第六章 その7
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炎と風の魔砲を同時に成功させたのは、ユイにとってもこれがはじめてのことだった。
その予想以上の威力に、ユイはしばらく呆然としたあと、あわわと慌てる。
「こ、こんなひどいことして、大丈夫なのかなあ――」
相手がひどい怪我でもしていたらどうしよう、といまさら心配になったのだが、実際、直撃していれば怪我では済まないようなすさまじい業火だった。
「ユイ、まだ油断するなよ。あいつら、防いだぞ」
「え、ほ、ほんとに?」
風で増幅させられた炎は一瞬で消えていたが、あとには土煙と地面の草を焼ききった煙がもくもくと上がっていた。
それがわずかに晴れてくれば、しっかり立っているふたりの影が浮かぶ。
「かわいい顔して危ないことする女やなあ――防がんかったら死んでるで、これ」
ギンガは呆れたように呟き、目の前に張った水のバリアを解除した。
あの一瞬でできるかぎりの水を生み出したが、ほとんどは炎で蒸発していまい、いまはバケツ一杯分の水も残っていない。
もうすこし水がすくなければ防ぎきれていなかっただろうと思い、まあ、ギンガは防ぎきれると確信して水のバリアを張ったのだが、その後ろに隠れたカナタはその時点で一度死んだような気分になっていた。
「あ、あ、危な……ほんまに死んだと思ったで、いま。ぼ、ぼく、生きてるよな?」
「生きてる生きてる。ここで死んどけば火葬もいらんかったやろうけどな」
「不吉なこと言うなっ。で、でもふたつの元素を同時に使えるなんて、女のほうもすごい魔砲師やったんやな」
「ま、作戦を立てるだけの頭はないらしいけどな。力があっても頭がないんやったら無力といっしょや。まだ勝てる余地はある」
「こ、こっちはどんな作戦でいくんや?」
「さっきのやりとりでキリヤは自分の身を置いといても女を守るってことはわかった。そやから、徹底的に女を狙う。で、無理に防ごうとしてキリヤに隙ができたところを叩く。さっきとおんなじや。ただ今度はふたりがかりでいくで」
「相変わらず卑怯な作戦やけど、わかった、しゃーないな」
「全力でいくで、長引かせてもしゃーないからな」
ギンガは両手を合わせ、カナタは地面に手をつく。
そうしていつでも魔砲を発動できるように準備を整え、出方を窺った。
桐也は剣を構え、ユイも魔砲に備える。
しばらく、静寂。
どちらが先に動くか、読み合いになる。
桐也はゆっくりと呼吸していた。
自分の呼吸を意識しながら、相手の、ギンガとカナタの呼吸も見る。
ギンガは落ち着いた呼吸をしている。
カナタの呼吸はすこし浅く、早い。
呼吸は深ければ深いほうがいい。
浅く吸ったり吐いたりを繰り返すと、身体の瞬発力が失われる。
呼吸が早いのは後ろのユイも同じだった。
桐也はかすかに笑った――自分でもなにが愉快だったのかはわからなかったが、自然と笑みがこぼれたのだ。
その瞬間、ギンガがぱっと両手を突き出した。
「喰らえ!」
手のひらから細く水が吐き出される。
桐也ではなくユイを狙った攻撃だった。
しかしそれは高速で打ち出された弾丸のような水というわけでもなく、おもちゃの水鉄砲と大差ないような水で、桐也が左手を伸ばして水を遮る。
ギンガはにやりと笑った。
「甘いな、キリヤ」
「――ははあ、なるほど」
水がぱきんと音を立てて一瞬で凍りついた。
ギンガの手と桐也の手が氷の柱で結び付けられ、自由が効かなくなる――その攻撃はユイを狙ったのではなく、ユイを狙えば桐也が防ぐだろうと予測したギンガの作戦だった。
カナタも攻撃をはじめている。
地面がもこもこと盛り上がり、人間よりも巨大な土塊となって、精霊のようにのそりと動きはじめた。
高さ五メートルはある巨大な土の人形である。
それがのそのそと桐也たちに近づき、太い腕をぶんと振り上げた。
このときでさえ、狙いは片手の自由が効かなくなった桐也ではなく、その後ろのユイである。
ユイは慌てて魔砲を発動させる。
「えいっ――」
紅蓮の炎が土の巨人を包み込んだ。
瞬間的に燃え上がった巨人は、しかし炎をまとったまま動き続ける。
「わっ、わっ――!」
「土と火じゃ相性が悪いからな。ま、これも魔砲師になるためや、恨まんといてや」
カナタはそう呟き、容赦なく腕を振り下ろした。
ずん、と地面に衝撃が走る。
