109 勘九郎様の真意 竹中半兵衛重治
早朝。私たち五人と勧修寺様は相国寺の本陣を出て、包囲の兵たちの視線を浴びながら御所の反対側へと向かいます。昨日の交渉の際、南正面の建礼門から御所に入るよう指示されたのです。
「ちっ、遠回りじゃねぇか、面倒くせえ。こんな重い荷物なんぞ、その門の前に用意させときゃよかったじゃねぇか」
本多殿とともに、兵糧をどっさり載せた荷車を曳いている孫一殿は、先ほどから文句たらたらです。
「まあ、そう言うな、孫一。それだと小細工が出来んじゃろが」
小一郎殿が苦笑いでそう答えると、荷の奥から『コン・ココン』とはっきり板を叩くような音が返ってきます。孫一殿も事情を察したのか、すぐに口をつぐみました。
実は荷の奥底に米俵一俵分ほどの隙間があり、新吉殿が身を縮めて潜んでいるのです。
「──しかし、荷を改められたらマズいのではなかろうか?」
同じく作戦を察した本多殿が小声で聞いてきますが、小一郎殿はあっけらかんとしたものです。
「まあ、そこはハッタリで切り抜けるしかないじゃろ。勧修寺様に策は伝えてあるしの」
そうこう言っているあいだに我々は最後の角を曲がり、数人の兵が守る建礼門へと近づいていきます。
「はあ……。お上の顔を確かめるだけでええ言うてましたやん。何で麿がこんなことを──」
勧修寺様は不安げなお顔でぶつぶつと文句を言ってますが──上手くいくんでしょうか。
「開門! 羽柴小一郎以下五名、交渉のために参上仕った!」
小一郎殿が門前で呼ばわると、門がゆっくり開かれ、我々はいよいよ御所の中へと足を踏み入れることとなりました。もっとも、入ったところで二十人ほどの兵に囲まれたので、感慨を覚える余裕などありませんが。
「しばし待たれよ。事前の約定よりひとり多いようだが?」
その中でもっとも見栄えのいい鎧をつけた武者が、我らを制止しました。
「ああ、こちらは武家伝奏の勧修寺様にあらせられる。先日諏訪まで行かれたので、顔をご存じの方もおられるじゃろ。立会人として同行していただいた」
「聞いておらんぞ。そのようなことを認めるわけには──」
「あァん? 少し考えりゃわかることだろうが」
こういう時、孫一殿の迫力ある声は威力を発揮しますね。
「そもそも、人質の無事を確認せんことには交渉など出来ん。だが、俺たち下々の者にその帝が本物かどうか、わかるはずもない。ならばわかるお方に確かめていただくしかなかろうが」
「我らが偽者を立てるような卑怯な真似をするとでも言いたいのか!?」
「当り前だ、帝を人質に取るような輩など信用出来るか!
どうあっても勧修寺様の立ち合いを認めないと言うのなら、はなから交渉にならん。俺たちは帰らせてもらうぜ?」
苛立ったように孫一殿が言い放つと、その武者はしばらく煩悶の表情で考え込んだ後に溜息まじりに答えました。
「やむを得ん。勧修寺様の立ち合いは認めよう。
では、持ってきた荷を改めさせていただく」
そう言って、槍を振りかぶって荷に突き立てようとしたところで、勧修寺様が慌てて制止します。
「な、何をしますんや! 畏れ多くも、お上が口にされる献上品でおじゃるぞ。まさか、人を殺めるための道具で汚すおつもりやないですやろな!?」
ちょっと声は裏返ってますが、逆に真実味は増しましたかね。
「献上する者をのぞいては、お役目を任された者しか手を触れられんしきたりでおじゃる! それとも、武田家の者は帝の御威光を踏みにじるおつもりでおじゃるか!?」
「い、いやそれは──」
「監禁されとる者の中に桜小路殿か東十条様がおられるはずや、早う呼んで来てくだされ!」
「う、うむ──おい、誰かその両名を探してこい!」
慌てて何人かの兵たちが散り散りに走り出します。
──当然のことながら、そんなしきたりなどありませんし、そんな名前のお公家様もいません。ちょっと調べればすぐにバレそうなものですが、勧修寺様が少しは時間が稼げるのではないかと発案されたのです。
なにしろお公家衆とは『いけず』をするのが生き甲斐のような方々。公家の名前すら覚えきっていない田舎者に、わざわざ『そんな公家などいない』と教えて差し上げるほど親切ではない、ということです。
この時間稼ぎのちょっとした騒ぎのさなか、門の内側から死角になるあたりから、数人の忍びが音もなく走り寄り、塀にたどり着きます。御所の周りの幅広の道には遮蔽物もなく、潜入しようにも見通しが良すぎて困難だったのですが、塀にさえ取りついてしまえばこちらのものです。
またこの間に、音もなく荷車の底板の一部を外して下に抜け出した新吉殿が、あっという間に物陰に消えていきました。お見事。
「さて、この荷車は西側の御車寄に置いておきますので、ご不審と思うならそこで見張っておられたらよろし。ほな、動かしておきますわな」
勧修寺様の声に我らが荷車を動かそうとすると、慌てたような声が制止してきました。
「ま、待たれよ! 貴殿らの武器はここで置いていってもらわねば──」
「──何ぃ?」
孫一殿が鬼のような形相でゆっくりと振り返ります。
「二百人で五人を囲んでおいて、さらに武器まで取り上げなきゃ安心できんのか!?
