032 ルイス=フロイス殿 竹中半兵衛重治
翌朝、しばらくお館様のところに逗留していた三介殿が、羽柴屋敷にやって来ました。
「小一郎殿、元気か? 評定で具合が悪くなったと聞いて心配したぞ、その後、調子はどうじゃ?」
「ああ、そちらはもう問題ありません。
それよりも三介殿、言葉遣いが何だか元に戻っておるんですが──」
「しばらく敬語ですごしとったんじゃ、ここにいる時くらいは羽をのばしてもよかろう? 今は、家臣どももおらんしな」
「ふう、評定の場では、あれほどご立派にお話し出来ておられましたのに……」
「それなんだがな、半兵衛殿。実はわし、ちょっとすごい技を思いついてな」
「技ですか?」
「おう、父上の前では与右衛門殿に、家臣の前では父上に成りきったつもりで話しとったんじゃ。なかなか、様になっとったじゃろ?」
──いや、そんな姑息なやり方で胸を張らないで下さいよ。
昨晩、私と小一郎殿の間でせっかく三介殿の長所を語り合っていたのに、何だか色々と台無しな気分です。
実は昨晩、治部左衛門殿が里に帰って行った後──。
先ほどの小一郎殿の話の中で、三介殿の話が少し出たことについて聞いてみたのです。
「ところで、小一郎殿。三介殿にも護衛をつける、と言ってましたよね。
織田か北畠が付けるでしょうから、それはいいのでは?
小一郎殿の手持ちの数少ない忍びを、わざわざ割いてまで付けなくても──」
「うん、そこは少し思うところがあってな……」
そう言って、しばらく何かを考えて込んでいた小一郎殿が、やがて意を決したように口を開きました。
「なあ、半兵衛殿、率直な意見を聞きたいんじゃが──おんし、評定での奇妙丸様のこと、どう見た?」
「え? ……そうですね、先日見た感じでは、歳の割には落ち着いておられて、二代目の自覚も持っておられるように──。ただ、三介殿をかなり冷ややかな目で見ていたのが少し気にはなりました。これは三七様も、でしたが」
まあ、そこは仕方のない部分もあるでしょう。
お館様の跡継ぎは奇妙丸様、もしお二人に何かあった場合は三男の三七様、というのが衆目の一致したところだったのです。ところが、ここに来て次男の三介殿が突如目覚ましい成長を見せ始めた。奇妙丸様たちに焦りが生じても不思議はありません。
特に三七様は、三介殿より数日早く生まれたのに、御生母の身分が低かったために三男の扱いとされた、という経緯があります。
三介殿と同様に、名門の次期当主として婿入りしたということもあり、三七様は相当に三介殿を意識している──むしろ憎んでいるという噂さえあるのです。
「そうじゃな。あの評定の場で奇妙丸様も三七様も、三介殿に冷めた視線しか向けなかった。
わしらにも、じゃがな。
たかが陪臣と見下しとるのか、あるいは三介殿に余計な知恵をつけたのが面白くなかったのか──。
正直言って、器がいささか小さいようにも思えた。あまり好感は持てんかったな。
あれだけ羽柴を見下しておられたのでは、この先、色々な献策をするところまで信頼関係を築くのには、かなり時間が掛かりそうだと思った。
それに──あのお二人も『無明殿』である可能性がある」
──確かにそうです。
少なくとも無明殿でないことが確信できるまでは、奇妙丸様たちとの関係を深めるのは危険かも知れません。
「そこで、考えとったんじゃ。何も、奇妙丸様にこだわらなくてもいいのじゃないか、とな」
「え──!? まさか……」
「そう、お館様が『本能寺の変』で討たれてしまった場合、奇妙丸様を助けるのではなく、わしらで後押しして三介殿を天下人にする、という選択肢もあるんじゃないかと」
──なるほど、確かに『あり』かもしれません。
三介殿は、まだまだ成長途上ですが、強い向上心をお持ちです。
周りの人に、力になってあげたいと思わせるような愛嬌もある。
そして、何より──。
「──悪くはないですね。
