016 襲撃 竹中半兵衛重治
久しぶりに小谷に戻られた藤吉郎殿は、これまでとはうって変わって、熱心に北近江の視察に取り組むようになられました。
「ここだけの話なんじゃがな──」
藤吉郎殿は、私と小一郎殿だけにその訳を打ち明けてくれました。
「お館様が内々に、そう遠からずこの北近江を正式に拝領して下さるとおっしゃられたのだ。
いずれ長政殿に返すかどちらにするかと迷っておられたらしいんじゃが、どうもそちらには見切りを付けられたらしい」
──ああ、やはりそうなりましたか。
旧浅井領は治安も良く、治水などもよく整えられて統治しやすいのですが、どうもその辺りは長政殿ではなく、処断された久政殿の手腕によるところが大きかったようなのです。
長政殿は、戦の才は大いにあるものの内政にはあまり熱心ではなく、逆に久政殿は、戦の才は皆無なれど、内政や外交の面ではなかなかの手腕だったようです。
領民たちの間でも、亡くなられた久政殿を慕う声は多く、その久政殿を切り捨てた長政殿を非難する声は少なくありません。
仮に長政殿が北近江の領主として返り咲いたとしても、おそらく統治は難しいものになったでしょう。
「長政殿には当分はあまり大きな領地を与えず、柴田様か佐久間様あたりの与力として働いてもらおうという心づもりのようじゃ。
ま、今後、手柄を立てる機会はいくらでもあるだろうからの」
──幸い、羽柴家は、浅井家助命のために家中の反対を押し切ってまで尽力したという事で、領民たちからは意外に好意的にみられているようです。
お館様も、北近江は当分、羽柴家に任せた方が安定すると判断されたのでしょう。
「そういう訳で、北近江はいずれわが羽柴の領地となる。
──家臣が足りない。出来れば、浪人となった旧浅井衆も、手の内に取り込みたい。
二人とも、その辺はよろしく頼むぞ」
「はい、かしこまりました」
「幸い、与右衛門も知り合いに声をかけてくれているようですしの。追々、仕官してくるものも増えますじゃろ」
与右衛門こと藤堂高虎殿は、最近登用した若武者です。
もとは浅井家の足軽だったのですが、仕え始めた直後に浅井家が織田家に降伏してしまい、しばらく浪人となっていたのですが、羽柴家で浅井の旧臣がそれなりに厚遇されているのを聞きつけ、仕官してきたのです。
齢十五歳。
身体も大きく、武芸も達者なのですが、小一郎殿が描いた農機具の改良案の図面を見て即座に内容を把握するなど、もの作りにもなかなか見どころがありそうだということもあり、小一郎殿がよく連れ回っています。
父親の虎高殿も、若い頃に甲斐の武田信虎殿(武田信玄の父)に重用されたほどの傑物らしいので、いずれ取り込みたいものですね。
今日は、その与右衛門殿と三介殿を連れて、藤吉郎殿、小一郎殿、私とで、領内の視察に出てきました。
風が冷たいもののなかなか天気も良く、右手に見える淡海(琵琶湖)の湖面も美しく輝いています。
「今浜というのはこの辺りか」
藤吉郎殿がふと、湖畔の一角で馬の歩みを止めました。
「はい、それが何か──?」
「半兵衛殿、小一郎。お館様から、いずれここに城を作り羽柴の本拠とせよ、と言われた。今のうちに良く見ておけ」
「はっ」
「──あの、義伯父上。なぜこんな開けたところに城を作るのですか? 山の上にある小谷城の方が守りやすいと思うのですが」
三介殿が、なかなかいい質問をしてきます。最近、少しは敬語も板についてきたようですね。
「はて、どうしてなんじゃろな。三介殿、考えてみなされ」
藤吉郎殿も少し楽しそうです。
「三介殿、それはですね──」
「待ってくれ、与右衛門殿。少しじぶんで考えてみたい」
──最近、三介殿は与右衛門殿とずいぶん仲がいいようです。歳が近く、出来のいい与右衛門殿に嫉妬するかとも思っていましたが、むしろいい刺激になっているようですね。
「うーん、戦にかかわることが理由ではないのか──となると……そうか、商いか!
山の上の城では商人が集まりにくいし、町も広げにくい。ここならたやすく町を大きくできる。
これでどうですか、義伯父上!」
「正解! と言いたいところじゃが、半分正解というところじゃな。
三介殿、『水運』という言葉をご存じかな?」
「『すいうん』ですか?」
それから、藤吉郎殿は三介殿に、淡海の水運の重要性と、そのために今浜を発展させる利点について、噛んで含めるように教えていきます。
そんなほほえましい光景を小一郎殿と並んで眺めていると、与右衛門殿がふと馬を寄せて来て、低く呟きました。
「──右の森の中──ひとりか二人」
「気づいちょる──当たりはせんじゃろうがな」
え? まさか──刺客!?
言われてみれば、風に乗ってかすかに火縄の焦げる匂いが感じられます。
風上から狙うとは、どうも素人のようですが……。
小一郎殿と与右衛門殿が、目で合図を交わし、さりげなく藤吉郎殿と三介殿をかばう位置に馬を動かし始めます。
すると──
ドン──っ!
発砲音、単発です!
皆、咄嗟に馬から飛び降りて、その場に伏せます。
幸い、誰にも当たってはいないようです。
「はっ!」
少し離れた場所にいた私は、騎乗したまま馬に鞭を入れ、襲撃者の元へ急ぎました。
少し遅れて、小一郎殿と与右衛門殿が馬に飛び乗り、続いてきます。
そして、そこにいたのは──
おのれの放った鉄砲の威力におののいた様にしりもちをついて固まっている、与右衛門殿と同じ年頃の一人の娘と、茫然と立ちすくむ弟とおぼしき五・六歳ほどの童でした。
おそらくは武家の子供──着ているものはそう悪くはないものの、かなりくたびれた様子です。
浅井の浪人か──それにしてもこんな子供が鉄砲を──?
すると、娘は我々の接近に気づいたのか、鉄砲を放り捨てて立ち上がり、急いで短刀を抜こうとしました。
が、すばやく駆け寄った与右衛門殿が手首をはたいて取り落とさせ、そのまま手首をねじって地面に組み伏せます。
「い、痛い! 離せ!」
「黙れ! 大人しくしろ!」
「──何じゃ、まだほんの小娘ではないか。良くその細腕で鉄砲なんぞ撃てたの?」
そこに、殺伐とした場に似合わぬのんびりとした様子で、藤吉郎殿が馬を寄せてきました。
すると娘は、与右衛門殿に組み伏せられたまま懸命に首を捻り、整った顔を険しく歪めて藤吉郎殿に怒声を浴びせたのです。
「おのれ、羽柴秀吉! 百姓上がりの成り上がりが! 父上と兄上の仇、殺してやる!」