武田の兵は強いと聞いていたが、はっ、どこまで腰抜けなんだ手前ぇらは!」
『な、何だと!?』『貴様──!』
武田兵たちが一斉に色めき立ちますが、その中心の武者が苦々しい顔のまま手振りで皆を制しました。
「静まれ! ──よかろう。そのまま奥へ進まれよ」
『し、四郎様、よろしいのですか? そんなことが弾正少弼(勘九郎信重)様に知れたら──』
「知ったことか! そんなことまで命令された覚えはないわ!」
──『四郎』というと、もしや武田家当主の武田四郎(勝頼)殿なのでしょうか。今の忌々しげな口調からすると、向こうも一枚岩というわけでもないようで。どうやらつけ入る隙は充分にありそうですね。
すると、ここを好機と見たのか、孫一殿を諫めるように三介様が一歩前に進み出ました。
「まあ、孫一殿も少し言葉をつつしまれよ。
誠に失礼ながら、武田家当主・武田四郎殿とお見受けいたす」
「いかにも。して、貴殿は──?」
「伊勢北畠家次期当主・北畠三介具豊」
『お、弟君が──!?』『まさかそのようなお方が交渉に来るなど──』
慌てたように武田勢が一斉に片膝をつきますが、三介様は苦笑いでそれを制しました。
「礼などよい。今のわしは、そなたらにとっては敵方なのだからな。
ただ、少し気になったのだ。貴殿らはこたびの兄上の暴挙に、心から賛同してはいないのではないか? 京の近くで突然に知らされ、心ならずも従わざるを得なかった。──そうではないのか?」
その指摘に、四郎殿が唇を噛んで黙り込みます。どうやら図星のようですね。
「やれやれ、甘すぎますぞ、御曹司。どんな事情があれ帝を人質にするなど、武士の風上にも置けんような卑劣極まりない連中ではないですか」
「そう言うな、孫一殿。武田家の存続を盾にされては、どうして彼らに抗うことなど出来よう。今の武田家の苦しい事情もわかってさしあげねばなるまい」
──あっ。これはお駒殿が子供たち相手によく使う手ではないですか。一方が高圧的に追い詰め、もう一方がそれを諫めつつ子供の肩を持つことで、心の距離を縮めるというあれです。
ここでとっさに、打ち合わせもなしにその応用を始めるとは──ふたりともやるなぁ。
「考えても見よ。四郎殿の妹御(松姫)が兄上の正室なのだぞ。武田家は人質を取られているようなものではないか。
武田家が、兄上の不埒な振舞いに無理やり巻き込まれたのだとしたら、わしは兄に代わって武田家の立場を何とかして差し上げねばならんと思うのだ」
三介様はそう言いながら、我らに『先に行け』と言わんばかりに背中に回した掌を振ります。孫一殿も目線で進むよう促して来ますし、ここはおふたりに任せておきましょうか。完全にこちら側に寝返らせられなくとも、今後の行動に迷いを生じさせるだけでも充分効果はありそうですし。
「さ、麿たちは荷を運んでおきましょ。その後で、弾正少弼殿のところに案内しとくれやす」
勧修寺様が手近にいた兵に声をかけ、本多殿と小一郎殿、私とで荷車を押し始めます。四郎殿が何か言いかけましたが、三介様が気を逸らすように大きな声で話しかけました。
「おお、そうか! 松姫様がわしの義姉上になったということは、四郎殿もわしの義兄上にあたるということではないですか!
