018 黒幕 竹中半兵衛重治
「──ここでいいです」
そう言って駒殿が馬を止めさせたのは、相当にみすぼらしい武家屋敷の前でした。
父親と兄を亡くし、遠縁のところに身を寄せているという話でしたが──これはひどい。
先に馬から降ろされた虎松殿が入っていったのは、その屋敷の片隅の、さらにみすぼらしい物置小屋なのです。
やはり、主家の方針に背いて粛清された重臣の子供だけに、近しい親族は皆引き取りたがらなかったのでしょう。ようやく引き取ってくれるところが見つかっても、これでは……。
すると、私同様、険しい顔で物置小屋を見ていた三介殿が、馬を寄せて来て囁きました。
「半兵衛殿、今、金は持ってるか?」
──三介殿、言葉遣いが元に戻ってますよ。
「後で義伯父上か小一郎殿から出してもらう、貸してくれ」
そう言って、私がふところから出した財布を強引にもぎ取ると、三介殿は馬上から駒殿に突き出しました。
「駒殿、受け取れ」
「なっ──馬鹿にしているのですか!? 施しなど受け取れません!」
駒殿の顔が怒色に染まります。それはそうですよねぇ。
「ち、ちがう! ほどこしではない、てっぽう代だ!」
「は? 鉄砲代──?」
「さきほどそなたが使っていたてっぽうだ! そなたが持っているとぶっそうなので、羽柴家で買い取らせてもらう。その代金だ!」
おや? 三介殿、なかなか考えましたね。
「で、でも、あれはもともと貰い物で……」
──ほう、『貰い物』ですか……。
「もらい物でも今はそなたの持ち物だ! 代金を受け取ってもらえぬと、羽柴がそなたの持ち物をただうばったことになってしまうではないか。それはこまる、受け取れ!」
駒殿は、それでもまだ躊躇っています。
三介殿、それではまだ『半分正解』ですね。たぶん、今、金を渡しても、ほとんど養い親に奪い取られ、駒殿たちの手元にはいくらも残らないでしょう。
ここはひとつ、私が収めてあげましょうかね。
「──では、こうしましょうか。
今は鉄砲代の四分の一をお渡しします。それを、今までお世話になった礼として、この屋敷のご主人方にお渡し下さい。
そして、残りは美濃でお渡しいたします」
「え? 美濃で、ですか?」
「はい、お二人には美濃に行っていただきます。羽柴家当主の命を狙っておいて、無罪放免とはさすがにいきませんし、野放しにしてまたすぐに襲われるのも面倒ですからね。
──ああ、申し遅れておりました。
それがしは竹中半兵衛重治。美濃の菩提山城の元城主です。
家督は弟の久作重矩に譲っておりますが、お二人にはその弟の監視下に入ってもらいます。
無論、ただ飯食いは許しませんよ。竹中家で虎松殿は小姓見習い、あなたには侍女か女中として存分に働いてもらいますからね?」
うん、これでいいでしょう。利発そうなこの娘なら、当面食うのに困ることがなく、虎松殿に武家としての教育を受けさせてあげられる好機だということを理解してくれるでしょう。
駒殿はしばらく考え込んでいましたが、やがて私の思惑に思い至ったのか、しっかりと頷きました。
「承知致しました。──あ、でも親戚に何と言えばいいか──」
「御父上の同僚が働き口を世話してくれた、でいいと思いますよ。
私も、短い間でしたが浅井家に身を寄せていましたので、全くの嘘、という訳でもないですし。
それでもうるさく言ってくるようでしたら、私の名前を出してかまいませんよ。
『文句があるなら、小谷の竹中半兵衛に直接言って下さい』とね」
私がそういうと、ようやく駒殿の表情が少しほころびました。
「ありがとうございます、半兵衛様。でも、何故ここまで──?」
「そうですね──先ほどの駒殿の小一郎殿への口上、実にご立派。この半兵衛、大いに心を揺さぶられました。
その事への敬意を込めて、ということでは理由になりませんか?」
「──わしは、まだまだなんじゃな」
駒殿に、美濃行きの迎えを後日に遣わすことを告げて小谷へと帰る途中、馬上の三介殿がふと悔しそうに呟かれました。
「三介殿──でも、あの鉄砲代の案はなかなかのものでしたよ?」
「でも、充分ではなかった。けっきょく、最後に話をまとめたのは半兵衛殿だったではないか。
やはり、わしはみじゅくなんじゃ」
そう言って、三介殿はまた肩を落としてしまわれました。
それほど駒殿のお力になってあげたかったのでしょうか。
──もしかして、ああいう感じの娘がお好みだったとか……?
