第六章 その9
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ユーキリスは片腕をゆっくりと空へ掲げた。
すでに〈血の契〉を済ませているらしい教師たちは、先手を取るためにさっそく魔砲を放つ。
「直接ユーキリスを狙え、なんとしてでもやつを止めろ!」
無数の炎、竜巻、氷の欠片、土塊がユーキリスへ向かって解き放たれた。
同時に何人かの魔砲師はエレメンツを操り、ユーキリスの身体を固定しようと試みる。
ユーキリスは自分に迫る魔砲を無感動に眺めたかと思うと、空中に掲げた腕とは反対の腕を正面に突き出した。
ふと、ユーキリスのまわりに半透明の膜のようなものが作り出される。
魔砲師たちの魔砲が四方八方から同時にユーキリスを襲い、轟音と爆風が巻き起こった。
桐也とユイはすさまじい風に目を細める。
逃げ場もなくこれだけの攻撃を喰らえばひとたまりもない――はずだったが、爆風が治まったとき、ユーキリスはそれまでとなにも変わらず、そこに直立していた。
「なんだって――」
ユーキリスを包み込む半透明の膜がすべての魔砲を防ぎきったのである。
ならばと何人かの魔砲師が接近戦を挑む。
ユーキリスは片手を空に突き上げたまま、微動だにしなかった。
魔砲師たちはそれぞれ手にエレメンツで作られた剣や槍のような形状の武器を持っていた。
それをユーキリスに向かって振りかぶる。
ぎん、と硬い音が鳴った。
手応えがない。
半透明の膜を突き破ることができない。
ち、と顔をしかめた瞬間、ユーキリスの身体からすさまじい暴風が巻き起こった。
「くそ――」
跳びかかっていた魔砲師たちの身体は風にまかれて吹き飛び、後方で受け身を取る。
そのときには総攻撃の第二陣が整っていた。
十人以上の火の魔砲師が炎を組み上げ、一体化したそれは、紅蓮の龍のように空を渦巻いた。
あたりが赤々と照らし出される。
巨大な炎の竜巻がユーキリス目がけて恐ろしい勢いのまま突進した。
半透明の膜と、炎の竜巻が競り合う。
炎は圧倒的な質量で半透明の膜を、ユーキリスを包み込み、骨も残らないような業火で焼き尽くした。
半透明の膜がぱんと弾ける。
ユーキリスの身体が一瞬で炎に消えた。
炎はごうごうと唸り、ユーキリスを飲み込み、あたり一面を黒く焦がして消えた。
「やったか?」
「いや――」
ユーキリスの姿は消えていた。
骨まで燃え尽きたのか、あるいは。
「――魔法学校の教師ではこの程度か」
頭上。
教師たちが一斉に仰ぎ見る。
ユーキリスは空中に浮かび、まるで神のように無数の魔砲師たちを見下ろしていた。
「かつて魔砲師は天を裂き地を割る力を持っていた。いまでは、まるで子ども騙しの力しかない」
ユーキリスは掲げていた腕をゆっくり振り下ろした。
その動きに合わせ、空気がひりつく。
桐也は頬や腕に静電気を感じ、思わずユイの腕を引いて地面に伏せた。
稲光が空間を切り裂いた。
天を切り裂くような轟音が響き渡り、青空から無数の稲妻が降り注いだ。
ユーキリスは何百という稲妻のなかで無感動に倒れていく魔砲師たちを眺めた。
すこしの容赦もない、すさまじい攻撃だった。
稲妻など防ぎようがない――運良く落雷を免れた魔砲師だけがその場に残る。
直撃を受けた魔砲師たちはその身体から煙を上げ、地面に倒れたまま動かない。
残ったのは十人にも満たなかった。
その時点で勝敗は決したといってもよかった。
しかし残った魔砲師たちは諦めていない。
諦めることは、魔砲師としての矜持が許さない。
魔砲師たちは絶望的な戦いを挑む。
あるものは炎で、あるものは風で、あるものは水で、あるものは土でユーキリスに一矢報いようと襲いかかった。
ユーキリスは空中に立ったまま、なにもしなかった。
あらゆる魔砲がユーキリスの数十センチ手前で消えてしまう。
ユーキリスが四元素を操り、他人の魔砲をすべて打ち消している。
「――こんな力を持つ魔砲師がいたなんて」
「魔砲師とは元々このような力を持つ者のこと。貴様らの力は枷をはめられているのだ。私が、その枷を壊してやる。魔砲師が魔砲師の力を取り戻すときがくる」
桐也とユイはゆっくり立ち上がり、ほとんどの教師が倒れた演習場を見渡した。
演習場は黒く焦げ、いたるところに黒い穴が開き、煙が立ち上る。
焼け焦げた匂いが強く漂っていた。
