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魔砲世界の絶対剣士  作者: 藤崎悠貴
第五章
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第五章 その10(終)

  10


 不安というのは常に未来からやってくるものらしい。

 不安とは未知の別名で、未知とは未来のことだから、不安はいつも未来にあって、だから未来のことを考えると胸の奥がきゅっと締めつけられたように痛む。

 しかしユイは、どんな未来が自分にとって心地よいものなのか、まだはっきりとイメージできずにいた。


 たとえば、いまこの瞬間が永遠に続けば、この一瞬が引き伸ばされて遠い未来になれば、それが幸せなのだろうか。

 それともいまとは別の形で、もっと大きな幸せを感じられる未来があるのだろうか。


 ユイはベッドに入ったあと、そんなことを考え出して眠れなくなってしまった。

 未来のことを考えると目を閉じて耳を塞ぎ、なにも感じたくなくなってしまう――しかし未来は、そうやってじっとうずくまっているだけでも着実に近づいてくる。


 もう目も背けられないほど近くまで未来がやってくるのを待つか、それとも遠い場所からやってくる未来をしっかり見据え、そこに向かって行動するか――きっと楽なのは前者だろう。

 なにもしなくても未来はやってきて、そのときになれば諦めてしまえばいいのだから、それほど楽なことはない。


 でもそんな楽な未来はきっと幸せではない。

 幸せな未来にしたければ、しっかりと未来を見据え、未来のために行動しなければならない――たとえそれが現在の痛みを伴うとしても。


 ユイはベッドから起き上がった。

 部屋のなかはとっくに暗く、カーテンのない窓の向こうには数えきれないほどの星の輝きがある。

 ユイはすこし考え、部屋を出て、靴を履き替え、別荘の外で改めて空を仰いだ。


 満天の星空。

 大量の光の欠片が息詰まるほど美しく輝いている。


 その中心にあるのは、巨大な月だった。

 いびつな形をした月。

 それが夜空の真ん中に陣取り、この夜を照らしている。


 ユイは力が抜けたようにその場に座り込んだ。

 ぼんやりと空を見上げていると、意識まで夜空に吸い取られていくような気がする。


 ――もしそのとき声をかけられなかったら、ユイはそのまま眠り込んでいたかもしれない。


「ユイ、どうしたんだ?」

「あ――キリヤくん」


 ぼんやりしていた意識が一瞬で戻ってくる。

 ユイは乱れているかもしれない髪をすこし気にしつつ、キリヤが座れるようにすこし横へずれた――といっても別に椅子があるわけでもなく、草の上に直接座っているだけだから、座る場所はいくらでもあるのだが。


 桐也はユイのとなりに腰を下ろすと、ユイの真似をするように夜空を見上げた。


「月がでかいなあ、こっちは」

「キリヤくんがいた世界では、そうじゃなかったんですか?」

「いや、そりゃ星に比べたらでかかったけど、でもここほどじゃなかったよ――それにここの月は、形が歪だし。でも星がきれいなのは同じだ――ユイ、星、好きなの?」

「そういうわけじゃないんですけど、ちょっと、眠れなくて。キリヤくんは?」

「おれもま、似たようなもん。なあ、ユイ、聞いてくれよ。今日さ、おれちょっと強くなったんだ。エレメンツってやつの流れがちょっとわかったっていうか、明日までこの感覚を維持できるかどうかわからないけど、でも昨日より確実に強くなった気がする」

「わ、よかったです――あれだけ一生懸命、訓練してたんですもんね」

「ま、訓練は趣味みたいなもんだけど。妖精王が付き合ってくれてよかったよ。いい訓練になってる。ここだとまわりを気にする必要もないし」


 ユイは桐也の横顔をちらりと見た。

 月明かりに青白く照らされたその顔は、なんだか子どものように無邪気に見える。


「……キリヤくんは、強くなって、どうするんですか?」

「ん? どうするって?」

「いえ、その――」

「ま、目下の目標は打倒ユーキリスだな。あいつには二回負けてるから、もう負けられない。それから――いや、まあ、そんなとこか。ユーキリスを倒せば、あいつに時空魔砲を使わせてもとの世界へ戻れるかもしれないし。そうなったらここにいるような強いやつとはもう戦えないだろうから」

