100 石山本願寺 藤堂与右衛門高虎 天正二年(1574年)
翌朝、勧修寺様は随分とすっきりしたお顔で京へと戻っていかれた。夕べも人斬りの夢を見はしたものの、どこか他人事と割り切れたせいか、うなされて飛び起きるほど心を揺さぶられはしなかったらしい。
「小一郎殿のおかげで、これからは普通に眠られそうですわ。
まあ、麿が受け継いだ記憶は血生臭いものばかりで、あまりお役には立てそうにありまへんのやけど、公家としてお力になれることがあれば何でも言ってくだされ。
同じ境遇にある者として、出来得る限りお手伝いさせていただきますのでな」
うーん。そんなこと言ってしまって大丈夫なのか? 小一郎様は、このお方も孫一殿とともに異国への使者として行かせることを考えているらしいのに。それを聞いたら卒倒するんじゃないか、この気弱なお方は。
さて、近衛殿下の合流を待つあいだに、藤田殿たちを尾行していた小平太が戻ってきた。
藤田殿たちはこの宇治槙島の近くをこっそり通過して、河内国(現・大阪府東部)の東端を南下する高野街道を進み、紀見(現・大阪府河内長野市)に入ったらしい。
「あの辺りには傷に効く温泉がありますからね。そこでしばらく傷をいやした後に、高野山に入るようなことを言っていました」
「そうか。それで、明智家に連絡した様子は──?」
「いえ、藤田殿の家臣の忠義はあくまで藤田殿に向けられていますし、むしろ藤田殿を冷遇した明智様をうらむような言動が多く見られました。
明智家に帰参する者もいなさそうですし、わざわざ消息を報告することもないと見ました」
「ふうむ──。ならば一手、布石を打ってみるか」
小平太からの報告を聞いていた小一郎様の目が、ちょっと意地悪そうに輝いた。
「与右衛門、部下をひとり借りられるか?」
「え? まあ、それはかまいませんが──」
「坂本(明智家の居城)に使いを頼みたい。届けてもらいたいものがあるんじゃ」
そう言って小一郎様が袂から取り出したのは──藤田殿から切り落した髷か?
「これと、藤田殿の佩刀を明智殿に届けてほしい。口上は──そうじゃな。
『貴人の護送中に藤田殿が襲ってきたので、やむを得ず──残念です』
あとは深刻そうな面持ちで黙っとればそれでええ」
「そ、それではまるで、小一郎様が藤田殿を討ち果たしたみたいではないですか⁉」
「そう、『藤田殿は死んだ』──明智殿にはそう思わせておこう」
ううむ、まったく意味がわからん。一緒に小平太からの報告を聞いていた三介様と新吉殿も、しきりに首を捻っているし。
「明智殿や無明殿の企みはわしがいくらか潰してやったが、他にもきっと何かやっているはずじゃ。
で、もしそれらの悪事が発覚したとして、十兵衛殿はどう言い逃れをすると思う?」
「ううむ──」
皆が考え込む中、三介様が真っ先に答えにたどり着いたようだ。
「あっ、そうか! 藤田殿が死んでいると信じていれば、全ての罪をなすりつけるのではないか? なにしろ『死人に口なし』だからな」
「さすがです、三介様。それらの企みはあくまで藤田殿が勝手にしたことで、自分は知らなかったとでも言い張るでしょうな」
「うーん、なるほど。そこで藤田殿からの証言があれば、明智殿の嘘を暴けるということか」
「はい。藤田殿は明智殿を糾弾するための、大事な生き証人にも成り得ます。まあ、どこかで説得はせにゃならんでしょうが、消息だけは把握し続けておくべきでしょう。
──小平太。紀見に戻って、もうしばらくだけ藤田殿の監視を続けてもらえるか? 治部左衛門に連絡を取って、すぐ交代要員を送り込んでもらうでな」
