第六章 その5
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「――あなたの言うことは本当なのか、妖精王?」
ガルダは王族として出席しなければならない会議から直接王立フィラール魔砲師学校へ向かいながら、すこし頭上をふよふよと浮かんでいる銀髪の美女、妖精王に言った。
「何度聞いても到底信じられない話だ。偶然じゃ片付けられない、とんでもない話だよ」
「世界とは無数の偶然の積み重ねだ。ひとつひとつの偶然が起こる確率はごくちいさいが、発生確率がごくちいさい偶然が積み重なり、ひとつの世界が出来上がる――この話にしても同じこと」
「でも……そうだな、疑っても仕方がない。じゃあ、この世界はあなたが言うとおり、ぼくが見つけた歴史書に記されていたとおりだとして――ぼくはいったい、なにをすべきなんだ?」
「自分がなにをすべきかは自分で決めるべきであろう。それか、おまえは自分がすべきことを他人に決められても納得できるのか?」
「……たしかに、自分ですべきことは自分で決めたいけど、でも、この話はあまりに大きすぎる――リリス」
「は、はいっ!?」
ガルダのすこし後ろ、物陰から物陰へ隠れながら追いかけているリリスはびくりと肩をふるわせる。
「きみは妖精王の話をどう思う?」
「ど、どど、どうって言われても……その、でも、あの、結局、どうしようもないこと、ですよね? すごく昔の話で、いまになってはどうしようもないというか」
「たしかに、古い話ではあるがの」
妖精王の銀髪が舞う。
「古い話であり、現在の話でもある。歴史は繰り返す。過去は過ぎ去った現在なのだ。過去と同じ経過を辿り、同じ結果を求めるのか、過去とは別の道を探るのか――人間は常に新しい道を探ってきた。それが正しいかどうかもわからず、新しいというだけで。さて、今回はどうするかの」
「……ぼくはこの国の王子だ。魔砲師でもある。そして、キリヤの友人でもあるつもりだ。それぞれの立場が、それぞれちがう選択を取るべきだと囁く。いったいぼくはどうすればいいんだ?」
「おまえがしたいようにするしかあるまい。そしてその責任はおまえが取るのだ」
「世界全体に関係するようなことを、ぼくひとりで?」
「無論、だれかに相談しても構わぬし、だれかに選択を委ねてもよい。それがおまえの望むことであれば」
ガルダは言葉を失った。
王子として、魔砲師として、ひとりの友人として、なにを選び取り、なにを捨てるべきなのか。
そう簡単に決められることではない。
ガルダの決定で世界の様子が一変するのだから、なおさらいい加減な気持ちで決めることはできなかった。
「……父上に相談してみてはどうだろう。父上は、この国の王だ」
「それでもよいだろうがの」
妖精王はどこか挑発するような笑みを浮かべた。
「おまえの父はおまえの父であって、おまえではない。王は王子ではないし、おまえの父とキリヤとはなんの関係もない。ましてや、おまえの父は魔砲師ですらない――その人間が下した決定を、ただ父親が決めたことだからという理由だけで納得できるかの」
「それは――」
ガルダは妖精王を仰ぎ見た。
その銀髪の美女は、やはり伝説の妖精王そのひとだった――ひとの心を読み、人間を超越した視点から物事を見ている。
要するに、妖精王は人間世界で起きるすべてを他人事としてしか感じていないのだ。
当事者で、だれかの決定で自分も影響を被るとはすこしも思っていない。
彼岸の火事、異世界の揉め事であり、妖精王としてはどちらへ物事が転がってもかまわないにちがいない。
ガルダは、これは自分ひとりで判断しなければならないことだと考えた。
妖精王に助言を求めることはできない。
「ぼくは――ぼくは、もしかしたらこの世界を破滅させる悪魔なのかもしれない。後世の人間にそう呼ばれる可能性はある」
「が、ガルダさま、そんなこと、絶対にありませんっ!」
リリスが珍しく声を荒らげた。
その強い態度に、リリス自身が驚いたように立ち止まり、口を押さえる。
ガルダは振り返り、リリスに微笑んで、
「ありがとう、リリス。でも、現実的にはその可能性があるんだ。ぼくの決定で世界が滅んでしまうことも――」
「なに、そう深く考える必要はあるまいよ」
妖精王はのんきそうに言った。
「世界が滅んだとしても、それだけのこと。世界など、放っておいてもいつかは滅ぶ。人間はいつか死ぬのだ。ガルダ、おまえはまだ若いが、そんな若いおまえでさえ、たったの百年も生きられぬ。そして自分の死後、世界がどうなろうと、おまえはそれを感じることもできぬ。たとえ後世の人間がおまえの墓に石を投げようと、おまえが痛みを感じることは絶対にない。安心して世界を滅ぼすがよい」
