028 もう一人の影 竹中半兵衛重治
未来の記憶を持つ者が、もう一人いる──?
私はその言葉に驚きながらも、必死に冷静さを保とうと努めていました。
あの、日ごろ飄々としている小一郎殿がここまで動揺しているとは、よほどそう思わせる何かがあったに違いありません。
「何故、そう思われましたか?」
「あの時、重臣方が口にした言葉の中に、こんな言葉が聞こえたんじゃ。
『弾は先込め式なのか』と……」
ん? どういうことなのでしょう?
織田筒は確かに先込め式です。何もおかしなことはありません。それなのに何故──?
「……ああっ、わからんかのう!」
小一郎殿が苛立ちを隠せないように髪を掻きむしりました。
「半兵衛殿。わしは『先込め式』という言葉はこれまで一度も使ったことがないんじゃ。
なのに、半兵衛殿にはすぐに意味が分かった。何故じゃ?」
「え? それは、手元で装弾するのでなければ『先込め式』というのは、ごく当たり前に──あっ……!?」
──なるほど、ようやくわかりました。
小一郎殿から手元で装弾する鉄砲の案を知らされているのは、私と鉄砲鍛冶の甚六だけです。
そもそも、鉄砲の装弾方法に銃口から詰める以外の方法があり得ることすら、我々以外に知る者はいないはずなのです。
そして、手元での装弾──いわば『元込め式』を知らない者が『先込め式』という言葉を口にするはずもない──。
「なるほど、確かにその可能性はありそうですね。それで、何がまずいと──?」
「相手が何を目的としとるのか、全く見当もつかんのじゃ」
小一郎殿が、重い口を開きます。
仮に、小一郎殿と同様に、未来の記憶を持ったものがいたとして。
その者が、果たして、小一郎殿と同じ目的で動いているかどうか──。
お館様による天下布武を望むのか、あるいは藤吉郎殿の天下を、あるいは徳川、もしや自分自身による天下統一を望むのか?──
「小一郎殿、何故そこで徳川殿の名前が──?」
「ああ、そこはまだ話してませんでしたな。兄者亡き後、羽柴家の内紛を引き起こして最後に天下を手中にするのは徳川家康なんじゃ」
「な、何と……」
「──いや、待てよ……?
そもそも、天下統一など望んではおらんのかも知れん。このまま、乱世が続くよう画策するということも──」
「まさか!? いずれ太平の世が来るのを知りながら乱世が続くことを願う者など、いる筈がないではありませんか!?」
「さて、それはどうかの? それは、半兵衛殿が乱世に生まれたからこそ思うことじゃ。
わしはあの時代を知っておるからの。どれほど能力があっても、どれほどおのれを磨いても、結局身分の壁に阻まれて将来の希望すら持てない、太平の世のどうしようもない窮屈さを、な──」
小一郎殿の話によると──。
龍馬殿の剣の腕前は、私の想像以上のものだったそうです。
当時の日ノ本の中心である江戸に剣術修行に出て、三大流派の一つで免許皆伝を受け、指折りの道場で塾頭まで務めた。さらに大きな剣術の大会で並み居る剣豪を抑えて優勝し、その剣名は江戸中に轟き渡ったのだとか……。
「す、凄かったのですね、龍馬殿は」
「じゃがな、そこまでの達人であっても、幕府からお声がかかるわけでもない。土佐に戻っても、下級武士には出世など夢のまた夢。
龍馬に望み得る最も成功した姿は──どこぞの剣術道場に婿入りして跡取りになるか、自分の道場を開くか、せいぜいそのくらいじゃ。実につまらんじゃろ?」
なるほど。
私もかつて美濃の斎藤家で冷遇され続け、おのれの才を活かす場などこの先ないのではないか、という失意の日々を送っていた時期があります。
せっかく身につけた学問も、近所の子供に教えるくらいしか活かしようがない、死ぬまでそんな暮らしを続けるしかないのではないかと──。
それを思えば確かに、その虚しさはわからなくもないのですが──。
「戦嫌いの龍馬ですら、若い頃にはよく思っとったんじゃ。今が乱世だったら、おのれの力を存分に発揮し、試すことも出来るのに、とな。
ましてや、そいつがもっと血の気が多い奴の記憶を持っていたとしたら──」
「世の中をどうこうしたい、ではなく、ただただ戦の中でおのれの力を試してみたいと──?
