第六章 その1
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光紀400年を祝う祭りは、二週間という長期間に渡って行われることになっていた。
その範囲は首都ヴァナハマだけではなく、ヴィクトリアス王国の様々な町で行われ、文字どおり国中がお祭り騒ぎとなっていたのだが、その中心となっていたのはやはりヴァナハマであり、ヴァナハマの町はまさにお祭り一色となっていた。
そもそもヴァナハマは美しい町として知られていたが、その町がいまや一段と華やかになっている。
路地という路地は花飾りや垂れ幕で飾りつけられ、広場には国旗が掲げられて、いたるところにちいさなステージが作られ、そこが即席のダンス場になったり、アマチュア音楽家の演奏の場となったりして人だかりが絶えない。
また、世界中から商人が集まり、ちょっとした空間を見つけては店を開いていて、いまやこのヴァナハマで手に入らないものはなにもないというほど多種多様な商品が売られている。
ひとびとは華やかな宝石類を売る店から、どことなく怪しげな雰囲気の装飾品を売っている店まで、祭りの雰囲気を楽しみながらゆっくりと見て歩いていた。
並ぶ露天が様々なら、それを眺める人間も様々で、地元の人間とおぼしき楽な格好の男女もいれば、祭りに合わせて地方から出てきたのだろう、きれいに着飾った老夫婦がいたり、そうした庶民からは一線を画す豪華な佇まいの貴族たち、多くの召使を連れた他国の王族もこのときばかりはヴァナハマの町に集結している。
そんな、万華鏡のように見ているだけで眩暈を起こしそうなお祭り騒ぎが二週間のあいだ昼夜と問わず続くのである。
「それにしてもすごい人混みだなあ。これ、迷子になったら二度と出会えないんじゃないか」
「あはは、たしかにそんな気はしますね。わたしたちは、いざとなったら学校に戻ればいいですけどね」
「いやあ、おれ、ひとりで学校に戻れる自信はないなあ……」
布島桐也は、ほとんど歩くすき間もないくらい人間が密集した路地を眺め、その入り口で思わず立ち止まった。
一度その人混みにまぎれてしまったが最後、濁流に流されるように見知らぬ町の外れまで連れていかれそうな気がする。
そうでなくてもまたヴァナハマの町に慣れているとは言いがたい桐也だった。
町の隅にある王立フィラール魔砲師学校で生活するようになってそれなりに時間は経ったが、ほとんどは学校内での生活だから、町に出て自由に歩き回ったことは一度か二度あるかないかというくらいなのである。
さすがに、この年になって迷子は恥ずかしい。
まあ、いまは世界中からひとが集まっているから、大人の迷子も決して珍しくはないのだろうが、それにしても。
「玲亜とレンちゃん、よくこんななか突っ込んでいったな」
いっしょに学校を出てきた玲亜とレンは、このお祭り騒ぎに浮かれ、あっという間に人混みのなかに消えていった。
いまごろ町のどのあたりでなにをしているかまったくわからなかったが、まあ、あのふたりなら問題ないだろうという気もする。
「どうします? もうちょっとひとがすくないところ、探しますか?」
ユイはちょこんと首をかしげた。
頭の上に生えた耳がひょこひょこと揺れている。
そういえば、と桐也は改めて人混みを見回し、ふつうの人間以外の種族も大勢いることを確認した。
ユイと同じマリラ族に、ギイと同じグワール族、それにまだ出会ったことがない緑色の肌をした種族や、グワール族とは反対に背がちいさい種族もいて、それらがごちゃまぜになって祭りを楽しんでいるのである。
節操はないが、いい景色だな、と思う。
老若男女、その種族も問わず、みんなひとつのお祭を楽しむ気持ちでここへ集まっているのだ。
それぞれの種族だけで固まり、争うよりはよっぽどいい。
「いや、あえてこのなかに突っ込んでみよう。やっぱり祭りの醍醐味はこの人混みだよ」