「……やっぱり、そうですよね」


 桐也が強くなる理由はユーキリスに勝つため。

 ユーキリスに勝てば、時空魔砲で元の世界へ戻れるかもしれない――元の世界へ戻るということが桐也の最終的な目標なら、当然、ユーキリスには勝たなければならない。


 ――そんなことは、はじめからわかっていたのに。

 ユイは夜空が暗くてよかったと思う。

 もし明るい昼間なら、うるんだ目に気づかれてしまうかもしれないから。


「でも、まあ――」


 桐也はすこしためらうように言葉を切ったあと、


「おれは、正直そんなに元の世界へ戻りたいってわけでもないんだ」

「え?」

「いや、そりゃ帰りたい気持ちはあるよ。向こうには世話になったひとたちもいるし、そのひとたちになにも言えないままこっちへきたから、感謝とか、こっちは無事だってこととか、いろいろ伝えたいことはあるんだけど……でも、それさえ伝えられれば、こっちの世界に残ってもいいかなって思うときがある。こっちでも仲のいい連中も増えたし」

「そう……なんですか」

「おれはこっちの世界も好きだし、元の世界も好きなんだ。でもま、おれひとりの問題じゃないからさ。玲亜がいるから、やっぱり向こうには戻らないと。すくなくとも玲亜だけは向こうにちゃんと戻ってほしいんだ、おれは」

「どうして、ですか? 玲亜ちゃんはきっと……」

「おれがこっちに残るって言ったら、玲亜もそうするって言い出すかもな」


 かすかな笑い声が夜空に飲み込まれる。

 周囲の野原ではあちこちで虫が鳴いていたが、それもふたりの声を遮るほどではなかった。


「でも、おれは向こうの親父とおふくろに、ちゃんと玲亜を守るって約束してるんだよ。妹のことは任せといてくれって。その約束を破るわけにはいかないだろ」

「……キリヤくんはやさしいんですね」

「兄貴は大変だよ。妹を守って、妹のわがままに付き合って。ま、それが楽しいときもあるんだけどさ」

「そうですね……でも、わたし、キリヤくんの気持ちも大事だと思います。レイアちゃんのためって気持ちもわかりますけど、でも、キリヤくんが自分の気持ちを犠牲にしてレイアちゃんを優先するなら、それはよくないと思うんです。レイアちゃんもきっとそんなことは望んでないと思いますし……」

「犠牲にしてるわけじゃないよ。おれはおれで、楽しんで生きてる。そのなかで玲亜のことを守りたいってことなんだ。もちろん、玲亜以外のみんなも。ユーキリスはみんなのことを傷つけるかもしれない。でもあいつの狙いはおれだ。だから、おれがあいつを倒さなきゃいけない。ま、正直、いまのままじゃ勝てないくらいあいつは強いけど、でもしっかり訓練すれば絶対に勝てるようになる」


 大切なのは自分の気持ちなのだとユイは思う。

 桐也に言った言葉が、そのまま自分に返ってくる。

 自分の気持ちを犠牲にしてだれかを優先させても、きっとそのだれかはそんなことは望んでいない――ありのままの気持ちをぶつけてくれたほうがいいと、そう思っているにちがいないのに、ユイは自分の気持ちを口に出すことができなかった。


