第六章 その0
魔砲世界の絶対剣士
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「――まさか、こんなものが本当にあったとは」
もくもくと上がっていた土煙が落ち着くのを待って、考古学者はいざなわれるようにその空間へ足を踏み入れた。
一歩、なかに入れば、すでに空気がちがう。
淀んでいるような不快感ではなく、かといって澄んだ空気というのでもなく――強いていうなら聖なる神殿の最深部に足を踏み入れたような、緊張感とわずかな罪悪感が入り混じった感覚だった。
「ライトをもっと――奥を照らしてくれ」
助手たちが一斉にハンディライトを掲げ、考古学者の背中からその空間を照らした。
考古学者はまず足元を確認し、それが崩れそうにはない石造りの頑丈なものであることをたしかめてから奥へと進んだ。
「王宮の真下にこんなものがあるとは……もしガルダ王子の命令がなければ、おそらくこの先何百年も気づくことはなかっただろうな」
それほど広い空間ではなかった。
ここは通路のようなものらしいと考古学者は見当をつけ、奥へ進んだ。
通路の突き当たりに曲がり角がある。
そこを曲がると、すぐに扉があった。
考古学者は扉の表面を指でなぞり、信じられないというように息を洩らす。
「この材質は――どうして遺跡に、こんなものが。あり得ない、この時代にはまだこんなものは発明されていなかったはずだ」
「先生、どうしますか。再び爆薬で開けますか」
「待て、まだ鍵がかかっているとはかぎらない。それに爆薬を使えばこの地下全体が崩れるかもしれない」
扉にはノブがある。
ここに王宮ができて四百年、遺跡はそれよりも古い時代のものにちがいなく、そんな時代の遺跡に現代と同じような扉があるとは考えもしなかった考古学者は、ゆっくりと扉の表面に触れながらノブを握った。
ノブが回る。
鍵はかかっていなかった。
軋む音も立てず、まるで昨日もそのようにして開いたというように、スムーズに扉が開いた。
扉の向こうの空間も暗い。
助手たちがすかさずライトをかざす。
ライトの光が暗闇を切り取り、現れたのは、奇妙な構造物だった。
「……なんだ、あれは?」
ここもそれほど広い空間ではなかった。
奥の壁をライトは照らしていたが、壁沿いになにかがずらりと並んでいる。
ひとつひとつは五、六十センチほどの、長方形の箱である。
黒い箱が壁に沿って積み上げられ、ひとつの巨大な構造物になっている。
ライトが動き、向かって左側の空間を照らすと、そこには作業台のようなものがあった。
「うかつに触れるな。なにが起こるかわからないぞ」
考古学者はゆっくりと部屋のなかに入り、ぐるりとあたりを見回した。
奥の構造物と、左側の作業台以外はなにもない。
考古学者はまず左の台に近づき、手は触れず、顔を近づけて眺めた。
台は机のようでもあり、しかし手前に傾斜していて、机としての用途ではなさそうだった。
台の表面にはいくつかスイッチのようなものもある。
それがなにを意味しているのか、どこかに古代文字なりなんなりで説明があるかもしれないと調べてみたが、なにも見つからない。
考古学者は、今度は床に這いつくばった。
両手を床に当て、目を閉じる。
土の魔砲師である考古学者には、そうすることで床の下がどうなっているのか探ることができた。
土が詰まっているならすなわちこの下にはなにもないということで、しかし考古学者はこの真下には大きな空洞があることを感じ取った。
「まだ地下があるんだ。しかし調べてみたところ、階段や地下へ続く通路のようなものは感じられない」
「封じ込められている、ということですか」
「あるいは事故や災害で埋まってしまったか……とにかく、いまはこの地下へ行くことは不可能だ。まずはここを調査しなければならない。だれか、ガルダ王子に報告してくれ。おそらくは今や遅しと待っておられるだろう。遺跡を発見した、ただちに調査へ入ると」
「わかりました、ぼくが行ってきます」
助手のなかでもいちばん若い青年が言って、踵を返した。
青年はライトで足元を照らしながら遺跡を戻り、爆破してこじ開けた壁を超えた。
そこからしばらく、土を掘って進んだ洞窟のような空間が続く。
