026 鉄砲評定(一) 竹中半兵衛重治 元亀二年(1571年)
明けて、元亀二年正月──。
岐阜城には正月祝賀の儀に参加するため、織田家の諸将や公家・寺社からの使い、近年降った新参の国人衆などが多数集まりました。
私や小一郎殿は参加していないため、後で藤吉郎殿から様子を聞いたのですが、各々がお館様に祝辞を述べ、贈り物を披露し、自慢の家臣を紹介したりと、酒宴は朝から晩遅くまで延々と続いたという事です。
勿論、この春から大々的に売り出す『織田の清酒』が振舞われ、大好評だったそうです。
また参加者の中には浅井長政殿もおられ、諸将からは当初、冷たい目で見られていたようですが──。
『おお、これはこれは備前守殿、一別以来ですなぁ! また会えて嬉しいですぞ!』
『これは羽柴殿! その節は大変お世話になり申し──』
『なんのなんの! 備前守殿の武勇は、味方となれば誠に心強い限りですわ。今後ともよろしくお願いいたしますぞ!』
藤吉郎殿の、いささか大げさな明るい声掛けに少し空気が緩み、お館様がすかさず長政殿に激励の言葉をかけるといった一幕もあったそうです。
そして、翌二日。
城下の某寺の本堂を借りて、今年初めての評定が行われます。
私と小一郎殿が、織田筒のお披露目をする大仕事の時です。
「皆、よく集まってくれた。よもや、二日酔でふらふらしている不届き者はおるまいな?」
そんな、お館様の冗談から、評定が始まりました。
「さて、まずは藤吉郎、そなたから見せたいものがあるとの事だったな」
「は、恐れながら申し上げます。
此度、当家では鉄砲の改良を進め、大幅に性能を高めることに成功いたしました。
お館様と諸将の皆様に、ぜひご覧いただきたく存じます」
居並ぶ重臣方に、藤吉郎殿が誇らし気に口上を述べます。
──さすがに新兵器のお披露目ということで、参加している方々はまさに織田家の心臓部とも言うべき上層部の方々です。
お館様のご子息や御兄弟など御一門衆や、林・柴田・佐久間様の宿老方、譜代の丹羽・森様。
新参ながらも鉄砲隊の運用に長けた滝川彦左衛門(一益)殿や明智十兵衛(光秀)殿の姿も見えます。
──いささか場違いな様子で末席近くで縮こまって固まっているのは、茶筅丸様に付けられ北畠家へ送られた方々です。
彼らもまあ、重臣と言えなくもないのですが、このような上層部だけの評定に呼ばれるほどの立場ではありません。何故こんな席に呼ばれたのか、何か茶筅丸様の事でお叱りでも受けるのではないか──と、戦々恐々とされているようです。
まあ、彼らを評定に同席させてくれるようお願いした時点で、お館様には察しがついているようですが。
「うむ、良かろう。始めよ」
「は! ──小一郎、半兵衛殿、良いな?」
「は!」
小一郎殿が少し前ににじり出て、口を開きました。
「此度、改良いたしました鉄砲──仮に『織田筒』と名付けましたが、その性能を見ていただきたく存じます。
ですがその前に、比較のため、今、国友で作られる最上級の鉄砲の試射をご覧ください」
その言葉を受け、私が庭の右隅に控える二人の兵に合図を出しました。
まず、そのうちの大柄な方が、国友筒を構えます。
庭の中央に立てた杭に括り付けた甲冑までは、およそ五十間(90m)。そこを狙って──。
ドンッ! ──ギィン!
『おお!』
『心臓のあたりを貫通した──なかなかいい腕だな』
皆様が一様に感心されています。
「──では次に、織田筒です」
次に、小柄な方の兵が構えます。先ほどの兵よりやや時間をかけて、慎重に狙いを定め──。
ドンッ! ──
『外した──?』
どなたかがそう漏らした直後、
──ギンッ!