「慰めてるつもりなら、あなたはひとを慰めるのが下手だな、妖精王――でも、言いたいことはわかったよ。たしかに先のことを考えすぎても仕方がない。そのとき最善だと思ったことをするしかない――リリス、やっぱり学校に行くのはやめよう。王宮に戻る」
「え、お、王宮にですか? ででですが試験は」
「なにも起こらなければあとで結果を聞けばいい。なにか起こったとき、ぼくがその場にいてもできることはない――もしものときは王宮にいなければ」
ガルダはくるりと踵を返すと、もときた道を早足で戻りはじめた。
妖精王は、それにはついていかない。
ガルダは立ち止まり、振り返って、
「妖精王、あなたは学校へ?」
「うむ、退屈だからの。それに、弟子の出来も確かめたい」
「弟子?」
「このあいだ別荘に行ったとき、キリヤに稽古をつけてやった」
「へえ、それは初耳だ……あなたが稽古をつけるなんて、意外だな。キリヤに頼まれてもわれ関せずを突き通しそうなものなのに」
「そうしようかとも思ったのだが――いい加減、傍観者でいることにも飽きての。超越した存在であり続けるのも退屈なものよ」
「……そうですか。じゃあ、学校のほうはお願いします。ぼくの友人たちを守ってください」
「守るかどうかはわからぬ。気が向いたら、そうしてやろう」
「安心しましたよ」
ガルダはちいさく笑い、リリスを連れて王宮へ急いだ。
妖精王はなんとなくしてやられたような気分になり、あいつが王になったらこの国は一層大きくなりそうだの、とひとりごちて、王立フィラール魔砲師学校へ向かいゆっくりと空中を進んだ。
*
王立フィラール魔砲師学校の広い敷地内は、観客やら関係者やらで溢れ返らんばかりに混雑していた。
なかでも演習場の近くは人だかりができていて、ほとんどひっきりなしに歓声が上がる。
みんな魔砲師試験として行われている魔砲師同士の真剣勝負を見ているのである。
個人戦が行われている演習場でも、即席の観客席はすべて埋まり、入りきらない観客がぐるりと演習場を取り囲んでいた。
そんななか、広い演習場を四つに分け、それぞれで生徒たちが真剣勝負を繰り広げている。
それぞれ何年もの鍛錬を積んできた、見習いとはいえほとんど一人前と遜色がない魔砲師である。
彼らの戦いは至って派手で、建物より高く炎が吹き上がったり、地形そのものがえぐれて変化したり、演習場すべてが洪水のように水で覆われたりと、それぞれの試合場だけでは収まりきらないほどの戦いを一回戦から見ることができた。
すでにいくつかの試合は勝敗がついている。
試合のルールは単純で、どちらかが降参するか、戦闘不能になった時点で終了。
戦闘不能といっても大怪我を負わせるような危険な行為は禁止になっているから、みな相手の動きを封じるような手を考えていて、それがうまく決まればものの数分で勝負がつくこともあった。
また、試合にはそれぞれ三つまで道具を持ち込むことができる。
道具と魔砲を組み合わせ、より有効な魔砲を生み出すというのも魔砲師の能力のひとつであり、それを測るための制度なのだが、なかには刃物類を持ち込む物騒な生徒もいて、しかしそれが必ずしも有効とは限らず、いまもちょうど大きな鎌のようなものを持ち込んだ生徒が手ぶらの魔砲師に敗れたところだった。
試合に敗れた生徒も、勝った生徒も、すぐに帰ることはできず、演習場の外に待機する。
というのも、この試験は勝敗とは関係なく戦いぶりで合否が決まるため、一回戦で敗れた生徒にもまだ合格の可能性が残されているのである。
「ま、もちろん勝ち進めばその分合格の可能性は上がっていくわけやけどなー」
ソラリア魔砲師学校から参加しているふたりの魔砲師、ギンガとカナタは、早々に試合を終え、一度演習場の外へ出ていた。
結果はもちろん、開始三分での勝利。
「オレらがこんなとこで負けるわけないっちゅーの、わははは!」
「ギンガ、声でかいよ。まわりから睨まれてるで」
「ふん、どうせ負け犬が嫉妬しとるだけや、ほっとけ。なんせオレらは勝ったんやからな!」
大声でそんなことを言うものだから、周囲の視線はどんどん厳しくなっていく。
カナタははあとため息をつき、しかしいまさらギンガの性格について言っても仕方がないから、自分はとなりの暴言男とは無関係ですよという顔をして演習場で行われている試合を眺めた。
「お、次、あいつらやな」
とギンガは立ち見客をかき分け、最前列に出る。
