011 小一郎殿の本性とは 竹中半兵衛重治
──お館様の顔にすっと剣呑な色が浮かんだのを見て、私は思わず小一郎殿をかばうように前ににじり出ました!
「お、お待ち下さりませ、お館様!」
「──のう、半兵衛。正直言って、わしはこやつら兄弟が不気味に思えてならんのだ。
こやつの考え方が全く掴めんのでな」
「──損得を基準に考える、それは理解できる。わしとてそういう部分はあるし──いや、人の上に立つものは多かれ少なかれそういう部分がなければならん」
一瞬浮かんだ殺気は収まったものの、お館様は強張った顔のまま言葉を紡ぎます。
「だが、その中でもわしとこやつ、そして藤吉郎は他の者とは違う。
それは、利のためなら世の習いや古いしきたりなぞ平気で捨て去ることが出来るというところだ。その意味では、わしら三人は、同類ともいえる。
だが、わしと藤吉郎がはっきりと持っているものが、小一郎からは全く見えてこない。
半兵衛、それが何だかわかるか?」
「──いえ」
「『何のためにそれをするのか』、だ。
──わしには『天下布武』、藤吉郎には『出世』という、何を置いても成し遂げたい大きな目標がある。だが、小一郎からはそれが全く感じられん。
『兄の出世のため』? ──違うな。それなら浅井の件も、此度の件も、藤吉郎に献策させればいいだけのことだ。
では『己の出世のため』? それも違う。それならば直参への誘いを断る意味がない。
──ことに、藤吉郎にいささか煙たがられ始めた今ならば、な」
やはりお見通しでしたか……。
「小一郎の中では、『利を上げること』こそが最優先であるようにも感じられる。
のう、半兵衛。こやつから清酒の策を聞いた時、そなたも思うたであろう。
『まるで商人のようだ』と」
まさに言われた通りです。
私がそう口にしたとき、小一郎殿はこう答えました。
「半兵衛殿、実はこれが坂本龍馬の本性なんじゃ。
──わしには、自分が『龍馬』だという意識はほとんどないんじゃが、あの日以来わしの中に、以前のわしならば考えもしなかったような強い衝動がわいておっての」
「その衝動というのは?」
「それは、『船に乗って遠くにいってみたい』『見たこともないような国々を回って、見たこともないような人々と商売がしてみたい』──そういう思いです。
龍馬は、侍でありながら、異国に行って商売する事ばかり考えていての。
それが自由に出来ない世の中ならば、いっそ世の中ごと変えてしまえ、と。そういう風に考えるような男なんじゃ」
「『商人のようだ』──小一郎自身もそう思っておろう。
だがな、今気づいたのだが、おそらくそれも違うぞ。
商人として最も根本的なところが、こやつには欠けている。
それは、『いかにしてまず自分が利を得るか』という視点だ」
「そんなことは──」
小一郎殿はあいかわらず平伏したままですが、おそらく顔色を失っているはずです。
「自分が儲けることを第一に考えないやつが商人と言えるか?
のう、小一郎。自分では気づいていないようじゃから、わしがはっきりと指摘してやる。
おぬしの本性は、商人ですらない。
おぬしは、ただ『好きだから』やっているのだ。
『他人と交渉し、話をまとめ上げること』が、そして『己の思惑通りに人が動くさまを見ること』が、な。
利を上げたり、兄を出世させることはあくまで結果であって、おぬしはその過程を楽しんでいるにすぎん。違うか?」
──もはや、小一郎殿は言葉も出せず、がたがたと震えています。
「おぬしに情がないとは言わん。藤吉郎のことが大事なのも真の気持ちであろう。
だがな、その兄の事をすら、舌先三寸で思うがままに動かし、それが出来てしまうことを後ろで密かに楽しんでいる──そういう、もう一人の自分が己の中にいることを自覚した方が良いぞ」
──な、なんという洞察力!?
小一郎殿──というより、おそらくは龍馬殿の本性をこれほど見抜いてしまわれるとは……。
しかも『もう一人の自分が己の中に』とか、偶然にしてもかなり正解に近づいているではありませんか!?
これが、お館様の本当の恐ろしさ──。
「──ふん、まあ、いい。おぬしがどういう目的で働こうが、それでおぬしがわしの役に立つのならば、な。
だがな、藤吉郎はどうだ? あやつは、わしがいない方が上に昇れると判断すれば、わしに敵対出来る──恩義などは出世のためには捨ててしまえる男だ。
──藤吉郎ひとりが相手ならば、わしにもまだどうにか対処するだけの自信はある。
わしを恐れてもいるようなので、最後の一歩を踏み出すのに踏ん切りがつかぬこともあろう。
だが、もし、おぬしまでもがその方が面白いと判断してしまった時──わしの天下布武の最大にして最後の敵は、おぬしら兄弟になるように思えてならんのだがな」
「! 滅相もございません──!」
小一郎殿が悲壮な声で叫びました。
「誓って申し上げます! わしに、そのような気持ちは微塵もありません!
──確かに、浅井や清酒の件では、策を考える事自体を楽しむ気持ちがあったのは否定しません。しかし、お館様に敵対するなど、想像しただけで背筋が凍ります!
兄者は──いや、兄者にもそのような事は、断じてさせません! わしが止めます!
もし、兄者がお館様や天下万民に害をなすような事あらば、それがしが必ずや──」
「ふむ。
──では訊こう、小一郎。
たとえ兄を手にかけることになったとしても、おぬしにはどうしても叶えたい何かがあるのだな?
それは何だ?」
小一郎殿は、しばし黙ったまま考え込みました。
あるいは、己の中の龍馬殿と語り合っているのか──
「わしが望むのは──
それは、戦のない世です。人々が戦に怯えることなく、戦によって悲しむこともなく、望むがままに生きる道を選べる世──それを作りたい。
そして、それが成りましたら、わし自身は侍を辞め、商人となって異国を回ってみたい。異人相手に、商いの才、弁舌の才を存分に振るってみたい!
そして、日ノ本を豊かにし、それがしの大事な人たちを笑顔にしたい!
それが、嘘偽りのない、私の願いにございます!」
「そのためにわしの天下布武を手伝い、商いの才、弁舌の才を振るうという事だな?
──よかろう。今しばらくその命、預けておく」
「はっ!」
ようやく空気が緩んだのを感じて、私も小一郎殿も、大きく溜息をつきました。
この半刻ほどの間に、何年分、寿命が縮んだことでしょう──私、ただでさえ短命らしいのに……。
「ふん──小一郎には、直参として他家との交渉役をやらせるのが、一番適任じゃと思っておったのだがなぁ。
まあ、必要な時に藤吉郎から借り受ければ良いか」
「は」
「──ああ、例の清酒の件だが、二人に任せる。やってみせよ。
必要な金も人手も出す。総奉行に(丹羽)五郎左をつけるので、細かい手配は任せればよい。
他家の間者に情報を漏らす手筈は、わしが忍びを使ってやるので、頃合いだけ知らせよ。
必要経費と出資分、丹羽の取り分を差し引いた利益は、織田と羽柴で折半。それでよいな」
「御意!」
「後は──ふむ、念のためもう一つ鎖を付けておくか──それと」
──その時、お館様の目に一瞬、悪戯をするときのような色が浮かんだ理由を、私はこの時わかっていませんでした。
「羽柴の監視の意味も込めて与力に付けた半兵衛も、すっかりおぬしに手懐けられてしまったようだからな。
おぬしらには監視役を一人つけさせてもらう。良いな?」




