107 睨み合い 竹中半兵衛重治
本年もよろしくお願いいたします。
萬年山相国寺──。御所の北面に位置し、足利三代将軍義満公によって建立された寺院です。創建以来いくたびも火災に遭い、近くは天文二十年(1551年)、幕府内の権力闘争に巻き込まれる形で全焼し、現在も復興が進められている最中です。
そして今──その相国寺の門前では煌々と篝火が焚かれ、伝令とおぼしき兵たちがひっきりなしに行き交っています。お館様はここを本陣と定めて御所を包囲しつつ、恐らくは北から来るであろう明智軍への備えを固めておられるのです。
「お館様。羽柴小一郎、ただいま参上いたしました」
「待ちかねたぞ、小一郎、半兵衛! まずは現時点でわかっていることを申せ」
お館様も急変する事態を把握しかねているようで、さすがに少し焦りの色が見えます。そこで私たちも、なるべく簡潔にお駒殿の推測などを説明したのですが──。
「むう、なるほど……。すると、お前たちの見立てでは、勘九郎が『無明殿』だということでほぼ決まりだということなのだな」
「は。その目的までは定かではありませんが」
「ふん。どうせ、わしを失脚させるか追討の宣旨を出させるのが目的であろう。あのうつけめが──!」
お館様が忌々しげに吐き捨てますが、それに勧修寺様が異を唱えます。
「し、しかしやな、お上は先だって織田殿を参議に任じたばかりであらしゃいます。その直後にいきなり織田殿を朝敵にするなど、前言撤回するようなものではありませんやろか。
帝の言葉というのは、帝ご本人にすら覆すことの出来ないもので──」
「さて、それはどうですかの」
それを冷たく遮ったのは小一郎殿です。
「その道理は、力づくで無理を通そうという無法者相手には通じんですろ。
帝がどうあってもそれを拒むというのなら、別の帝を立てる、という手もありますので」
「馬鹿な⁉ まさか譲位を強要するなどと──!?」
さすがにお館様も血相を変えますが、小一郎殿はにべもありません。
「いえ、それで済むんならまだええ方です。考え得る最悪の結末は──弑逆です」
「弑逆──まさか帝を手にかけるとでも言うのか!?」
「その『まさか』です」
堅い声で言い切る小一郎殿に、皆が言葉を失いました。
「勧修寺様もご存じですろ? あの時代に広まったあの不穏な噂のことを──」
そして、とつとつと語り始めた小一郎殿によると──。
龍馬殿たちの時代、開国を迫る異国を追い払う(攘夷)か開国するかで、国論が二分したのだそうです。異国の力をよく知る幕府は『開国やむなし』との結論に達したのですが、異人を毛嫌いする時の帝(孝明天皇)は攘夷一辺倒だったのだとか。
それゆえ長州や一部の公家などの過激分子は、弱腰な幕府を倒して新政府を作り、帝の下で攘夷を成し遂げようと奔走していたのですが、肝心の帝には倒幕の意思は全くなく、あくまで幕府に攘夷をさせたいと思っておられたのです。
やがて長州や薩摩は異国の艦隊と実際に戦火を交えることとなり、その力を痛感したことで倒幕開国へと舵を切り直すのですが、それでは帝のご意向とは全く正反対になってしまいます。
そんな折、帝が病で急逝なされた──。
かつてその過激な言動によって帝の不興を買い、朝敵とまで認定されていた長州は、帝が代替わりすることで一躍討幕勢力の中心に返り咲いたのです。
そして、その直後からある噂がささやかれ始めます。帝は、その存在が邪魔になった誰かに暗殺されたのではないかと──。
「いや、いくら何でもそれだけはあり得んだろう。そいつらは確か『尊王攘夷』を主張しておったのではなかったか?