 その葛藤のなかで、唐突に気づく。

 桐也と出会ってそろそろ二ヶ月あまり――いろいろなことがあって、いまこうして夜空を見上げているのは、奇跡のような瞬間が積み重なったおかげなのだ。

 出会ったことも、いまいっしょにいることも、決して偶然ではない。

 必然的な奇跡がこの瞬間を作り上げ、そして近い将来、その奇跡は消えてしまうかもしれない。


 理由はわからなかったし、きっかけもわからない。

 ただユイは、自分のなかにある気持ちを自覚する。


「――キリヤくん」

「ん?」

「……いえ、あの、なんでもありません。あの、わたし、部屋に戻りますね」

「ああ、おやすみ、ユイ」

「おやすみなさい――」


 ユイは立ち上がり、薄暗い別荘のなかに戻ってちいさくため息をついた。

 それでも、いまから桐也のところに戻るのも変で、とぼとぼと自分の部屋に戻る。


 ベッドに倒れ込み、うー、としばらくうなってから、ごろんと仰向けになる。


「はあ……でも、なかなか言えないよね、こんなこと」


 もし突然そんなふうに言ったら、桐也はどんな顔をするだろう。

 驚くか、笑うか、黙り込むか。

 ユイはそんな様子を想像し、やがてそのまま眠りに落ちていた。


 そして翌朝、ぱっと目を覚ましたユイは、眩しい朝日と今日もよく晴れた空を見て、突然決心する。

 時間は確認しなかったが、部屋を出るともう玲亜やレンの部屋の扉は開いていた。

 一階にある洗面所を覗くと、ふたりはそこにいて、歯を磨いているところだった。


「あの、ふたりとも、キリヤくんがどこにいるか知りません?」

「ふぉふぃいひゃん?」

「レイア、なに言ってるのかまったくわからん」

「ひょっふぉふぁっふぇ」


 歯ブラシを抜き、口をゆすいで、改めて。


「お兄ちゃんだったら、さっき別荘の前で素振りしてたよ?」

「ありがとうございますっ」

「あ、ユイさん――なんなんだろ、朝から」

「さあ……?」


 首をかしげるふたりを背中に、ユイは別荘の玄関を開けた。

 桐也は、たしかにそこで剣を素振りしていた。

 ユイに気づくとその手を止め、振り返って、おはよう、といつものように言う。


「あ、お、おはようございます……」


 桐也の顔を見た瞬間、急に恥ずかしくなってきたユイだったが、言えそうなときに言わなければと、勢いに任せてユイは叫ぶように言った。


「あの、キリヤくん――わたし、キリヤくんにはずっとこの世界にいてほしいです!」

「え、あ、ああ、うん」

「え、ええっと……じゃ、じゃあ、そういうことで!」

「そういうことって、ど、どういうこと!?」


 とにかく言いたいことは言えた。

 言えた、ということにしておく。

 ユイはすぐさま別荘のなかに戻り、自分の部屋に逃げ帰って、ばくばくと激しく脈打っている心臓を押さえた。


 自分が言いたかったこと、伝えたかったことは、とにかく、桐也に伝えることはできた。

 あとは桐也がどう選択するか、である。

 それでも桐也が元の世界に戻るという選択肢を選ぶなら、ユイはそれを全力で手助けしたいと思う――それが桐也の幸せにつながるなら。

 しかし、もし、桐也がこの世界に残ると決めたのなら、そのときは。


「……そのときは、もっとちゃんと、言いたいこと、言わなくちゃ」


 果たしてそのときがくるのかどうか――きてほしいような、でも、それはそれでいま以上に緊張するだろうし、どきどきするだろうから、きてほしくないような、複雑な気持ちではある。

 ただ、どちらになっても後悔はしないだろうとユイは思った。

 どんな未来がきても、こんな未来は望んでいなかったと後悔することは、もう絶対にないのだ。



  *



 フィアナの別荘にきた七人は、別荘三日目を思い思いに過ごし、その夕方、荷物をまとめて別荘を出た。

 三日間の滞在が終わり、学校へ帰るのである。


「なんだかんだ言って楽しかったなー」


 最寄りの駅で汽車を待つあいだ、玲亜はうーんと伸びをする。


「ね、来年もまたこようよ、レンちゃん」

「来年なあ。ま、どうせ暇だからいいけど」

「……あんたたち、あれが私の別荘ってこと、忘れてない?」

「でも、楽しかった。ふたりで過ごすより、七人のほうが」


 ギイの言葉に、フィアナはうっと言葉に詰まって、


「ま、まあ、そりゃあ、退屈はしなかったけど」

「おれもいい訓練ができたよ。帰っても続けて、感覚を身体に叩き込まないと」

「はあ、あんたはほんとにうちの別荘でも訓練しかしてなかったわね。ま、それで楽しいんなら勝手にすればいいけど。私には理解できないわ。なぜなら私は訓練なんかしなくても超一流の魔砲師になれる天才びしょ――」