わしも義弟として、義兄上のお力になりたいのです。お館様への取成しなど、微力ながら尽力させていただきましょう。
ささ、どのような経緯でこんなことになったのか、わしに詳しく話してはもらえませんか」
御所の南、建礼門から入った正面には、即位の礼などで使われる紫宸殿という一番大きな建物があります。その左奥が、帝が住まわれ政務を執り行う清涼殿です。
その清涼殿の裏側の御車寄に荷車を置くと、一緒についてきたふたりの武田兵が清涼殿の中の方を指差しました。
「弾正少弼様はこの奥の東庭においでです。そこに貴殿たちだけで行くよう、言われております」
「そ、それでお上は無事なんやろな? まさか危害を加えたりはしとらんやろな!?」
「さあ、わかりかねますな。清涼殿には我らの立ち入りは禁じられとりますので」
勧修寺様の問いへの答えは素っ気ないものです。やはり、こんな大それたことに加担させられているのに蚊帳の外に置かれているのが面白くないのでしょう。
「お、畏れ多くもお上に不自由を強いておきながら、何ちゅう言いぐさや! こ、この──」
「勧修寺様、そんなことよりまずは帝の御無事をお確かめせねば」
「そ、そやな。なら麿は殿上に上がらせてもらいますわ」
勧修寺様がばたばたと清涼殿への入口になる諸太夫の間に駆け込んでいかれます。残された私と小一郎殿、本多殿は無言で頷き合うと、別の戸をくぐって東庭へと足を踏み入れました。
「──あ、貴方は──!?」
東庭は、建物と回廊とに囲まれた白砂が撒かれただけの殺風景な空間で、その中心にここにいるはずのない人物が立っていました。
──明智十兵衛光秀殿。
その姿を見ても小一郎殿は驚いた様子もなく、世間話でもするように話し始めました。
「まあ、あるいは、とも思うちょったよ。明智の軍勢の中に、舅殿の姿が見当たらんとも報告を受けておったんでな」
「しかしこれほどの包囲の中、いったいどうやって──」
「簡単なことじゃ、半兵衛殿。騒ぎの前から御所の中に潜んでおった。──おおかた、手引きをしたのは二条(晴良)様ってとこかの?」
「ご明察」
その問いに、明智殿は穏やかな笑みすら浮かべて頷きます。
「え? でも前田(利家)殿が坂本で監視を──」
「坂本城は舅殿が作った城じゃからな。抜け道ぐらいは作っておいて、こっそり入れ替わったということなんじゃろ」
こともなげに言った小一郎殿が、ふと眉をひそめました。
「しかし、二条様はなぜ手を貸したんじゃ? まさかこんな暴挙をお認めになるはずもあるまいに」
「──まあ、俺の真意は教えてなかったからな」
その時、私たちの左──清涼殿の廊下の方から声がかけられました。
庭に降りる階段に、片膝を立てて刀を抱えるように行儀悪く腰をおろしたそのお姿──勘九郎様です。
「少し手伝ってくれれば近衛の失脚に手を貸すと言ったら、大喜びで飛びついて来やがった。こんなことをしでかすとまでは予想してなかっただろうがな」
孫一殿にも似た柄の悪いその話し方──記憶の中の勘九郎様とはまるで違います。
「そんなことよりも、小一郎、そろそろ腹を割って話そうじゃねぇか。いい加減、餓鬼のフリをするのにもうんざりだからな。
──お前、土佐の坂本龍馬だろう?」
──おかしい。
小一郎殿は龍馬殿の記憶を持ってはいるものの、その心はあくまで小一郎殿自身のものです。他の『記憶持ち』の方も同様なのですが、今の言い方からすると、勘九郎様はそうではないということなのでしょうか。──もしや、心そのものが土方歳三殿と入れ替わって──!?