それはまた、何とも傍迷惑な……!
しかし、かの者の真意を確かめようにも、それが誰なのかはわからなかったのでしょう?」
「ああ。しかも、更にマズいことに──向こうにはたぶん、わしが未来の記憶を持っている本人だとバレてしまったと思う」
「え──?」
「そいつがわしと同じような記憶を持っているとすれば、浅井が降伏臣従した時点で、歴史が変わり始めたことに気づいたはずじゃ。
そして、織田筒を見れば、自分同様に未来の歴史を知っている者がいる可能性にたどり着く。
それが兄者か、わしか、あるいは半兵衛殿なのかと候補も絞られたと思う。その上で、先ほどのわしの様子を見れば──」
「なるほど。
こちらからは手の打ちようがない。一方、向こうには小一郎殿がそうだと知られてしまった──。
これはもう、向こうに敵意がないことを祈るしかないのでしょうか?」
「いや、たぶん『敵』なんじゃろな……」
小一郎殿は、先ほどのことを思い出したのか、身をすくめてぶるっと身震いをしました。
「わしが『先込め式』という言葉に気付いて、つい手を止めてしまった直後に、あいつ──ほんの一瞬だが、わしの背に凄まじいほどの殺意をぶつけてきおった……。
まるで、弄るように、の。
下手に動けば本当に斬られる気がして、血の気が引いて、振り返ることすら出来なんだ」
「それほどの相手ですか──これは、下手に探りを入れるのは相当に危険ですね」
「まあ、そう簡単に尻尾は出さんじゃろうしな」
「となると、しばらくは、あの場にいらっしゃった方々を遠巻きに観察する他はないのかも知れませんね」
「ああっ、もどかしいのう──っ!!」
翌日、滝川彦左衛門殿が小一郎殿の見舞いに訪ねて来られました。
「──ところで、小一郎殿。あの織田筒の理屈は、より大きなものにも応用出来んものかのう?
例えば、城攻めの際、敵の城門を打ち破れるくらいに大型化するとか──?」
「あ、ああ、出来ん事はないと思いますが──火縄銃と同じように鉄を鍛造して作るのは難しいかと……。
鋳造ならば多少は近いものが作れるやもしれません。使えそうな金属と言えば青銅くらいしかないとは思いますが、それでは十分な強度が──」
その次にお見舞いに来られたのは、明智十兵衛殿です。
「──ところで、小一郎殿。あの織田筒はもっと小型化は出来ないものでしょうか?
多少威力を犠牲にしても──それこそ騎馬武者や槍兵、足軽に至るまで全員が携行できるような小ささに出来れば、それこそ用兵の幅はかなり広がるのではないかと思ったのですが」
「あ、ああ、出来ん事はないと思いますが──それこそ、費用との兼ね合いになってこようかと──」
「──ううう、半兵衛殿ぉ、どうしたらええんじゃぁ」
珍しく、小一郎殿がぐだぐだと弱音を吐いています。
「会う人会う人、皆が怪しく思えてきてならん。うう、胃が痛い……」
「困りましたねぇ。
──ああ、そういえば、お館様が、小一郎殿に会わせたい人がいるとかで、あと数日は岐阜に滞在するようにとの仰せでしたよ」
「今は、できれば遠慮したいところなんじゃがのう……」
小一郎殿は、力なくがっくりとうなだれてしまいました。
「──なあ、半兵衛殿」
しばらくの沈黙のあと、何かを思い付いたように小一郎殿が切り出しました。
「何とかして、忍びは雇えんか? 伝手はないか?」
「忍び、ですか?」
「ああ、情報収集とか、身辺警護とかを頼みたくてな。
何より、これからわしの作ろうとしているものの情報が漏れるのを防ぎたい」
「まだ、何か作るネタがあるのですか?」
「いくつかはある。『無明殿』が敵である可能性が高い以上、自分の陣営は出来るだけ強く、豊かにしておきたい」
──『無明殿』とは、もう一人の未来を知っているらしい人物の仮の呼び名です。いつまでも『あいつ』だの『そいつ』では紛らわしいので。まあ、単に『無名』のもじりですが。
