第六章 その3
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今年の全国魔砲師試験は、光紀400年記念祭と合わせるようにして同じ日程、同じ町で行われることになっていた。
そもそも、毎年主催する学校が変わる仕組みなのだが、今年はそれもヴァナハマにある王立フィラール魔砲師学校に決まっていて、学校でも大勢の生徒や教員、その家族、そして魔砲師同士の真剣勝負を求めてやってくる観客のための準備が整えられていた。
ほかの町や国からやってくる生徒や教員は、それぞれヴァナハマとはちがう町の宿泊施設に泊まることになっている。
そこから汽車でヴァナハマへやってくるのだが、会場になるのは王立フィラール魔砲師学校内の演習場で、普段はがらんとしたそこに、休暇中の生徒などが駆り出されて即席の客席が作られていた。
「なんか一気に大会じみてきたな。うう、わくわくしてきたぜ」
試験当日の朝。
桐也は試験会場となる演習場へ到着し、拳を握って武者震いをする。
そのとなりにはユイがいて、玲亜とレンもいっしょだった。
本来、この試験には四年生以上しか参加しないことになっている。
それは試験の決まりではなく、王立フィラール魔砲師学校の決まりで、年齢に関係なく、三年以下の下級生は試験を受ける段階にも達していない、という名門学校の矜持のようなものであり、三年生である桐也とユイも本当は試験には参加できないのだが、ふたりは特例として試験への参加を認められていた。
というのも、
「こっちとしては、できるだけ警備を一括して行いたいからね。分けると、どうしてもそれぞれの人数が減ってしまうし」
試験を受ける生徒の付き添いとして学校にいるリク・ダルスキイはそう言ってくいとメガネを上げた。
「この会場に、例の魔砲師――ユーキリスがやってくることはほぼ間違いない。そして狙いは、おそらくはキリヤくんひとりだ。学校としては生徒の安全を再優先にしなきゃならない――もちろん、キリヤくんの安全も、ほかの生徒の安全もね。だからキリヤくんとほかの生徒とで警備を分けるように、みんな一箇所に集めてしまったほうが楽ってことさ」
――試験を受けてみないか、と打診があったのは、桐也たちがフィアナの別荘から戻ってきたその日だった。
リクの口からそう告げられたとき、桐也は自分が試験を受けるなど考えたこともなかったが、断るという選択肢は最初から浮かばなかった。
どんな理由にせよ試験に出ていろんな魔砲師と戦えることはきっといい経験になるだろうと、二つ返事で了承したあと、桐也はようやく試験に出るという理由を聞き、納得すると同時に学校側に対して申し訳なくも思った。
ユーキリスがやっていることとはいえ、自分ひとりのために学校全体が動くというのは、やはり気を遣う。
桐也がそう言うと、リクは笑いながら、
「きみが特別ってわけじゃない。もしユーキリスの狙いがきみじゃないほかの生徒だったとしても、学校側としては同じ対応を取ったよ。結局、学校としては生徒を守らなければというだけなんだ。きみは王立フィラール魔砲師学校の生徒のひとりだ。安心して学校を頼ってくれ」
そう言われてうれしくないわけがない。
この学校が名門だと呼ばれる理由を垣間見た気がして、その瞬間桐也は自分の手には負えないことは学校に任せれば大丈夫だと決めたのだ。
そんなわけで、試験を受けるというのは試験会場に居座るため以外のなにものでもなかったのだが、しかしだからといって試験は適当に済ませなければならないとも限らない。
「出るからには、もちろん、優勝目指してやるしかないよな、うん。やっぱり、どんな戦いにせよ、勝たなきゃ意味がないし」
「……お兄ちゃんのこういうモード、久しぶりに見るなあ」
玲亜は目を細め、ユイはくすくすと笑う。
「ユイ、試験はフィギュアとふたり一組らしいから、いっしょにがんばろうぜ」
「はい。キリヤくんの足を引っ張らないように、わたしもがんばります」
「さあふたりとも」
とリクが手を叩く。
「そろそろほかの学校のひとたちも集まってくるころだから、準備をはじめたほうがいいよ――試験がはじまるまで、もう二時間もないからね」
*
ユーキリスがどう出るにしても、自分の気持ちだけはここではっきりさせておかなければならない。