「──三介殿、ひとつお聞きしてもよろしいですか? 何故、お二人を送りたいと申し出たのですか?」
「それは──知っておかねばならないと思ったのだ」
「──ほう?」
「わしはこれまで戦の事を、ただ単にはなばなしいものだとしか思っていなかった。
はなばなしく戦場をかけぬけることこそが武門のほまれだと。
じゃが、今日はじめて、戦で負けた側の者のすがたを見て、気づいたのだ。
戦をするということは、そのはなばなしさのかげで、駒殿たちのような者をたくさん生んでしまうということなのだな」
「──」
「わしは、これから部下たちに、多くの戦を命じなければならんだろう。
その事にためらいはない。父上の大望をはたすためにも、わしは多くの敵をたおさねばならん。
だが、そのうらで、多くの者が泣くことになることは決しては忘れてはならん。そうも思ったのじゃ。
──そうか、前におそわった『戦わずして勝つことこそ最上』というのには、こういう意味もあったのだな……」
──何という事でしょう、いささかでも下世話な事を考えてしまった自分が恥ずかしい。
あの姉弟に単に同情を寄せるだけでなく、その姿からまさかそんなことまで考えていたとは。
三介殿は、自分がいずれどういう存在にならなければならないか、その目標をきちんと見据えておられるのです。
その上でその目標に近づくべく、真摯に自らを成長させようとしておられる。
『うつけ』だなどとんでもない。
このお方は、知識や経験が不足しているだけで、やがてそれらを積み重ねていけばなかなかの大人物になるのではないでしょうか。
いや、その才能の片鱗に気付き、良い方向に自ら伸びるよう導いたおね様が凄い、ということなんでしょうか……。
「──とてもご立派な心構えです、三介殿。
自分に足りない部分があると自覚すること、そして常に足りなさを埋めようと考え続けること。それこそが成長するためにもっとも大切なことなのです。
今の三介殿にはそれが出来ています。
何も、焦る必要はありません。貴方様は、私たちの想像をはるかに超える速さで成長なさっておられますよ。
三介殿はきっと良き領主になれます。私が保証しますよ──たぶんおね様も、ですけど」
「──だといいのだがな」
「あ、でも油断すると言葉遣いが元に戻ってしまうのは減点ですけどね」
「あう──」
小谷の羽柴屋敷に戻ると広間では、一足先に戻った藤吉郎殿たちが、駒殿の鉄砲を囲んで何やら話し込んでいる最中でした。
「ただいま戻りましたが──何かありましたか?」
「あ、半兵衛殿、三介殿。──実は少し気になることがありまして」
与右衛門殿が、鉄砲を指し示して切り出します。
「あの娘、形見の短刀を取り戻すことには執着しておりましたが、それよりもはるかに高価なはずの鉄砲のことはまったく気にも留めていませんでした。
となると、これはおそらく父親の持ち物ではない。そして、あの身なりでは、自分で買い求められるはずもないかと」
ほう、そこまで見抜きましたか。与右衛門殿、これはなかなか……。
「帰りに国友村に寄り、職人たちに見てもらったのですが、国友のものではなく、たぶん堺で作られたものではないか、という事でした。
出来は、はっきり言って悪い。見習いの鉄砲鍛冶が手習いで作った、およそ商品にはできない程度のものだとも言っておりました。
──暴発しなかったのが僥倖なくらいだそうで」
「なるほど。それを安く買い叩いた何者かが、あの姉弟の境遇を知り、藤吉郎殿を襲うようそそのかした──」
「はい。藤吉郎殿を万一討てれば儲けもの、それが失敗しても、旧浅井衆と羽柴家の間にひびを入れられれば──そういう思惑でしょう」
「実は私も、先ほど駒殿から、あの鉄砲が『貰い物』であったと聞いたのです。
相手は浅井の元家臣とだけ名乗ったそうで、顔に見覚えはないとの事です。となると、おそらくは──」
「この大雑把で安上がりなやり口──。六角じゃな」
忌々し気に吐き捨てた藤吉郎殿は、眉間にこの上なく深いしわを寄せていました。
隣の小一郎殿も──そしておそらくは私も。