三介殿は、基本的に心根の真っ直ぐな、優しい方です。
駒殿たちの境遇に心を痛め、何とかしようと行動したように、弱い者に寄り添おうとする義侠心もお持ちです。
お館様のように武をもって世を平らげる覇道には向いていなさそうですが、ある程度世が落ち着いた後の統治者としては素質がありそうですね」
「──言っておくが、わしに、積極的に奇妙丸様を失脚させたりするつもりはないぞ? それでは家中が乱れるし、下手をすると途中で羽柴が潰されかねん。
あくまで、お館様に天下布武を成していただき、成長した奇妙丸様に後を継いでいただく。その間に、異国への出兵の愚を説き、交易路線に進んでいただく。
それが難しそうな時は、『本能寺の変』で二人ともお助けしない、それだけじゃ」
「いや、それだけって言っても、お館様に知られたら、それこそお家取り潰し級のとんでもなく大それた話ですけどね」
「だいたい、『本能寺の変』が起きる時、わしゃ歴史通りなら備中で毛利攻めの最中なんじゃ。お助けしなくても何の不思議もなかろ?」
「あ、その時、私は──?」
「あー、歴史上の半兵衛殿は確かその前、播磨攻めの最中に病死じゃったかな?」
──き、聞くんじゃなかった……。
「──まあ、そういう訳で、三介殿には伊勢で経験を積んで、良き統治者に成長していただきたいと思うんじゃ」
「それで護衛を──?」
「ああ。三介殿は、北畠家の者たちと何とか上手くやっていこうと考えとるようなんじゃがな。
本来の歴史では確か、北畠の御隠居たちは、諦めきれずに織田に謀反を企み、お館様の命で一斉に粛清された──はずだったと思う。奥方もその時に自害なされたとか」
「そうなったら、三介殿はだいぶ傷つかれるでしょうね。奥方のことも大事に思っておられるようですし」
「それもある──が、歴史もだいぶ変わって来とる。北畠が力ずくで三介殿を排除しようとせんかと、そこが気がかりでの」
「それで、忍びの護衛をつけるのですね? 北畠の動向を探り、万一の時は三介殿のお命だけでもお守りするように、と」
「まあ、そういうことじゃな」
──私が昨日の話を思い出している間、横でしばらく小一郎殿と雑談していた三介殿が、急に膝を打たれました。
「──あ、いかん、忘れとった。父上からお二人に伝言があったんじゃった」
「お館様から──?」
「『客人に会わせたいので、大至急、本丸に来い』じゃと」
ざぁぁっ!
──全身から一気に血の気が引くのがはっきりわかりました!
「な、なな何でもっと早く言って下さらんかったんじゃ!?」
「い、急いで身支度をしませんと──!」
「んー、まあ、大丈夫じゃろ、父上もあの者たちとの会話を楽しんでおるだろうしな」
いや、そりゃ三介殿は大丈夫でしょうけど──遅くなって怒られるのは私たちなんですからね!
「わしもこないだ初めて話したが、異人の話は実に面白いぞ! 異国の話は聞いたこともないようなふしぎなものばかりでな!」
「異人? ──御客人とは異人なのですか?」
ふいに、小一郎殿が支度の手を止め、低い声で呟きました。
「──もしや、ルイス=フロイス殿、ですか?」
「おお、さすがは小一郎殿、名前も知っておったか!」
そして、急いで支度をする私たちの横で、三介殿がそのフロイス殿とやらから聞いた異国の話をし始めたのですが、私には小一郎殿の反応が少しひっかかっていました。
「……しまった──そっちのことも考えにゃならんかったか──」
身支度を整え、三介殿に急かされるように岐阜城に登城すると、驚いたことに、初めてお館様の私的な居室に通されました。
そこには、およそ見たこともないような、異国のものと思しき調度品や道具があふれており──。
そして、奇妙な長衣を身に纏った茶色の髪の男と、同じく長衣を着た初老の盲目の男──仏僧のような雰囲気で、こちらは異人ではないようですが──とが、お館様と語り合っている最中でした。
「おお、小一郎、半兵衛、やっと来たか!
