第六章 その12(終)
12
ヴィクトリアス王国の首都ヴァナハマを襲った大地震は、その町以上に、ひとびとの心に深い傷を残した。
犠牲者は数えきれず、無事に生き残っても住む家はなくなり、一ヶ月が経っても町には瓦礫が無数に残されていた。
三ヶ月経ったころ、ようやく瓦礫の撤去も一段落し、半年も経てば町の半分程度は家が建ち、町そのものもほんのすこし明るさを取り戻していたが、まだ町外れには多くの瓦礫が残され、悲劇の跡は決して消えてはいなかった。
それでも人間という生き物は強いと、ガルダは壊滅した町を見回りながら考える。
これだけ打ちのめされても、人間は決して生きることを諦めない。
歴史がそうだったように、人間は何度滅びに接しても、そのたびに蘇ってここまで歴史を紡いできたのである。
このヴァナハマも同じだ。
一度は滅びたが、いままた、悲劇の町から希望を込めた町へ生まれ変わろうとしている。
もし魔砲師がいれば復旧はもっと早かったかもしれないとガルダは思う。
この世界に、魔砲師はもういない。
地下に存在する制御装置〈ソル〉が稼働している以上、この世界のどこにも魔砲師は存在できないのだ。
〈ソル〉を止めることは、いまのところできない。
〈ソル〉がある地下空間はすべて地中に埋まってしまっている。
ガルダとリリスもいっしょに閉じ込められそうになったのだが、危ないところで逃げ出し、なんとか生き埋めにならずに済んでいた。
もし魔砲があれば〈ソル〉を掘り出すことはむずかしくないだろうが、魔砲の力なしにあれだけ巨大な空間から〈ソル〉を掘り出そうと思うなら何年、何十年とかかるにちがいない。
それに、そもそも〈ソル〉には停止機能はついていないのではないかとガルダは考えるようになっていた。
〈ソル〉が魔砲師の力を抑制する目的で作られたなら、魔砲師がそれに反発することは容易に考えられる。
そのとき、魔砲師が〈ソル〉を停止させられないような、特別な機構を〈グール〉が組み込んでいてもおかしくはない。
「――時計の針を戻すことは、もうできないんだ」
破壊された町は再生できる。
ひとびとは再び立ち上がることができる。
しかし時間が元に戻るわけではない――人間は、決して過去には戻れないのだから。
もしあのときに戻れたらどうするだろうとガルダは考え、きっと戻ったとしても同じ選択をしたはずだと思う。
それは、だれにしても同じだろう――ひとはみんな、無意識のうちに最善だと思う選択肢を選んで生きているはずだから。
ユーキリスにしてもそれは同じだったにちがいない。
――あれから半年経って、ユーキリスは未だ見つかっていなかった。
あの日、姿を消してからいまでもどこかで生き延びているのか、あるいはもう生きてはいないのか、それさえもわからない――それでいいと、ガルダは思う。
だからことさらユーキリスを探させることもしていなかった。
もしユーキリスが見つかったからといって、なんになるのか。
時間は元には戻らない。
もう過ぎ去って、ひとびとは前を向くしかないのだ。
町を眺めながら歩いているうち、ガルダは王立フィラール魔砲師学校の正門前にたどり着いていた。
ここ半年、学校は即席の避難所と化し、大勢の人間を収容していた。
それもいまではほとんどなくなっていたが、まだ住む家がない避難者たちは学校の校舎や寮を一時の我が家としていた。
そもそも、王立フィラール魔砲師学校は、もう存続できない。
魔砲師がいなくなった世界では魔砲師学校などなんの意味も持たない。
ガルダは校内へ入り、そのなかをゆっくりと歩いて、寮にたどり着いた。
学生寮は、いまはもう学生は住んでいない。
家がある者は家に帰り、そうでない者もほかの町へ引っ越していて、いまこの寮に残っているのは町で家を失ったひとびとだけだった。
そのため、寮のまわりではちいさな子どもが遊んでいたり、母親同士が立ち話をしていたりして、半年のあいだにずいぶん変わったものだとガルダもちいさく笑った。
寮は、この規模の建物ではほとんど唯一、地震での倒壊を免れていた。
というより、地震は町の中心を対象にしたごく狭い範囲で発生したもので、町の外れにある学校は直接的な被害はほとんど受けていなかったのだ。
寮のなかに入り、階段を上がる。
七階まで階段で上がるのは一苦労だった。
ようやく廊下に出て、軋む板張りを進んでいくと、ちょうど目的の部屋の扉が開いた。
「あ、ガルダさん」
「レイアちゃん、こんにちは。様子は?」
「うん、まあ、変わらず。入る?」