国友筒より数瞬遅く、命中音が小さく響きました。
「──何っ!?」
滝川殿がいち早く立ち上がり、縁側まで走り寄ってはるか左手を見て──。
「──ば、馬鹿な! 三倍以上飛んだ、だと!?」
そう、織田筒は、百七十間(300m)先に置いてある甲冑に、見事命中していたのです。
慌てた様に皆様が縁側まで走り寄り、その結果を茫然と見ています。
『射程距離が三倍──!?』
『いや、それより、あの距離で当てられるものなのか!?』
そんな反応に気を良くしたのか、お館様が声を発せられます。
「これは、想像以上に凄いのう! 小一郎、説明せよ!」
「は!」
小一郎殿は、御小姓に預けてあった荷を受け取って解き、織田筒の現物を五丁取り出しました。
「火薬は詰めておりません、皆様、銃口の中をご確認下さい」
「──む、何だ、この溝は?」
「この旋状の溝を付けることにより、打ち出す弾丸に捻るような回転が加わります。それによって、弾丸が風を貫くように飛び、射程距離が三倍に伸び、命中率も向上しました。
先程、国友筒で撃った五十間の距離、国友筒なら命中率は六割強ですが、織田筒なら九割五分当てられます」
『す、凄い──!』
『これは、戦の有様をがらりと変えるぞ!』
皆様が口々に感嘆される中、お館様は少しにやにやされています。
「うむ、鉄砲の工夫も見事だが、あの距離を狙って当てられる腕も素晴らしい。近う寄れ」
「はっ!」
織田筒を撃った方の兵が、縁側に駆け寄って、片膝を付きます。
兜を取りましたが、顔は伏せたままです。
「うむ、その腕、実に見事であった」
「は!」
「それにしても──おんしはこんなところで何をしとるんじゃ、茶筅丸?」
『──なっ!? ちゃ、茶筅丸様!?』
『若様──!?』
皆、驚いています。特に、伊勢衆は心の底から動転しているようです。
無理もないですね。今の茶筅丸様のご様子は、皆が知っている頃の姿とはまるで違いますから。
「──父上、ごぶさたしております。
しばらく羽柴家に世話になっておりましたので、恩返しのつもりでためし撃ちを手伝っておったのですが、いつの間にか腕前が上がってしまいまして……。
今、羽柴の家中でも、わしより腕が立つのは、こちらの藤堂与右衛門殿以外にはおりません。
先ほどの国友づつの射撃、ぜひこの与右衛門殿にもおほめの言葉をたまわりたくぞんじます」
「うむ──藤堂与右衛門だな、見事な腕であった。その名前、覚えたぞ」
「はっ、有難き幸せ!」
「──茶筅丸、少しはましな口が利けるようになってきたようじゃな」
「はっ!」
そして、茶筅丸様はお館様と目配せをして、伊勢衆の方に向き直りました。
「──掃部、三郎兵衛、三郎左衛門、久しいな。みな、元気にしておったか?」
『は、ははぁっ!』
伊勢衆が一斉に平伏します。
「わしもこのとおり、元気にしておる。
長らくの不在、あいすまんな。心ならずもこうふくした北畠の者との間では、色々とあつれきも多かろう、苦労をかけておるな」
『は、お気遣い、かたじけのうございます』
茶筅丸様の堂々としたお姿に、伊勢衆の中には早くも目を潤ませている者もおります。
「ふ、家臣への気遣いまで出来るようになったとはな。
茶筅丸、その様子では、羽柴家でだいぶ厳しく学ばされた様じゃな」
「厳しく──? いえ、特にそのようなことはありませんでしたが」
「何?」
お館様が目を丸くされています。どうも、詳しいご様子までは耳に届いていなかったようですね。
「羽柴の家では、無理に書物の前に座らされるような事はほとんどありませんでした。
むしろ、民のところをまわり、その暮らしぶりをじかに知ることで、民を守る領主としてどうあるべきかを考えることが多かったのです。
そして、そのようにみちびいてくれたのが、ここにおられる羽柴の皆様であり──そして、藤吉郎殿の奥方です」
「おね、が──?」
「はい、おね殿はすごい方です。ふつうの学び方になじめないうつけのわしに、わかりやすい例え話をしてくれ、質問することで自分の頭で考えさせ、そして、答えをみちびいてくれる──いつの間にか、学ぶことがまったく苦痛ではなくなっていました」
「なるほどのう…」
「わしは、幼きころより学問嫌い、落ちつきがないうつけと言われ続け、わし自身もそうなのだとずっと思っていました。わしには学問など向いていないのだと。
しかし、おね殿は違いました。わしは、他の者と向いている学問のやり方が違うだけで、きちんと学んでいると言って下さいました。
色々なものにきょうみを持って見聞きして、民たちから話を聞き、おのれの頭で考える──それもりっぱな学問なのだと。
書物を読む以外にも学び方はあるのだと、教えていただいたのです」
「ほう──」
「わしは今、学ぶことが、色々なものを知ることが楽しい。
自分で考えて答えを出すことが楽しい。
──自分でもおどろきなのですが、最近はみずから書物を開くことも多いのです」
「何──?」
「わしが、民がこんなことで困っていたとおね殿にお話しすると、同じような話が昔の書物に書いてあったと言われるのです。その民のために、解決さくを見つけてあげられてはどうですか、あなたには出来るはずですとも。
そう言われたら、調べるしかないではないですか。
おね殿は、人をおだててやる気にさせるのが実にうまい。
でも、答えを見つけて、民にかんしゃされると、またうれしいではないですか。
わしは、今、ようやく学ぶということの面白さがわかってきたところなのです」
そして、茶筅丸様は、居住まいを正してお館様に向き直りました。
「父上。わしの学問は、ようやく歩きはじめた赤子もどうぜんです。
今のわしでは、まだ北畠家の者どもの不平不満をかいしょうして家中をしょうあくするには、あまりに力不足です。
わがままとはしょうちしておりますが──どうか、今しばらく羽柴家にて学ぶことをお許しください」
お館様は、深く頭を下げた茶筅丸様を見下ろしながら、しばし考え込んでおられました。が──。
「──良かろう。己の未熟さを自覚し、より精進したいというその心意気、父として嬉しく思うぞ。
藤吉郎、小一郎、半兵衛。今しばらく茶筅丸のことを頼むぞ。
ああ、それとな──。
あのうつけをここまで育てるとは、実に天晴れ! おねはまさしく三国一の出来た嫁じゃ!
藤吉郎、女遊びにうつつを抜かして、おねを粗略に扱うと承知せんぞ!」
「は、ははぁっ!」