フロイス殿、こちらは羽柴小一郎、侍のクセにいずれは商人になって世界中を回ってみたいなどという、変わった男での。そして、その相棒の竹中半兵衛じゃ。
小一郎、半兵衛、こちらはルイス=フロイス殿、はるばる海を渡ってきた伴天連じゃ。そしてこちらはロレンソ了斎殿、日ノ本の者でありながら切支丹に帰依したという変わり者じゃ」
「──お初にお目にかかります、羽柴小一郎長秀にございます」
「竹中半兵衛重治にございます」
「ルイス=フロイスと申しマス。イエズス会より日本での布教を命じられてまいりマシタ」
おお、なかなか流暢に話される。これは相当に勉強なさったようですね。
「ロレンソ了斎にございます」
「──なあ、小一郎殿、半兵衛殿、これが何だかわかるか!?」
挨拶がひと通り終わるのを待ちかねたように、三介──茶筅丸様が、お館様の前に置かれた、なにやら妙な模様の描かれたひと抱えもあるような球体を示して訊いてきます。
「これは──?」
「地球儀ですか。──われわれの住むこの大地の形を模したものだとか」
小一郎殿が事も無げに答えたのに、フロイス殿が少し驚いた表情を浮かべました。
「──何じゃ、知っておったのか、つまらんの」
「こら、茶筅丸! 客人の前じゃ、言葉遣いに気を付けんか! ──全く、少し気を抜くとすぐに化けの皮がはがれおる──!」
「申し訳ありません、父上」
茶筅丸様が少しおどけたように、ぺこりと頭を下げます。
何だか、お館様も本気で怒っているというより、久しぶりに茶筅丸様を叱ることが出来て少し楽しそうです。それがわかっていて、わざと叱られるように振舞っていたんでしょうか。──なかなか味な真似を。
「小一郎様は地球儀をすでにご存じデシタカ──かなりの博識とは聞いておりましたが、お噂どおりのようデスネ」
「いえ、以前、堺の商人のところで見せてもらいましたので」
小一郎殿が素っ気なく答えます。
どうも変です。異国に船で行きたいと言っていた小一郎殿なら、初めて会う異人との会話にもう少し食いついてもよさそうなものですが──。
「ん? どうした、小一郎。何か元気がないの?」
お館様も、少し気になったようです。
「は、いや、何せ病み上がりなもので──」
「せっかく異人と話が出来る機会を作ってやったのだ。もう少し嬉しそうな顔をせんか」
「はは──では、フロイス殿、南蛮の船についていくつか教えて欲しいのですが……」
それから半刻ほど異国の話を聞いていたのですが──。
もっぱらきらきらとした目で質問を繰り出すのは茶筅丸様で、小一郎殿は時折、申し訳程度に質問をするくらいです。
やはり、明らかにこの会談に乗り気ではありません。
先ほどの、羽柴屋敷での様子からすると、何か大きな方針をまだ決めていなかったということなのでしょうか。
それが、伴天連への方策なのか、それとも異国全般への方策なのか──。
「──お館様」
しばらくして、御小姓が入ってきてお館様に何やら耳打ちをしていきました。
「──うむ、わかった。
フロイス殿、ちと所要が出来た。悪いが中座させてもらう。茶筅丸も一緒に来い。
小一郎、半兵衛。近う──」
そして、私たちだけを呼び寄せて囁かれました。
「藤吉郎から六角への策は聞いた。やるぞ。
藤吉郎にはしばらく京で根回しをさせる。お前たちはこの後、小谷へ戻り、朝倉と叡山の動きに目を光らせておけ」
「は」
「織田筒の量産も早急に進めよ──二式の方じゃ」
言葉を発し終えて、部屋を退出しようとするお館様の背に、フロイス殿が声をかけられました。
「あの、織田様! 先ほどお願いいたしました件ハ──?」
「うむ、まあ、やってみるが良い。無理だとは思うがな。
──では、失礼させていただく。
ああ、部屋はこのまま使って良い、ゆっくりしていかれよ」
「フロイス殿、また、異国の話を教えてくだされ! それでは」
お館様と茶筅丸様が出て行かれると、フロイス殿と了斎は大きく安堵の溜息をつかれました。
「ふう──やはり、織田様の前にいると緊張いたしますネ」
「誠に」
「はは、私ども家臣でもなかなか慣れませんので──」
「ところで──小一郎様」
フロイス殿が居住まいを正して、真摯な表情で小一郎殿に向き合いました。
「実は、本日の会談を織田様にお願いしたのは私デス。ぜひ、小一郎様に会わせてほしいト」
「わしに? 一体何を──」
「織田様にお願いしたのデス。小一郎様を説得する機会を作ってほしい、ト。
──小一郎様は『デウス』の教えを実に見事に体現なさっておられマス。
ぜひともキリシタンの洗礼を受け、ともに日ノ本に『デウス』の教えを広めていただきたいのデス」