桐也はユイとつないだ手の温かさを感じながら、ゆっくりと自分で言葉を確かめるように言った。
「結局、おれはまだ状況がよくわかってないんだ。ユーキリスがなにをしたいのか、なんでおれを狙うのかもわからない。でも、他人事でいられないことだけは間違いないんだ」
考えてみれば、いちばんはじめから、ユーキリスは常に桐也を狙っていた。
それも殺さず、生かしたままなにかをしようとしていた――しかし桐也を生かしておくことがユーキリスにとってどんな利益になるのかはわからない。
「おれと玲亜がもとの世界に戻るには、たぶん、ユーキリスにもう一回時空魔砲を使わせて、無理やりにでももとの世界に戻るしかないと思うけど、そんなことが可能かどうかもわからない。あいつがおれたちの言うとおりに時空魔砲を使ってくれるとは思えないし、無理やり言うことを聞かせるのもむずかしいと思う。だから、現実的にはおれと玲亜がもとの世界に戻れる可能性はもうほとんどないのかもしれない――でも、そうじゃないんだ。もしもとの世界に戻れる可能性があったとしても、最後はおれと玲亜が決めなくちゃいけない」
ここに残るのか、それとも、帰るのか。
「……玲亜とちょっと話したんだ。お互い、どうしたいのか確かめといたほうがいいと思って」
ユイはそれまでじっと黙って聞いていたが、すこし強く桐也の手を握って、
「あの、わたし、フィアナさんの別荘ではああ言ったんですけど――もし、その、それが重荷になってるなら、わたしのことは」
「いや、ちがうんだ、重荷になんかなってないよ。でもまあ、ユイが言ってくれたことが影響してないかっていうと、影響はしたと思うけど。でもおれも玲亜も気を遣って自分の意見を曲げてるわけじゃない。さすがにおれたちもそこまでいいやつじゃないよ。自分の人生に関わるようなことは、やっぱり、自分の意思で決めたい」
「はい――わたしも、そうしてほしいです。キリヤくんとレイアちゃんが決めたことを、わたしは受け入れます。もし帰りたいと決めたならわたしも全力でそれを手助けします――どれだけ手助けできるのかは、わかりませんけど」
「ありがとな、ユイ」
桐也はユイに笑いかけ、それからどこか晴れやかな顔になる。
「玲亜は、どっちでもいいって言ってたよ。おれが決めたほうに乗っかるって。おれが帰るって決めたら玲亜もそうするし、残るって決めたら玲亜もこの世界に残るって――考えてみたら卑怯だよな、それって」
「それだけキリヤくんのことを頼りにしてるんですよ、レイアちゃんは」
「そうかなあ、なんか責任を押しつけられただけのような気も……ま、とにかく、おれもあれこれ考えたんだ。この世界のこと、仲よくなったみんな、よくしてくれたひとたち、もとの世界にいるはずの親父とおふくろ――ほんとの親子じゃないのに、ほんとの親子以上の愛情で育ててくれたひとたち。どっちに残るのがいいんだろうって考えるんじゃなくて、どっちに残りたいんだろうって考えた」
ユイの手に力がこもる。
それでユイが緊張していることが伝わってくる。
もし逆の立場なら自分も緊張しているだろうなと桐也は思い、ユイを安心させるようにやさしくその手を握り返した。
「おれはこの世界に残りたい――簡単に言えば、それがおれの出した結論だよ」
ユイはほっと息をついた。
その反応がわかりやすくて桐也が笑うと、すぐユイは取り繕うように首を振って、
「そ、その、ちがうんですよ? 安心はしましたけど、もとの世界に帰らないでほしいって思ってたわけじゃなくて、あの、いや、思ってたんですけど、でも、そうじゃなくて!」
「いや、わかるよ、大丈夫。ただ、ユイってこんなにわかりやすかったんだなって思ってさ」
「う、き、キリヤくんに言われるとなんだか複雑ですけど……でも、あの、どうしてその結論を出したのか、聞いてもいいですか?」
