020 二人の若者 竹中半兵衛重治
「──なあ、与右衛門殿。あの時の駒殿は実に強かったとは思わないか?」
「はぁ?」
「与右衛門殿にくみ伏せられ、刀もてっぽうも失い、大の大人たちにかこまれても、それでもなお藤吉郎殿に食ってかかったのだ。
わしはその強さ、見事だとすら思った」
「……それがしには、生意気な小娘にしか見えませんでしたが」
「考えてみてくれ。与右衛門殿、そなたならあのようなじょうきょうで、駒殿のようにふるまえると思うか?」
三介殿の問いに、与右衛門殿はしばし考え込んでいましたが、やがて投げ出すように言い放ちました。
「想像も出来ませんな──そもそも、それがしならば、あんな不利な状況で仕掛けるようなことはしませんよ。勝ち目など全くないではありませんか、馬鹿々々しい……!」
「うん、たしかにそうだ。
あのときわしらは五人、対する駒殿はたったひとりだ。
あんなひどいてっぽうをわたすような奴だ、おそらく、高価な弾薬はほとんどわたしておるまい。下手をしたら一発分のみ。
──なのに駒殿は引き金を引いた。なぜだと思う?」
「それは──それほど御大将が憎かったからではないですか?」
「それもあるとは思う。わしもそう思った。
だが、ふに落ちなかったのだ。はたしてあれほどしっかりした娘が、後先も考えず、あんなむぼうな戦いをしかけるものなのか。そして、そんなところになぜ弟をつれて来たのか、と──。
だが、あとで駒殿の暮らしぶりを見て、わかった気がしたのだ。──駒殿は、すべてを終わらせてしまいたかったのではないかと」
「──?」
「駒殿たちの暮らしぶりは、それはひどいものだった。かつての浅井の重臣の娘が、下人のようにみすぼらしい物おき小屋に住まわされていたのだぞ?
……あの姉弟には本当にもう何もなかったのだ。たよれるものもなく、まいにち厄介者あつかいされて、こき使われて──」
そう切なげに語る三介殿は、あるいは教育係たちに厄介者扱いされ続けてきたかつてのご自分と重ね合わせていたのかも知れません。
「──武家の男なら、どれほどみじめな暮らしになっても、おのれをみがいていずれは、と思ってたえることもできよう。だが、おなごの身でいったい何が出来る?
この先、何をどれだけがんばればいいのかもわからない。虎松に願いをたくそうにも、あの幼さだし、たぶん武家としての教育も受けさせてはもらえないだろう。
自分たちはこのまま、死ぬまでこの暮らしを続けるしかないのではないか──。
もう、駒殿には先の望みなどまったく見えなくなってしまったのだと思う。
──そこを六角の者につけこまれ、だから、あんなむちゃなことが出来た。
たとえ藤吉郎殿を討つことが出来たとしても、そのあとわれらに斬られて死ぬのは明らかだ。でも、今のみじめな生活がえいえんに続くくらいならば、いっそひと思いに、と……」
そう語り掛ける三介殿の目には、うっすらと涙が浮かんでいます。
このお方は、そこまであの姉弟の境遇に思いを寄せられていたのですか……。
「──なあ、与右衛門殿、本当に悪いのは誰だ?
そそのかした六角か? 二人を厄介者あつかいしている者どもか?
それとも、勝つ側につかなかった父親か?
民にまずしい暮らしをさせてしまっている者たちか?
