033 『でうす』の教え 竹中半兵衛重治
※ ご注意 ※
今回のキリスト教徒との会話の中で、かなり批判的な表現があります。
これは、この当時のキリスト教圏の商人の行いに対するものであって、筆者に現代のキリスト教各宗派や信者の方を批判・非難する意図は一切ありません。
その点、ご理解の上、ご容赦下さい。
「──はぁっ!? わしが『でうす』の教えを体現している!? ──何の冗談ですかそれは」
全く予想外のフロイス殿の言葉に愕然とした小一郎殿に、了斎殿がとつとつと語りかけます。
「それは、『不殺』の教えのことなのですよ。
小一郎様の戦嫌いは有名です。戦をなくそうと働いておられ、戦場でも決して相手を斬らず、不殺を貫いておられる。
また、皆が滅ぼそうとした敵である浅井家を慈悲の心をもって許し、守ろうとした。
その行いはまさに、『でうす』の説く『汝、殺すなかれ』『汝、汝の敵を愛せ』の精神そのものなのです」
「私は感動しまシタ! はるばるやってきた異国に、デウスの教えを自ら体現なさっている方がおられる、ト。
武士という、戦いをなりわいとする身分にありながら、自らデウスの教えに沿う生き方をされておられる──しかも、デウスの教えを未だ知らぬのに、デス!
このことこそが奇跡と言わずに何としまショウ!
この方にお会いし、洗礼を授け、ともに日ノ本に教えを広めていくことこそ、デウスに与えられた我が使命であると確信したのデス──!」
「その通りです。
織田様の信頼も厚く、家中に発言力もある小一郎様が切支丹となっていただき、我らの後ろ盾となっていただけるとあらば、我ら信徒にとってはどれほど心強いことかと──」
──ああ、これはまずい……。
盲目である了斎殿と、ご自分の言葉にいささか酔っておられるフロイス殿はまったく気づいていないようですが──小一郎殿のイライラが頂点に達しようとしています。
先ほどからの様子から察するに、小一郎殿は異国に対する方策をまだ決めかねていて、とりあえずこの場を無難にやり過ごそうと考えていたのでしょう。そこへ来て、この突拍子もない申し出です。加えて、このところ無明殿の件でだいぶ鬱屈が溜まってましたからね……。
私は、そっと小一郎殿の袖を引っ張り、あまりやり過ぎないよう目で合図したのですが──。
「──はぁぁぁぁぁ……」
小一郎殿は髪をガシガシと掻きむしりながら特大の溜息をついて、お二人の言葉を遮りました。
「そういうことでしたら、とんだ見込み違いですな。わしはそんな大層なもんではありゃしません。お諦め下され」
「お、お待ち下さい、小一郎様!
まずはデウスの教えを知っていただきマシテ──」
「そもそも、わしは別に不殺を貫いてるつもりはありませんぞ?
金ケ崎で敵兵を斬らずに大怪我を負わせたのは、その方が逃げ延びるのにより効果的だと考えたまで。
いずれ戦をなくしたいと思っているのは確かですが、横山城では兵たちに二百人の浅井兵を殺すよう命令もしておりますしの」
「でも、それはご自分で手にかけたわけデハ──」
「同じことだと思いますが、な。
それに浅井家を助命したのも、その方が織田家にとって利があると思ったからです。慈悲の心、とやらで許したわけではありません」
「そ、それは──」
「──お待ち下さいませ、小一郎様」
いくぶん勢いをそがれたフロイス殿を助けるように、了斎殿が割って入って来ました。
「実は、小一郎様が『でうす』の教えを体現なさっていると思ったのには、もう一つ理由があるのです。
他の地では死罪間違いなしとされるような重罪人ですら、羽柴家の支配地では、小一郎様の指示で許されておると聞き及びます。
『罪人を赦す』──これこそが、『でうす』の教えの中でも最も難しく、かつ最も尊いもので──」
「ああ、そのことですか、まるで見当違いですな。
むしろ、それこそが『でうす』の教えとやらと、わしとが、最も相容れない部分だと思うんじゃが」
「相容れない部分──ですか?」
その了斎殿の問いにすぐには答えず、小一郎殿は苛立ちを鎮めるように一呼吸入れてから話し出しました。
「──わしゃこのところ、国友村で鉄砲を作る仕事の指揮を任されていましてな。
鉄砲づくりで最も危険な工程が何か、ご存じですかな?」
「い、いえ──」
「武器の事は全くわかりませんノデ──」
フロイス殿と了斎殿には、小一郎殿が唐突に話を変えたように見えたのでしょう。
いささか虚を突かれたように、力なく答えます。
「実は、一番危険なのは、完成した鉄砲を最初に試し撃ちする時なんですわ。
特に今作っているのは、まだ経験の少ない新型ですからな。どれほどきっちり作ったつもりでも、目に見えないほどのわずかな瑕疵で、暴発する危険がありますので」
「はあ」
「貴重な鉄砲鍛冶を、一丁作るごとに試し撃ちで危険に晒すわけにはいきませんからな。
わしが重罪人を殺さないのは、そのためです。
──最も危険な試し撃ちを代わりにやらせるために生かしている、それだけです」
お二方は、言葉もなく、固まってしまいました。
無理もないでしょう。先ほどまでまるで聖人のように思っていた小一郎殿の口から、これほど非道い言葉が出てきたのですから。
「──ああ、ただ試し撃ちをやらせるだけではないですぞ。
罪の重さにもよりますが、二十丁ほど試し撃ちをした者は、無罪放免にするようにしていますので」
「で、では、赦される可能性もあるのですネ? それは小一郎様の慈悲の心ではありませんカ──?」
「慈悲──なんですかのぅ?