ユイは横へ転がるようにしてかわし、すぐに起き上がった。
巨人はのそりとユイを狙い続ける。
「――どうした、キリヤ」
ギンガは桐也の片手を封じたまま、にやにやと笑う。
「はよ助けたらんと、あの女、ぺしゃんこになってまうで」
「それはどうかな――ユイ、大丈夫か?」
「は、はいっ、こっちは大丈夫ですから、キリヤくんはもうひとりを!」
土の巨人から逃げ回りながらユイが叫んだ。
ギンガはちっと不愉快そうに顔をしかめる。
「こんなとこでいちゃつかれるのも腹立たしいな」
「い、いちゃついてはないだろ!」
「じゃ、作戦変更や――カナタ、おまえはそのまま女のほうを潰せ。オレはキリヤをやる」
「わかった、けど、こんだけでかいと扱いづらいな、まったく――」
どたどたと土の巨人はユイのあとを追いかけるが、どうにも小回りが苦手らしく、ユイは巨人の足元を抜け、背後へ回った。
しかし単純な炎では表面を焼く以上のことはできない。
ならばどうするか――エレメンツを使えばいい。
それもまた、ユイにとっては未知の魔砲だった。
エレメンツを直接操るのは中級以上の魔砲で、三年生でもできる生徒はすくない。
しかしここでやらなければ、勝てない。
ユイは土の巨人がゆっくり旋回しているあいだに意識を集中させた。
エレメンツの流れを感じ取る。
そこから火の、赤のエレメンツを選び取り、粘土をこねるように任意の形状に変化させていく。
イメージは手。
巨大な炎の手。
エレメンツが集合し、手の形となって、土の巨人を引き倒す――そのイメージを固めてからユイは実際にエレメンツを操った。
「わ、やばい――」
地面からぼっと火が上がり、それが人間の手のような形状になっていくのを見て、思わずカナタが呟いた。
手はどんどん巨大化し、土の巨人に匹敵するような大きさになって、巨人の足を掴む。
原理的に、エレメンツには限界がない。
どんな重量のものも、どんな形状のものも掴むことができるはずだった。
ユイは自分の可能性を信じ、意識を集中し続ける。
巨人は足を踏み鳴らした。
足にまとわりついてくる炎を払おうとするように。
しかし炎の手はしっかりと巨人の足を掴み、おもむろにその足を強く引いた。
「げっ――」
土の巨人がバランスを崩す。
そのままどっと轟音を立てて倒れる――かと思いきや、それさえもさせてもらえない。
炎の手は土の巨人の足を持ち、ぶんと振り回した。
五メートル以上ある巨体が宙に浮き上がった。
文字どおり人形遊びでもするように炎の手は巨人をぶんぶんと振り回し、遠心力で投げ飛ばす――その方向にちょうどカナタがいたのは、偶然か、狙い通りか。
「ぎゃ、ぎゃあああ!」
カナタは自分に向かって飛んできた巨体に悲鳴を上げた。
巨人が地面に落ち、軽い地震があたりを揺らす。
もし巨人の下敷きになっていたら無事では済まない――と思われたが、カナタはぎりぎりのところで土を操り、自分が無事に立っていられるだけの空間を確保していた。
とっさにそれだけのことができるのはカナタが優秀な証なのだが、カナタ自身かなり危ういところで冷や汗をかく。
それで勝負は振り出しに――とはいかない。
カナタとユイが戦っているあいだに、桐也とギンガの戦いもはじまっている。
桐也は剣をくるりと回し、自分の片手を固定している氷を切断して水へ還した。
同時に前へ飛び出す。
勝負をするなら接近戦以外になく、ギンガは逆に接近されては勝ち目がない。
桐也の動きは速かった。
またたく間に距離が詰まり、ほんの数メートル。
大きく踏み出した一歩が深い水のなかにはまり込む。
ギンガは即席の深い水たまりを作り上げていた。
踏みしめるはずの地面が存在せず、桐也の身体は大きく前のめりに傾いたが、そのまま前に転がり、ただちに立ち上がりながら剣をふるった。
ぎいん、と硬い音が響く。
ギンガの放った氷の散弾を剣で弾く。
目にも留まらぬ速さで氷が打ち出されているはずなのだが、桐也は身体の中心を狙っている氷だけを的確に剣で防いでいた。
その代わり、無数の切り傷が桐也の身体に刻まれる。
ギンガは散弾を止めると同時に両手を突き出した。
瞬間、桐也の全身が巨大な水滴に包み込まれる。
それだけでも呼吸を防ぐには充分だが、ギンガはその水滴を完全に凍結させた。
桐也を内部に取り込んだまま、氷の塊が出来上がる。
