第六章 その11
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「ガルダさま、早く避難を! この地震ではいつ崩れてもおかしくありません!」
「大丈夫だ、まだもうすこし――この機械を始動させなければ」
巨大な地下空間だった。
王宮がそのまま丸ごと入ってしまいそうな地下空洞にも地上を破壊している地震の振動がはっきりと伝わってくる。
すでに学者と助手のほとんどは地上に避難していた。
ガルダはまっ先に避難を促されたが、それを断り、ほんのわずかにライトが照らしているだけの空間で必死の作業を続けている。
「どこだ、始動させるためのスイッチは――必ずあるはずなんだ」
「ガルダさま!」
「きみは逃げてくれ。ここはぼくひとりでいい。さあ、早く――もしここが崩れたら必ず掘り起こし、この機械を起動させるんだ。それだけは忘れないでくれよ」
「しかし――」
「いいから、早く。もう時間がない」
ガルダは青年研究者をエレベーターに載せた。
学者たちが発見したエレベーターはすぐに青年研究者を地上近くへ運び、地下にはガルダと、いっしょにやってきたリリスだけが残された。
「リリス、きみも地上に逃げていいんだよ。ここまでぼくに付き合う必要はない」
「い、いえ、あの――わたし、ここに、います」
リリスはガルダだけになっても物陰に隠れつつ、しかしはっきりとした口調で言った。
ガルダはかすかに笑い、うなずく。
「それにしても――」
とガルダは深い闇に沈む巨大な機械を眺めた。
王宮が丸ごと入るような空間のほとんどすべてを占めているのが、その銀色の機械だった。
全体像はまだわからない。
しかし何百年、何千年と地下にあったとは思えないほど真新しく、闇のなかでも異様な重量感を持っていた。
ガルダはこの機械こそかつての人類が〈ソル〉と呼んでいたものだと確信していた。
偉大なる太陽、月と対になるもの――〈グール〉と呼ばれていたころの人類は〈ソル〉計画が失敗に終わったときのため、この〈ソル〉を制作していた。
しかし結局、〈ソル〉は使われることはなかった。
それ以降〈ソル〉は歴史から消え、ずっとこの王宮の地下でしずかに時を過ごしていたのである。
「この地震は、たぶんユーキリスが〈ルナ〉を破壊したんだ。取り戻した力で町を破壊しているにちがいない――早く〈ソル〉を起動させなきゃ、何万人が犠牲になるか――くそ、どうやって始動させればいいんだ、これは?」
ガルダは〈ソル〉の周囲を手探りしていたが、まだスイッチのようなものは見つけ出せていなかった。
「リリス、きみも探してくれ。どこかにスイッチがあるはずなんだ。必ず――」
低い地鳴りが響き、天井の一部が崩れ落ちる。
ガルダはライトを天井に向けたが、広すぎる空間ではほとんど役に立たず、ただ残された時間がすくないことだけは理解できた。
「ガルダさま、こ、こっちになにかあります!」
「いま行く!」
リリスのライトに駆け寄ると、〈ソル〉の銀色の表面にわずかに切り込みが入り、開くようになっていた。
蓋を開けると、なかに三つ、スイッチが並んでいる。
どれかが起動スイッチで、残りのふたつは停止スイッチとなにかだろうと推測できた。
ガルダはともかく、いちばん左側にあったスイッチを押す。
「――なにか、起こったか?」
「い、いえ、なにも――」
地鳴りは変わらず響いている。
しかし〈ソル〉そのものは沈黙していた。
次にいちばん右側のスイッチを押すと、その瞬間、〈ソル〉が汽車の何十倍もの音を立てて小刻みにふるえはじめた。
「よし、動き出した――リリス、上へ逃げよう。〈ソル〉はたぶんこれで大丈夫だ。上では町が破壊されているかもしれない。その救助もしないと――」
ガルダはリリスとともにエレベーターへ駆け寄りながら、だれにともなく、ちいさく呟いた。
「キリヤ、頼むから無事でいてくれよ――ぼくは〈ソル〉できみを殺したくはないんだ――」
エレベーターはふたりを乗せて上昇をはじめる――と、そのとき、いままでとは明らかにちがう地鳴りが聞こえてきた。
いままでは遠くから響いてくるような音だったが、聞こえてきたのはもっと近い距離――地下空間のどこかが崩落している音だった。
「が、ガルダさま、天井が崩れて――」
「リリス、なにかにしがみつけ!」
