日本会合 (2)
会議が始まると、篠崎も木戸もひと言も発することなく静かだ。TOEICの点数は篠崎が530、木戸が475と、技術系社員としては平均的。つまり、どちらもこうした会議では苦労する英語力ということだ。
だが昼食時の雑談では、篠崎が持ち前の明るさと社交性を発揮して大活躍だった。彼女にはTOEICの点数を補って余りあるコミュニケーション力がある。英語の名刺に日本語の名刺を添えることで話題を作りながら、参加者たちに片っ端から声をかけていた。
日本語の名刺は「おお、漢字! かっこいいね」と、漢字文化のない地域の人々には大好評だ。あおりをくらって、どうしたことか遙香まで「漢字の名刺ないの?」とせっつかれる始末。いくら会合とはいえ、JDDの名刺は日本語のものまで持ち歩いていなかったため、CCテックの名刺を配った。
昼休みには、宮園も顔を出した。会合には出席しないものの、旧交を温めにきたらしい。遙香は会合出席を交代した理由については口をつぐんでいたので、彼がくも膜下出血で倒れた話は、本人の口から聞いて初めて知った者がほとんどだ。宮園が行く先々でどよめきが起き、いたわりの言葉をかけられていた。
宮園と篠崎は、挨拶して回りながらも、情報収集に余念がない。どちらも単独で人の輪に入っては、ごく自然な様子で雑談に参加する。ジェシーや有坂の手を借りてやっと何とか情報収集する遙香とは大違いだ。
会合初日は、何も起きることなく終わった。二日目も、特に何ごともなく開始時間となる。
二日連続で問題なしとなれば、次第に肩の力も抜けてくるというものだ。二日目の昼休みには、篠崎からは軽口が飛び出してくるようになった。
「おいしいタダご飯が食べられる、いい外出だった」
「まだあと一日残ってますよ」
「でも、このまま平和に終わりそうじゃない。やっぱり、部外者が入れない場所を会場にしたのがよかったんだね」
すっかりくつろいでいる篠崎に、遙香は笑ってしまう。笑いながらも、実は彼女も胸のうちでは同じような感想を抱いていた。──残念ながら、平和に終わることはなかったのだが。
誰もが気を緩め始めてしまった二日目の午後、事態は大きく動いた。
始まりは、研修センターの管理人が遙香を探して声をかけたことだ。
「すみません、相沢遙香さんはいらっしゃいますか」
すでに会合は終わり、出席者たちもホテルへ戻って研修センター内はがらんとしている。帰り支度を始めた遙香たちのところへ、初老の男性がやってきた。彼が研修センターの管理人だ。
怪訝に思いながらも、遙香は「はい、私です」と管理人を振り返った。彼は恐縮した様子で用件を切り出す。
「送っていただいたUSBについて、教えていただきたいことがありまして」
「はい?」
管理人の言う「USB」とは、おそらくUSBメモリーのことだろう。だが何にしても、彼女にはまったく心当たりのない話だった。思わず反射的に聞き返してしまったが、管理人はそれを承諾と受け取ったようだ。すまなそうに話を続けた。
「同封の手順書どおりにやってみたんですが、どうもうまくいかないんです。ちょっと教えてもらえませんか」
「すみません、何の話だか全然わからないんですが」
「さっき宅配便で受け取ったUSBの話です」
だが遙香はUSBメモリーなど送っていない。困り果てて首をかしげる遙香に、やっと管理人のほうも会話がかみ合っていないことに気づいたようだ。いぶかしげに眉根を寄せる。そこへカイルが三階から下りてきた。
「どうしたの? 何かあった?」
「私から受け取ったっていうUSBメモリーについて、管理人さんが質問に来たんです。でも私はそんなもの送ってないから、困っちゃってて」
「は? USBメモリー?」
英語で簡単に説明すると、カイルのまとう雰囲気が一変した。下りてきたときは人懐こい笑顔だったのが、一転して剣呑な表情でジェシーに目配せをする。ジェシーも厳しい顔をして、うなずきを返した。
「そのUSBメモリーは、もうPCにつないじゃった?」
「つないでるみたいです。つないだ後の操作方法がわからなくて、質問に来てるから」
遙香の答えにカイルは顔を歪め、いまいましげに舌打ちをした。
「くそ! やられた!」
「まさかこう来るとは思わなかったよね」
ジェシーも渋い顔だ。
