苦い過去
——刑は優等生だった。
正確に言えば、凡人よりほんの少しだけ有能な人間だった。しかし、要領が良かった刑は特に努力もすることなくヒーローになれてしまった。
曖昧な夢も、実際に勝利の味を覚え、人々の喝采を浴びてからは天職と言わんばかりにのめり込んだ。だが、芯なき英雄に陰りが見えるのもまた、早かった。
「え? 生放送が取り消し?」
「すまないが惨刑場はゴールデンタイム向きの能力じゃ……放送は深夜に回させてもらうよ」
「ちょ、ちょっと! 待ってください!」
「すまない。世界を守っているのは君たちなのに、スポンサーに勝てないなんてね……」
その時、初めて自分の適合した能力を呪った。ジーニアスやレスキューレッドのようなカッコよく画面に映えるものだったら、表の道をずっと歩けたのに、と。
だが、この時はまだ腐らなかった。深夜帯という時間は、顔立ちの良い刑に追い風を吹かせる。
サブカル女子たちが若手俳優を持ち上げるが如く、刑の人気は局所的にうなぎ登りだった。
応援してくれる人は限られても、応援の声は何より励みになった。ただ、それだけでは足りなかった。
表舞台で浴びていた喝采が忘れられない。自己承認欲求はとめどなく溢れ、刑の心をどんどんと歪ませていく。
そんなある日、試験官の仕事が舞い込んだ。そこで刑の心は完全に壊れることになる。
ヒーローとしての実力、経験も豊富な刑は、志望者のレベルの高さに驚いた。
さらに光り輝く逸材も確認できた。いかに天才だろうと、今の刑とには大きな隔たりがある。
それでもいつか追いつき、追い越されるという恐怖が刑を支配した。さらに刑は憤慨した。
自分より弱い存在が、表舞台に立てるような世界展開に適合するかもしれない。そして自分より喝采を浴びるかもしれない。
歪な心に、とうとう闇の雫がこぼれ出した。そんな闇を抱えていた時に刑は靄のヴィランに取り憑かれてしまうことになる。
「アンタ、いい男じゃない! ……溜まってるの、アタシが発散させてあげるっ」
本当の強さを抑え、観測計器すら騙したヴィランはあっさりと刑に斬り倒された。
「なっ!?」
ヴィランを倒した瞬間、靄に包まれた刑は、暴走する自我を必死に抑え込んだが、全能感がじわじわと意志や性格を作り変えていく。
そして取り込んだ闇を表に押し出すのに躊躇がなくなっていった。
刑は悪人ではなかった。
そして、人より少し有能だったが、人より少し弱かったのだ。
それがこの結果だと言わんばかりに、現実が飛彩たちに突き付けられていた。
「ひ、飛彩くん……」
懇願するような声を放り出したあと、糸の切れたマリオネットのように刑の上半身だけが崩れ落ちる。
それと同じくして、ずるりと剥がれるように、刑から黒い人型の何かが飛び出した。
腰から上が二股になる形で出て来たそれは人型になった靄としか形容でにない。
「はぁー、この姿で外に出るのも久しぶりねぇー。いっつも誰かに取り憑いてるからさ!」
「ぐっ!」
ヒーローの蹴りはスーツを越えて生身へと衝撃を与える。同時に後ろへと飛んでいなかったら内臓が破裂していたこと間違いないだろう。
「私は取り憑いている子の能力が手に取るように分かるの! だから好き放題生きてあげたわ」
直後、惨刑場による不可視の刃が飛彩を襲った。すでに異世の展開が始まっている以上、広範囲に能力が及ぶようになっている。ノーモーションで放たれる刃をかろうじて躱していくことしか出来ない。
「だからどうしたクソカマ野郎……!」
「ヒーローの世界展開は敵と同時、もしくは敵が張っている状態からじゃないと出来ないのよ? だから必死に守らされているのよねぇ」
幾許かの動揺が生まれた。聞かされていない事実がどんどんと明らかになっていく。それこそが刑が世界展開していた方法だと知りつつも、驚きは隠しきれない。
「ヒーローが遅れてやってくるっていう定説はそういうことか?」
「あーら、まだ冗談が言えるなんて素敵よ」
あえて惨刑場を使わず、抱きつくように腕を大振りにして近づいてくる刑を払いながら、飛彩も果敢に鳩尾などに攻撃を繰り出すが、ヴィランズにダメージは届いていないようだった。
「私はそれを利用させてもらったの。検知にも引っかからないほどの極小の領域を展開、その後にこの子の領域を展開した」
威力も範囲も限られるけどね、と付け足す。それでも受験生を絶望に叩き落とすことくらいは出来るだろう。さらに情報を好きなように集めるための力としても充分すぎる。
「けっ、動揺させようってんならもっとすげえ情報が必要だぜ?」
距離を取ると同時に銃撃音が整った刑の頰を掠めた。攻撃にも慣れたと言わんばかりの挑発は、その中にいるヴィランの顔を邪悪な笑みに染め上げた。