「ああ、お邪魔するよ」
ガルダが部屋のなかに入っても、玲亜は扉を開けたままきょろきょろと廊下を見回していた。
「リリスさんは?」
「今日はいっしょじゃないよ。リリスは王宮」
「なんだ、そっか。またどこかに隠れてるのかと思った」
七階の一室は、それほど広くはない二人部屋だった。
突き当たりにちいさな窓があり、向かって右に二段ベッド、左には机がある。
ガルダは部屋に入るなり、まず右側のベッドに視線を向けた。
二段ベッドの下段には、仰向けで寝そべる人影がある。
「――まだ、目は覚まさないか」
ガルダはわずかに眉をひそめた。
それでも桐也は、あの日から眠ったままだった。
この半年、桐也の状態はなにも変わらない。
生きているのか、死んでいるのか、それさえも外部からはよくわからない状態だった。
心臓は動いている。
しかしときおり、止まったように感じるときもあって、しばらくするとまた動き出したり、止まったりを繰り返しているのだ。
妖精王は、それはおそらく死と生の狭間なのだろうと言っていた。
いつどちらへ転んでもおかしくないような、危ういバランスで成り立つまどろみ。
その状態が半年も続いているのだから、桐也はもちろん、まわりの人間たちも決して安心はできなかった。
ガルダが椅子に座り、玲亜がお茶でも出そうと一階にある食堂へ出かけると、しばらく桐也とふたりきりになった。
「――キリヤ、ぼくは、自分のしたことが正しかったのか、まだわからないよ」
ガルダは桐也の寝顔を見ながらぽつりと呟いた。
「ぼくが〈ソル〉を起動させたことで、大勢のひとたちが助からなかった。魔砲で救助すれば、もっと大勢が助かったにちがいないんだ。町の復旧だってもっと早かっただろう。きみだって――」
「……でも、あのままだと町もひとも、もっとひどいことになっていたと思います」
「――ユイ」
ぎい、と扉が軋みながら開いて、ユイが部屋に入ってきた。
その後ろから玲亜がやってきて、わ、もうひとり分用意しなきゃ、ととりあえず一人前を部屋に置いてまた出ていく。
ユイはそんな玲亜の姿にくすくすと笑い、桐也の顔が見える位置まできて、そっと桐也の手を握った。
「あのまま放っておけば、もっと大勢のひとが亡くなったと思います。あのひとは、本当に町を壊滅させるつもりでした」
「……ユイ、きみは、ぼくを恨んでいないの?」
「恨むなんて、どうして」
「町は、きみの言うとおり、多少は助かったかもしれない。でもその代わり、キリヤは――」
「キリヤくんが目を覚まさないのは、その地下の機械のせいじゃありません」
「でも妖精王は、〈ルナ〉が破壊された以上、そのままにしておけばキリヤのエレメラリアは活性化したかもしれないって。〈ルナ〉の効力で抑制されていたものがすこしでも緩和されれば、目覚めるかもしれないって」
「それは――あの、ほんとのこと、言ってもいいですか?」
「うん――」
「ほんとは、すこしだけ、恨んでます」
ユイは桐也の手を握ったままうつむいた。
その目から、涙があふれてくる。
「わたし、ひどい人間なんです――町なんて、ほかのひとなんてどうでもいいから、キリヤくんだけは無事でいてほしかったなんて、考えちゃって――そんなこと、考えちゃいけないのに」
「いや……きっと、それは自然な感情なんだと思う。ぼくもそうなんだ――町のひとたちをもっと助けられたかもしれないって思う。でも、町のひとどころか友だちのひとりも助けられなかったじゃないかとも、思うんだ。ぼくもキリヤを助けたかった。ぼくは妖精王からキリヤのことを聞いてたんだ。〈ソル〉を使えばキリヤのなかにある〈ワーズ〉が効力を失うかもしれない、そうすればキリヤは死んでしまうかもしれないって、わかってた。それでもぼくは――」
王子として、魔砲師として、友人として。
それ以前に、ひとりの人間として、ガルダはあのとき、〈ソル〉を始動させることを決めたのだ。
「キリヤは、ぼくが殺したようなものだ」
「それなら、わたしも同じです。すぐ近くにいたのに、なにもできなかった――わたしの目の前で、キリヤくんは」
「あー、ふたりとも、そういうこと考えるの、やめようよ」
もう一人前のお茶を持ち、玲亜は足で扉をばたんと閉めて、わざと明るい表情で言った。
「そんなこと言ってもお兄ちゃんは起きないしさ。きっと、お兄ちゃんはなんとも思ってないよ。強いていうならあのおじさんに勝てなかったことが悔しいんじゃないかな。考えたって仕方ないことは考えない――あたし、そうしてるよ」
「……そう、だね」
