025 織田軍の強さとは 浅井駒
──十日ほどが過ぎました。
竹中家でのご奉公は、思っていたほどそう大変なものではありませんでした。
幼き頃より、亡き父上から武家の娘として厳しく躾けられてきたので、所作については特に注意されることもありません。
また、あの親戚から飯炊きや掃除、洗濯、裁縫など雑事一切を押し付けられてきたので、そういった仕事についてもひと通りはこなせます。
むしろ、畑仕事や馬の世話、武具の手入れなどがない分、体力的には楽なくらいで──。
さほど大きくない御家中なので、侍女と女中の仕事の境もあいまいなのですが、こんな楽な仕事で食事もちゃんと頂いてしまっていいのかしら? とすら思えてしまいます。
──と言うか、あいつら、どれだけ私たちのことをこき使ってくれてたのよっ!
虎松も、同年代の小姓見習いの方々に仲良くしていただき、毎日がとても楽しそうです。
あの日以来、私は妙に芳野様に気に入られ、ご用を仰せつかることが多くなりました。
「半兵衛様が最も親しくさせていただいている小一郎殿の許嫁となれば、私にとっても妹のようなもの。仲良くしてくださいね。
お駒殿は、働き者だし機転も利く、器量もいいし、きっといい嫁になると御家中でもなかなかの評判ですよ。小一郎殿は幸せ者ですね」
──いや、あなた先日、私のことを『垢抜けない田舎娘』とか言ってましたよね?
まあ、でも近くにお仕えして、芳野様のことが段々とわかってきました。
芳野様は半兵衛様が大好きすぎるだけで、それ以外の部分ではむしろ常識的な方です。
所作も綺麗ですし、教養も豊かで、自分から半兵衛様を奪っていく脅威になると思われない限り、とても優しくして下さいます。
──扱い方も、徐々にわかって来ました。
芳野様が半兵衛様の近くにいる女性に嫉妬心を抱いた時に、そんなことはないといくら否定しても無駄です。
むしろ、それほどに女性にもてる半兵衛様がいかに芳野様を大事に思っているか、そのことをどれほど聞かされてきたかを伝えて、自信を持たせてあげる方が効果的なのです。
そのコツを掴んでからは、何だか竹中の御家中で、芳野様の暴走で困ったらお駒に丸投げすれば大丈夫、という風評が広まってしまったような気もします。まあ、いいですけど。
小一郎や半兵衛様たちは、最初の数日は殿や竹中家の家臣の方と酒を酌み交わしたり、あちらこちらを散策したりしていました。
そして、国友村から甚六という鉄砲鍛冶が数日遅れでやってくると、菩提山城の一角を借りて、新式鉄砲の試し撃ちと微調整に掛かり切りになりました。
『織田筒』に改良を加えた最新式を『織田筒二式』と名付けたようですが──。
「皆様、少し休憩して、白湯でも召し上がって下さいませ」
今日も、芳野様の指示で、皆様に白湯と軽食を差し入れに来ました。
お城まで登って来るのは大変ですけど、織田筒の事は機密だという事で、この一角に入っていいのは殿と、すでに織田筒の事を知っていた連絡係兼雑用係の私だけとなっています。
「ああ、駒殿、かたじけないですね」
「握り飯はありがたいな。あ、でも、具は梅ぼしではないじゃろな?」
「さあ、そこは三介殿の運次第ですね」
皆が握り飯に群がる中、与右衛門だけは黙々と銃身内部の掃除をしていますが──。
どうせイノシシの握った握り飯なんぞ食べたくないんでしょうね、ふん。
「──小一郎様、あの二式とかいう鉄砲、何か変わってますね? 火縄が見当たらないのですが……」
「ああ、お駒、いいところに気づいたの。火縄は使っておらん。二式はここに取り付けた火打石の火花で、火薬に点火する仕組みなんじゃ」
──最近、小一郎と私の間で呼び方が少し変わりました。まあ、一応、形だけは、許嫁ということになっているので『様』を付けるのですが──心の中では『様』なんて付けてあげないんですからね。
「それにどういう意味が──?」
「ああ、火縄を使わないので手早く撃てるのと、多少雨が降っても撃てるのが利点じゃな。」