もし魔砲師がいなければこの工事だけでも数ヶ月はかかっただろうと考えながら洞窟を抜けると、そこは王宮のなか、地下にある食料庫の壁に空けられた穴で、青年は食料庫から地上へと出る。
王宮のなかは騒がしい。
何人もの召使や政治家が行き来している。
光紀400年記念祭までもう一週間を切っているから、最終調整のために王宮はちょっとした戦場のような騒がしさに包まれていた。
そのなかを抜け、王子ガルダの執務室の扉をノックする。
ガルダからすぐに返答があり、入ってもいい、と許可されて扉を開けたところで、青年はあっと動きを止めた。
ガルダが座っている椅子の前に、だれかがいる。
だれか、というよりは、なにか、だ――長い銀髪を揺らし、空中を漂う美女。
「発掘はどうだった?」
ガルダは椅子から前のめりになって聞いた。
青年がそこにいる第三者に気を取られていることを知ると、かすかに笑って、
「この方は気にしなくてもいい。うわさは聞いているだろう、伝説の妖精王さまだ」
「うむ、いかにも。儂が伝説の妖精王である」
銀髪の美女はなんとなく誇らしげに言った。
青年は、まさかこんなところでお伽話にも出てくる妖精王と会うとは思いもしなかったから、どぎまぎしがらも自分の任務を思い出す。
「が、ガルダ王子、ご報告いたします。王宮地下で、古い遺跡を発見しました」
「やっぱりあったか!」
ガルダは手を打ち、それからふとまじめな顔になる。
「ならば、やはり――」
「避け得ぬ運命であろうな」
妖精王は独り言を呟くように言って、青年に目を向けた。
「そこの男、遺跡はどんな様子だった?」
「は、はあ、まだ調査はしておりませんが、まず通路のようなものを発見し、その奥に部屋を見つけました。なんのための部屋なのかはわかりません」
「部屋にはなにかあったか」
「黒い箱のようなものがいくつか並んでいました。それから、スイッチのようなものがある台も。部屋の扉も、先生が言うには、遺跡が作られたと思われる時代には存在しない材質でできているそうです。スイッチのたぐいもそうだと思われますが」
「ま、そうであろうな。その遺跡はおまえたちが思うよりも古いものだ。四百年、五百年というのではない――千年、二千年も昔のもの」
「せ、千年? しかしなおさら、それほど古い時代に作り得るものでは――」
「歴史というのは繰り返すものだ、若き人間よ。技術は滅び、また生まれる。おまえたちが暗黒時代と呼ぶころ、かつて残されていた遺跡のほとんどが壊された。残っておるのは地下深くに隠されていたものくらい。しかしそれ以前の人間たちは、いまの人間に負けず劣らず巨大な町を築き、発達した科学を身につけておったよ」
「では、発見された地下遺跡は暗黒時代前のものだと――せ、先生に報告しなくては。ガルダ王子、われわれは引き続き遺跡の発掘、探査を続けます」
「ああ、そうしてくれ。しかしなるべく遺構には手を触れないように頼む。古代の知識、科学は、あるいはわれわれの想像を絶するものかもしれない。不用意に触ってはなにが起きるかわからないから」
「わかりました。失礼いたします」
青年は頭を下げ、慌ただしくガルダの執務室を出ていった。
ガルダは椅子のなかで頬杖をつき、むずかしい顔で一点をじっとにらむ。
妖精王はその様子を眺めるでもなくぼんやり視界に捉えていた。
「やっぱり、遺跡は見つかったか――あの本は正しい歴史を記していたわけだ」
「歴史書など探さぬとも、儂がすべて話してやるがの」
妖精王はいたずらっぽく笑った。
ガルダは苦笑いし、
「それを先に聞いていればよかったんだけれど――しかし、あの本が正しいとなると、この世界の歴史はぼくたちが知っているものとは大きく異なるということになる。妖精王、あなたは、人間とは別の時間を持っている。人間にとっての百年はあなたにとってのほんの一瞬にすぎない。ならば、あなたは人間というものが生まれたそのときから、この世界を見ているんじゃないか?」
「だとしたら?」
「だとしたら――人間はいったい、何度歴史を繰り返したんだろう。何度滅び、何度蘇ったんだろう。ぼくたちは何度目の勃興なんだ?」
「回数を知りたいか? あるいは、理由を知りたいか?」
ガルダは妖精王を見た。
空中に浮遊する銀髪の美女は、ともすれば友人かなにかのように感じられるが、本当は人間など超越した絶対的な妖精たちの王なのである。