カナタもまわりに謝りつつ、ちゃっかりいっしょに最前列に陣取った。
「キリヤとユイか。そういやあのふたり、さっき手ぇつないどったけど、前もそんな感じやっけ?」
「さあ、知ったこっちゃないが、前はまだ付き合ってはない感じやったな。ま、いろいろあったんやろ、いろいろ、な」
「ギンガ、そのやらしい笑い方やめーな」
「ふははは、敵を動揺させるのも策のうちや。ま、キリヤにはそんな小細工、効かんやろうけどな」
「へえ――ずいぶんキリヤのことは買ってるんやな、ギンガ」
「過大評価やない。おまえは直接やり合ってないから知らんだけや。あいつ、強いで」
そう呟くギンガの表情にはいつものふざけた様子がなく、カナタもすこし気を引き締めて桐也たちの試合を見ることにした。
しかし、結果からいえば、それはほとんど見る価値がない試合だった。
というのも、
「それでは、開始!」
という掛け声と、
「そこまで!」
という掛け声のあいだは、ほんの十秒ほどしかなかったせいだった。
「あ、あいつ……」
ギンガでさえ、さすがに引きつった顔をしている。
「やっぱり、あいつ、悪魔みたいなやつやな――まったく容赦せんかったぞ」
「あ、ああ……なんていうか、相手がかわいそうなくらいやったな」
一瞬の圧勝劇だった。
基本的に、魔砲師の攻撃には時間的なラグがある。
魔砲を放つまでに最低でも数秒かかるためで、一流の魔砲師なれば発動までの時間もかからないのだが、学生同士の戦いとなれば最初の数秒はお互い様子を見ながら魔砲の準備をするというのが一般的だった。
それを逆手に取った、といえば聞こえはいい。
実際は、開始の声がかかるとともに桐也が飛び出し、相手が「え」と驚いているあいだに魔砲でもなんでもないただの肉弾戦でねじ伏せただけである。
魔砲師は、勉学には優れている者が多いが、肉弾戦まではさすがに想定していない。
桐也は道具として持ち込んでいる剣を抜くこともなく、ひとりを足払いで地面に倒し、そのあいだにもうひとりの服を掴み、最初に倒した相手の真上に転ばせて、その上に乗って動きを封じただけだった。
それでふたりはそれ以上魔砲を使うこともできない状態、つまり戦闘不能と判断され、桐也・ユイ組の勝利が決まったのである。
当然、観客からの歓声はなかった。
というより、魔砲師同士の戦いを見にきている客としては、そんな戦い方をする人間がいるとは思ってもみなかったらしい。
あれはなんだ、と思うひまもなく桐也たちの勝利が宣言され、桐也たちはすぐ演習場の陰に引っ込んだから、歓声を上げる余裕も、ブーイングするひまさえ与えられなかったのだった。
「ろ、ろくでもない戦い方やな、ほんまに」
カナタはメガネをくいと上げる。
「あんな戦い方されたら、ほとんどの魔砲師はあかんで。ラグはどうしても起こってまうからな」
「でもま、反則ではないしな。試験に出るくらいの魔砲師やったらアホはおらんやろうから、次にあいつらと当たるやつはちゃんとその対策を立ててくるやろ」
「対策、立てられるんかなあ」
「ま、オレやったら余裕やな。ほかのやつらやったら知らんけど」
できればアレとは当たりたくないな、とカナタは思うが、このまま双方勝ち進めば必ず準々決勝、つまりこの次の次の試合で当たることになっている。
カナタは桐也・ユイ組が次の試合で負けてくれることを願いつつ、自分たちの二回戦のために立ち見の客席を離れた。
しかしその願いは脆くも崩れ去る運命にあった。
ギンガ・カナタ組が順調に二回戦を突破し、ふとトーナメント表を見ると、それと同じときに桐也・ユイ組も二回戦をやっていて、当然のようにふたりは準々決勝へ駒を進めていた。
つまり、この次の試合で確実に当たるのである。
カナタは一回戦でなにもできないままやられた生徒たちの無念を思い、寒気がした――いくら敗北と不合格が必ずしもイコールでないとはいえ、まったくなにもできないまま負ければどんなに甘い試験官でも合格は出せないだろう。
要するにあの時点で彼らの合格の願いは絶たれたわけで、たった数秒でそれを断ち切った桐也たちが平然と勝ち上がってきたのがなにやら恐ろしくさえ感じられたのである。
しかし、試合は試合だ。
棄権するわけにはいかない。
それにカナタは恐れていても、相棒のギンガはやる気に満ち溢れ、ぶつぶつと桐也たちを打ち倒す方法を呟いている。
「いけそうか、ギンガ」
「オレに不可能はないんや、カナタ。もうあいつらの作戦は見切った」
ほんまかな、とカナタは首をかしげるが、いまはとにかく、ギンガを信じて戦うしかないのである。