「承知しました。──あれ、でも交代要員っていっても、そんなにすぐ動ける者が誰か残ってましたっけ?」
小平太が疑念を挟む。たしかに、治部左衛門殿の一党は十数人の小さな集団だと聞いているし、人のやりくりにはいつも苦労していると聞いていたのだが。
「いや、それがな」
小一郎様は、何だか笑いを堪えるような顔だ。
「帝からお褒めの言葉を頂戴したことで、里の年寄りたちがすっかり舞い上がってしまってなぁ。自分たちにも何か仕事をさせろと息巻いておって、治部左衛門も少し困っておるらしい。
この任務は危険度は高くなさそうだし、それなりに重要な任務じゃ。せっかくやる気になっとるんで、爺様たちにもひと働きしてもらうぜよ」
そうこうしている間にまた無為に十日ほどが過ぎ、何とこんなところで年越しを迎えることになってしまったのだ。
「うーん、近衛様、遅いのう。何か問題でもあったのかの」
不安げな小一郎様に、京の事情を多少知っている阿古丸殿がなだめるように声をかけた。
「まあ、年末年始の御所では、神事や宮中行事などが立て続けにありますからね。近衛殿下も、帝とちゃんと話をする時間がとれないのじゃないでしょうか?」
「いや、しかし織田と本願寺の和睦がかかっておるんですぞ? 多少時間を融通するくらいのことは──」
「わかってませんねぇ、小一郎殿。公家や朝廷というのは、そういうものなのですよ」
さて、羽柴の越前侵攻はこの間もほとんど進んでいないらしい。
朝倉は国境の木ノ芽峠などに陣を敷き、寒さとひもじさに震えながら羽柴の侵攻に備えているそうだが、一方の羽柴軍はお気楽なものだ。塩津浜あたりの屋根のある所に分宿しているし、時おり大規模な軍事演習などをやって見せてはいるが、元より本気で攻めるつもりなどないのだ。
明智家の目を北に引きつけておくのが主な目的なのだが、この分だと朝倉は相当に疲弊して自滅してしまうかもしれない。
殿からの文にも『まあ、退屈しのぎに雪原の鷹狩りでもしながら果報を待つとする』などと書かれていたしな。
しかし、我らも暇を持て余しているのは同じなのだが、こちらは目立つことをするわけにもいかない。
あまり出歩くこともできず、少し皆の苛立ちが募り始めていた頃、少進(下間仲孝)殿が少し猿楽(能の原型)の手ほどきをしてくれた。僧侶ながらも若い頃から金春流という古い流派を学び、実はかなりの腕前なのだそうだ。
なかでも、三介様の筋がとてもいいと少進殿が驚嘆し、ぜひ本格的に学ぶべきだと熱心に勧めていた。もっとも三介様ご本人は、領主として学ぶべきことが多いので、そちらは当分先に考えるとのことだったが。
一方の俺は──人には向き不向きというものがあるのだと再び痛感させられただけだった。
──そして十日ほどが過ぎ、ようやく近衛殿下が宇治槙島に到着された。
にこやかに帰って行った勧修寺様とは対照的に、すこぶるご機嫌が悪い。その日はほとんど何も言わずにふてくされるように寝てしまい──翌朝、宇治川・淀川を下って大坂へ向かう船の上で、近衛殿下の憤懣がついに爆発した。
「まったく、揃いも揃ってあの阿呆どもが──!
この会談が日ノ本の将来にとってどれほど大事なものか、これっぽっちもわかっておらんのじゃ!」
どうやら、帝ご本人は殿下と話をするおつもりが充分にあったようなのだが、周囲がやたらに難癖をつけて妨害したらしいのだ。
「やれ、この儀式の前にそのような話は不浄だ、不吉だ、前例がないなどと邪魔立てしおって──!