「お兄ちゃん、結局プールで泳がなかったんだね。せっかくこっそり鞄に水着入れてあげたのに」

「あんなブーメランパンツだれが履けるかっ。そもそもなんであんなの持ってたんだよ」

「えへへ、安かったから自分の水着のついでに買ったの」

「よ、余計なことを……」

「来年はあれ履いてよ。そしたらあたしたちで変質者だーって叫ぶから」

「変質者だーって叫ばれるために履くとかおれはいったいどういう存在なんだよ」

「……あんたたち、絶対地獄に落ちるわよ。神が許しても私が地獄に落としてやるわっ」

「フィアナ、元気出して――ぷぷっ」

「笑ってんじゃないわよおお!」


 まあまあ、と取りなすユイの声を遮るように汽車の汽笛が響いた。

 楽しい息抜きの旅行も、終わりのときが近い。


 しかし桐也は、学校に帰るや否や職員室に呼びされることになろうとは、このときは知るよしもなかった。

 ましてや、そこでリクに、


「――キリヤくん、魔砲師試験に出てみない?」


 などと提案されるとは、まだだれも想像していなかったのである。



  *



 海は穏やかだった。

 夏のあいだはその穏やかな海に無数の漁船が浮かんでいる。


 水平線の彼方、かすかに見えるそれを眺めるように、ソラリア魔砲師学校の教師、アカネ・ナガワは目を細めた。

 水平線よりもずっと手前の波打ち際では生徒たちが水遊びに興じている。

 アカネはその引率というところで、防波堤に腰を下ろし、燦々たる太陽の光を受けながらその様子を眺めているのだった。


「はあ、わたしも海、入りたいなあ……」

「せんせー、せんせー!」

「はいはい、なんですか?」

「見て、貝殻ビキニ!」

「あー、はいはい、おもしろいですねー」

「きゃはははは!」


 まったく子どもたちは楽しそうだった。

 自分にもあんなに無邪気な時期があったのだろうかと考え、そんな時期は存在しなかったような気がして、アカネは再びため息をつく。


「……どうした、アカネ」

「え、あ、ユーキリスさん」


 いつの間にやってきたのか、アカネの横に、この真夏の風景には似つかわしくないスリーピースのスーツを着た男が立っている。

 男は長い髪の下から海を眺め、ふと踵を返して、海に背を向けるようにして防波堤にもたれかかる。


「子どもたちは無邪気ですね――あのまま大人になれたら、どんなにいいか」

「大人と子どもにはそれほど差はない。ちがいがあるとすれば、大人は他者に恐怖し、本当の自分を隠そうとすることだ。子どもにはその恐怖心がない。ただそれだけだ」

「そんなもの……なんでしょうか。ユーキリスさん、いままでどちらに?」

「調べ物をしていた。結局、わからなかったが」

「ユーキリスさんにもわからないことがあるんですか?」


 からかう様子ではなく、本心からそれをふしぎがるようなアカネの口調だった。


「私もすべてを知るわけではない。失われた歴史には、私も知らぬことがある。それを探したのだが、やはりそう簡単には見つからない。あるいはヴィクトリアス王国の王宮にはあるかもしれん。王宮の書庫には古い時代から収集している書物がそのまま残されているという」

「王宮ですか。さすがにそこには入れませんよね」

「まあ、いい――すでに準備は終わっている。あとは、時期を待つだけだ」

「試験、ですか――ユーキリスさん、本当に、革命を起こすんですか? あの、そんなことしなくても――」

「生きていける、か。たしかにそうだろう。しかし私はもう引き返せない。私の革命のために犠牲になった者たちが、私に止まるなと命じている。止まれば犠牲は無駄になる――アカネ、おまえたちは革命には関わっていない。もし私がしくじったときは、おまえたちは無関係だと主張しろ。おまえたちまで裁かれることはないだろう」

「……はい、わかりました」

「それでいい――すべては革命のため、魔砲師の世界を取り戻すため。そのためなら私はこの世界を滅ぼしさえしよう」


 ユーキリスは防波堤から背中を離した。

 立ち去ろうとする後ろ姿に子どもたちが気づき、声を上げる。


「校長せんせー! 今日の夜花火するんだけど、せんせーもいっしょにしよーよ!」

「花火、か――」


 ユーキリスはかすかに笑った。

 アカネにはそう見えた。

 しかし表情は一瞬でなくなり、ユーキリスは子どもたちには聞こえないような声で低く呟いた。


「私は夜を憎む――すべての魔砲師がそうすべきなのだ。あの忌々しい月が輝く夜を――」


 ユーキリスはゆっくりと立ち去っていった。

 それが学校として使っている建物に戻ったのか、あるいはまたどこかへ旅立ったのかは、アカネにはわからない。

 アカネはユーキリスについてほとんどなにも知らなかった。

 知る必要がなかったのかもしれない。


 アカネはユーキリスの背中から目を離し、子どもたちを眺めて、それからもう一度、深くため息をついた。



  ――第五章、了

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