なるほど、一度だけ撃っちゃったけど、火縄を用意して撃つまでなかなか面倒だったし。
「──でも、小一郎殿、やはり続けて撃てるのは五発まで、ですね。六発目からは不発の確率がぐっと上がります」
「まあ、火打石はどうしてもすり減るからの。四・五発ごとに石の角度を調節するしかないじゃろな」
半兵衛様は実際に試射は行わず、皆さんの撃つ一発ずつの記録をとって、不発率や命中率などを割り出しておられるようです。
──他の方のように、毎日お顔を煤だらけにしていたら、また芳野様が心配して暴走しかねないですものね。
「うん、でもまあ、集団で使うことが前提じゃから、性能としてはこんなもんじゃな。
──よし、この辺で良かろう。甚六、明日にも国友村に戻って、二式の方の量産に取り掛かってくれ。
村長には前もって伝えてあるが、今から職人衆に技術を伝えたとして、田植えの時期までに三百丁、作れると思うか?」
「すでに一部の部品は作らせ始めています、お任せください」
そう自信ありげに応え、甚六殿は支度を整えに岩手屋敷へと山を降りていきました。
でも──。
「ん? 何じゃ、お駒。何か気になることでもあるんか?」
「あの、小一郎様。父が以前こう言っていたのを思い出したのです。
『織田の兵は弱い。しょせん、金で雇った兵ばかりだ。守るべき土地や家族がいる我らの兵と違って、劣勢になるとさっさと逃げ出すだろう』と──」
「何だと! おい、もう一度言ってみろ!」
与右衛門がかっとなって怒鳴って来ます。が──。
「吠たえな、与右衛門っ!! ──すまん、続けてくれ、お駒」
「はい。
以前、半兵衛様から、小一郎様が鉄砲を改良するのは『戦を避けるため』と聞きました。でも、もともと弱い──強くない織田の兵が強い鉄砲をそろえたところで、本当に戦を避けるなんて出来るのでしょうか?」
「ああ、なるほど。確かに御父上が言われたことは間違ってはおらん。
織田の兵は強くはない。単純に強さだけで言えば、武田や徳川の兵の方が圧倒的に強いじゃろ。でも、これまで織田は勝ってきた。何故だと思う?」
ええと──。
「父上は、織田軍は時期を選ばず戦えると言っていました。他の家中が農繁期で兵を集めにくい時に、いつでも攻め込むことが出来ると」
「うん、それは正しい。じゃが、もうひとつ大事なことを見落としておられる」
「──?」
「それは──織田軍は、いつまでも攻め続けることが可能だ、ということなんじゃ」
普通、籠城戦は、長くても半年もすれば終わります。
そもそも、籠城は援軍が早々に来ることを前提とした戦い方です。それが望めない場合でも、包囲する側も、春の田植え時や秋の刈り入れ時には農民兵を帰国させねばなりませんから。
まれに一年以上続くようなこともありますが、やはり兵を交代で帰国させねばならず、包囲網も手薄になり、また本国のその年の収穫量がいくぶん減ることにもなります。
「──だが織田軍は違う。織田軍の兵は、田畑の仕事をする必要がない。つまり織田はその気になれば、一年でも二年でも大軍で敵を包囲し続けることが可能なんじゃ。兵糧さえ運び続ければ、な」
「で、でもそれなら、守る側も前もって充分な食料を用意しておけば──」
何だか、小一郎と架空の戦をしているような気分になってきました。
三介殿と与右衛門も、いつの間にか私たちのやり取りを近くでじっと聞き入っています。
「うん、まあ、食料はそれでいいとしよう。じゃが、もうひとつ大事なことを見落としちょる。
──汚い話じゃが、糞尿の始末の問題じゃ」
「え?──」
「糞尿を城内で処分するには限界がある。限界を超えれば、悪臭も充満するし、虫も湧く。悪い病気も蔓延しかねん。
その状況で、どれほど将兵の士気を保てるものか──」
う、うわぁ、想像したくない……。
「織田の戦はな、無理に勝とうとせんでもええんじゃ。短期決戦で勝てそうにないと思った時は、のらりくらりと躱して長期戦に持ち込めば、おのずと勝機が見えてくるでの」
「──」
「最近の例では、伊勢攻めじゃな。