もたもたしている間に織田と本願寺の全面衝突が起こってしまったらどうなるかなど、まったく考えようともせんのでおじゃる!」
「は、はあ、それはまた──」
困ったような顔で生返事をする小一郎様に、近衛様が剣呑な顔つきで詰め寄る。
「──小一郎殿、麿が許す。勧修寺殿だけなどと言わず、公家連中などみな異国に送り出してしまえ。
あの阿呆どもも、少しは世間の荒波に揉まれりゃええんじゃあっ!」
「で、殿下、少し落ち着いてくだされ。今はまず、本願寺との交渉を成功させねばなりません。異国への使者の話は、それを成し遂げた後で考えましょう。
──あ、ほれ、そろそろ見えてきましたぞ。石山本願寺です」
ゆったりとした淀川の流れの行く手に、ようやく小高い丘のような石山の街並みが遠く見えてきた。
なるほど、これは相当に大きい。
石山本願寺のあるこのあたりはこの淀川と大和川、平野川の三つの川が合流する地点で、大小さまざまな島がひしめき合っている。
本願寺は特に大きな島の北東端にあるのだが、この島は古くから高台だったそうで、中州が育ったような他の島とはずいぶん高さが違う。すぐ傍を通っているわけでもないのに、見下ろされているような威圧感がある。
この高さも厄介だが、北や東は幅広い川に阻まれ、船がなければ近寄れない。さらに本願寺本体も堀に囲まれ、その周りを囲う寺内町も堀と塀で守られている。『寺』とは言いながら、ここは何重にも防備を固めた難攻不落の堅城なのだ。
──俺たちを乗せた船は、その本願寺のある島に近づいていく。ここまでは、織田の包囲軍に誤って攻撃されぬよう羽柴家の幟を立てていたのだが、阿古丸様が隣に別の幟を立てた。朱色で縁取りされ、『南無阿弥陀仏』と大書された幟だ。これが合図らしい。
桟橋で待ち受ける坊官や門徒たちも、やがて阿古丸様のお顔を確認したらしい。特に何かをされることもなく、船は桟橋につけられた。
「阿古丸様、よくぞご無事で──! 関白殿下もご足労痛み入ります。
で、そちらが織田家からの使者殿たちか。ん? ──お、お前はあの時の──⁉」
先頭で出迎えた一番身分の高そうな坊官が、小一郎様の顔を見るなり目を見開いた。
「ん? ああ、下間刑部(頼廉)殿じゃったか。しばらくでしたな」
下間刑部殿と言えば、紀州雑賀で小一郎様がやり込めた相手と聞いている。門徒たちが掲げる幟の文言の矛盾を指摘し、以後はその文言を二度と使わせないと約束させたのだとか。
「貴様がなぜここにいる!? ただの商人などと言って、拙僧をたばかったのか!」
「別にたばかったわけではないぞ。あの頃のわしは織田から追放された身で、本気で『商人の小太郎』として生きていくつもりじゃったからの。
今は帰参を許されて、こうして織田の一員として来たというわけでな。
──では、改めて名乗っておこうか。織田弾正大弼が家臣、羽柴小一郎秀長じゃ」
あっけらかんと答えた小一郎様の名乗りは、刑部殿だけでなく周囲の者たちにも大いに衝撃を与えたようだった。
『は、羽柴小一郎って──叡山の高僧たちが泣いてひれ伏したという、あの羽柴か⁉』『叡山どころか、舌先三寸で公方様をも追い払ったと聞いたぞ⁉』
──ずいぶんと噂に尾ひれがついているなぁ。
刑部殿はかつての屈辱を思い出したのか、しばらくわなわなと身震いをしていたが、やがて孫一殿を強く睨みつけた。
「孫一殿、これはどういうことだ! 道中で寄こした文にも、こんなことは書いていなかったではないか!」
「ん? いや、俺はこいつが羽柴の弟だとあっさり見抜いたからなぁ。まさか刑部殿が気づいていなかったなんて、思いもしなかったわ」
──また、何で火に油を注ぐような言い方をするかなぁ、この人は。
「くっ! ──い、いや、こんな詐欺師まがいの口舌の徒を、御門跡の御前に通すわけにはいかん! 皆の者、出会え出会え──!」
刑部殿の険しい声に門徒たちが一斉に槍や刀を構え、俺たちの部下も対抗するようにめいめいが身構えた。
これはまずい。こんなところで諍いを起こすわけには──。
「──ええい、黙らっしゃい!」
そんな物騒な空気を破ったのは、近衛殿下の一喝だ。
「麿が同行してきた使者には会わんということでおじゃるか?
