものなんでしょうか?」
「うーん、確かに……」
「それもそうですね──」
お三方が考え込んでしまわれました。
「──大体、技術を教えて欲しいのはこちらなのに、教える側にここまで来い、というのもずいぶん失礼な話じゃありません?
──あ! なら、こちらから学びに行くというのはどうです?
若い優秀な人を集めて、何年か異国に学びに行かせる仕組みを作るとか──」
「それじゃ、義姉上!!
──そうか、龍馬の時代にも、ぼちぼち異国に学びに行くものが出始めとったな。
何で思いつかなかったんじゃ!?」
「それは、無意識に、今の時代では無理だと思い込んでいたからではないですかね?」
がしがしと髪を掻きむしる小一郎殿に、半兵衛様が冷静に答えを返します。
「しかし、そうなると羽柴家一手で行うには、いささか手に余りますかね。
費用も相当にかかりそうですし、これは織田家の──いや、むしろ朝廷に上奏して、国策として国全体で行うよう、言上つかまつる方がいいかもしれませんよ」
──え? ちょ、ちょっと! 軽い気持ちで思いつきを言っただけなのに、何かとてつもなく大きな話になってません!?
「──いや、お待ち下さい。まだ、言葉の問題が残っておりますぞ。
言葉もろくに通じないところに学びに行ったところで、さほど実りがあるとは思えません」
そ、そうです、さすがは治部左衛門殿、少しお二人を止めて下さい!!
「そうか、事前に多少は言葉を覚えていかなきゃならんか。しかし、教えられるような者はおるかの?」
「うーん──フロイス殿や了斎殿は布教が第一で、そこまで協力してはくれないでしょうし、ねぇ」
「異国と取引しとる商人には、多少言葉がわかる者もおるかもしれんが──商売を投げ打ってまで協力してもらうんは難しかろうの……」
「フロイス殿や了斎殿ほど異国の言葉がわかって、なおかつ協力してくれそうな人など、日ノ本中探してもなかなかは──」
「日ノ本中探しても──。
……あっ!? 逆に、日ノ本以外にはいるのではないですか!?」
えっ? 治部左衛門殿まで、突然何を言い出すのですか!?
「先ほど言っておられた、異国の商人に売られた民です! その中には、異国での暮らしの中で、言葉を覚えた者もいるのではないですか?」
「──おお、それじゃ! 治部左衛門、良く気付いた!」
「ちょっと待って下さい! 異国って日ノ本の何十倍、何百倍も広いのでしょう?
そんなところから、どうやってその者たちを探せば──!?」
私がそう反論すると、少しだけ考え込んだ治部左衛門殿がすぐに答えを出して来ました。
「──売った当人どもに探させればいいのでは?
南蛮商人どもなら、売った先に見当くらいは付くでしょう。
『このままではいずれ打ち首になるぞ? 今のうちに日ノ本の民を買い戻して来るなら、罪を見逃して、その分の代金と多少の手間賃は出してやる。さらに異国の言葉を覚えた者を連れて来たら、もっと金を払ってやる』とでも言えば、恐らく先を争って連れて来るのではないかと。
上手くすると、連れ帰って来る途中で、もっとみっちり言葉を教え込んでくれるかもしれませんぞ?」
「うん、かなりの上策じゃ! 治部左衛門、でかした、大手柄じゃ! 二人とも、話し合いに残ってもらって大いに助かったぞ!
よし、その線で少し煮詰めて、策を立ててみるか!
──まずはお館様にいつ献策するか、じゃな……」
そう言って、小一郎殿は何やらぶつぶつ言いながら、ご自分の考えに没頭してしまいました。
──唐突に会合が終わってしまったことに治部左衛門殿が少し唖然としていると、半兵衛様が穏やかな笑みで話しかけられました。
「どうです、治部左衛門殿? 面白いでしょう、この人。
未来の記憶などというとんでもない武器を持ちながら、全然自分が得をしようなんて考えていない。
本気で日ノ本を豊かな国にしようと考えていて、自分はその過程を楽しめればそれでいいとすら思っている。
──まあ、酔狂と言えばこれほど酔狂な人もいませんよね」
「ま、まあ、確かに──」
「──それに、どうですか? 自分の頭で考えた策が主君の心を動かす、というのは。
なかなかに気分がいいでしょう?
治部左衛門殿が先ほど考えた策によって、これからの日ノ本の対外政策が大きく動くかもしれない。
そう考えると──何だかわくわくしてきませんか?」
「そうですな……」
治部左衛門殿は仏頂面を取り繕おうとしているようですけど、何だか笑うのを我慢しているのか涙を我慢しているのか、どちらとも見えるような顔でぽつりとこぼしました。
「うん──まあ、こういうのも悪くはないですな……」
少し短めですがこの章はここまでで、次話から新章になります。
いよいよ、六角への策が動き始め、そして更に──。
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