029 忍びの斡旋 浅井新九郎長政
久しぶりの浅井長政視点です。
「他ならぬ小一郎殿の頼みとあらば、聞いて差し上げたいのは山々ですが、今のわしはお館様に忠誠を誓った身。
お館様を通して、ではなく内密にわしにそれを頼む、その真意は──?」
今の私は──浅井家は、織田家中では微妙な立ち位置にある。万が一にも疑いの目を向けられるようなことは避けねばならん。
家臣同士が無断で忍びを斡旋するなど、それこそ何か良からぬ企みを、と疑われても仕方がない。そのようなことは小一郎殿もよくご存じのはず。それが何故──。
「うむ、実はの。──新九郎殿、新年の宴で清酒は口にされましたかな?」
小一郎殿は警戒を強めた私の気をそぐように、まるで世間話でもするような口調で話し始められた。
「は、はあ──あれは実に旨かったですな。北近江の酒蔵で、小一郎殿が偶然に発見されたと聞きましたが」
お館様から、宴の席でそう聞かされた。
『長政が見つけていたら、まだ浅井は織田と戦えるだけの軍資金を得られていたかもしれんのに、惜しかったの』などとも揶揄されたが……。
「あれな、実は嘘なんじゃ。
お館様と兄者と、この半兵衛殿しか知らん事じゃが、実は清酒は、わしのちょっとした思い付きから生まれたものなんじゃ」
「──何と……」
「新式鉄砲の事もそうじゃ。わしがふと思い付いた案を、鉄砲鍛冶と話し合って作ったものでな。
他にも、いくつかわしの思い付きから作り始めたものがある。
──どうも、わしには『発明』の才があるらしい。
で、どうも最近、他国の忍びがわしの発明を狙って北近江を嗅ぎまわり始めたらしいんでの、その対抗策を取りたいんじゃ」
「なるほど。──しかし、それならばなおさら、お館様にお願いして忍びを付けてもらえば良いのではありませんか?」
「ふう──まだ、出世のコツというものがわかっとりませんなぁ、新九郎殿」
小一郎殿が、少し呆れたように溜息をついた。出世のコツ、だと──?
「いいですかな。お館様の命で付けられた忍びなら、わしが作ろうとしているものの途中経過まで、逐一お館様に報告するでしょう。
さて、まったく新しいものを作り出して、お館様にお披露目するときに、じゃ。
まったく何も知らない状態で見るのと、途中経過を知っていて見るのと、どちらが驚きが大きいですかな?」
「それはやはり、何も知らずに見る方が──」
「じゃろ? そして、その方がお館様のお喜びもずーっと大きい。
これがな、実は手柄の大小に大いに関わってくるんじゃ。
こういうちょっとした工夫も、出世には大事なんですぞ」
そういって、小一郎殿がニヤリと笑う。
なるほど、そういうことか──。さすがは織田家でも屈指の出世人兄弟、これは大いに見習わねば。
「──最初はな、忍びの斡旋の件は、滝川様にお願いしようかとも思っておったんじゃ。
じゃが、あまり付き合いのない家臣同士では、それこそあらぬ疑いを掛けられかねんじゃろ?」
それはそうだろう。羽柴様と滝川様は、どちらもごく低い身分から成りあがったもの同士、お互いに競争相手として相当意識しているとも聞く。その、犬猿の仲の二人が密かに結託しているなどと噂が立てば──。
「だからこそ、新九郎殿なんじゃ!
新九郎殿ならお館様の義弟、それに羽柴と浅井の縁浅からぬことは、もう周知の事実。
もしバレても、『お館様により驚いていただくために内密にしたかったのです』という言い訳も立ちましょう。
それがしとしても、いつ出し抜かれるかもわからん滝川様よりは、信頼のおける新九郎殿に頼んだ方が、はるかに心強いというものじゃ!」
お、おお、そこまで見込まれておったとは──!
「なるほど、さすがは小一郎殿、そこまで深いお考えだったとは──!