──あの姉弟だけをしょばつして終わり、とする事が、本当に正しい事なのか?」
「──」
──私は今、かつてないほどの驚きと感動とを覚えています。
この、わずか半日ばかりの間に、三介殿はどれほど多くの事に思いを巡らされたのでしょう。
そして、何よりその話しぶり──。
相手に質問し、己の頭で考えさせ、そして導いていく──おね様が三介殿を教え導くときに良く使われる話し方です。それを、いつの間にか身につけ、拙いながらも己のものとして使いこなしている。
かつて、これほどの成長ぶりを誰が一体想像し得たでしょう。
──はじめはいささかふてくされた様に聞いていた与右衛門殿も、刮目して居住まいを正し、三介殿の言葉を一言も聞き漏らさぬように聞き入っています。
おね様の目も、心なしか少しうるんでいるようです──。
「だがな、引き金を引いてしまって、いざ戦いの場に身をおいた時に、おそらく駒殿は思い出したのだ。
自分にもまだ失ってはいけないものが残っている──虎松と、そして武家のほこりが、と。
だからこそ、そこからの駒殿は折れなかった。
覚えているか? 駒殿はあのじょうきょうで、一度たりともなみだを見せなかった。許しをこう事もなく、逆に『自分を殺せ』とも言わなかった。
──けっきょく、力およばず、ということにはなったが、それでも最後まで、きぜんとしたたいどをくずさなかった。
わしは、あれほど見事な強さをもつ駒殿を、またその強さをすりへらして無くしてしまうような、こんなひどい暮らしにもどしてはいけない、少しでも力になりたいと思ったのだ。
その考えはまちがっていたと思うか?」
与右衛門殿は、何と答えて良いか、言葉を探しあぐねているようです。
三介殿も思いの丈を全て口にして、少し言葉が出ないようです。そろそろ大人がまとめてあげる頃合いでしょうかね……。
「──ご立派です、三介殿。
そして、与右衛門殿。これから先も、主が出した答えが自分の考える最も良い答えと違うということもあるでしょう。でも、主が決めた以上、それに従い、その答えが最も良い結果になるように努める。それが家臣たるものの務めです。
今回、お二人が『許す』と決めた以上、では許した上でどうすれば一番いいのかを考えなければなりません。
──人は失うものがなくなれば容易く自暴自棄になります。でも、安定した生活を得た者は、それを捨て去ってまで、とはなかなか思わないものです。
近江から遠ざけ、菩提山で暮らしが成り立つようにしてあげるのは、何も駒殿たちだけのためではない、この先ふたたびあのようなことをしようと思わせない──藤吉郎殿たちの身の安全のためでもあるのですよ」
「──そこまでは考えが至りませんでした。半兵衛殿、そして三介殿、御教示かたじけのうございます」
そう言って与右衛門殿は、律儀に三介殿に深々と頭を下げました。
「──はは、剣でもてっぽうでも学問でもまだまだかなわんが、これでやっとわしも、与右衛門殿から一本取れたことになるのかな?」
「はい、この藤堂高虎、見事に一本取られました。──参りました。ははは」
そう言って笑い合う二人の若者の姿は、とても頼もしく、まぶしいものでした。
「──三介殿の成長ぶりをこの目で見られて、ねねも嬉しゅうございますよ」
おね様がとてもいい笑顔で頷いています。
「ところで、三介殿にひとつお聞きしたいのですが」
……おや?
「ずいぶんとお駒殿にご執心のご様子ですけど、三介殿、ひょっとしてそのお駒殿のことが……」
ああ、またおね様のからかい癖が出ましたか。
「はぁ──伯母上、たわけたことを言わんで下さい。わしには、もう妻がいるのですぞ?」
「……あ」
おね様、完全に忘れてましたよね──私も、ですけど。
「──とはいえ、形だけのめおとで、ほとんど二人だけで話すこともさせてもらえんかったが。
……ああ、あのころのわしならば仕方がないか、『雪姫にたわけがうつるとこまる』とでも思われて遠ざけられていたんじゃろうな……」
そう自嘲気味にこぼして遠い目をした三介殿に、珍しく与右衛門殿が助け舟を出しました。
「三介殿、では奥方様に文で直接、思いを伝えられてはいかがでしょう」
おや、朴念仁の与右衛門殿にしてはなかなか粋なことを。
「ん? ──そうか、それはいいな」
「三介殿が奥方様に伝えたいのは、どのような思いなのですか?」
「そうだな──。
親の決めたえんではあるが、姫のことはちゃんと大事に思っている。
今までのいたらなさをじかくして、ちゃんと学ぶことの大切さがわかってきたので、もう少し待っていてほしい。
──こんなところかな。
そうだ、伊勢の教育係の者どもにも文を書いた方がいいだろうか?
わしが今、学ぶことの大切さを知り、このようにおのれの頭で考えるようになっているのだということを」
「うーん、彼らには、三介殿の成長ぶりを直に見ていただいた方がいいのではないかと思うのですけどね。
実は、小一郎殿と、ある趣向を考えていたのです。
それはですね──」
私が三介殿に、小一郎殿と話し合っていた、正月の評定でのある趣向について説明しようとした時──。
「──あっ、そうだ!」
ふいにおね様が、何かを思い立ったように大声を上げられました。
「半兵衛様、駒殿たちを菩提山城に送るのなら、一緒に行って、久しぶりに奥方様に会って来てあげてはどうですか? 奥方様に寂しい想いをさせてしまっているのは、半兵衛様も同じ、でしょう?」
「──え?」
「おお、伯母上、名案です! わしも行く! 半兵衛殿の嫁御に会ってみたいぞ!」
「そうですか、では、さっそく藤吉郎殿に許しを得て来ますね!」
そう言って、おね様は私の返事も聞かずに部屋を飛び出して行ったのですが──あっ……。
やがて、おね様が血相を変えて部屋に駆け戻って来ました。
「な──なななな何なんですかあれ!? 何か、二人でぶつぶつ言いながらずっと不気味に笑っているんですけど!?」
──ああ、やっぱり。