むしろ、ひと思いに処刑してやった方がよっぽど慈悲深いかとも思うんじゃが……。
なにしろ、引き金を引くたびに、今度こそは死ぬかもしれない、次は死ぬかも──と、毎回、死の恐怖に苛まれるんじゃ。なまじ助かる可能性が与えられとるだけに、これは相当にキツいと思いますぞ。
まあ、まだ二十回出来た者はおりませんな。
暴発事故で死ぬ者、恐怖のあまり気がふれてしまう者──そうそう、自ら命を絶ってしまう者もおりましたな」
「な、何ト──」
「──まさに、『でうす』をも恐れぬ所業──」
うなされたように呟くお二方に、小一郎殿は悪びれる風もありません。
「いや、『でうす』をも恐れぬ、と言われましてもな──そもそも『でうす』を信じておりませんので」
「しかし、そのように人の命を弄ぶなど──」
「ただ処刑するより、人の役に立つように使っているのです。弄ぶ、とは心外ですな」
「罪人とはいえ、そのように苦痛を与えて死なせることに罪悪感はないのデスカ!?」
「はい、全く」
「人の命は『でうす』の御名の元に等しく尊いのですぞ! それを──」
次第に激高するお二人を、ふいに小一郎殿が手のひらを向けて遮りました。
「人の命は等しく尊い、ですか……?
ならば、ポルトガルやイスパニアの商人が未開の地で行っているという『奴隷貿易』──ありゃあ、一体何です?」
「う……」
「そ、それは──」
『奴隷貿易』とはあまり耳慣れない言葉ですが、意味は十分察せられます。南蛮商人はそんなひどい事をやっているのですか──。
お二人が完全に言葉に詰まってしまいました。
おそらく、そこは一番突かれたくなかったところなのでしょう。
「そ、その者たちは切支丹の信徒ではありませんので──」
了斎殿が、何とか反論しようと試みますが、小一郎殿はにべもありません。
「切支丹以外なら奴隷にしてもかまわない、人として平等に扱わなくてかまわないと?
──なら、切支丹以外の罪人をわしがどう扱おうと、あなた方に非難されるいわれはありませんな」
フロイス殿と了斎殿は、青い顔で押し黙ってしまいました。
その様子を見て、小一郎殿が、ちらりとこちらに目を向けてきます。
『──半兵衛殿、ちとやりすぎたかのう?』
『やり過ぎですよ! 完全に打ちひしがれてしまったではないですか!?』
そんなやり取りを目で交わした後、小一郎殿はまた声の調子を変え、優しくいたわるように話し始めました。
「なあ、フロイス殿、了斎殿──。
わしは何も、切支丹を嫌っとるというわけではないんじゃ。
『でうす』の教えは、立派な事を説いとる。それを日ノ本に広めるために、わざわざ地球を半周してまで苦労してやって来たフロイス殿のことは、正直言って尊敬しとるんじゃ。
『でうす』の教えで心が救われる者もおるでしょうし、大いに教えを広めればいいでしょう。わしも、お館様が許可している以上、出来る範囲で協力はします。
しかし、わし自身は──すまんが『でうす』の教えとはどうしても相容れん部分がある。信徒にはなれん」
「その──小一郎様が一番相容れない部分トハ──?」
「わしには、全ての人を同じように愛することなぞできん。
──わしは確かに、戦嫌いじゃ。戦で罪もない人が死んだり、悲しんだりするのは見たくないし、そういう人がいない世を作りたいとも思う。
が、罪人は別じゃ。己の欲のためや、面白半分に人を殺したりするような者を赦す気にはなれん。
わしにとって大切な人たちを守るためなら、わしは罪人や、自分のところに攻め入ってきた敵を殺すことに何のためらいもない。
──そういうことじゃ。すまんが、諦めて下され」
「そうですか。私どももいささか、思い込みが過ぎていたようですな」
了斎殿は何とか納得したようですが、フロイス殿はまだ諦めきれないようでした。
「そ、それでも、この世から戦をなくしたいという小一郎様のお考えは、やはりデウスの御心にかなうと思うのデス! どうか──」
「ふう──フロイス殿、わしをどうしても信徒にしたいのでしたら、まず奴隷貿易を何とかしては下さらんか?」
「う──」
やはり、フロイス殿はそこを突かれると言葉が続きません。
「──なあ、フロイス殿。
こんな言葉もわからん異国に来て、人々と交わりながら言葉を必死に覚えて──。
そういう大変な苦労をしてきたお方なら、本当は気付いておるんじゃろ?