尊王を掲げる者がまさか帝を手にかけるなど──それこそ日ノ本最大の禁忌ではないか」
さすがにお館様が険しい顔で反論しますが、小一郎殿は小さく溜息をついて首を横に振りました。
「真偽のほどはわかりませんし、確かめようもありません。ですが、帝の死に不審な点があったことは確かです。
死因は痘瘡(天然痘)と公表されましたが、宮中で他に痘瘡に罹ったものはおらんのです。なら、帝はどうやって痘瘡に罹ったんですかの?」
確かに帝は御所から出ることもごくまれで、それどころか御簾の奥に鎮座ましまして、ほとんど人と対面することもありません。それでひとりだけ流行り病に罹るというのはかなり不自然です。
「それに、討幕派の連中は京を焼き払い、そのどさくさに紛れて帝を連れ去ろうとまで画策しておったのです。目的のためには手段を選ばんような連中が、邪魔になった帝をいつまでもはばかり続けるかどうか──はなはだ疑問ですな」
「信じられん──! 何なのだそいつらは⁉」
お館様が憤懣やるかたない様子で床に扇子を叩きつけますが、小一郎殿はそれを鎮めるかのように静かな声で語り始めました。
「あの時代は、誰もが熱に浮かされたように少しおかしくなっておったのです。
出来るはずもない『攘夷』というお題目に踊らされ、そのために奔走している己の姿に酔いしれ──。
攘夷をした結果がどうなるのか、とか幕府を倒した後どういうまつりごとをすべきか、ということまで考えていた者など、ほとんどおらんかったのではないですかな。
無論、日ノ本を良くしたいという想いだけは嘘ではなかったと思いますがの」
「おかしくなっとったのは何も武士だけやない、民百姓も、ですわ」
勧修寺様も付け足されます。
「ある日突然、村中の者が仕事も何もかも放りだして『ええじゃないかええじゃないか』と狂ったように囃し立てながら何日も踊り続ける。──そんな訳のわからんことが全国で起こったそうでおじゃる」
「う、ううむ、まったくわからん。なぜ、そんなおかしな世の中になってしまったのだ?」
疑念を挟むお館様に答えたのは小一郎殿です。
「おそらく、よく知らんものに対する本能的な恐怖から、ではないですかの」
「恐怖、だと?」
「日ノ本の民は、長いあいだ異国のことは見て見ぬふりをしてきました。こちらが門を閉ざしてしまえばそれ以上関わることもないだろうと。
ところが蒸気船が出来たことで、どんどん異人たちが海を渡ってくる。しかもどうやら、力づくで門をこじ開けようとしているらしい。
攘夷派による開国派の暗殺が横行し、治安が乱れ、おまけに天候不順による不作続きで物価も暴騰──。
そんな世相への苛立ち、何かが変えられてしまうかもしれないという恐怖、──それと、身分制度で永年抑えつけられてきた鬱屈や恨み恨みなどもあるでしょうな。そういったものが絡み合って、あの時代の狂騒的な空気が出来上がってしまったんではないですかの」
それを聞いて、お館様は腕組みをして深く溜息をつかれました。
「なるほど。そんな狂った時代だからこそ、帝を利用することなど何とも思わんようなおかしな連中も生まれたということか。で、勘九郎の受けついだ記憶というのは、そういった連中の──」
「いえ、恐らくは逆です。新しい帝を押さえられ、朝敵とされてしまったがために散々に煮え湯を飲まされた幕府側の者でしょう。その証が──あれです」
そう言って小一郎殿は、御所の上にはためく『誠』一字の旗を指差したのです。
「新選組? ──ああ、勧修寺様の記憶の持ち主(相馬主計)が所属していたという浪士組のことか。
ふん、あのふざけた旗はその新選組のものということだな。
だが、それならたかが『剣術使い』。どれほど腕が立とうが、さほど心配するほどのことは──」
お館様はいささか拍子抜けしたようですが、勧修寺様の表情は暗く強張っています。
「いや、それがですな、ひとりきわめて厄介なお人がおるんですわ。