「ハル、念のため、館内のネットワークをいったん落とすね」
遙香はジェシーの要請を通訳して管理人に伝え、確認をとった上で「はい」と同意した。末端のアクセスポイントではなく、大元の光回線につながったルーターを落としたいらしい。あわただしくネットワーク機器の設置場所に案内してもらい、電源を落とす。緊迫感をみなぎらせる二人の様子に、わけがわからず彼女は眉尻を下げた。
「どうしてネットワークを落としたんですか?」
「これから確認するけど、USBメモリーをつないだPCは乗っ取られてる可能性が高い。だからそばに行く前に、ネットワークを落としておきたかったんだ」
「えっ」
USBメモリーを使ってマルウェアを仕込むのは、単純かつ効果的な、古典的手口だ。自動実行の機能を利用して、スロットに挿入しただけでマルウェアに感染させる。仕込む側からしたら、実に簡単である。だから所有者のわからないUSBメモリーなど、決して不用意にPCにつないではいけないものなのだ。
今回は遙香の名前で送られてきたので、管理人は安心してつないでしまった。だが実際には、彼女は送っていない。ということは、誰かが遙香の名を騙って送ったということだ。名前を騙って送りつけられたUSBメモリーなど、どう考えたって悪意しかない。なにがしかのマルウェアを仕込む目的だったと考えるべきだろう。
もしスパイウェアが仕込まれていれば、カメラもマイクも遠隔操作されている可能性がある。犯人がカメラで盗み見ている中で作業をすれば、こちらが攻撃に気づいたことを相手に知らせることになってしまう。だが、ただ単に通信が切れただけなら、単なるネットワーク障害と区別がつかない。だからPCに近づく前に、ネットワークを落としたのだ。
ジェシーはさらに、USBメモリーを見せてほしいと要望した。管理人はもちろん快諾する。もともとそのために遙香を訪ねてきたのだから。案内されて向かった先は、管理人室だ。カイルとジェシーだけでなく、篠崎と木戸もそれに続いた。
管理人室の片隅には机がひとつあり、その上にデスクトップPCが一台置かれていた。
「こいつのWi-Fiも切っておくよ」
「はい」
カイルはWi-Fiから切り離すために、ワイヤレススイッチをオフにしようとPCを操作し始める。ところがその作業中に何げなく目にした画面を、ギョッとしたように目をむいて二度見した。
あまりにも見事な二度見だったので、遙香も気になって画面をのぞいてみた。するとカイルの視線の先にあるのは、アプリでデスクトップ上に置かれた、黄色の付箋紙だった。付箋紙には、何かのIDとパスワードがメモしてある。
カイルは目を据わらせて、遙香に尋ねた。
「これは何のパスワード?」
「無線アクセスポイントの設定用だそうです」
管理人に質問を仲介して答えを伝えれば、カイルは苛立たしげに深くため息をつく。
「どうしてデスクトップにこんなものを貼り付けてるわけ?」
「前は紙の付箋紙をディスプレイに貼ってたんですって。でも、風で飛ばされてなくしちゃったことがあって、大変な目に遭ったんだそうです。それで二度となくさないよう、付箋紙アプリにしたと言ってます……」
「紙のほうがまだずっとマシだったよ!」
紙の付箋紙なら、この部屋に入らない限りはパスワードを盗み見られる心配がない。けれどもデスクトップ上に置かれた付箋紙など、不正アクセスによりPCが乗っ取られてしまえば、どこからでも見放題だ。
「なんでパスワード管理アプリを使わないんだ。紙で管理するなとは言わないけど、それならノートを使いなさいよ。普通のノートでもいいし、パスワードブックだっていろんな種類が売られてるでしょ。それを鍵のかかる引き出しに入れておくんだよ。紙で管理するならね」
カイルの説教を、少しだけやわらかい言い回しの日本語に変えて管理人に伝えた。管理人は「パスワードブックなんてものがあるんですね」と感心している。
カイルはくどくどと説教しながらも付箋紙をスマホで写真に撮り、PCのワイヤレススイッチをオフにした。そして確認が終わるまでこのPCでは決して作業をしないよう、管理人に要請した。
PCの応急処置を済ませた後、同封されていたという指示書とともに、PCにつないであったUSBメモリーを回収した。宅配便のパッケージもまだ処分前だったので、一緒に回収しておく。