この星の原始から存在し、おそらく、この星が滅びる瞬間さえ見届けるであろうもの。
そんな存在にとっては、人間の歴史などまばたきのあいだに起こったほんの一瞬の光の煌きにすぎないのかもしれない。
しかし人間にとってはそれがすべてだ。
生まれ、死ぬあいだの一瞬こそ、人間のすべてなのである。
「……なぜ、人間の社会は滅ぶんだろう」
「直接的な原因はいくつもある。しかし確実に言えることは、一種の自浄作用が働くのだろう」
「自浄作用?」
「人間に限らず、あらゆるものがそうだ。たとえば、ある肉食獣がいるとする。その肉食獣は強く、ほかのいかなる生物にも負けることがない。肉食獣は一方的な狩りによって数を増やし、その半面、狩りの対象となる弱い生物の数が減っていく。何体もの肉食獣が生きていくには、その何十倍もの弱い生物が必要だ。しかし強いがゆえ、増え続ける肉食獣には、やがて餌が足りなくなる。そうすれば飢えるものが現れる。飢え、数が減れば、それに狩られるはずだった弱い生物が生き延び、数を増やしていく――そしてまた、肉食獣は餌を狩る。こうしてすべてのものは栄え、滅び、螺旋を紡いでいく」
「人間もまた、そうだと?」
「この世界は、ある一定以上になったものを間引くようにできている。増えすぎないように。原因はいま言ったような餌の不足もあれば、特定の種で蔓延する疫病であり、縄張りを巡った争いでもある。どんな種にせよ、栄えすぎたものはなんらかの方法で減少に転じるものだ」
「そうして人間の社会も栄えては滅びることを繰り返してきたのか? 人間はいつも、その滅びを甘んじて受け入れてきたのか――」
甘んじて受け入れてきたわけではないだろうとガルダも思う。
そのときの人間たちは、自分たちが生き残る最善を探し、それを選び取ってきた。
そしてそのようにして選択した人間たちは生き残ったのだろうが、それ以外の人間たちが滅んでしまったのだ。
「それじゃあまるで、この世界を俯瞰しているだれかが、ぼくたち人間を滅ぼそうという意思を持って動いているみたいだ」
「そのように考えることもできる。世界を俯瞰しているだれか、というものは、おそらく人間には、儂にも、絶対に知覚できない存在であろうが」
「ぼくは、そんなことは許したくない――だれかの意思で別の存在が滅ぶなんて、そんな横暴は許したくない」
「では、どうする?」
妖精王はにやりと笑った。
「世界を救うか、ガルダ王子」
「……ぼくにそんな力はありませんよ、妖精王さま」
「力があるかないかではない。できるか、できないかだ。おまえには世界を救える可能性がある、ガルダ」
「ぼくは王子としても魔砲師としても、ひとりの人間としても力不足だ」
「力不足の若者が世界を救うのも小気味良い。まあ、おまえが世界のことなど知ったことかというなら、それまでの話だがの」
「……ぼくに救えるのか?」
「おまえひとりでは、無理だ。ほかにも必要なものがある。それらがすべて揃ったとき、世界は破滅から救われる――ひとまずは、だが。そのあと別の破滅がこないとも限らない。人間がどれだけ世界の意思に抗えるか、試してみるがいい。儂が手を貸してやろう」
「なぜです? 妖精王、あなたは、いままでも滅びゆく人間を見てきたはずだ。なかにはあなたに救いを求めた人間たちもいた――しかしあなたはなにもしてこなかった。あなたは妖精王だ、それはわかっています。人間とはちがう世界に住む、人間とはまったくちがう存在だ。そんなあなたが、どうしていまは人間に手を貸すんだ?」
「なに、深い意味はない」
そのかすかに浮かんだ笑みに、ガルダは、妖精王の絶対的な孤独を感じ取った気がした。
「ただ眺めておるだけも退屈での。たまには自分もどちらかに賭けてみたくなった――ただそれだけだ。儂は人間側に賭ける。おまえと、キリヤにな」
「キリヤ? どうして彼が」
「キリヤは世界の鍵になる存在だ。滅ぶも生き延びるも、すべてはキリヤの鍵にって扉が開かれてからのこと――キリヤなしではこの世界は滅びることも生き延びることもできない。ま、あやつはそれを望んでおったのだろうがの」
「あやつ?」
「ある女だ――世界を壊した者を父と兄に持つ、世界を救おうとしたひとりの女だよ」