「――リク先生」
かろうじて生き延びているリクに、桐也は言った。
「ほかの先生たちを助けてください。いまならまだ助かるかもしれない。ユーキリスは、おれがやる」
「キリヤくん――魔砲師でもないきみが、あいつに敵うわけがないだろ」
魔砲師である自分でさえ手も足も出ないのだ――リクは悔しさを噛み殺すように言った。
桐也は首を振り、妖精王の剣を抜いた。
「おれにはこれがある。魔砲じゃ、あいつは倒せない。先生、このままみんなを見殺しにしたくない――おれのせいでだれかが死ぬのはいやなんだ」
「……キリヤくん」
「先生、お願いします」
リクはじっと桐也を見つめたあと、うなずいた。
「わかったよ。ここは任せる。敵わないと思ったらすぐに逃げなさい。ほかの先生たちを助けたらぼくも戻ってくる」
リクは生き残っている魔砲師たちに指示を出し、倒れた魔砲師を担いで演習場を出ていった。
そのあいだ、ユーキリスはなにもせず、ただじっと桐也を見下ろしているだけだった。
ユーキリスにははじめから魔砲師たちを殺すつもりがないのだ。
いや、正確には、殺す必要がない、というだけ――もし死んでしまうなら、それでもかまわないと思っているのだろう。
「妖精王」
「なんだ?」
「ユイを守ってくれ」
「キリヤくん、わたしは――!」
「魔砲じゃあいつには勝てないんだ。わかっただろ、ユイ。でもおれなら、この剣を使えば勝てるかもしれない。妖精王、なにがなんでもユイを守ってくれよ。もしユイになにかあったら恨むからな」
「儂は妖精王だぞ。人間を助ける義理はない――が、まあ、よかろう。ユイは責任をもって守ってやる。しかし、やつは強いぞ、キリヤ」
「わかってるさ。でもおれがやるしかないんだ。あいつの狙いはそもそもおれなんだから」
桐也は剣を構え、ユーキリスのほぼ真下まで進んだ。
ふうと息を吐く。
しずかな空間で、自分の鼓動を感じる。
とく、とく、と脈打つ心臓――それも〈ワーズ〉という石のおかげで動いているのかもしれない。
「なにか勘違いしているようだが」
ユーキリスはゆっくりと地上に降り立った。
あれだけの魔砲師を相手にして、ユーキリス自身はかすり傷ひとつ負っていない。
「過去二度、私がおまえを殺さなかったのは、生かしたままでも〈ワーズ〉を取り出せると考えていたからだ。しかしそれは不可能だとわかった。おまえの体内に埋め込まれた〈ワーズ〉は、おまえの成長に合わせて身体と一体化している。もはや個体としては存在しない。言うなればおまえ自身が〈ワーズ〉になっているのだ。それを利用するには、おまえを殺すしかない」
「手加減はしないってことか?」
「以前のように手間をかけるつもりはないということだ。魔砲師でもないおまえが私を倒すとはな。たしかに妖精王の剣は魔砲を打ち消し、エレメンツを切断できる。しかしおまえ自身が魔砲に対して無敵になったわけではない」
「そんなことはわかってる。覚悟はできてるんだ」
死ぬ覚悟も、生きる覚悟も。
そのどちらが訪れても受け入れる覚悟は、もうできている。
自分はひとりきりではない。
この世界に、自分のことを思ってくれるひとがいる。
それだけで死ぬにも生きるにも充分だ。
「決着をつけよう、ユーキリス」
桐也は剣先をユーキリスに向けた。
ユーキリスも片手を桐也に突き出し、言った。
「私は必ずこの革命を成功させる。魔砲師を、だれにも制限されないあるべき姿に戻す――そのためにはおまえの死が必要だ、布島桐也」
桐也は深い呼吸をやめ、すっと目を細めてユーキリスを見た。
意識の歯車がかちりかちりと切り替わっていく。
これは命をかけた戦いだ。
絶対に負けられない。
ユーキリス以外、この世界から消滅したように桐也の意識から消え去る。
ユーキリスの腕がほんのわずかにぴくりと動いた。
桐也は腰をかがめ、ユーキリスに向かって飛び出している。
ユーキリスの手のひらから稲妻がほとばしった。
桐也は妖精王の剣をぶんと振る。
空気中に満ちている四つのエレメンツがその一振りで切り裂かれ、稲妻は一刀両断された。
そのまま懐に飛び込み、振り上げ一閃。
確実にユーキリスの身体を切り裂いたつもりだったが、手応えがない。
見れば、剣がぐっと入ったユーキリスの身体がぐにゃりとゆがみ、揺れて、ぱっと消滅した。
「キリヤくん、後ろ!」
ユイが叫ぶ。