いいでしょう。一人、紹介できる者がおります。とはいえ、だいぶ縁が薄くなっておりますので、話に乗るかどうかまでは保証いたしかねますが……」
伊賀の流れをくむ浅井治部左衛門という忍びがいる。
確か、十数人ほどの小さな集団を束ねている頭目だ。
亡き父、久政が重用し、忍びとしては破格の扱いを授けていた──浅井家の血を引く遠縁の娘を娶せ、元は別の姓だったが『浅井』姓の名乗りを許していたのだ。
私も家督を継ぐ時に引き合わされ、その後二度ほどちょっとした用を頼んだことがある。
だがその後、浅井家が織田家に臣従してからは連絡を取ってはいない。──浅井家が織田家に内密に忍びと接触している、ということが知られるのは、やはりいらぬ誤解を招きかねないので。
また、私より付き合いの長い父に恩を感じているかも知れず、父を処断した私や、その原因となった織田家や羽柴家に良くない感情を抱いている可能性はある。
「──といったところです。私から一度渡りをつけてはみますが、私の指示に従うかどうかまではわかりませんぞ?」
「まあ、会ってみればその後は、説得できるも出来ないも、わし次第じゃな。
一度、会いに来てくれるように頼んでみて下され」
「承知いたしました」
「ああ、もしその者が了承した場合、かなりの期間、わしの依頼に携わってもらうことになると思うんじゃが──」
「構いませんよ。私としましても、織田家に身を預けている限りは、忍びと直に接するつもりはありませんので、どうぞご遠慮なさらずに」
「──お話し中、失礼致します。今よろしゅうございますか?」
そこまで話した時に、部屋にお市が入ってきた。
「こ、これはお市様、御無沙汰いたしております。いや何、すぐに退出いたしますゆえ、おかまいなく──」
「まあ、小一郎殿、そうおっしゃらずに、ごゆるりとしていかれませ。竹中殿も、さぁ」
そう言って侍女を招き入れると、小一郎殿と竹中殿の前に酒肴を用意させ始める。
その後ろから、ひょいと小さな姿を見せたのは、この世で最も愛らしい我が娘、茶々だ。
「……こいちろ? ──わぁい、こいちろうだ!」
むぅっ……。茶々がこの父以外の男に嬉しそうに抱きつくなど、断じて許せん! ──と言いたいところだが、相手が小一郎殿では怒るわけにもいくまいな。
「おお、茶々様ですか! それがしを覚えていて下さいましたか!」
「うんっ!」
「ええ。小谷から岐阜までお送りくださる時に、『小一郎殿は父上をお救い下さった方なのですよ』と教えたら、しっかり覚えていたようですよ」
そう言うと、お市は小一郎殿の前に居住まいを正して、深々と頭をさげた。
「──あの折は慌ただしく、ろくにお礼も申し上げられませんでしたが……。
夫、長政の命をお救いいただきまして、誠に有難うございました。心より感謝いたします」
「と、とんでもない、頭をお上げくださりませ! それがしのような陪臣に、そのような──」
さすがの小一郎殿も、やはり、主筋には頭が上がらないのだろうか、それとも案外、女性に弱いのか──。
茶々にじゃれつかれながら、随分あたふたとしておられる。
「──ああ、そういえば、小一郎殿は独身とのことでしたな」
「はぁ……」
「いや、実に残念ですな! ご子息がおられるなら、その茶々か初をぜひとも嫁がせたいところなのですが」
──本当は、死んでも娘たちを嫁になど出したくないのだが、これくらいは言っておいてもよかろう。
それほどの恩を感じているのは事実だし、なにしろ実際に嫁に出すようなことにはならんのだからな、はっはっは。
「い、いえ、わし如きにそのような──。
あ、ところで新九郎殿、浅井玄蕃允殿を覚えておいでですか?」
むぅ、玄蕃允政澄か──後ろめたさもあって、正直あまり思い出したくない名だ。
遠縁の親戚で、側近としてよく仕えてくれたが、父を処断することにだけはどうしても賛同してくれず、父を密かに逃がそうとしていたので、涙を呑んで斬らざるを得なかったのだが──。
「実は先日、その玄蕃允殿の娘御と知り合いましてな。父親を亡くした後、だいぶ苦労していたようでしてなぁ」
「ああ、そうでしたか……」
確か、息子二人と娘がいたはずだ。いや、上の息子は横山城で討たれたのだったか……?
年頃の娘とまだ幼い息子だったか、その身の振り方にまでは正直まったく気が回っていなかった。さぞや、父を討った私を恨んでいるのだろうな。
「──で、その娘に働き口を世話してやったりしたんじゃが──その、そうこうしているうちに、何となくこう、情が移ってしまいましての。
いずれわしの嫁にしたいと思うて、約束を交しましたんじゃ。ご一門の新九郎殿には、一応ご報告しておこうかと思いましてな」
何と、そんなことが──!?
「おお、そうでしたか! わしにとっても遠縁の親戚、ずっと気にはしておったのです!
小一郎殿のところに嫁ぐとなれば、これほどの縁はない、実にありがたいことです!
のう、市!」
「ええ、誠におめでたいこと。
で、その娘御は、今、小一郎殿のところに──?」
「いや、今は行儀見習いも兼ねて、この半兵衛殿の実家に預けております」
「おお、そうでしたか! 竹中殿の菩提山城ならば、小谷からも近いし、安心ですな。
ということは、いずれ、小一郎殿と私は義理の親戚ということに──?」
「はは、まあ、そうなりますな──ああ、しばらくは兄者には内密に願いますぞ?」
羽柴家と浅井家の結びつきが強くなる──しかも、涙を呑んで愛する娘を嫁がせるようなこともせずに! それならば、こんなにありがたい話はないではないか!
「これはめでたい! ──市、酒じゃ酒じゃ! 今夜はとことん呑むぞ!!」