それはすなわち、顕如上人が関白たる麿の面目を潰すということにもなりますが、刑部殿、貴殿はそれほどの権限を与えられてますのんか?」
「あ、いや、それはその──」
厳しい口調で問い詰める近衛殿下に、刑部殿がたちまち色を失う。
「それに、此度の会談の内容にはお上も大変に関心を示してあらせられる。よろしいか、刑部殿。関白の立場にある者がこの会談に立ち会うということの意味をよくよく考えられよ」
「──分もわきまえず、まことに不調法をいたしました。申し訳ございません」
刑部殿が冷静さを取り戻して深く頭を下げると、周りの者たちも矛を収めて頭を下げた。
「わかればよろし。ほれ、さっさと案内してたもれ」
「は、では家臣の方々はここでお待ちください。主立った方はこちらへ──」
ふう、何とかこの場はおさまったか。まだ刑部殿は、憤懣やるかたないといった顔つきを崩してはいないのだが。
さて、ここから奥へ進むのは近衛殿下と三介様、小一郎様と俺。後に阿古丸様や少進殿、孫一殿が続く。
──そういえば、いつの間にか新吉殿の姿がない。本願寺内部の何かを探りにでも行ったのだろうか。
門徒たちの刺すような視線を浴びながら寺内町を抜けて堀を渡り、本堂へと案内される。これもまたとんでもなく大きい。ひとつでも見たこともないほどの大きさなのだが、それがふたつ連なるように並び、圧倒的な存在感をもたらしている。さすがは真宗の総本山というだけのことはあるな。
本堂の中に入ると、十人ほどの高僧たちがむっつりとした顔で座ったまま待ち構えていた。最も上座に座っているのが──あれが顕如上人か?
「関白殿下と織田からの使者をお連れいたしました」
刑部殿が声をかけると、何とそのお方がすっくと立ち上がり、笑みすら浮かべて自ら歩み寄ってきたのだ。
「関白殿下、よく参られました。ささ、どうか上座へ──」
「いや、顕如殿。此度は非公式な会談なので、そのような気配りは無用でおじゃるよ。むしろ、車座でざっくばらんに話をしてはいかがかな?」
近衛殿下の提案に顕如上人が頷き、皆が車座に座り直した。もっとも俺や孫一殿、少進殿や向こうの高僧たちは少し外側に下がって位置取ったのだが。
「では、拙僧もざっくばらんにいかせていただきましょう。
浄土真宗第十一世宗主、本願寺光佐顕如と申します」
思っていた以上に若い。まだ三十くらいか? 武人のような体格の坊官も多いなか、むしろ小柄で物腰は柔らかだが、弱々しいというより一本筋の通った凛とした強さを感じさせる。
なるほど、これが全国の門徒の頂点に立つ者の佇まいか。
そして近衛殿下から三介様と小一郎様が紹介されると、顕如上人が穏やかに話し始めた。
「小一郎殿のお噂は色々と耳にしております。叡山焼き討ちを命じた信長殿を諫め、無血で降伏させたとか。こちらの下間頼廉のことも、ずいぶんとやり込めて下さったようですね」
──いや、表情はにこやかだが目の奥は笑っていない。あれは相手を値踏みする目だ。
「今後、織田との交渉の場に貴殿が出て来ることもあろうかと思いまして、どのようなお方か会ってみたいと思っていたのです。どうやら貴殿は孫一殿とつながりが出来たようなので、その伝手を使わせてもらいました」
そう顕如上人が言うと、後ろの坊官たちが孫一殿を一斉に睨みつける。無理もない、かつては門徒たちを率いる一軍の大将であったのに敵方についたのだからな。
「おっと、ひとつ言わせてもらうが、俺はまだ中立ですぞ? 本願寺に合力は出来んが織田方にもついてはおらん。
小一郎が気に入ったのでいずれ下につく気ではおるが、それは本願寺と織田の和睦が成れば、の話だ。もしいくさになるなら、俺は決着がつくまで傍観させてもらう」
「仕方ありませんね」