私が思わず疑念を口にしようとすると、小一郎殿が後ろ手でさりげなく遮ってきました。
「いかにも、わしは土佐脱藩・坂本龍馬ぜよ。そういうおんしは新選組の土方歳三、でええんかの?」
これは、向こうの話に合わせてしばらく様子を見ようということなのでしょうか。
「ああ、全く妙な話だ。お前のことはずいぶんと探し回ったものだが、まさか三百年も過去に戻って会うことになろうとはな」
皮肉めいた言い方もまるで別人のようです。顔つきは間違いなく勘九郎様のそれなのですが──。
その時、清涼殿の奥から勧修寺様の声が聞こえてきました。
『小一郎殿、お上はご無事でおじゃる! 近衛殿下もご一緒や! ただ、殿下はだいぶ衰弱しておられるんじゃが──』
「おおっと、俺は関白には何もしちゃいないぜ?」
小一郎殿の顔に怒色が浮かんだのを感じてか、勘九郎様が少しおどけるように返します。
「飯もちゃんと食わせてるしな。ただ、帝を身を挺して守ろうとでもいうのか、御簾の前から一歩も動こうとせんのだ。
さすがは近衛前久、大した胆力だな。二条の爺さんとは大違いだ」
「二条様と──? 二条様はどうされたんじゃ?」
「死んだよ。俺の真意を知って、それに手を貸してしまった罪悪感に耐えられなかったんだろうな。その場で卒倒して、そのままあの世行きだ。まったく不甲斐ねぇ」
馬鹿にするように溜息をついた勘九郎様は、小一郎殿の顔をじっと見つめました。
「なあ、坂本。俺は前から思っていたんだがな──あれ、日ノ本には必要ないんじゃねぇか?」
顎で清涼殿の奥を示すような仕草を見せたのですが──え、まさか⁉
「『必要ない』? お公家衆のことかの?」
「いや、公家もそうだが──『帝』の存在そのものが、だ」
な、何て大それたことを──! まさか、勘九郎様の真意とは『帝』という制度そのものを廃することなのですか⁉
「──坂本。お前はさっさとくたばっちまったんで知るまいがな。
お前が薩長同盟や大政奉還を画策してまで止めようとした倒幕のいくさは、結局起っちまった。
俺はそのいくさを最初から最後まで戦い抜いた。鳥羽伏見、甲州、会津──みじめな負けいくさを繰り返しながら、最後は地の果てのような蝦夷地まで追い詰められて、そこで死んだ。
それで、つくづく思い知らされたのさ。──この日ノ本では何をどう頑張ろうが、帝の思惑ひとつで全てをひっくり返すことが出来ちまうっていう、馬鹿々々しい現実をな」
勘九郎様──あるいは土方歳三殿は、徳川と新政府軍との戦いの様子をとつとつと語っていきます。それは、かつて次郎殿や市松(福島正則)、勧修寺様たちから切れ切れに聞いていた話ではあるのですが、ひとりの視点から語られるのを聞いていると、どんどん追い詰められていく苦しみや苛立ちなどがよく伝わってきます。
──徳川の幕府には、帝に背くつもりなどなかったのです。確かに『攘夷』という実現不可能な要望には従いませんでしたが、それは異国との力の差を考えればこそ。少しずつ現実を伝え、帝のご意向を変えていただくべく努力していたのです。
それが、帝の代替わりで全てが台無しになった。
新たな帝の側には倒幕を主張するものたちがはべり、政権を返上した徳川家になおも絶対呑めない要求──全領地の返還を突きつけ、従えなかった徳川家を朝敵として討とうとしたのです。
「──徳川については、まあ、仕方がねえさ。長年、朝廷からまつりごとを取り上げていたことは事実だからな。
だが、何より俺が許せねぇのは──薩長のやつらが会津公(松平容保)を朝敵に貶めやがったことだ」
そう語る勘九郎様のお顔には、押し殺したような憤怒の色がはっきりと見えます。
「帝は会津公のことを誰よりも信頼していた。御自ら緋の衣を下賜して『陣羽織にせよ』とまで仰せられたのだ。そのことを語ってくれた会津公の、何と誇らしげで嬉しそうだったことか──!