他の者ならどうということもないんですが、羽柴から船を奪ったり、旗振り通信を遮断したり、少数で敵の弱点を強襲するなどの手際の良さを見ると、どうしてもある男の名が浮かんできましてなぁ。
幕府軍の指揮官のひとりとして最後まで戦い、恐らくは新政府軍が最も手を焼いた戦術の天才──新選組副長、土方歳三。
もし勘九郎殿の記憶の持ち主がその土方先生やったら、相当に手強いことは間違いないですやろ」
「土方、か。小一郎、おぬしもそいつを知っておるのか?」
お館様の問いに答える小一郎殿は、いささか困惑気味です。
「それは、まあ。ただ、龍馬の記憶には『新選組・鬼の副長』というふたつ名と、冷徹な人斬りだということくらいしか──」
「まあ、龍馬殿は新選組から逃げ回っていた立場ですから、直接知らへんのも無理はないですわな。
確かに京の治安維持をしていた頃の土方先生は、新選組という集団の副長でしかなかったんですがな。
その後、新政府軍との戦いを繰り広げているうちに西洋式の戦いを取り入れるなど、みるみる戦術家としての腕を上げはりましてなぁ。
兵たちからは、他がどれほど負けてもあの人が指揮を執っているところだけは決して破られないという、絶対の信頼を集めておったんですわ」
そう答える勧修寺様の顔は、どこか誇らしげでもあります。
「それほど凄いのか?」
「そうですな──相馬はその戦いには参加しておらんのやけど、何でも二万の兵が守る宇都宮城をわずか二千で落としたりとか、押し寄せる新政府の大軍を五百の兵で半月も防ぎ切ったのだとか」
「な、何だと──!?」
お館様が絶句します。まあ、私も小一郎殿も、先ほど聞いた時は耳を疑いましたからね。
城攻めには最低でも守備側の三倍の兵が必要だというのが常識ですし、わずか一割の兵で落とすなど聞いたこともありません。
私も二十人ほどで稲葉山城(岐阜城)を乗っ取ったことがありますが、あれは城攻めではなく、内部に潜入してのだまし討ちでしたからね。
そんなことを考えていると、小一郎殿が少し話を変えてきました。
「それでですな、お館様。もし勘九郎様がその土方の記憶持ちだったとしたら、明智勢と合流でもされたら厄介です。
まずは御所の包囲を固め、明智勢との合流を阻止すること。そして、なるべく早く交渉に持ち込むことが肝要でしょう」
「ううむ──おい」
お館様は小姓に声をかけ、京洛周辺の地図を持って来させました。
「明智勢が坂本から叡山を越えたという報せが来ておる。おそらくは御菩薩池あたりに布陣するであろう。それゆえ、御所の北と東は固く守らせておる。
他に呼応して動きそうな者はおるか?」
「一番怪しいのは霜台殿(松永久秀)ですが、そちらは手を打ってあります。伊賀者に後方を攪乱させとりますので、京に出兵する余裕はないですろ。
東の勢力は──正直言ってまだわかりません。勘九郎様の守役であった佐久間(信盛)様や河尻(秀隆)殿が動く可能性はありますが、岐阜と今浜のふたつの城を破って京まで来るには時間がかかりすぎます。それを当てにして計略を立ててはおらんと思うのですが──」
小一郎殿もお館様も首を捻って考え込みますが──うーん、どうにも解せません。
まさか、勘九郎様の少数の兵と明智勢だけで事を起こそうとした──? いえ、近くに羽柴もいれば摂津や河内の諸将もいるのに、それはあまりに無謀です。
では、それらの諸将の何人かと密かに結託して──いえ、それも考えにくいです。多くの人と秘密を共有すれば、それだけ事前に露見する可能性も高くなります。それに、失礼ながらこの辺りにいるのはさほど力のある武将ではありません。乾坤一擲の大勝負をするのに手を組もうと思えるほどの方は──やはり大和の霜台殿くらいでしょうか。
では、反織田のどこかと手を組む──? いえ、上杉や北条、毛利は遠すぎます。阿波の三好も昔ほどの勢いはありません。なら、他の方向には──あっ、しまった⁉
「お館様っ! 恐れながら申し上げます!」
私としたことが何てことだ。その方面のことがすっかり頭から飛んでいただなんて──!