がたん、と大きな揺れが起こり、エレベーターが停止した。
そして、滝のような崩落の音が、ふたりにすこしずつ近づいていた。
*
ユーキリスは地面に倒れながら、周囲のエレメンツが制御不能になっていくのを感じていた。
普段なら規則正しく並んでいるエレメンツが、いまは激しく飛びまわり、ぶつかり、動きも振動もでたらめになっている。
こんな状態のエレメンツを操ることは、いかに優れた魔砲師でも不可能だった。
ましてや魔砲など使えるはずもない――地上のどこかで〈ソル〉が起動したのだ。
ユーキリスは全身の血が流れ出していくような寒気のなか、傷ついていない腕に力を込め、ゆっくりと身体を起こした。
「私は――敗れたのか」
「おまえは勝ったよ、ユーキリス」
妖精王はしずかに言った。
「たったひとりでよくやったというべきだろう。おまえは理想を叶えたが、人間の理想を思う気持ちが上回っただけのことだ」
「……魔砲師は、再び人間に隷属するのか」
「いや、そうはならない。魔砲師はこの世界から消える。〈ソル〉は妨害を受けて一部を破壊された〈ルナ〉よりも強力だ。すべての魔砲師はその力を完全に失う――力を持つ者、持たない者というこの星がはじまって以来続いていた構図が、いまこの瞬間に消え去ったのだ。すべてはただの人間に戻った――様々な種族、様々な人間はいるが、生まれ持つ力はみな同じだ」
「人間は奇妙だ――私には理解ができない。たったひとりに縛られることを拒み、全体で全体を縛りつけることを望むのか」
「それほど深いことは考えてはおらぬよ――人間はただ、そのとき平和に思えるほうへ進んでいくだけだ。水がなにも考えず、高い場所から低い場所へ流れていくように」
ユーキリスは立ち上がった。
そして一歩一歩、倒れ込むのを必死にこらえるように歩いていく。
「どこへ行く、ユーキリス。おまえも、いまやただの人間だ」
「私には責任がある――どこかへ行き、どこかで死ぬさ」
「……そうか。まあ、それもおまえの人生だ。勝手にするがいい」
ユーキリスが歩き去るのと入れ替わりに、ユイが妖精王の背後から飛び出し、倒れた桐也に覆いかぶさった。
「キリヤくん――キリヤくん!」
桐也はうっすらと目を開けたまま、ユイの呼びかけにも答えず、焦点の合わない瞳で空を見上げていた。
胸の傷は、すでにある程度塞がっている。
服は一面血に染まり、出血した分、桐也の肌は青ざめていた。
「キリヤくん、起きてください――そんな、嫌です、わたし――」
「ユイ、聞け」
妖精王はゆっくりとふたりに近づき、言った。
「キリヤは、いまのところは死んではおらぬ。〈ルナ〉が落ちたとき、キリヤのエレメラリアも活性化して傷は塞がっているはずだ。しかし〈ワーズ〉はもはや役には立たぬ――ユーキリスがすべての力を使い果たして〈ルナ〉を落としたからの。〈ワーズ〉の力は無限ではない」
「それじゃあ――どう、なるんですか」
「さあ、それは儂にもわからぬ。キリヤが自力で回復するか――元々キリヤは先天的なエレメラリア欠乏症だ。それを〈ワーズ〉という薬で保たせておったようなもの。子どもの身体ならまだしも、成長しているこの身体を支えるだけのエレメラリアは、本来キリヤにはない。〈ワーズ〉もなくなり、うまくいけば成長した身体がエレメラリアを生成するかもしれぬが、子どものときのまま、エレメラリアの生成量がすくなく、身体は衰弱していく可能性もある」
「そんな――どうすれば助けられますか? キリヤくんを助けるためなら、わたし、なんでもします!」
「無駄だ。他人にできることはなにもない――あとはキリヤの身体がどれだけ保つかというそれだけだ。せいぜい、祈ることしかできぬだろう――祈りが届く保証など、どこにもありはしないが」
「キリヤくん――」
ユイは血まみれの桐也を見下ろし、その手を両手で握りしめた。
桐也の手はすこし冷たかった。
まるで、熱といっしょに命が抜けていくように感じられる。
ユイはせめてそれに抗おうと、桐也の手を両手でしっかり握り、暖め続けた。
*
リクやソフィアなど、ユーキリスとの戦闘で傷を負わなかった者は本来なら怪我人を運び出して演習場に戻る予定だったが、状況の変化がそれを許さなかった。
ユーキリスによる地震が発生し、町が破壊され、そこに怪我人が大勢出ている――しかしそれでもリクは迷った。
