第五章 その5
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フィアナの別荘は、たしかに自慢するだけのものではあった。
別荘そのものは三階建ての洋館で、中央に大きな玄関があり、吹き抜けの玄関ホールから左右に分かれた廊下沿いには無数の部屋が並んでいる。
部屋数は全部で十以上。
寝室兼客室だけでも十あり、それ以外にも浴室がふたつ、大食堂、談話室、遊戯室と、空間を贅沢に使いきっている。
しかし内装は存外に穏やかで、優美ではあっても派手ではなく、暮らしやすさや落ち着きを重視した作りになっていた。
玲亜たちは別荘に着くとまず荷物を部屋に置くべく、階段を上り、向かって左側の廊下に進んだ。
左側の客室は女子、右側の客室は男子、というわけで、まあ男子といっても桐也ひとりなのだが、ともかく女子六人、いや、手ぶらの妖精王を除いて五人は、まずそれぞれの部屋を自分で決めて荷物を運び込んだ。
部屋はどれも同じ形で、ベッドメイキングも完璧にされている。
どうやら事前に使用人が掃除などを済ませているらしく、どの部屋にも埃などはまったくなかった。
さて、荷物を置いてどうするかといえば、当然、
「レンちゃん、プール行こ、プール!」
「えー、おまえひとりで行けよー。あたし汽車で疲れたから、部屋で寝てる……」
「汽車でも寝てたじゃん。いっしょに行こーよー」
「しょうがないなあ、昼飯までだからな」
「うん、行こ行こ!」
「わかったから、手引っ張んなよ――っていうか部屋で着替えてからプール行かなきゃだめだろ、どこで着替えるつもりだよ」
「あ、そっか」
「っていまここで脱ぎ出すなっ! 自分の部屋に戻って脱ぎなさいっ」
「えー、別にいいじゃん、だれもいないし。レンちゃん、なんかお兄ちゃんに似てるなあ」
ぶつぶつ言いつつ玲亜は自分の部屋に戻り、荷物からさっそく水着を引っ張り出して、それに着替えた。
結局買ったのは桐也の助言、というか推薦どおり、大きなフリルがスカートのようになっている水着で、それを着て廊下に出ると、レンもすでにマリン柄の水着の上にショートパンツと上着を着て待っていた。
「わ、レンちゃんの水着、かわいいね。イメージどおりって感じ」
「あ、そ」
とレンはそっけないが、その表情はなんとなく照れたようでもある。
「レイアも、ま、イメージどおりだな」
「ほんとはもっとエロいやつにしようと思ったんだけど、いっしょに買いに行ったお兄ちゃんに止められたんだよー」
「そりゃ止めるだろ、兄として……おまえにはそれくらいが似合ってるよ」
「えー、ほんとはもっとエロいやつも似合うんだけどなあ」
似合わなくていいって意味なんだけどなあ、とレンは心のなかで呟く。
そういう、かわいらしい水着が似合うというのは、それだけで充分な魅力である。
レンは、もし自分が玲亜と同じ水着を着たら、と想像し、恥ずかしいやらぞっとするやら、慌てて首を振る。
すくなくとも絶対に似合わない自信がある。フリルつきの水着なんて。
ふたりで廊下をぱたぱたと歩いていると、前方の扉が開き、ひょっこりとフィアナが顔を出した。
フィアナはすでに水着になっているふたりを見てにやりと笑うと、
「あらあら、お子さま組はプール? いいわねえ、元気で」
「う、お子さま組っていうなよ、そんなに年は変わんないだろ」
「でも年下は年下だもの、あなたたちがどれだけがんばったところで年上になることは不可能なのよ」
「たしかに。フィアナさんたちのほうがあたしたちよりも老けるの早いってことだもんね」
「ぐ、ぐっ――こ、これだからキリヤの妹は――」
と悔しい顔から一転、フィアナはレンと玲亜の姿を眺め、勝ち誇ったように笑う。
「お子さま組は、身体もやっぱりお子さまねえ――あら、ごめんなさい、つい本音が」
「う、うるさいなあ、ほっとけよ!」
「そうだそうだー、レンちゃんの胸がちっちゃいことをばかにするなー!」