「敵の増援が来るとしたら西です。丹波(現・京都府北部)です!」
「丹波? ──波多野、内藤か!?」
お館様や小一郎殿も、虚を突かれたように目を丸くします。
波多野(秀治)も内藤(如安)も、元は親幕府派です。お館様が公方様(足利義昭)を連れて上洛したことを機に織田家に誼を通じてきたものの、公方様追放以降は織田家と少し距離を置こうとしていたのです。
ただ、どちらも大して力のある勢力ではありません。たしか、本来の歴史ではいずれ明智殿が単独で討伐にあたるはずです。その程度の勢力なので、屈服させるなり潰すなりいつでも出来ると、お館様も対応を後回しにしていたのでしょう。私自身も、織田に対する脅威だという認識は極めて薄かったですし。
しかし今の状況で、ごく近いところにいる増援というのは、たとえ少数であったとしても局面を左右しかねません。
「──そうか、内藤如安は弾正(松永久秀)の甥だったな。その可能性はありそうだな。
よし、小一郎、すぐに動かせる忍びはおるか?」
「ええと、二・三人でしたら」
「軍勢を率いて丹波から来るなら、山陰道の老野坂峠を通るだろう。偵察に向かわせろ。
可能であればなにがしか工作して、多少なりとも足止めしてやれ」
「は。──保津峡はどうされますか?」
「あんな険しいところを来るとも思えんが──いや、船で少人数ずつ急流を下るという手もあるか。お前たちは率いてきた五十で、嵐山あたりを見張れ。
羽柴勢が到着次第、西に向かわせる。お前たちは無理に戦おうとせんでも良い。危ういと見たら即座に退け」
「は、承知しました」
「よし、行け」
その号令に私も腰を浮かしかけましたが、小一郎殿が思い出したように座り直しました。
「あ、お館様、ひとつ事後承諾していただきたき件がございます。
例の土方歳三を良く知る『記憶持ち』がふたりおります。戦い方などの予測に役立つかと思い、わしの一存でこちらに来るよう使いを出したのですが」
「ふたりもおるのか、誰だ?」
「ひとりは堀次郎殿です。土方とともに、幕府軍の指揮官の一人として最後まで戦った者(中島三郎助)の記憶をもっております。
もうひとりは、新選組結成以前から土方の同志だった男(原田左之助)の記憶を持っておりまして──徳川家の本多平八郎(忠勝)殿なのですが」
「あの男が、か? ──いや待て。なぜおぬしが徳川の家臣に指示を出せるのだ。
まさか、わしの名を勝手に使ったわけではあるまいな」
お館様の顔にかすかに剣呑な色が浮かんだのを見て、小一郎殿が慌てて否定します。
「い、いえ、滅相もない! そんな大層な話ではなく──お駒を通じて個人的にお願いしただけです」
「どういうことだ?」
「それが、お駒は本多殿に貸しがありまして、ですな。それを使ってもらったまでで」
「──はぁ?」
え。本多殿は小一郎殿が未来を変えていると知って、斬る気満々で怒鳴り込んできたような方です。うまく丸め込んで追い返したとは聞いてましたが──追い返すどころか貸しまで作っちゃったんですか?
お館様もしばし唖然としていたのですが、やがて爆ぜるように笑い出しました。
「あんな狂犬みたいな物騒な男に、どうやったら貸しなど作れるのだ! というか、そんなことを考えるおなごなど他にはおらんぞ!」
勘九郎様による御所占拠の日から五日が経ちました。
翌日には明智勢三千五百が現れ、御所の北方、御菩薩池(現・深泥池)付近の丘を背に陣を構えました。
さらに翌日には丹波方面から山陰道を通って内藤勢、少し遅れて波多野勢が到着。その数は合わせて三千強。桂川を挟んで陣取る羽柴の本隊二千と、睨み合いが続いています。
一方、こちらの本隊は五千。とはいえ、御所の包囲は一瞬の隙も許されませんから、交代要員も含めて二千ほど取られます。明智勢が南下してきた時に対峙できるのは三千というところでしょうか。
また、坂本城を奪った羽柴の別動隊三千が、叡山を越えて明日にも明智勢の東側に布陣すると思われます。そうなれば数の上ではこちらが優勢ですが、何といっても帝を盾にされているという弱みがあります。
そしてこの間、北の明智も西の丹波勢もほとんど動こうとはせず、膠着状態が続いています。おそらくはお館様追討の宣旨が出されるのを待っているのでしょうが、それが外に出るのを断固阻止していますからね。