うむ、とうなずく桐也に、ユイはくすくすと笑った。
――このふたりは、試験を目前に控えた学校で長期休暇も取りやめになって訓練三昧だったのだが、せっかく祭りがはじまったことだし、一日くらい遊んでもいいだろうと、玲亜とレンを連れて町へ繰り出していたのだった。
ただ、その玲亜とレンはさっさと自分たちで楽しむために町中へ消え、いまは桐也とユイのふたりきり。
それもこの人混みで、はぐれたら二度と再会できないかもしれないという状況だった――それなら、と桐也は思い、意を決して、ユイの手を握った。
ユイは一瞬驚いたように身体を緊張させたが、やがてほんのすこしだけ桐也の手を握り返す。
「その、ま、はぐれたら、大変だし」
「そ、そうです、よね」
「うん、だからまあ……その、はぐれないようにしような」
「はい、わかりました」
「よし、じゃあ突撃だ!」
ふたりはひとでごった返している路地へ入っていく。
その様子を、後ろから眺める影がふたつ。
「ううむ、あのふたり、どっちも奥手すぎてまったく進展しないなあ……」
「でも手つなぐようになったんなら上等じゃないのか? てっきりあのまま歩いていくのかと思ったけど」
「そりゃ、あたしが散々煽っといたからね。ユイさん美人なんだから、ちゃんと自分の気持ち伝えとかないとだれかに取られるよって。お兄ちゃんはなんかぼーっとしてたけど」
「ヘタレだなあ、あいつ」
「そうなんだよ、ヘタレなんだよ、あいつ」
はあ、とふたりでため息をつき、しかしともかく手をつないで歩き出したのはふたりにしては大きな前進だろうと思うことにして、玲亜とレンは人混みに紛れるようにして桐也たちを追った。
「なあ、レイア」
「なあに、レンちゃん」
「このままずっと追いかけんの?」
「うーん、ほどよいところで切り上げようと思ってるけど。とりあえず、お兄ちゃんがちゃんとユイさんに手を出すかどうか確認しないと」
「ふつう、逆だと思うけどな、それ。ま、どっちでもいいけど」
とくに興味もなさそうなレンはふわあとあくびを洩らす。
しかし玲亜にとってこれは、人生最大といってもいいほどのビッグイベントだった。
なにしろ、あの兄が、あの四六時中剣道やら鍛錬やらなんやらとわめいていた変人が、どうやら恋愛に目覚めたらしいのである。
なにがきっかけでそうなったかは知らないが、目聡い玲亜が気づいたときには、すでにふたりはなんとなく微妙な距離感だった。
それまでもたしかに微妙な距離感ではあったのだが、いまはもっと微妙な、友だち以上恋人未満的な、甘酸っぱい青春的な距離感であり、おそらく兄にとっては初恋に等しいものだろうから、これは成就させてやらねばと、妹としての責任感を発揮し、なにかと世話を焼いてやっているのだ。
しかし桐也はいかんせん奥手であり、ユイの表情を見ていればどう考えても「いける」ことは間違いないのに、つい「小学生か!」とつっこみを入れたくなるような曖昧なことばかりしていた。
それがいまや手をつなぎ、いっしょに往来を歩いているのだから、著しい進歩である。
次なる一歩は「はぐれてはいけないから」という大義名分なしに手をつなぐことだが、まあ、現状のふたりを見るかぎり、それはすこし遠そうに思えた。
「お、立ち止まった。なに見てるんだろ、指輪とかかな?」
「そんな色っぽいもんじゃねえだろ……ほら、なんか変な人形の店だぞ。呪いの人形みたいな」
「うう、お兄ちゃんのばか、なんでそんなとこで立ち止まってんのよー」
しかしまあ、ふたりの様子はなかなか楽しそうだった。
きっとまわりからは恋人同士に見えていることだろう。
レンはそんなふたりを眺めつつ、ふととなりの玲亜に視線を移して、
「兄貴の心配するのはいいけどさ、レイアはどうなんだよ?」
「なにが?」
「そういうこと、興味ねえの?」
「あたしはお兄ちゃんの世話で忙しいもん」
「世話、ねえ……ま、たしかに世話だけど。なんか、なあ」
「なによー、レンちゃんはどうなの?」