「理由はいろいろあるんだ。ユーキリスのことも関係がある。もとの世界に戻れる可能性が低いってこともあるし、この世界で知り合ったいろんなひとたちのことももちろん考えた。ずっとよくしてくれてるリク先生とか、フィアナとかギイとか、玲亜と仲よくしてくれてるレンちゃんにガルダ――もちろん、ユイのことも考えた。それで、もしいまもとの世界に帰ったら、きっといろいろ後悔するだろうと思ったんだ。名残惜しい気持ちはあるし、一度は帰って挨拶したいとも思うけど、どっちか片方を選んだらもう片方は絶対に選べないとして、どっちの世界に残りたいかって考えたら……やっぱり、おれはこの世界に残りたかった。この世界のことで知らないことはたくさんあるし、本当はおれが考えてるような世界じゃないのかもしれない。それでもいいんだ。おれは自分で生きたい場所を決めた。ここで、みんなと――ユイといっしょに、生きていきたい。それがこの世界に残る理由だよ」
ユイはじっと桐也を見つめ、それから恥ずかしそうに顔を伏せて、もじもじと身体を揺らす。
「あの、なんだか、照れくさいですね」
「言うなよ、おれがいちばん照れくさいんだから」
「あはは、そうですよね、ほんとに……」
「でもあの別荘でユイがちゃんと言ってくれたら、おれもこうやって言おうって思ったんだ。まわりに流されながらいつの間にか決まっちゃうんじゃなくて、しっかり自分の言葉で決めようって。ま、結局どうなるかはわからないけどさ、でもおれの意思はちゃんと伝えたかった」
「わかりました――キリヤくんの意思はちゃんと伝わりました」
「うん、よかったよ。よし、これでひとつ済ませておかなきゃいけないことが消えたな――あとは試験と、ユーキリスだけだ」
「でも、ユーキリスってひとはめちゃくちゃなくらい強い魔砲師なんですよね? だったら戦わないで逃げられないんですか?」
「めちゃくちゃなくらい強いから、戦うしかないんだ。逃げても絶対に見つかって捕まる。唯一あいつの思惑を潰せる可能性があるのは、戦って勝つことしかない。大丈夫、おれひとりじゃなくて、学校の先生たちもみんな協力してくれる。ひとりずつでも強いんだから、そんな先生たちがみんな戦ってくれたらユーキリスにも勝てるかもしれない」
「そう――なんでしょうか」
ユイの不安げな表情は消えなかった。
それはそうだよな、と桐也も思う――なにしろそう言っている桐也自身が不安に思っているのだから、話を聞いているユイも不安に感じるのは当たり前のことだった。
学校の教師全員が束になればユーキリスに勝てるか――そんな簡単なことではないだろうと桐也は思う。
ユーキリスの力は、おそらく学校にいる魔砲師のだれよりも強い。
それもわずかに上回っているというのではなく、次元がちがうような強さである。
一流の魔砲師が束になってかかってもユーキリスはそれを簡単に跳ねのけてしまうのではないか――桐也はそう感じて仕方なかった。
だからこそ、自分がやらなければと思う。
桐也は魔砲師ではない。
魔砲を打ち消す剣を持った、剣士である。
だからこそユーキリスに勝てるとすればそれは自分だけだという気がする。
同じ魔砲師では、ユーキリスと同じ力を持つものでは、単純に力の差で押し切られてしまう。
しかしまったくちがう力を持ち、ちがう戦い方をすれば、力はユーキリスのほうが上でも一瞬の勝機が見えてくるかもしれない。
きっと命がけの戦いになるだろう。
ユーキリスの目的が桐也の命なのか、ほかのなにかなのかはわからないが、ユーキリスは目的のためならだれかを殺すことも厭わないような男にちがいない。
勝つか、負けるか。
生きるか、死ぬか。
そういう戦いがほんの数日後に迫っているのだと桐也は意識するが、ふしぎと緊張や恐怖は感じなかった。
不安はある。
ただ、恐れてはいない。
それはどうしてだろうと自分でもふしぎだったが、こうしてユイと手をつないでいるとその答えがわかるような気がした。
自分はこの世界でひとりではないのだとたしかに信じられる――それだけで緊張や恐怖は簡単に消えてしまう。
桐也はユイの手を握ったまま、言った。
「ユーキリスとの戦いはどうなるかわからないけど、とりあえず、全力でがんばるよ」
「わたしも、がんばります」
「うん、がんばろう」
はい、とユイはうなずき、ふたりは手をつないだまましばらく川辺を歩き、学校へ戻って、試験の準備をはじめた。
負けないために、死なないために、できることはいまのうちにやっておかなければならない――もし全力を尽くして、それでも敵わないなら、それはもう、仕方がない。
桐也はそう考え、自分の全力を出せるように剣を磨いた。
その剣がユーキリスとの戦いの鍵になると信じて。




