第五章 その3
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フィアナの別荘に行くという話に、玲亜はふたつ返事で、レンはとくに乗り気でもなかったが玲亜が強引に了承させ、結局予定どおりの七人で行くことが決まった。
出発は長期休暇に入った次の日から。
休暇一日目、桐也と玲亜は揃って町へ出向き、ユイの案内で観光を兼ねた買い物を済ませた。
とくに玲亜がほしがっていたのは洋服で、できれば桐也は単独行動をしたかったのだが、
「お兄ちゃん、女の子の買い物にも付き合えないなんて、絶対モテないよ?」
と玲亜に冷たい目で言われてしまい、逃げるわけにもいかなくなって、結局服を選んでいるあいだ恐ろしい時間待たされ、それが終わると恐ろしい量の荷物を持たされるはめになった。
まだ、それだけならよかったのだが、
「ねえお兄ちゃん、これとこれ、どっちがいいと思う?」
とどこがちがうのかよくわからないそっくりな服を持ってこられたときには、喉元まで「どっちでもいいんじゃねえの」という言葉が出かかったが、なんとか飲み込み、にっこり笑って、
「右のほうがいいと思うな、うん」
「そっかー。でも左のほうが好きだから左にするー」
このときほど立ち去っていく玲亜の背中が憎らしく思ったことはなかった。
いや、玲亜にかぎらず、うわさが言うに女の買い物というのはこういうものらしい。
玲亜の場合、別に気遣う必要もない妹だからいいとしても、もしこれが好きな異性だったりしたら一種の試験みたいなもんだなと思う。
「なんでこう、男と女で買い物の仕方がちがうんだ? 脳の構造の問題か?」
「あはは、お疲れさまです、キリヤくん」
町や店の案内をしてくれているユイは、店の外に置かれたベンチでぐったりしている桐也のとなりに座り、苦笑いを浮かべた。
「いや、ユイこそ、悪いな、こんなに連れ回して」
「いえ――キリヤくんも大丈夫ですか? 傷は」
「あー、そっちはまったく。われながら恐ろしい治癒力だけど、もう完全に治ったよ」
胸に穴を空けられたわりに三日で治るというのも異常だが、考えてみれば、あれは幻だったのかもしれないと桐也は感じた。
実際に胸を腕が貫通していたら、こんな程度の傷では済まないだろう。
それこそ命もなかったにちがいない。
あれはユーキリスが見せた幻で、本当はもうすこし軽症だったのかもしれない。
ユーキリスにははじめから桐也を殺す気はなさそうだった。
殺してはだめだと、思っているのかもしれない。
殺さずに理由する――しかしあのとき、ユーキリスは桐也に一撃を食らわせ、とどめも刺さず、かといってほかになにをするでもなく、姿を消した。
ユーキリスがなにをしたかったのかはわからない。
ただ、ユーキリスがまだ目的を達していないことだけはたしかだろう。
もし目的を達してしまったなら、次は試験会場で、などと置き手紙は残さない。
「……結局おれって、なにもんなんだろ?」
「え?」
「ああいや、独り言なんだけど――玲亜のやつ、まだ終わらないのか」
と呟いたとき、店の扉が開き、紙袋を持った玲亜が戻ってきて、ごく自然にその紙袋を桐也に押しつけ、桐也もそれをごく自然に受け取っている様子を見てユイがくすくすと笑う。
なんだかんだといって、やはり仲のいい兄妹なのだ。
「よし、これで終わりだな。じゃ、そろそろ学校に戻って――」
「ユイさん、次は水着のお店案内して!」
「え、み、水着?」
「おいおいまだ行くのかよ……」
「むう、お兄ちゃんだって水着いるでしょ? フィアナさん、別荘にはプールもあるって言ってたよ。せっかくだし泳ごうよー」
「おれはいいよ。いざとなったら全裸で入るし」
「だから水着買うの! 全裸でプールってどこの露出狂よ――ほら、ユイさん、行こっ」
「わ、う、うん、じゃあ、お店はあっちですよ」
玲亜はユイの腕を抱き、歩いていく。
桐也は両手にいっぱいの荷物をぶら下げ、その後ろを行くのだが、後ろから眺めるふたりはまるで本当の姉妹のようで、案外この世界にやってきたのも悪いことばかりじゃないよな、と改めて感じた。
ユイが案内した店は町の中央近くの水着専門店で、往来沿いのガラス張りにはずらりと水着をつけたマネキンが並んでいた。
もちろん、女性用の水着専門店ではなく、男性用の水着も売ってはいるが、その店の雰囲気、主に客層を見て、う、と桐也は躊躇する。
ガラス張りになった扉から店のなかを見れば、店内にいる客の九割は若い女性だった。