「うーん、私には伝手がありませんねぇ。竹中家は忍びを雇うほどの家でもありませんし。
かと言って、お館様や滝川殿にお願いする、というのはまずいでしょうしね」
お館様は多くの忍びを雇っておられますし、滝川殿は元々、忍びの出身だということです。
しかし、その伝手で忍びを雇ったのでは、お館様や滝川殿に、小一郎殿の最大の秘密が知られてしまう危険性があります。
「他の方の伝手を辿るとしても、誰でもいいという訳にはいきませんし。
そうですねぇ──あの時、評定の場にいなかった方で、小一郎殿に敵対しそうにない、それなりに力のあるお方は──。
……そうだ、うってつけの方がおられるではないですか!」
そして、私が思いついた人物の名を挙げると──。
小一郎殿は、何故かとんでもなく苦いものを呑み込んだような顔をしたのです。
「いや、小一郎殿。よくぞ訪ねて下さいました!」
翌日、岐阜城三の丸。私たちが訪ねたのは、あの浅井備前守長政殿です。
「備前守殿、御無沙汰しております。その後、息災でしたか?」
「わしの事は、長政とでも新九郎とでも呼んで下され! 何と言っても、小一郎殿は、わしら浅井家の大恩人なのですから!」
「は、はは……」
純粋に尊敬にも近い好意を見せる長政殿に対し、小一郎殿はかなり辟易した様子です。
昨日、口が重い小一郎殿から、半ば無理やりに聞き出したのですが──。
どうも長政殿の係累が、未来の羽柴家に良くない事を引き起こすらしいので、あまりお近づきになりたくないとの事だったのです。
以前に話していた、お家騒動を引き起こすという藤吉郎殿の『性悪な側室』というのがそれなのでしょうか。
まさか、お市様が? ──いや、お館様の生きているうちにお市様が藤吉郎殿の側室になるなどありえないでしょうし、亡くなられた後となると、お市様ももうそれなりの御歳でしょうしね。
となると姫様方? ──いやいや、長女の茶々様ですらまだ三歳の幼女ではないですか。藤吉郎殿とどれだけ歳の差があるんですか、さすがにそれはあり得ないですねぇ。はっはっは。
「──いやあ、小一郎殿のご活躍はこの長政の耳にも入っておりますぞ!
茶筅丸様を鍛え、清酒を発見し、さらに新式鉄砲の開発まで支援されるとは、まさに八面六臂の大活躍ではないですか!」
「え!? 備前──新九郎殿、その新式鉄砲の話は一体どこから!?」
先日の評定の最後、織田筒については、お館様から重臣方にかなり厳しく緘口令が言い渡されていました。それなのに一体誰が──!?
「どこからも何も──お館様が自慢げに見せて下さったのですが?
御自ら試射までして見せて下さいましたし」
──お館様、あなたは子供ですかっ!?
ま、まあ、それだけ長政殿を信用しているという事か、あるいは二度と逆らう気を起こさせぬよう織田の力を見せつけようとしたのか、そのどちらかなんですよね、きっと……?
「ところで、小一郎殿。今日はどのようなご用向きで──?」
「それなんじゃがな、実は新九郎殿にたってのお願いがありまして」
「おお、わしが小一郎殿のお役に立てるとは! 浅井家を救って下さった御恩に報いるためにも、何なりと仰って下さい」
「実はの、浅井家が雇っていた忍びと、内密に渡りをつけてもらいたいんじゃが」
「それは──どのような目的で……?」
先ほどまでの明るい様子から、長政殿の口調が低く鋭いものに一瞬で変わります。
その眼光は、まさに敵の真意を探らんとする百戦錬磨の武将のそれ、です。
「他ならぬ小一郎殿の頼みとあらば、聞いて差し上げたいのは山々ですが、今のわしはお館様に忠誠を誓った身。
お館様を通して、ではなく内密にわしにそれを頼む、その真意は──?」
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