玲亜の明るい表情を見ると胸の奥が痛んだ。
それでも、ガルダも笑ってみせる。
「そうだ、みんなの話、聞いた?」
「みんなの話って?」
「フィアナとギイは、フィアナの実家のほうに帰って、また近いうちヴァナハマに出てくるらしいよ。このあいだ王宮に連絡があったんだ。アイオーン家が無償で町の復興に協力してくれるって。家とか、家具とかを無料で提供してくれるんだ。その陣頭指揮を取るのがフィアナとギイなんだってさ」
「わあ、すごいね、それ」
「うん、それもすごいんだけど、なによりすごいのはリク先生とソフィア先生だよ。あのふたり、結婚するらしいよ」
「え、けけ、結婚!?」
「いつになるかはわからないけど、とりあえずプロポーズしたって、リク先生がこのあいだ王宮にきたとき散々のろけて帰っていった」
「へえ、そうなんだー。たしかにそれ、すごい話だね。でも、リク先生、わざわざのろけるために王宮まできたの?」
「ま、そういう感じだったよ。いつするかわからない結婚式に妖精王も呼びたいんだけど、妖精王の住所ってあるのかな、とかなんとか、よくわかんないこと聞いてたから。だれかに自慢したかったんだと思う」
「あはは、リク先生らしいっていうか、なんていうか。そういえば、妖精王さんはいまどこに?」
「さあ、自由なひとだからね。たまに王宮で見かけるときもあるし、何週間も見かけないときもあるし……でも、きっと気楽にやってるんじゃないかな。またなにかあれば現れるよ」
「そっかー、あたしあんまり会えてないから、久しぶりに会いたいなー。相変わらずエロいのかな?」
「はは、どうだろうね」
ガルダと玲亜が笑っているあいだも、ユイはじっと桐也の寝顔を見つめていた。
この半年、町もひともいろいろ動いて、あの日がもう遠い過去のように感じられることもすくなくはなかったが、ユイのなかではまだあの日が、桐也が目覚めなくなったあのときが続いているのだ。
ガルダは玲亜としばらく世間話をして、ふと椅子から立ち上がった。
「そろそろ王宮に戻らないと」
「じゃ、寮の外まで送っていくよ」
「あ、わたしも、行きます」
とユイも立ち上がる。
「そろそろお仕事に行かないと」
「ああ、ユイ、パン屋さんに勤めはじめたんだっけ?」
「はい。いつまでもなにもしないわけにはいかないから――」
「うん、そうだね――じゃ、ぼくもついでにそこでお昼ごはんでも買って帰ろうかな。リリスもパンは好きだし」
「わ、あたしもそうしよー」
ガルダはちらりとベッドを覗き込み、布団の上から桐也の肩を軽く叩いた。
「じゃ、キリヤ、またそのうち会いにくるよ」
桐也はしずかに呼吸をしていて、なにも反応は返さなかった。
三人は部屋を出て、階段を降りる。
寮の外へ出たところで、眩しい日差しにユイは目を細めた。
「もう冬なのに、今年はまだ暖かいですね」
「ほんとだね。雪が降るのはいつのことやら――まあ、まだしばらくはこれくらいの気温でいてもらったほうがいいけど」
「ねえねえ、ガルダさん」
「なんだい、レイアちゃん」
「リク先生とソフィア先生が結婚したら、次はガルダさんとリリスさんの番じゃない?」
「ぼくとリリスが? まさか、ぼくたちはそういうんじゃないよ」
「えー、どうかなー。ユイさんも怪しいと思うよね?」
「あはは、たしかに、ちょっと」
「ユイまでそんなこと言って。リリスが聞いてたら大変だよ」
笑いながらガルダは空を見上げた。
たしかに、もう季節は冬になろうとしているのに、日差しは強く暖かい。
そしてその晴れ渡った青空のどこを探しても、いびつな月は存在していなかった。
*
三人が出ていったあとの部屋には、静寂が立ち込めていた。
窓から日差しが差し込み、室内は暖かい。
――ふと、その日差しが揺れた。
まるで日差しに合わせてだれかが部屋のなかへするりと入り込んできたようだった。
「ん――」
二段ベッドの下段から、かすかに声。
ぎし、とベッドが軋んだ。
「――ここは?」
久しく発音していなかったようなかすれた声を出し、彼は起き上がり、かすかに頭を振った。
部屋のなかをゆっくりと見回す――だれもいない部屋だが、きれいに整頓されている。
それから窓の外を眺め、どうやらこれは朝日らしいと感じて、彼はふわあとあくびを洩らした。
「……朝なら、もうちょっと寝てもいいか」
彼は再びベッドに横たわり、何度かあくびを噛み殺したあと、眠りに落ちた。
――それは深い昏睡ではなく、ごくありふれた、ねぼすけの眠りなのだった。
――魔砲世界の絶対剣士、了