未開の地の者なら売り買いしてもいい、などということが、決して『でうす』の御心にかなうものではないことに」
「──」
「いや、わかりますぞ、お国が国益のために国策としてやっていることに、一個人が異を唱えたところで、どうしようもない、ということは。
しかしの、一方で愛や平等を説きながら、もう一方で奴隷貿易を黙認する──その矛盾に気付いてしまった者には、もうどれほど言葉を尽くしても決して届かんのじゃ」
「──」
唇を噛みしめるフロイス殿の目に、うっすらと涙が浮かんでいます。やはり、彼自身も自国が行う奴隷貿易には心を痛めていたのでしょう。
『小一郎殿、もう少し、優しい言葉はかけられないんですか?』
『いや、そう言われても、の……』
またしても目でやり取りをしていると、了斎殿が落胆しきったフロイス殿に退出を促すところでした。
「──フロイス殿、帰りましょう。此度は、ご縁がなかったものと諦めましょう」
「残念デス……」
落涙するフロイス殿に、私が何か少し慰めの言葉を掛けようとした時、小一郎殿がふいに話し始めました。
「すみませんが、ひとつよろしいですかな?」
「はい? まだ何か──?」
「わしも少し言い方がきつくなり過ぎたところもありましたでな、詫び代わりに、ひとつ忠告させて下され」
「忠告、ですか?」
「肥前(現・長崎、佐賀県)あたりで、貴国の商人が我が国の人買いから人を買って、南蛮各地に奴隷として売り飛ばしているようですが、あれは今すぐにでもやめさせた方がいいですな」
「──!? な、何故それヲ──!?」
「まだ、お館様のお耳には入っておりません。が、わしが知っているくらいですから、いずれはお館様にも知れましょう。そうなってからでは遅いですぞ」
「──あ、あの者たちは我々の言うことを聞いてくれないのデス! 『売っているものを買っただけだ、何が悪い?』と開き直るばかりデ──」
「まあ、商人の道理としてはそうでしょうな。しかし、国の施政者にはその道理は通じませんぞ。バレれば、間違いなくお咎めがあります。
ましてや、もしそれがバレた時、施政者がお館様だったとしたら……」
「──っ!!」
お二人が、何かとんでもなくひどい事態を想像したのか、声にならない悲鳴を上げました。
「出来れば、商人どもにお館様の恐ろしさを伝えて、日ノ本の民を異国に売ることだけはやめさせた方がいいですな。
そんな危ない橋を渡って小金を稼ぐより、羽柴小一郎のところに行けばもっと大きな儲け話がある、とでも伝えてくれれば幸いです。
お国の奴隷貿易全てを止めさせるのは無理だとしても、日ノ本の民のことだけはどうにか出来るのではないですかの? ──確かに忠告しましたぞ?」
「──何も、あそこまで話を膨らまさなくても良かったんじゃありませんか?」
お二人が退出した後、私は小一郎殿にいささか文句をつけました。
大体、小一郎殿は、鉄砲の試し撃ちを罪人に強要などしていません。
無罪放免になる可能性と、非常につらい仕事になるということも隠さず提示した上で、本人に選択させているのです。
途中で音を上げた者にも、それまでに行った試射の回数に応じた減刑をしてあげています。
不幸にも二人ほど暴発事故で亡くなった者がいましたが、その遺族に対しても、罪人としてではなく羽柴の仕事を手伝った者として、事故の見舞金まで渡しているのですから。
まったく、どこまでお人好しなんだか──。
「まあ、あの二人は噂話を真に受けて、わしにかなり幻想を抱いておったからの。
また切支丹に勧誘しようなどと思わんように、思い込みを木っ端微塵に打ち砕いてあげたまでじゃ」
「まったく、どこの極悪人の話かと思いましたよ。実際はかなり甘いクセに──」
「あの二人とは、あまり近づきすぎない方がいいと思ったんでな。仕事上の付き合い程度がちょうどいいかと、な。
異国とどのように付き合っていくのか、今後のためにもじっくり方針を考えてみんとな。
──龍馬の時代は、徳川が異国との付き合い方を大きく間違えた末の時代じゃったからの」
「まあ、その辺は、小谷に帰ってから聞きますよ。岐阜では人の目もありますし、おね様にも知っておいていただかないといけないでしょうしね」
──はて、何か大事なことを見落としている気がするのですが──気のせいでしょうかね。