だいたいが玲亜やユイと同じくらいの年ごろで、ほんの数人確認できる男は、店の隅に追いやられた男性用水着のコーナーで肩身が狭そうにしている。
「お、おれもあの一員になるのか……」
「お兄ちゃん、早く!」
「おれ外で待ってるから、ユイといっしょに見て――」
「なに言ってんの、ほら!」
「ぎゃっ、そ、そっちのコーナーには近寄りたくない!」
玲亜に手を引っ張られ、思いとは裏腹に桐也は混雑している女性用水着コーナーの真ん中へ引きこまれていく。
そこはまさに、甘ったるい地獄だった。
ただでさえ広いとはいえない店内。
そこに夏で薄着になった若い女性たちが集まり、下着と大差ない水着を片手にどれが似合うとかこれはちょっと恥ずかしいとかそんなことを言いながらいつまで経っても入れ替わる気配がなく混雑しているのである。
そこへ単身乗り込まされた男の居心地の悪さといえば、まだ針の上に正座するほうがいいのではないかと思われるほどだった。
まわりからちょくちょく感じる、なに、あいつ、なんでこんなとこにいるの、といいたげな視線はむしろ針より痛い。
そんななかで、
「ねーお兄ちゃん、どういう形がいいと思う? これ、こういうエロいやつは?」
とか聞かれるのだから、もはや拷問だった。
「エロいやつはだめ! おとなしいやつにしなさい、おとなしいやつに!」
「えー、なんでよー。あたしももう子どもじゃないのに」
「子どもじゃなくてもなんでもだめです」
「どうせ別荘行くのってお兄ちゃん以外みんな女の子でしょ? だったらいいじゃん」
「う、たしかに……い、いや、そういう意味じゃなくてだな、ほら、あっちにあるスカートみたいになったやつがいいと思う! お兄ちゃんはあれを推薦する!」
「えー、たしかに悪くないけど、ふつうじゃない?」
「ふつうがいちばんなんだって。な、ユイ?」
「え、あ、そ、そうですね、レイアちゃんはああいうかわいいのが似合うと思います」
「そっかー、ユイさんがそう言うならああいうのにしよっかなあ。で、ユイさんはどんなのにするの? ユイさんもここで買うよね?」
「う、わ、わたしは……」
ユイはちらりと桐也を見て、すぐに首を振る。
「わ、わたしもレイアちゃんみたいなやつにしようかなって思ってるんですけど」
「ほんと? じゃ、お揃いにしよ」
玲亜はユイの手を引き、ぐんぐんと店の奥へ進んでいく。
桐也はようやく拷問から解放され、店の入口まで退散してふうと息をついた。
前の世界にいたときからそうだったが、やはり異世界にきても女の買い物に付き合うのは大変だった。
これはもはや精神力の鍛錬だと思って耐えるしかないな、と桐也は思い直し、明鏡止水を自分に言い聞かせる。
ふと、こんなことでユーキリスに勝てるのだろうか、と思ったが、その疑問はなんとか押し殺し、玲亜たちが戻ってくるのを待った。
二十分か、三十分か、店の前で待ち続け、戻ってきたふたりの手にはそれぞれ袋がぶら下がっている。
玲亜はそれを当然のように桐也に持たせ、ユイは自分の荷物は自分で持っていたが、どうやらこれで本日の買い物も終了のようだった。
「あ、そうだ、お兄ちゃんの水着、まだ買ってないよ」
「おれのはいいって。今日は荷物も多いし」
「あたしたちが選んできてあげよっか? ブーメラン的なやつとか」
「やめろ! おれを変態にする気か!」
そんな水着で全身集合しているプールに現れようものなら、いったいどんな阿鼻叫喚が繰り広げられるかわかったものではない。
桐也は不満そうな玲亜の手を無理やり引っ張り、なんとか店の前を離脱する。
「あーあ、お兄ちゃんだけプール入れないんだー」
「入らないからいいんだよ。おれは向こう行っても鍛錬する予定だし」
「絶対プール入るほうが楽しいと思うけどなー。だってだって、プールだよ? お兄ちゃん以外、みんな女の子なんだよ? 六人の女の子とプールで遊びたくない?」
「遊びたい! ――はっ、つい本音が。い、いや、おれには鍛錬があるんだ。おなごどもと遊んでいるひまなどないのである」
「そっかー、惜しいなー。ビーチバレーとかしたら楽しいだろうになー。フィアナさんとか、絶対胸おっきいもんなー。そんなフィアナさんが飛んだり跳ねたりするのを正面から眺めたらどうなるかなー」
「……心頭滅却、心頭滅却。鍛錬こそ至高である、磨き抜かれた肉体こそ美であって――」
「もしかしたらポロリもあるかもしれないし」
「そう、ポロリこそ真理――ち、ちがう!?」
返す返す惜しい機会ではある。