「そうそう、これでもいろいろがんばって――っておまえさり気なく自分を除外しただろ!? おまえもあたしと変わんないよ!」
「え、ちがうよ、ぜんぜんちがうよ! ゼロと一くらいちがうよ!」
「だれが無乳だああ!」
「まあまあ、どんぐりの背比べはおよしなさいな。どっちが一でどっちがゼロだか知らないけど、結局、私の前ではどっちもゼロみたいなものなんだし」
フィアナはまだ白いワンピースから着替えてはいなかったが、その格好でそれらしいポーズを取るだけでもメリハリのある身体のラインが浮き上がって見える。
ある意味、残酷なほどの横綱相撲だった。
レンはぐぬぬと唇を噛み、べっとフィアナに舌を出してそばを走り抜ける。
後ろからはフィアナの高笑いが追いかけてきて実に不快だったが、たしかに正々堂々戦っても勝てる相手でないことはたしかだった。
玲亜とふたり、階段を降りつつ、まるでこの世の終わりのような声色で、
「なあ、レイア、なに食べたらああなるんだと思う?」
「……肉、かなあ?」
「よし、肉、食おう」
「うん、食おう食おう」
そうすればいつかあいつにも勝てるはずだとレンは思った。
向こうはもう成長も止まっているだろうが、こちらにはまだ無限の可能性がある。
宇宙のどこかにはあいつに勝てる可能性も残っているにちがいない――たぶん。
一方、レンと玲亜が通り過ぎたあと、フィアナは高笑いを引っ込めて、ちょっと大人気なかったかしら、と珍しく反省したが、次の瞬間にはやはり生意気な子どもたちに圧倒的な力の差を見せつけてやるのも大事だと思い直す。
「ま、せいぜいがんばるといいわ。きっと私は超えられないでしょうけどね、おーっほっほ」
「……フィアナ、年下の子と体型で勝負して勝ってうれしい?」
「う――」
扉がうすく開き、一部始終を見ていたらしいギイが顔だけを覗かせている。
フィアナはふんと鼻を鳴らし、腰に手を当てた。
「まあ、たまにはああやって大人の厳しさを教えてやるのも大事なことよ」
「大人の厳しさ……なるほど。フィアナ、あたしたちもプール行く?」
「別にどっちでもいいけど――そういえば、妖精王は?」
「さあ、見てない、けど」
「ふうん。ま、いっか。じゃ、水着に着替えましょ。そうね、改めて水着であの子たちに大人の魅力ってやつを教えてあげるのも一興だわ。ついでにユイも呼んで、見せつけてやりましょ」
自分のスタイルに絶対的な自信を持っているらしいフィアナは自信満々な表情で自分の部屋に戻った。
それがまさか、あんなことになるとは知る由もなく。
*
いい風が吹いていた。
寒くもなく、暑くもない、ふんだんに草や土の匂いをふくんだ風が抜けていく。
桐也は後ろに見えている別荘をちらりと振り返った。
さっきから、なにやらきゃっきゃっと明るい声が聞こえてくる。
玲亜あたりがさっそくプールで騒いでいるのかもしれない。
これだけ天気がよかったらプールで遊ぶのも気持ちがいいだろうと桐也は思うが、自分もそこに混ざりたいとは思わなかった。
いまはそれよりも大事なことがある。
桐也は正面にいる妖精王にぺこりと頭を下げた。
「悪いな、着いて早々」
「ま、別に儂は動いておらんから、構わんが」
妖精王は地上一メートルほどのところにふよふよと浮かんでいる。
風は妖精王の銀色の髪を揺らし、髪が動くたび、その毛先から細かい銀色の粒子がきらきらと空中を舞っていた。
「しかし、おまえも物好きよの、キリヤ。よもやこんなところまで訓練をつけてほしいとは」
「ま、こんなとこだからこそでもあるけど。学校だとやっぱり目立つからな」
「たしかに、儂の美貌は人目を惹かずにはいられぬがの――む、なんだ、その無表情は?」
「いや、あの、別に」
ごほんと咳払いする。
「ともかく、稽古、よろしく頼む。おれは強くなりたいんだ。それに、魔砲師との戦い方ももっとしっかり理解したい」
「ふむ――ま、稽古をつけるのは構わんがの、キリヤ、闇雲に強くなりたいと願っても、それは決して叶わぬことであろう。そのことは前に教えてやったはずだが」
