013 三介殿 羽柴ねね
茶筅丸様はしばらくの間、羽柴屋敷に住み込むこととなりました。
『よぉし、これからはこっそりかんし役をまっとうするぞ!』
などと意気込んでいますが、ただお二人について廻って、目新しいものを見聞きして面白がっているだけのような気もしますけど。
「──なあなあ、半兵衛殿。今日もあの新式てっぽうのようすを見に行こうではないか」
「だめですよ、三介殿。毎日行ってもそう進捗はないですし、その度に甚六の手が止まってしまいます。
それよりも今日は、小一郎殿がお役目でお出かけですし、私が漢籍を読むのにお付き合い頂く約束ですよ」
「ええぇ──ううむ、約束はしてしまったし、しかたないのう」
茶筅丸様の事は、話し合いの上、私の親戚筋の子をしばらく預かっているという事にしました。
屋敷の者たちには御自ら名乗ってしまわれたので、今さらなのですが、御身の安全のためにも領民や元浅井家臣の方々にはあまり知られない方がいいようなので。
念のため、偽名を取り決めることにしたのですが、茶筅丸様がお館様にちなんだ名前にしたいと言い出されました。
『──では、父上の「上総介」「三郎」にちなんで介三──いや、三介の方がいいな。
わしのにせの名前は三介だ。うん、気に入った!』
『では、三介殿。これからは私の親戚という事にするのですから、ねねではなく伯母上と呼んで下さいね。
それと、お二人の事もちゃんと小一郎殿、半兵衛殿と、殿をつけて呼ばなければ駄目ですよ』
『うむ。あいわかった!
──腹がへった! 湯づけを持て、伯母上殿!』
──ふう、敬語も追々に教えていかねばなりませんね…。
「──ううう、やっぱり書物はつまらん、あきた!」
あ、半刻も持ちませんでしたね。
「あ、いや、いけませんぞ、三介殿。
四書五経というものは、そもそも武将たるもの、すべからく身につけておかねばならぬ嗜みで──」
「半兵衛殿、おぬしの言い方は爺たちとそっくり同じじゃ、実につまらん!
おぬし、としのわりに若さが足りぬぞ」
「わ、若さが足りない──!?……」
……ああ、半兵衛様が目に見えてがっくりと落ち込んでしまわれました。
仕方ないですね。ここはひとつ私が──。
「三介殿、そんなに書物がお嫌いなのですか?」
「うむ、伯母上。小むずかしい事ばかり書いてあって、ちっとも面白くないのだ」
「あら、もったいない。書物を読むのはとてもいい事なんですよ?」
「いい事?」
「はい。──三介殿、先日、お二人に自ら監視役であることをバラしてしまわれましたよね?」
「うむ。あれは一生のふかくであった」
「それは良いのです。人は、失敗を経験することで成長出来るのですから。
でも、人が一生のうちに経験できる事には限りがあるでしょう?
昔の書物には、多くの人の失敗した話、成功した話がたくさん書いてあるのです。それを学んでいれば──」
「なるほど! 自分が本当にしっぱいしなくても、そのけいけんを活かせる、ということなのだな!?」
「よくお分かりですね。さすがです、三介殿!」
「うむ!」
日頃からあまり褒められ慣れていないのか、この程度の誉め言葉でも実に嬉しそうです。
「──しかしなぁ、会ったこともない、知らない人の話で、しかも小むずかしいことばで書いてある書物には、どうしてもきょうみがわかなくてなぁ……」
うーん、こうして見ていると、茶筅丸様は世間で噂されるほど暗愚ではなさそうなんですけど。
学ぶことが大嫌いだと思われているようですが、書物が苦手なだけで、むしろ好奇心はすこぶる旺盛です。
最近は、小一郎殿が面白がって農村や国友村、足軽長屋にまで連れ回しているようですが、どこへ行っても見るもの聞くもの全てに興味をしめされ、質問責めだそうです。
──たぶん、実感が伴わないと興味が持てないんでしょうね。
自ら興味を持って質問した事や、村人などから聞いた話などは、なかなかに良く覚えておられるのですけど。
教育係の方たちも、いきなり難しい本を読ませるより、まず、わかりやすい例え話や体験談をしたり、実際のその場を見せて、興味を持たせてからにすればいいのに。
頭の固い根っからの武家の方々には、昔からの教え方に馴染めない茶筅丸様が駄目な子に見えてしまうのでしょうね。
半兵衛様も、小一郎殿──龍馬殿の影響で最近はだいぶくだけてきてはいるものの、やはり歴とした武家の方、どうも三介殿の扱いに苦慮しているようです。
私にとっては、単純だから扱いやすいし、根は素直で、愛嬌のあるとてもいい子なんですけど。
何とか、もっと周りの人に好かれるようにしてあげたいですね……。
「うーん、興味が湧けば、ですか。
──あ、そうだ、半兵衛様。北畠家に昔、何か凄い方がいらっしゃいませんでした?」
「え? ──ああ、先々代に北畠天祐(春具)様がおられましたね。
あの方の代で北畠家は志摩や、大和や紀伊の一部にまで大いに武威を示されたということですが……」
さすがに博識ですね。
「では、三介殿。伊勢に戻られたら、北畠の重臣の方々に『天祐様は凄いお人だったそうですね、その武勇伝をぜひ教えて下さい』とお願いするといいですよ」
「……? 伯母上、それにどういう意味があるのだ?」
「三介殿、あなたのところに幼い子が来て、『織田信長様は凄い人だそうですね、どんな方なのですか?』と聞かれたらどうされます?」
「それはもちろん、父上のすごいところをこと細かにおしえてやるぞ!」
「その時、三介殿はどんな気持ちになると思われます?」
「むろん、ほこらしいに決まっているではないか! ──あ」
「そうです! 北畠の方々には、天祐様の話をすることがとても誇らしく、嬉しいことなのですよ。
きっと、血沸き肉躍るようなすごい武勇伝を話して下さいますし、それを聞きたがる三介殿のことを好ましく思ってくれるはずです」
「おお、それはいいな! 武勇伝ならいくらでもききたいぞ!
そんなことで、あのものたちと仲良くやっていけるのなら、こんないい話はないではないか!」
──うん、呑み込みも決して悪くはないのですよね。
「それと、書物の勉強の時にも、教育係の方に『まず、そなたの口からどんな話なのかを教えて欲しい』とお願いしてみてはどうでしょう。
悪い気はしないでしょうし、それに、一度お話を聞いてからの方が…」
「内容をりかいしやすいということか!
なるほど! 伯母上はすごい! まるで天才ぐんしだ!
──おい、半兵衛殿、おぬしも少しは伯母上を見習うといいぞ!」
……あああ、半兵衛様の落ち込みっぷりが一段とひどく──。