また、この膠着状態は東でも起こっているようです。信濃の佐久間様が一万を率いて美濃との国境付近まで来ているようですが、そちらも大義名分が届くまでは動かないでしょう。
──さて、奥志摩から堀次郎殿が到着しました。九鬼の船で大坂まで来て、そこから陸路やってきたそうです。なぜかひとり、予定外の人がついて来ているのですが。
「──おんしを呼んだ覚えはないんじゃがな、孫一。播磨で毛利を牽制しておくよう言っといたはずじゃ」
「いやなに、ちと野暮用で大坂の近くまで来た時に、九鬼の船が見えたもんでな。で、次郎殿に事情を聞いて、助っ人に参上したというわけだ。小一郎の身に何かあったら事だからなあ。
ま、海援隊の仕事は心配いらん。ちゃんと部下に任せてきたのでな」
──まあ、この人の奔放な振舞いはいつものことですから。
そして、予定外と言えばもうひとり──。何と今浜城に入ったはずの三介様が、織田筒隊百を率いてやってきたのです。
さすがにこれにはお館様も雷を落としますが、それにも三介様はどこ吹く風です。
「三介、これはどういうつもりだ! 今浜を守れと命令を出したはずだ!」
「おや、これはどうやら伝令と行き違いになってしまったようですなあ」
「き、貴様──っ」
「今浜には三十郎叔父上がおられます。それにずっと警戒し続けていたのでは、そろそろ鉄砲撃ちも疲へいしておるのではないですか? 交代要員が必要になろうかと判断したのです。
お叱りは後で存分に受けます。まずは鉄砲撃ちの交代を」
「──ふん、好きにいたせ」
お館様はそっぽを向いて立ち去ってしまいました。まあ、確かに鉄砲撃ちが増えるのはありがたいことですからね。
その晩、通常の軍議の後、小一郎殿たちの秘密を知る者たちだけでの軍議が行われました。
参加者はお館様と三介様、私と小一郎殿、与右衛門殿、次郎殿、忍びの新吉殿と一之進殿、そして──孫一殿。
孫一殿がどうやら色々と気づき始めているようだということで、小一郎殿と三介様が本願寺との交渉の前に真相を打ち明けたのだそうです。
まずはお館様が切り出します。
「──さて、勘九郎たちもそろそろ気づいたようだ。宣旨を出させることが出来たとしても、一歩も外には持ち出せない、まったく無意味だということにな。
強行突破の試みも増えてきた。だいぶ焦れてきたようだな。そろそろ交渉を持ちかけてくるやもしれん」
次に発言したのは小一郎殿です。
「まあ、まず交渉役にはわしを指名してくるでしょうな。
勘九郎様がわざわざあの旗を掲げたのは、わしに『そろそろ決着をつけよう』という合図を送って来ているようにも思えるのです」
まあ、そうでしょうね。それ以外に理由が思い当たりませんし。
「で、お館様。交渉の落しどころはどのあたりでお考えですか?」
「いや、まずは交渉の前に必ず帝のご無事を確認しろ。それを拒むようならいかなる交渉も進めるな。
良いな、必ずおぬし自身の目で確かめよ」
「心得ました」
「帝の安全の保証と、いくさの回避。これが絶対条件だ。そのためなら、わしは家督をあやつに譲って完全に引退しても良い。腹を斬れというなら斬ってやらんでもない」
『お館様──!?』
皆が異を唱えようとしますが、お館様は手振りでそれを遮られました。
「だが、もしあやつが既に帝に宣旨を出させておったり、譲位をさせておったり、あるいは──すでに帝をその手にかけてしまっておった時は──」
お館様はそこまで言って俯いてしまわれました。その先を口にするのは、おそらく相当な覚悟を必要としたのでしょう。
誰も口を開かないまましばし時が過ぎますが、やがてお館様は毅然と顔を上げ、激情を乗せた極めて厳しい声で告げました。
「その時は──小一郎、情けなどかけるな。
臣下が私欲のために帝を利用するなど、断じて許してはならん。ひとたびそれを許せば、必ず後の世にそれをやらかそうという輩が次々と現れるだろう。それだけは阻止せねばならんのだ。
わしへの遠慮やはばかりなど一切無用。勘九郎を斬り捨て、勘九郎のやったことなど全て無かったことにしてしまえ!」