孫一殿の無礼な物言いを気にする様子もなく、顕如上人は淡々としたものだ。
「お味方していただけないのは残念ですが、敵に回られるよりはマシでしょう。
さて、小一郎殿、まずは──」
「まことにご無礼ながら、御門跡様──!」
その時、ふいに横合いから刑部殿が身を乗り出した。
「それがしはこの男といささか因縁があり申す。まずそれがしに話をさせてくだされ。
あの時は油断しておったので、真宗と一向宗の矛盾を突かれてしまったが──貴様などしょせんは百姓上がりではないか。何を言おうと、簡単に論破してくれようぞ」
鼻息荒く睨みつける刑部殿に、小一郎様も顕如上人も少し困った表情を浮かべていたのだが、やがて揃って大きく溜息をついた。
「はあ──小一郎殿、よろしいですか?」
「仕方ありませんな。刑部殿もこのままでは治まりがつきませんですろ」
それを受け、刑部殿が不敵な笑みを浮かべて一歩分ほど前に座り直す。僧兵のようないかつい体つきをしているが、おそらく学識の面でも相当に自信があるのだろう。
「さて、小一郎殿。まずは貴殿の信ずる宗派が何か、聞かせてもらおうか」
なるほど。どの宗派であってもその問題点を突き、言い負かしてやろうという肚積もりか。
だが、小一郎様はなぜか何も答えず、しきりに首を捻っているのだが。
「どうした? 貴殿の宗派は何なのか、さっさと答えんか!」
「いや、答えるも何も──よくわからんのじゃ」
「はぁっ──!? そんな馬鹿なことがあるかあっ!」
意外過ぎる答えに刑部殿が顔を真っ赤にして怒鳴るが、小一郎様は相変わらず困り顔で首を傾げたままだ。
「いや、郷里に行けば菩提寺くらいはあるが、ずっと『お寺さん』としか呼んどらんし、それで事足りたからの。お題目も口の中で適当に『なむなむ』と唱えとっただけじゃったからな。
宗派どころか、寺の名前すら知らんのじゃ」
「名前など、門に書いてあるだろうが!」
「そう言われてもなぁ、わしゃ村を離れて武士になるまで、字なんぞ読めんかったからのう。知ってのとおり、ただの貧乏百姓じゃったもんでな」
どこか他人事のような言葉に、孫一殿と三介様が思わず小さく吹き出す。刑部殿はしばし愕然とした顔のまま口をぱくぱくとしていたが、ようやく言葉を絞り出した。
「ま、まさか宗派すらないとは──! 貴殿は御仏を信じておらんのか?」
「いや、神仏がおるとは思っちょるよ。通りすがりにお寺や神社があれば心の中で手を合わせるし、道端のお地蔵さんや道祖神にも手を合わせる。
じゃが、どれが正しくてどれが偽物かなんてわからんし、考えたこともない」
「こ、この節操なしの罰当たりめが! 阿弥陀仏こそが唯一正しい御仏で──」
「どうやってそれを証明するんかの?」
小一郎様の指摘に、刑部殿の言葉がぴたりと止まった。
「──なあ、刑部殿。そりゃあどの宗派もそう言うじゃろ、『自分たちの教えこそが唯一絶対に正しい』とな。
だが、どうやったって証明なんぞ出来っこなかろう? それこそ御仏を呼び出して直に答えでも聞かん限りはな。なら、どの宗派の答えも唯一絶対に正しい答えなどではない。それはあくまで『人の出した答え』でしかないんじゃ」
「わ、我らの教義が間違っているとでも言いたいのか!?」
「そんなことは言うちゃおらんよ」
小一郎様の言葉は、いつの間にか諭すような優しい口調になっている。
「おんしらの教義はそれを信じる者にとっての正しい答えじゃ。それでええのではないか?
──刑部殿。こんなことに唯一絶対の答えなどないんじゃ。
それこそ宗派の数だけ、いや、人の数だけ正解があると言ってもいいかもしれん。
──神仏ならぬ人の身で、唯一絶対の答えを決めつけようとしてはいかんのだ」




