010 儲け話 竹中半兵衛重治
「おお、もう物になったか。さすがは酒造りの本職じゃな」
「はい、はっきり言って半信半疑でしたが、あまり出来の良くなかった酒がまさかこれほどに大化けするとは──どうかお味見を!」
「わかった。
──半兵衛殿、新しい酒じゃ、一緒に味見して下され。今日は特別じゃ」
酒蔵の主人に差し出された盃に目をやると、まるで水のように透き通った液体で満たされています。でも、このふくよかな香りは間違いなく酒のそれです。まさか、これが酒なのですか──?
恐る恐る口に含んでみると──。
こ、これはっ──!?
「どうじゃ、半兵衛殿。旨いじゃろ?」
くっ、得意げな小一郎殿が、実に恨めしいっ!
「小一郎殿、あんまりじゃないですか! こんな旨い酒を造る事が出来ることを知っていながら、私に酒を止めさせるなど、あまりにひどい仕打ちでは──!」
「隠れてこっそり呑んでることは、わしも義姉上もとうに気付いてるがの?」
あ、ばれてますし。
「まあ、今ぐらいの量なら体に害もないでしょうから、大目に見ますが。
──で、半兵衛殿。酒呑みの目から見てどうです、この酒、儲けになりますかの?」
「なりますよ! 飛ぶように売れるに決まっているじゃありませんか!」
「では、お館様に献上しに行きましょうか。さあ、ここからは楽しい商売の話じゃな」
岐阜のお館様に拝謁を申し込む書状を送り、数日後に登城します。
まあ、藤吉郎殿には事後承諾になってしまいますが、連絡がつかないのですからやむを得ないですよね。
「近江のとある酒蔵で偶然出来た酒──清酒と名付けましたが、まずはご賞味下さいませ」
毒味役の小姓、他の重臣方、そしてお館様が順に清酒を口にされ、そして一様に目を見開いて驚愕しています。
「何だ、これは──!? 小一郎、説明せよ!」
「は。これは普通の濁り酒にほんの少し手間を加えただけのものにございます」
「何と……! たったそれだけでこれほどの美味に──」
「ちなみに、元は正直言ってあまり出来の良くない酒でした。それが、そのひと手間で雑味や嫌なクセを取り除くことで、これほどの美酒となるのです。
では、元から出来のいい酒にこの手間を加えてみたらどうなるか──想像しただけでたまりませんなぁ」
小一郎殿の言葉に、皆様が思わず唾を飲み込みます。
この辺の、相手の想像をかき立てる語り口が、小一郎殿の話術の真骨頂ですね。
「で、お館様。この清酒、売れるとお思いでしょうか?」
「無論だ! この味ならば、帝や公家達までもが虜になろう! 間違いなく、織田の新たな資金源になる! 大々的に売り出して──」
「恐れながら申し上げます。泰平の世ならばそれも良いでしょうが、もう少し乱世向けの面白い使い方も出来るかと……」
「待て」
私の発言に、お館様が口をつぐんで、しばし考えこみます。
「──皆、外せ」
お館様が言葉短く人払いをされ、後には私、小一郎殿、そしてお館様だけが残りました。
何と。普通であれば数にも入れられない小姓や太刀持ちさえも残されません。
「ここには三人だけだ。半兵衛、申せ」
「では、申し上げます。
今は収穫の直後で、米の値が下がっております。そこで、素破(間者)や出入りの商人を使って、密かに他国から米を少しずつ買い集めましょう──そうですね、あまり目立たず、米の値が多少上がる程度に。
で、ある程度米が集まった時点で、帝や公家の方々に清酒を献上します。そして、高い評価を得て噂が広まり、皆が一度は呑んでみたいと強く思っているところで大々的に売り出します。間違いなく大儲けです。
──そして、清酒の製法を、他国の間者にそれぞれ密かに流します」
「何だと!? せっかくの儲け話を、何故わざわざ他国に知らせてやらねばならんのだ!?」
「実は、清酒の製法は極めて簡単なのです。濁り酒に灰や炭を混ぜて寝かせて、上澄みだけを取る、これだけなのです。多少、試行錯誤は必要でしょうが──。
どうせ、いずれどこからか漏れるでしょうし、独自に手法を発見するところもありましょう。
ならば、それをこちらの都合のいい時期に起こさせる方が得策です」
「むぅ──続けよ」
「『清酒を作れば儲かる』──どの家中もそう判断するでしょう。なにしろ、織田が大儲けするのを見てしまっているのですから。
来年も織田家が独占するはずの莫大な利益──その幾分かを、清酒の製法を密かに入手した我が家だけが横取り出来る、とも考えるはずです。
そして、慌てて米を買い漁る──たとえ米の値が高騰しようとも。
ああ、ここで多少備蓄米を流して利ざやを稼ぐ、という手もありますね。
そして、どの家もほぼ同じ時期に清酒の販売に漕ぎつければ──」
「……」
「清酒は思ったほどの高値では売れなくなります。充分な量が市場に出回れば商品の値が下がるというのは商いの道理ですので。
儲かると見込んで大枚をはたいたのに、見込み違いで大損を被るところもありましょう。
まあ、織田の清酒は、『御所御用達』『本家本元』の二枚の金看板があるので、それなりの高値は付くでしょうが。
──そして、全国的に米が入手しにくい状況になってしまえば──どの勢力も、当分は戦のための兵糧集めにさぞや難儀することでしょう。
敵が戦を起こしにくい一・二年という『時』を稼ぐことは、今の織田家にとって、一時的な儲けよりはるかに大きい利となろうかと」
しばらく、黙って考えを巡らせていたお館様が、ようやく口を開かれました。
「──なるほど。
半兵衛、これは、おぬしではなく小一郎の考えであるな?」
「!? 何故、そのような──」
「物事を損得を基準に考える、戦の起こりにくい状況を作る──いかにも小一郎の考えそうな手だからな」
思わず顔を見合わせ、そして小一郎殿が平伏します。
「ご慧眼、恐れ入ります」
「ふう──たかが酒の作り方ひとつを材料に、ここまでの策を描きおるか…。
とんでもない奴じゃのぅ。
何やら、国友村でも面白そうな事を始めたらしいしな…」
そこで大きく溜息をつかれ、お館様は真顔で小一郎殿の顔を見つめて切り出されました。
「──小一郎、改めて訊くぞ。おぬし、やはりわしの直臣にならぬか?
兄から独立し、直にわしの元で働かんか?」
「恐れながら、その儀は、平にご容赦を。それがしは、あくまでも兄者の補佐役ゆえ」
「そうか。──では、やはり、今斬っておくべきか」