「あたしは興味なし。そういうの、めんどくさいし。パス」
まったく、世間のやつらはよくやるよな、とレンは思う。
恋愛なんて、人間関係でいちばんめんどくさそうなものを自分からしたがるなんて。
男と付き合ったから、女と付き合ったからいったいなにになるんだ? それで金がもらえるというならまだしも、どちらかといえばデートやらなんやらで金は減るわけだし、と玲亜に向かって愚痴っていると、玲亜はじっとレンを見つめ、肩にぽんと手を置いた。
「大丈夫だよ、レンちゃん。お兄ちゃんの次はちゃんとレンちゃんのお世話してあげるから」
「哀れみの目で見るなよっ! あとおまえの兄貴といっしょにすんな!」
うわさされているのを感じたのが、桐也がくしゃみをする。
ふたりはようやく呪いの人形のようなものを売っている怪しい店の前から離れ、歩き出した。
「いや、だって、世間がおかしいんだよ。なんでああも恋愛恋愛言ってんだ? ばかじゃあるまいし」
「そりゃ、恋愛は大事だからだよ。だって青春だよ?」
「青春っていわれてもなあ。必要性を感じない」
「うう、レンちゃん、まだ若いのに、枯れてるなあ」
「うるせえよ、おまえだって似たようなもんだろ、兄貴の世話とかなんとかいって、彼氏いないんだから」
「う、あ、あたしはいいの! 恋愛よりもお兄ちゃんの世話のほうが大事だから!」
「ふうん、ま、そりゃ、レイアがいいなら別にいいけどさ。あたしはそういうの、どうでもいいし」
しかしまわりを見回してみれば、カップルの多いこと多いこと。
どいつこいつも手をつなぎ、笑い合い、この世の幸福ここにありとばかりに町をうろついている。
レンは思わずちっと舌打ちを洩らし、近くの露天に売っていたアイスを腹いせに買った。
「わ、いいな、アイス。あたしも食べよー」
「いいけど、この人混みじゃ歩きながら食えないぜ。食ってたらキリヤたちは見失うけど」
「う……ど、どっちにしようかなあ……」
玲亜はレンが持つアイスと去りつつある桐也の背中を見比べ、うう、とうなり、アイスを注文した。
人混みからすこし離れたところでそれを食べ、舌と腹を満たし、ふうとふたりは落ち着く。
「すごい祭りだよなあ、まったく。よくこんなにひとが集まってくるよ」
「だねー」
「次の祭りは百年後だろ。百年後って、あたしたち、生きてるかな?」
「どうだろうねー。生きてるとしたらあたしたちって人間じゃない可能性が生まれてくるよね」
「妖精王は、生きてるんだろうなあ。何千年も生きてるっていうし」
「そうなの? すごいんだね」
「そういや、妖精王は?」
「さあ、わかんない。最近はもう自由にいろんなとこ行っちゃうから。夜になったら帰ってくるんだけど」
「……なんか、ペットの猫みたいだな。妖精王ってほんとはすごいはずなんだけどなあ……」
この世界に住む人間ならだれもが知っている伝説の存在が、いまやペットの猫と大差ない扱いとは。
世の中わからんもんだな、とレンは悟った気分でうなずく。
「百年後だって、どうなってるかわからんよな。人間なんか絶滅してるかもよ」
「えー、百年くらいは大丈夫だよ」
「いや、そういう油断がよくないんだ。明日にでも隕石が落ちてくるかもしれないし。ほら、月が落ちてくるとかさ」
レンは言いながら空を仰いだ。
まだ空は明るいが、その明るい空に、青白く月が見える。
あの月が落ちてきたら、本当に人類は全滅してしまうかもしれない。
それか、一部は生き延びて、またそこから人間が増えていくのか。
「とにかく、明日がどうなるかなんてわかんないんだから、今日やりたいことは今日やっとかないとな」
「レンちゃんが今日やりたいことって?」
「アイスの食べ歩き。あと五種類は食いたい」
「付き合う!」
「よし、じゃ、行くか」
もはや桐也たちの様子を見るなどまったく眼中になかったが、ともかくふたりは立ち上がり、町のいろいろな場所にあるはずのアイス屋を目指して歩き出した。