すっと妖精王の目が細くなる。
ただそれだけのことでまとっている空気が変わった。
いままでまるでのんびりとしていたのが、声をかけることさえ恐ろしくなるほどの剣呑で張り詰めた空気。
桐也はごくりとつばを飲み込み、うなずく。
「教わったことは忘れてない。目的はある。おれは――玲亜やユイを、みんなを守るために、強くなりたい」
「ふむ――しかしな」
妖精王は意地悪く笑った。
「魔砲師でないおまえなんぞおらぬままでも、あの娘たちは自分の身くらい自分で守るであろう。腐っても魔砲師、弱っても魔砲師、そう簡単に不覚は取らぬと思うがの」
「まあ……そりゃ、そうなんだけどさ。おれも自分がいちばん強いと思ってるわけじゃない。おれがみんなを守りたいなんて、思い上がりかもしれない。でもこのあいだやつに、ユーキリスにやられて、わかったんだ。あいつはレベルがちがう。玲亜やユイがどれだけ強くても、あいつには敵わない。同じ魔砲師じゃ、やつに勝つなんて無理だ」
「それで、おまえなら勝てると?」
「勝てる――かどうかは、正直わからない。でもこの剣は魔砲を消し去れるんだろ? だとすれば、あいつに対抗できるのはこの剣だけだと思うんだ」
桐也は妖精王からもらった剣を抜いた。
柄はちいさく、刀身は惚れ惚れするほどの直線。
表面は銀色に輝き、どんなものでも切り裂けそうな自信に満ちていた。
「この剣があいつを倒せる唯一の鍵なら、それは、おれがやるしかない」
「ふむ――決意は固いようだの」
「無駄に負けたわけじゃないさ」
「あの戦いは、儂も見ておった」
「え? 見てたって」
「儂は妖精王だ。やつが作り出した魔砲空間は、言ってみれば妖精界のようなもの。儂の腹のなかと言ってもよい。やつは強いぞ、キリヤ。おそらく、過去最強の魔砲師と比べても遜色はなかろう。道具を使って自らを強化したサルバドールをはるかに凌ぐ――その力も、意思の強さも」
「サルバドール……そいつも知ってるのか? 見てたなら、なんで――」
「助けなかったのか?」
妖精王は笑った。
まるで悪魔のように、あるいは獣のように。
「儂は妖精王だぞ。人間ごときの争いになぜ介入しなければならぬ。魔砲師がなにをしようと、人間がなにをしようと、儂の知ったことではない。やつらが妖精界に手を出すなら話は別だがの、そのつもりはないであろう。ならば、儂としてもやつらに関わるつもりはない」
「……じゃあ、なんで稽古をつけてくれるんだ? 関係ないなら、そんなことする必要もないだろ」
「暇つぶし――そうだの、それ以外になにか理由をつけるなら、義務でも親切でもなく、単なる楽しみか」
「楽しみ?」
「儂は無限に近い時間を生きてきた。妖精界のなかで、それこそおまえたち人間では想像もできぬほど長い時を生きてきたのだ。しかしまだ楽しめることがある、それはすばらしいことだと思わぬか? 儂がこの世界に呼び出されたのは偶然だが、呼び出されてよかったと思っておる――妖精界におってはこんなこともできぬからの」
「ふむ、楽しみ、ねえ……」
その楽しみというのが具体的になにを指しているのかはわからないが、そんなことは自分には関係ないことだと桐也は思う。
重要なのは稽古をつけてもらえるかもらえないかということだけ。
どんな理由にせよ稽古をつけてくれるというのだから、桐也にとってはそれで充分なのである。
「じゃ、ま、ひとつ頼むよ。楽しませられるかどうかはわからないけど」
「心配するな、おまえの存在そのものが愉快だからの」
「む、なんか褒められてる気がしないなあ……」
「褒めておらぬからの」
「褒めてないのかよっ――くそ、もういい。はじめようぜ」
桐也は剣をまっすぐ構えた。
剣先を妖精王に向ける。
妖精王はにやりと笑い、両腕を広げた。
「さあ、どこからでもかかってくるがよい、脆弱なる人間よ――偉大な妖精王の力、まざまざと見せつけてくれる」