布島桐也とて健全な青年であり、そのような興味が欠片もないといえばうそになるわけで、できれば六人の女の子とプールで遊びたいし、ビーチバレーしているのを正面から見たい気持ちもあったが、しかし、そんな軟弱なことを言っているようでは剣士にはなれない。
桐也はぐっと自分の心を殺した。
果たしてそれは正しいのだろうかと自問しながらも、殺すしかなかったのである。
そんなこんなで、体力があるはずの桐也も寮へ戻ってきたときにはへとへとになっていた。
肉体的疲労というよりは精神的疲労で、部屋に戻ってきた瞬間どっとベッドに倒れ込む。
一方、桐也よりもよく動いて歩き回っていたはずの玲亜は元気いっぱいで、
「お兄ちゃん、これから準備しないと、明日出発なんだから間に合わないよ?」
「うー、おれは適当でいいから、なんか着替えだけ鞄に詰めといてくれー」
「もう、しょうがないなあ」
ため息をつきつつ、桐也の分の鞄も用意し、着替えやらなんやらを詰め込んでやるあたり、玲亜もいい妹だった。
こうして旅行の準備は完了し、あとは明日、汽車に乗って別荘へ行くのを待つばかりになった。
*
翌朝。
乗る予定の汽車は午前九時二十五分発。
九時十五分には別荘へ行く予定の全員がホームに集合していた。
「こうやって見るとなかなかの大所帯になったなあ」
桐也は両手に鞄をぶら下げ、いまさらのようにこれからいっしょに旅行へ行く面々を見回した。
まず別荘の持ち主であるフィアナとギイ。
普段、制服しか見たことがなかったが、フィアナはいかにもお嬢さま的な白のワンピースに大きめの麦わら帽子で、ホームに吹く生ぬるい風に長い金髪を揺らしている。
持っているのは明らかに高級そうな、ワインレッドの鞄だった。
一方ギイは、Tシャツにそのすらりとした長身を活かすようなショートパンツ姿で、いつものように無表情でフィアナの後ろに控えているが、付き合いが長いフィアナにはギイもよほど楽しみにしているのだろうと理解できた。
持っている鞄も、いったいなにが詰まっているのか、ずいぶんと大きい。
そして次は玲亜とレン。
玲亜は目に痛いような極彩色のピンクに白いミニスカートという格好で、鞄は桐也が持っているから手ぶら。
レンはといえばTシャツに細身のジーンズ、どことなくスポーティな雰囲気で、まだ眠たそうにあくびをしている。
最後はユイで、ユイはフィアナほどお嬢さま感全開ではないにせよ、白くやわらかそうなワンピース姿で、普段制服で会うことが多い桐也にはすこし恥ずかしそうな顔をしていた。
そして妖精王だが、さすがに妖精王が汽車に乗ると大騒ぎになるということで、同行はしているが姿は完全に消していて、桐也たちにもどこにいるかはわからなかった。
そもそも姿を消すのも現すのも自由自在とは便利なものだと桐也が漏らすと、妖精王はにやりと笑い、
「儂に不可能はないのだ、なぜなら儂は妖精王なのだから!」
どうだ、すごいだろ、といわんがばかりに胸を張られたのだが、正直桐也にはどうしていいのかわからず、とりあえず、す、すごいなあ、と呟くと、それでも妖精王はうれしそうだった。
「とりあえず、これで全員揃ったわけね」
フィアナは腰に手を当て、全員を眺め、こくりとうなずいた。
「いかにも庶民らしい顔ばっかりねえ。私の別荘に招待してもらえることをありがたく思いなさいな。あんたたちじゃ一生かかっても別荘なんて無理でしょうからね、おーっほっほ!」
「正確にはフィアナの家の別荘で、フィアナが建てたわけじゃないけど。でもそういう腹黒なところ、いいと思う」
「さあ、汽車に乗りなさい。そして驚きなさい。私の別荘の美しさに、そして私自身の美しさにもね!」
ばっとフィアナは振り返り、すでにホームで待っている汽車に乗り込もうとして、ホームのなにもない平坦な床につまづき、思いきり転んだ。
ばさりとワンピースの裾が舞い上がる。
桐也の視線がまるで魔砲のようにそこへ誘導された瞬間、玲亜が桐也の脇腹に鋭い突きを繰り出し、それを阻止する。
「――っ!」
フィアナは裾をばっと押さえ、立ち上がって、涙目になって桐也をにらんだ。
「う、うう――べ、別に見られたわけじゃないんだから! むしろ、あれよ、あんたがあまりにも哀れで、仕方なく見せてやったのよ! ば、ばーか!」
そして逃げるように汽車のなかへ入っていく。
ギイは冷静にそのあとを追いかけ、桐也はぼそりと、
「まず見えてないし、脇腹突かれるし、睨まれるし、ばかって言われてるし、なんか全部被害者なんだけど……」




