第六章 その4
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試験時間が近づいてくると、王立フィラール魔砲師学校には続々と他校の生徒や教員たちが集まってきた。
今年の試験には全国から二十八校、およそ二百人が参加し、個人戦と団体戦に分かれて戦うことになる。
基本的に個人戦と団体戦はどちらか一方にしか参加できないから、受験する生徒たちはそのどちらかを自分で選ぶのだが、比較的多いのは個人戦だった。
そのため、大きな演習場を個人戦の試験会場として、団体戦の試験会場はいくつかの演習場に割り振り、すべての試合が今日の夕方には終わるようにスケジュールが組まれていた。
桐也とユイは、同じく王立フィラール魔砲師学校から個人戦に参加する四年以上の先輩たちといっしょに、いちばん大きな演習場の外で試験がはじまるのを待っていた。
あたりには他校の生徒も大勢並び、そこに教師たちと観客も加わって、普段はしずかな校内がまるで町中のような人だかりになっている。
桐也はユイのとなりに立ち、騒がしい周囲を見回しながら、自分がふしぎなくらい落ち着いていることを意識していた。
そういう感覚ははじめてではない――むしろ元の世界ではよく感じていたものだった。
剣道の試合の前、控室のようなところで出番を控えた生徒たちが待っているのだが、そこの空気がちょうど、いま演習場の外に広がっているような空気だった。
大勢の人間がいて騒がしく、しかしぴりぴりとしびれるような緊張感が満ちていて、うかつに触れると火傷をしてしまいそうな空気。
緊張に顔をこわばらせ、なんとかその緊張をはねのけようと歩き回っている生徒たちもいる。
教師は教師で一塊になっていて、なにかを話し合っていた。
そんなひりつくような空気のなか、自分ひとりだけ異世界にいるような落ち着きでまわりを見回すことができる感覚は久しぶりだった。
過度に緊張するのではなく、かといって気を抜くわけでもなく、普段とそれほど変わらない心拍数でじっと時を待つ。
それができる人間は、そう多くない。
「――キリヤくん」
ユイはきゅっと桐也の服の裾を掴んだ。
「なんだか、緊張しますね」
「まあ、まわりがみんな緊張してるからな。でもマイペースでいいんだ、こういうのは。ひとに合わせて緊張しても意味ないし」
「でも、わたし、こういうの慣れてないから……」
「うーん、そうか、じゃ、こうしよう。手、つなごうか」
「え、て、手、ですか?」
「そう。案外、おれの緊張感のなさがユイに伝わるかもしれないぜ」
「う……じゃ、じゃあ」
ユイはちょこんと手を差し出した。
その手を桐也が掴み、しっかりと握る。
ユイもはじめはそんなことで緊張が解けるはずがないと思っていたが、数分するとふしぎに心が落ち着いてきて、まわりを冷静に見られるようになっていた。
――もっとも、そのまわりは、こんなところでいちゃつきやがって、という試験とはまったく無関係の敵意を丸出しにしてふたりを見ていたのだが。
「キリヤくんはこういう試験、慣れてるんですか?」
「試験は慣れてないけど、試合は前の世界でよくやってたんだ。剣道の試合でさ、みんなこういう緊張感があった」
「へえ……そういう場所で慣れてるから平気なんですね」
「どうだろうな。おれ、あんまり最初から試合で緊張したことってなかったしなあ」
「どうしてですか?」
「うーん……簡単に言えば、負けるわけないって思ってたし」
「う、そ、それはそれですごいですね」
「ただ試合は真剣勝負だから、練習で戦うよりずっとおもしろかった。相手も勝つためにいろんなことを考えてて、それに勝つにはこっちもそれを読んでいかなくちゃいけない。冷静さを失えば、まず相手のペースにはめられて負ける。冷静さを保ちつつ、同時に勝ちたいって気持ちも維持しないと、うまく勝てないんだ。やる気がなくなりすぎると相手の動きは見えても身体が動かなかったりするし。ま、それは剣道の戦い方で、魔砲師の試合はまたちょっとちがうんだろうけど――お、なんか貼り出されたぞ」
王立フィラール魔砲師学校の教師がひとり、大きな紙を抱えてやってきて、それを即席で作った観客席の後ろにぺたりと貼った。
生徒たちがそれに集まり、また一層ざわめきが大きくなる。
「あれ、トーナメント表でしょうか」
「ああ、そうかも。よし、見に行こうぜ」
殺到する生徒たちの後ろに近づき、高いところに貼ってあるそれを見上げると、たしかにトーナメント表だった。
いちばん下に、ずらりと名前が並んでいる。
そこから枝分かれを末端から辿るように線が引かれ、その頂点でひとつの線に合流して、優勝、という文字があった。
桐也たちは自分たちの名前を探し、それが表のいちばん最後にあるのを確認する。
初戦の相手はサラムランドという魔砲師学校の生徒らしく、おそらくこの一団のなかにいるのだろうが、名前だけではだれなのか探し当てることはできなかった。
その代わり、
「あっ」
とユイが声を上げ、表を指さす。
「キリヤくん、あそこ」
「ん――あ」
桐也も見つけた。