その会津公が、帝が代替わりしてしまったら『朝敵』扱いだ。こんな理不尽があってたまるかよ!」
感情を昂らせた勘九郎様が、荒々しく拳で床を殴りつけます。
「近藤さん(近藤勇、新選組局長)もそうだ! 京でさんざん人斬りをやっていたような連中がいつの間にか官軍になって、それを取り締まって治安を守ってきた俺たちが逆に『悪の権化』扱いだ! 官軍に捕まった近藤さんは武士としての切腹すら許されず、罪人として斬首された! 理不尽じゃねぇか!」
この激しい憤りよう。──まるで土方歳三その人の言葉にも思えてきます。
「俺は認めん、そんな未来など絶対に認めねぇ! 会津公の忠義を、近藤さんの至誠を、何の力もない奴の思惑ひとつで反故にされ、踏みにじられるような馬鹿げた未来など、この俺がぶち壊してやる!」
激しい口調で言い放った勘九郎様の言葉をじっと聞いていた小一郎殿は、しばらくして穏やかに口を開きました。
「──それで、帝など必要ないというわけか。土方、おんしは『帝』という制度そのものを無くするつもりなんじゃな?」
「いや、それは最後の手段だ。さすがにそこまですると反発も大きいだろうからな」
思いのたけを口にして冷静になれたのか、勘九郎様も少し落ち着いたように答えます。
「だが、二度と武家のやりように口など出させん。帝は俺の居城にご動座いただく」
な、何と──!? 帝を自分の城に住まわせるということは、その身柄や行動を完全に支配するということではないですか!
「帝なぞ、しょせんは自分の食い扶持すらろくに稼げない穀潰しじゃねぇか。だから俺が養ってやる。
あとは、武家の棟梁たる俺のやることを追認だけしてくれりゃあそれでいい。
武家の棟梁の意思がすなわち帝の意思だということになれば、あのような理不尽なことなど起きようもないだろうからな」
確かにそれはそうですが──それは帝の自由意思すら認めない、つまり勘九郎様の操り人形にしてしまうということではないですか。
「──それで、お館様のことはどうするつもりなんじゃ?」
「織田信長には引退してもらう。『隠居』ではなく、完全に『引退』だ。
織田信長の天下布武は、この俺が代わって成し遂げる。一日も早く日ノ本を統一し、戦乱を終わらせる──これはお前の目指すところでもあるはずだ。
なあ、坂本よ。そろそろ信長と手を切れ。信長ではなく俺と手を組まねぇか?」
なるほど、これが交渉を申し出てきた一番の目的でしたか。
「──始めは、お前のことはさっさと排除しようと考えていたのさ。俺の行く手を阻む者があるとすれば、同じ境遇のお前だと思っていたからな。
だが、お前は使える。お前がやってきたまつりごとの形が、民にとっていいものであることも認めよう。
俺がいくさをして、お前が後方でまつりごとを取り仕切る。いい案配だとは思わねぇか?」
勘九郎様のその提案を聞いた小一郎殿は、しばらくじっと考え込んでから答えました。
「いや、お館様とわしとでもそれに近い形は出来るじゃろ。おんしに乗り換える必要を感じんな」
「はっ、信長はもう駄目だ。誰の影響なのか、すっかり丸くなっちまったからな。
天下統一のためには、甘いだけじゃ駄目だ。時には叡山焼き討ちや長島の根切りのような残虐非道なことも、あえてやってみせにゃならんのだ」
「ほうかの? わしゃ叡山、長島、本願寺でもいくさをせずに事を収めてみせた。これからも出来るだけ──」
「自慢の弁舌の才で収めてみせる、か? それがどこまで通用するかな?
──例えば、相手と言葉が通じなかったとしたらどうだ?」
「何じゃと⁉ おんし、まさか異国へ──!?」
「そうさ。俺は天下統一を成し遂げ、名を残す。親父ではなくこの俺が、だ!
そうしたら、日ノ本のことはお前に任せてやってもいい。侍の世を続けるも良し、身分のない『でもくらしー』とかいう西洋風の世にするも良し、好きにすりゃいいさ。
しょせん、俺はいくさしか能のない男だ。日ノ本からいくさがなくなったら日ノ本を出て、また別の戦場を探すまでだ」
「なるほど──そういうことか……」
そうつぶやいて、小一郎殿はしばらく俯きがちに何かを考え込んでいましたが、やがて毅然と顔を上げて口を開きました。
「おんしの考えはようわかった。だが断る」
「──なんだと?」
勘九郎様が凄むように睨みつけますが、小一郎殿はそれ以上に怒りをあらわにして声を荒げたのです。
「餓鬼のたわごとにつきあうのはもううんざりだと言っとるんじゃ!
ええ加減、その土方歳三の真似事はやめろ、織田勘九郎信重!」