演習場に戻り、桐也に加勢するか、それとも救出のために町へ向かうか。
これは命の選択だった。
それも、自分の命ではなく、他人の命の選択を迫られているのである。
迷っている時間はない。
この瞬間もひとびとは危険に晒されている。
「――ソフィア、町へ行こう」
――桐也を見捨てて、行くのか。
リクは自分が言った台詞がいかに非道か考え、自嘲したい気分になったが、そんな余裕すらなかった。
ふたりは校内を駆けた。
校内はヴァナハマの町でも比較的建物がすくなく、開けた空間が多いせいか、いつの間にか校内には大勢の避難者が集まっていた。
そのすき間を縫うように進む途中、地震が止んだ。
これで救助に専念できると思った矢先、リクはソフィアに腕を引っ張られ、立ち止まる。
「どうしたんだ? 早く行かないと――」
「待って。魔砲」
「え?」
「あなた、魔砲、使える?」
「魔砲って、そりゃあ――」
いつものように魔砲を使おうとして、リクも気づいた。
普段ならごく自然と感じられるはずのエレメンツの動きが、いまは不自然なほど感じられない。
エレメンツがないわけではない。
意識を集中すればエレメンツの動きを感じることはできる――しかしそれは普段の動きとはかけ離れ、高速で飛びまわり、とても安定して操ることなどできそうもない暴走状態だった。
「どうなってるんだ、これは」
「わからないわ。でも、わたしたち、魔砲を使えなくなったことは事実みたい――」
「それは――じゃあ、救助だってできないじゃないか」
瓦礫を退けるにも、怪我人を運ぶにも魔砲が必要になる。
それもなしにどうやって助ければいいのか、とリクは一瞬わからなくなったが、なんということはない、魔砲師ではない人間は、普段から魔砲も使わずに生きているのだ。
瓦礫を退けるには両手を使えばいい。
怪我人を運ぶなら背中に乗せればいいだけのこと。
「ソフィア、行こう。微力でも、必ず助けにはなる」
「――ええ、そうね」
ソフィアはこくりとうなずき、ふたりは続々とやってくる避難者とは反対に町へ入った。
そして、予想以上の惨状に息を呑む。
あれだけ美しかった町並みが、いまでは跡形もない――古い建物に囲まれ、なんともいえない雰囲気が味わえた路地は、いまではただ瓦礫が積み重なる廃材置き場のようになっていた。
学校を出たところで、不自然なほど町を広く見渡せる。
視界を遮るはずの建物がほとんど残されていないせいだった。
あるのは、瓦礫。
煉瓦やコンクリートの破片だけが山積みになり、かろうじて町の端に、普段ならこの場所からは見えるはずがない王宮の屋根がちらりと見えていた。
「なんてことだ――これを、たったひとりでやったのか」
「ひどい――」
ともすれば心をへし折られそうな光景だった。
こんな瓦礫の山に生存者などいるのか、とさえ思う。
しかしどこかから子どもの泣く声や助けを呼ぶ声が聞こえてくる。
「行こう、ソフィア、ひとりでも多く助けるんだ」
リクは瓦礫の山を這い上がり、その奥で泣いている子どもを見つけた。
はじめは瓦礫に座り込んでいるように見えたが、近づいてみると、その足が瓦礫に挟まり抜けないのだとわかる。
「大丈夫、いま瓦礫を退けるから、もうすこしだけがまんするんだよ」
泣きじゃくる子どもをなだめ、リクは普段のくせで魔砲で瓦礫を動かそうとしたが、魔砲が使えないことを思い出し、瓦礫に手をかけて力任せに持ち上げる。
それほど大きな瓦礫ではなかったが、とてもひとりでは持ち上がらない重量だった。
ソフィアも手伝い、それでもまだ上がらず、そうしているあいだに学校へ避難しにきた町のひとびとが集まり、五人がかりで瓦礫を浮かせ、そのあいだに子ども助け出した。
たったひとり助けるだけでもこの労力なのだ――魔砲さえ使えればもっと簡単に助けられるはずだとリクは思ったが、この状況を作り出したのもまたユーキリスの魔砲であり、リクは複雑な気持ちで瓦礫の町を進んだ。
瓦礫の下にはまだ大勢の人間が下敷きになっている――いったい何人を助けられるのだろう。
そして何人を見殺しにしなければならないのだろう。
リクは心をぐっと押し殺し、まわりの人間に手伝ってもらいながら救助を続けた。
救助は、日が暮れ、夜になっても終わらなかった。