声に反応して桐也は前転するように飛んでいたが、その背中に激痛は走った。
熱ではない鋭い痛み。
桐也は転がりながら背中に突き刺さった短剣を抜く。
身体から抜けた瞬間、短剣は消え、しかし傷は幻ではなく、服にじわりと血が広がっていく。
「幻か――」
背後に現れたユーキリスは無表情のままだった。
落ち着けと桐也は自分に言い聞かせる。
身体は傷を負い、本能的に呼吸も浅くなっている。
このまま焦ってはいままでと同じように負けるだけだ。
落ち着き、相手の隙を窺うしかない。
ユーキリスは両手を前に突き出した。
その腕のまわりに、十数本の短剣が現れ、ぐるぐると空中で回転する。
桐也は剣を構えた。
ひゅんと音を立てて短剣が飛ぶ。
剣を使って叩き落としながら、桐也は正面にいるユーキリスではなく、自分の後方へ飛んだ。
「なに――」
正面にいたはずのユーキリスが消え、背後に現れたユーキリスがわずかに驚いた顔をする。
桐也はぶんと剣をふるった。
ユーキリスの頬をかすめる。
青白い頬に、うすく血がにじんだ。
すかさずユーキリスは風で桐也を吹き飛ばす。
「へへ、いままで手も足も出なかったのが、ようやく一矢報いたぞ」
「……この浅い傷で満足か」
「今度はもっと深い傷をつけてやる。もう幻は効かねえ。幻は呼吸をしてないからな」
「そうか――ではもっと徹底しよう」
「げ――」
地鳴りが聞こえてくる。
地面がじりじりと揺れていた。
なにが起こるのかと身構える桐也の目の前で地面がはじけ飛び、そこからマグマでも吹き出すように火柱が上がった。
一箇所ではない、演習場のあらゆる場所から火柱が上がり、地面が赤く溶け、どろりと水のように流れ出していた。
「一箇所からの攻撃は防げても、周囲すべてから攻撃をされてはどうかな」
地上十メートル近くまで上がった火柱が、まるで意思を持っているように桐也に襲いかかった。
横へ飛ぶ。
真後ろから迫っているそれを剣で打ち消す。
足元を焼かれた。
正面から炎が口を開けて襲いかかってくるのが見えている。
剣は間に合わない。桐也は身体をひねり、背中を向ける。そうしながら地面を転がり、直撃は避けたが、背中の広い範囲が重度の火傷をしたように痛んだ。
転がった先にも炎が飛びかかってくる。
これではきりがないと、桐也はちいさくうめいて剣をぐるりと振り回した。
地面と水平方向に斬撃が広がり、火柱が切断され、のたうつように消えた。
ユーキリスは妖精王の剣の能力を目の当たりにし、わずかに感心したように目を細めた。
そのあいだに桐也の姿が消えている。
しかしユーキリスに死角はなかった。
空気中に満ちているエレメンツの動きがそのままユーキリスの皮膚感覚であり、背後から桐也が迫っていることを感じる。
一瞬、回避するか、自分もエレメンツで剣を合成して防ぐか考えた。
ユーキリスは背後に短剣を作り出し、それで桐也の斬撃を受けるつもりだったが、
「はああっ――!」
桐也のひと振りは短剣を弾くどころかその硬い刃さえ断ち切り、ユーキリスの背中にざくりと斬り込んだ。
「くっ――」
ユーキリスは肉体の痛みを覚え、背中に食い込んでいるそれを後ろ手に掴み、桐也の身体ごと持ち上げ、振り回した。
「わっ――」
桐也の身体が宙を飛ぶ。
ユーキリスは久しぶりに感じる肉体の強い痛みに驚きながら、自分の甘さを理解した。
桐也の剣は妖精王の剣なのだ、その気になれば短剣を構成しているエレメンツを切り裂くことも容易いということはわかっていたはずだが――。
ユーキリスは桐也の周囲にエレメンツを集約させる。
そのエレメンツで直接桐也の身体を拘束し、あるいはそのまま息の根を止めることもできるはずだった――しかしエレメンツの動きが異常なほど鈍い。
桐也は自分の周囲にエレメンツが集まっていることに気づき、ユーキリスが攻撃をする前に、それを一閃で薙ぎ払った。
もしもっと機敏にエレメンツが反応していたら、桐也が気づく前に攻撃をはじめられたはずなのだが――動きが鈍いのではない、好き勝手にエレメンツが跳ね回り、操ることがむずかしくなっているのだと気づく。
自然に起こりうる現象ではなかった。
意図してこんなことができる存在は、この世界にひとりしかいない。
「妖精王――」
演習場の隅でユイを守るように空中を浮遊している存在。
ユーキリスははじめて、憎しみめいた感情を表情として表した。