織田は、北畠の本拠である大河内城にまるで歯が立たなかった。せいぜい兄者が支城をひとつ落としたくらいで、夜襲に失敗して何人もの武将が亡くなり、逆に北畠の本隊にほとんど損害はなかったはずじゃ。
なのに北畠は、お館様のご子息を跡取りにするという、かなり屈辱的な条件で和睦を呑まざるを得なかった。
それは、秋になっても織田軍が全く引かず、このままでは織田に包囲され続けて、食も尽きて、滅びるのを待つしかないと気づいたからなんじゃ」
「なるほど、そういうことだったのか──」
それまで黙って話を聞いていた三介殿が、難しい顔で呟きます。
「まだ戦力もじゅうぶんに残っていて、戦でもゆうせいなのに降伏を選ぶほかない──それではさぞ、くちおしかったろうな。
うーむ、これは、わしが北畠家を完全にしょうあくするのは、なかなかむずかしいことになりそうじゃな……」
あ、今ので完全にわかってしまいました、三介殿の正体。
半兵衛様と与右衛門が、そろって頭を抱えてしまいましたが──小一郎は気付いてないみたいですね。
「──ただ、やはり野戦や守りの戦となると、御父上が言われたような雇い兵の弱みも出て来る。
おおかた、どの陣営もこう思っちょるじゃろ、『織田の弱兵など、勇猛果敢な我らが突撃すれば、たちどころに崩れるに違いない』とな。
だが、三倍の射程距離と高い命中率を誇る織田筒があれば話は別じゃ。その勇猛果敢な攻撃が、そもそも届かなくなるからの。
それこそ、三介殿や与右衛門ほどの腕があれば、敵が攻撃を始めるより前に、侍大将だけを真っ先に倒すことも不可能ではなくなる。
そのことが知れ渡れば──始めから織田軍に敵対することを諦める者も出て来ると、わしゃ期待しとるんじゃがな」
それから、三介殿と与右衛門は、北畠家掌握のやり方について、あれこれと相談を始めました。
「──与右衛門殿のようにしんらいできる者が近くにいてくれると、心強いのだがなぁ」
「いや、お気持ちは嬉しいのですが、やはり武士たるもの、一度仕えると決めた主君をころころと変えるわけにはいかんのです!」
やっぱり堅物ねぇ……。
私は、話を続ける二人の傍から離れて、鉄砲の片付けを始めた小一郎の傍にそっと近づきました。
「──ありがとう、さっきの話、よくわかったわ」
「おお、そうか」
「わかっちゃいけないことまでわかっちゃったけど。三介殿の素性、とかね」
「あ……」
ああ、やっぱり気づいてなかったのね。
「あ、その、お駒、このことはその、内密に──」
「別に誰にも言わないわよ。三介殿は、虎松を可愛がってくれる優しいいい子だしね。
あと、たぶん与右衛門も前から気付いてたわよ。教えられていないから知らないことにしているだけで」
「──よく出来た部下じゃな」
「だいぶ堅物で、朴念仁で、人をイノシシ呼ばわりするけどね」
そして、本人には聞こえぬよう、二人でくすくすと笑い合いました。
「──そろそろ、岐阜に発つのよね?」
「ああ、明日か明後日にはな。お勤め、これからも頑張れよ」
「はいはい。
──ああ、私、どうやら芳野様付きになるみたいなのよ」
「だいぶ気に入られたらしいの? これから大変そうじゃなぁ」
「まあ、扱い方のコツはだいぶ掴んできたし、ね。
──それと、半兵衛様が近々、芳野様を近江に呼び寄せるって言ってたわよね?
そうなると、私も一緒に近江に行けるかも知れないし……」
すると、小一郎は、少し照れたような、とても優しい顔で微笑んだのです──。
「おお、そうか! ──じゃ、わしも首を洗って待っているとするかの?」
「──ばか……」
ツンデレヒロインお駒ちゃんは、これにてしばらくお休みになります。
与右衛門との掛け合いは書いていて楽しかったのですが、柄にもない甘々な展開は、正直なかなか苦労しました。
芳野様も、ここまで暴走キャラにするつもりはなかったんですけどね……。
次回から舞台が岐阜に移ります。
コメディ要素はだいぶ薄れていく、と思うんですけど……。