やったか、とギンガは一瞬感じたが、次の瞬間、その氷が内側から砕け散った――妖精王の剣が氷を打ち消し、緩んだところを力づくで破壊したのである。
「おいおい、その常識はずれの身体能力やめてくれへんかな――」
ギンガは呆れたように言いつつ、再び距離を取った。
桐也は氷から出てくるや否や、ギンガへ向かって突っ込む。
「ちっ――」
氷の散弾が陽光に輝く。
それを桐也が防げば距離を取る時間を稼げると思ったのだが、桐也は細かい氷が肌を裂くのもかまわず距離を詰めることを再優先させた。
まずい。
ギンガは手のひらに水と氷の盾を作る。
桐也は剣を振りかぶり、ギンガめがけてぶんと叩きつけた。
「ぐっ――」
重たい衝撃に腕がしびれる。
水と氷の盾は剣を防いではいたが、妖精王の剣に触れた瞬間消えてしまい、たった一度の防御しかできなかった。
盾はない。
間合いは桐也の間合いである。
絶対不利なのは間違いない。
しかしギンガは諦めなかった。
手のひらを、桐也ではなくユイに向ける。
そこから長細く鋭く研ぎ澄まされた氷がユイに向かって飛び出した。
「む――」
桐也はぶんと剣を振り、空中で一刀両断して、返す刀でギンガが手のなかに作り出していた氷の剣を切り裂いた。
きん、と甲高い音がして、氷の剣が砕け散る。
ギンガはわずかに肩をすくめ、ちらりと後ろを、カナタを振り返った。
カナタも無事ではあるが、カナタはまだエレメンツそのものを操ることはできない。
ユイがそれを完全に扱えるのであれば、おそらく単純な土の攻撃は無意味だろう。
そしてこちらも、どうやら手がない。
「――まったく、運がない」
ギンガは呆れたように呟いた。
「あんたらと当たらんかったらさっさと決勝までいって優勝してたはずなんやけどな」
「たしかに、強かったよ」
桐也はくるりと剣を回し、鞘に収めた。
「いままででいちばん楽しい試合だった」
「こっちはぜんぜん楽しくないけどな。ま、でも、しゃーない。こういうこともある。世の中にはなにしても勝てんやつがおるもんや。そういう相手はどうしたらええか知ってるか?」
「いや――」
「関わらんと、さっさと逃げる。これに限る」
「一理ある」
桐也は笑い、ギンガはため息をつき、審判に降参を宣言するために片腕を上げた。
そのときだった。
演習場に、ひとりの男が入ってきた。
音もなく、声もなく、しかし異様な存在感をまとい、男はゆっくりと演習場を歩く。
観客のひとりが驚いたように息を呑むと、それが伝播していくように客席全体に伝わり、試合中の生徒たちでさえ突然現れた男に動きを止め、耳が痛むほど演習場が静まり返った。
男は演習場の真ん中までたどり着くと、長い髪を掻き上げ、青白い顔でぐるりとあたりを見回した。
その視線が、桐也で止まる。
「――ユーキリス」
スリーピースを着た男は無表情のままうなずいた。
それから視線をギンガへ移して、
「すまないな、ギンガ」
「……なにがや、先生?」
「今年の試験は中止だ。すぐにここを出ろ。カナタも連れて」
「先生、なにしにきたんや? オレらの試験見にきたんやったら、悪いけど、いまキリヤに負けたとこやで――それともなんか、悪いことでもしにきたんか?」
「悪いことかどうかは私が決めるべきことではない。私はただ、私がやるべきことをやる。もう一度言う、ギンガ。カナタを連れて、ここを出ろ」
「ついでにあなたも出ていってくれるとうれしいんだけどね」
演習場の入り口から声が聞こえた。
リクがメガネを上げながら演習場へ入ってくる――リクだけではない、その後ろから続々と教師たちが続き、試合の審判をしていた教師もユーキリスとの距離をゆっくり詰めつつあった。
リクの後ろに続いているのは王立フィラール魔砲師学校の教師だけではなかった。
試験のためにやってきている他校の教師たちもそこに加わり、およそ四、五十人。
それだけの魔砲師がユーキリスに対する包囲網を敷こうとしているのである。
それに気づかないユーキリスではなかったが、続々と現れる魔砲師たちを見てもその青白い顔をぴくりとも動かさなかった。
「魔砲師、ユーキリス。あなたがとてつもない力を持っていることは知っている。だけどぼくたちには生徒を守る義務がある。多勢に無勢で申し訳ないが――」
「好きにするがいい」
ユーキリスは無表情のまま言い放った。
「それで私を止められると思うなら、何十人でも、何百人でも連れてくるがいい――私はそのすべてを倒し、目的を達するだけだ」