桐也たちから五つほど横の欄に、ソラリア魔砲師学校、ギンガ・カナタ組、と書いてある。
ソラリア魔砲師学校といえば、見間違えようもない、たしかにユーキリスが率いているとされる学校だった。
桐也は顔見知りであるギンガとカナタの顔を思い出し、ユーキリスの襲撃とともに姿を消した彼らのことを考えた。
やはり、ふたりも試験には参加しているのだ。
本当は試験までのあいだこの学校に滞在する予定だったはずが、ユーキリスの襲撃に合わせて姿を消したまま音沙汰はなかったが――。
もしかしたらこの試験のなかで直接戦うことになるかもしれない。
ぐっと拳を握る桐也に、存外にのんきな声が後ろから飛んできた。
「おう、久しぶりやな、そこのおふたりさん」
「この声としゃべり方は――やっぱりおまえか、ギンガ!」
桐也は振り返ると同時にユイを背中にかばうような体勢を取ったが、真後ろに立っていたソラリア魔砲師学校の油断ならない青年ギンガと、メガネをかけた青年カナタは警戒する様子もなく桐也に向かって片手を上げていた。
桐也はふたりを視界に収めると同時にあたりを見回している。
このふたりがいるなら、どこかにユーキリスが潜んでいるかもしれない、と思ったのである。
周囲は生徒たちで混雑している。
しかしユーキリスらしい姿は見えず、桐也はゆっくりと息をついた。
「えらい警戒してるみたいやな、キリヤ」
ギンガはポケットに手を突っ込み、にやりと笑った。
「ま、あんな状況やったし、無理もないけど。意外と元気そうやな」
「おかげさまで、きみのとこの先生にやられた傷も治ったよ」
「そりゃあよかった。ま、うちの先生は別にあんたのことは気にしてへんかったけどな。どうも後味悪いって、こいつが気にしとったからなあ」
とギンガはカナタの背中をぽんと叩いた。
カナタはメガネを上げながら桐也を眺め、たしかに傷の後遺症もなく元気そうなのを確認してほっと息をつく。
「いやあほんまに、あんなことになるとは思わへんかったし、そのあとどうなった見る余裕もなくここを出たから、ずっと気にしとったんや」
「なんできみがそんなことを気にするんだよ。やったのはそっちだろ?」
「ま、そりゃそうやけど……ユーキリス先生がなんであんたを襲ったんかは、ぼくらにもようわからん」
「知らなかったのか? じゃあ、なんでこの学校に」
「言うたやろ、試験に出るためや。あんなことになって、この学校におるのはまずいってなったから、結局は一回自分らの町に戻ったけどな。それ以外に理由なんかない。あの遺跡見つけたんも偶然やし」
「偶然、か――」
カナタの戸惑うような表情を見るかぎり、うそをついているとも思えなかった。
ソラリア魔砲師学校の生徒たちは、たしかにユーキリスの教え子ではあるかもしれないが、ユーキリスの目的についてすべてを聞いているわけではないのかもしれない。
「なあ、キリヤくん、あの遺跡、どうなった? なんかわかったか?」
とカナタは好奇心に目を輝かせて桐也ににじり寄る。
桐也は首を振って、
「あのあと、なんか学者みたいなひとたちが調査してたけど、すごいことがわかったって話は聞かないな。で、結局、遺跡はまた埋め戻されたし。生徒が勝手に入ったら危ないからって」
「なんや、そうか。残念やなあ。あそこ、絶対なんかすごい秘密が眠ってると思うねんけどな」
「かもしれないけど――いや、そんなことはいいんだよ。肝心のユーキリスはどこだ?」
「さあ、知らんで。いっしょにきたわけやないし、そもそもここにきてるんかもわからん。なんていうか、すぐどっか旅に出るひとやからなあ。いまごろ世界中のどっかをさまよってるのかもしれんし」
「ふうん……じゃ、ユーキリスからはなにも聞いてないのか? 試験に参加するふりして裏工作をしろ、とか」
「もしそう言われとったとしても、ここで素直に告白するわけないやろ?」
ギンガはわざと含むところがあるように八重歯を覗かせて笑った。
その笑みを見て、桐也はどうやらふたりは本当になにも知らないらしいと確信する。
「じゃあふたりはほんとに試験を受けにきただけなのか」
「そもそも、なんでキリヤが先生を知ってるんや? あれが初対面やなかったんやろ」
「ん、まあ、いろいろと因縁があってさ――」
事情を話したものかどうか桐也が迷っているうち、演習場にアナウンスが響いた。
一回戦がはじまるから、参加する生徒たちは演習場のなかへ入るように、とリクの声が響いて、生徒たちはいよいよ緊張を高めてぞろぞろと演習場へ入っていく。
ギンガとカナタもその列に加わりながら、
「ともかく、どうせやったら準々決勝まで勝ち残れや、キリヤ」
「準々決勝?」
「お互いそこまで勝ち上がったら、準々決勝で直接対決やからな」
笑みを残し、ふたりは演習場へ入っていった。
桐也とユイは顔を見合わせ、すこし笑って、気合いを入れ直す。
「ユーキリスのことも気になるけど、とりあえず、いまは目の前の試合だ――ギンガは準々決勝って言ってたけど、どうせなら優勝まで行こうぜ、ユイ」
「はい、がんばりましょう」
ふたりは揃って小声で気合いを入れ、生徒たちの列の最後尾に並んで、ゆっくりと試験会場である演習場へ足を踏み入れた。




