第四章 その9(終)
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カナタは丸メガネをくいと上げながら、目をきらきらと輝かせて通路を見回した。
「すごい、すごいで、これ、ほんまに――間違いない、ここは千年近く前に作られた地下通路や。この石の加工と積み方は当時のやり方や――すごいな、こんなもんがまだきれいに残ってるなんて」
通路そのものは、なんの変哲もない直線のものだった。
上がりもせず、下りもせず、平らな地面がまっすぐ続いている。
方角はおそらく西。
王宮とはちがう方向だったが、この先で方向が変わる可能性もある。
通路の広さは、高さ二メートル、幅三メートルほどで、広いとはいえなかった。
しかしカナタの言うとおり、石が緻密に、精密に積み上げられ、壁も天井もそれほど年月が立っているとは思えないほど頑丈で、赤い炎に照らされたそこはつい最近作られたといわれても信じられるほどだった。
「通路だけのはず、ないよな」
ギンガがぽつりと呟く。
「通路だけ作ってもなんの意味もない。どっかにつながってるか、別の空間があるか――」
「見て、先が広くなってる」
通路の終わりが見えてきた。
五人は慎重に進み、前方の広い空間へ出る。
「うお――なんや、ここ。地下倉庫か?」
天井の高さは変わらない。
しかし左右の広さは段違いで、ちいさな炎では照らしきれないほどの部屋だった。
部屋のいたるところに太い柱がある。
カナタはまっ先にその柱に近づき、ぺたぺたと触れながら調べ、桐也たちも呆然と部屋を見回した。
たしかに倉庫のような部屋ではある。
しかしなにも置かれてはおらず、がらんとしていて、当然だが、異様なほどの静寂に包まれていた。
空気が冷たい。
わずかに淀んだような匂いがする。
桐也は何気なく足元を見下ろし、ふと、地面になっている石畳に細かいおうとつがあることに気づいた。
「……どうかしました?」
しゃがみこんだ桐也に、ユイがそっと聞く。
桐也は指先で石をなぞった。
ギンガもそれに気づき、同じようにして、カナタを呼ぶ。
「おい、カナタ、床、見てみぃ。これ――床全部に、文字が書いてあるぞ」
「え、文字? わ、ほんまや――床全部に書いてあるんか。そうやとしたら、すごい量やな――」
床に使われている石材は、一辺が五十センチ程度の正方形だった。
それが、おそらくは百個以上、床として敷き詰められている。
そのすべてに読めるかどうかという細かさで字が彫り込まれているのである。
ミオンは床にしゃがみ、その文字を指でなぞって、あれ、と声を上げる。
「なんや、この字。ぜんぜん読まれへんで」
「古代文字だ――でも、ぼくらが教わるような古い文字やない。もっと古い時代の、たぶんいまではもう使われんようになった文字やな――くそ、悔しいな。これ、絶対なんか大事なことが書いてあるのにな。どうでもええことやったらこれだけ苦労して掘り込んだりはせえへんはずや」
「なにが書いてあるんだろうな――」
桐也も思わず呟いた。
もちろん、返事を期待して呟いた言葉ではなかったが、その返事は思わぬ場所から返ってきた。
「歴史だ。語られることのなかった歴史を、だれかがここに記したのだろう」
ギンガの声でも、カナタの声でもなかった。
その声を聞いた瞬間、桐也は背筋にぞくりとしたものを感じ、弾かれたように立ち上がる。
五人がやってきた広間の入り口。
ユイが炎で照らした。
スーツ姿の男がそこに立っていた。
長い髪に、スリーピース。
桐也の心臓が一瞬にして跳ね上がる。
まるで脳みそに火がついたように全身がしびれた。
「あれ、先生――」
ミオンがふしぎそうに呟くと同時、桐也はいつも持ち歩いている妖精王の剣を抜き、鞘を捨てながら、ユイに叫んでいた。
「ユイ、離れろ! そいつは敵だ!」
「え、キリヤくん――」
ユイがなにかを言った。
言ったはずだったが、桐也には聞こえなかった。
驚いた顔で自分を振り返ったユイが、まるで時間を止められたようにぴたりと動かなくなっていた。
ユイだけではない。
ギンガやカナタ、ミオンも、ユイが手のひらに浮かべている炎でさえ、赤いゆらめきがいびつなまま完全に停止している。
桐也は眼球の動きだけでそれを確認する。
動けるのは桐也と、その男だけだった。
「――なにをしたんだ」
「邪魔をされては困るのでな。それとも、殺したほうがよかったか」
「やめろ! ユイに触るな――あんたが、先生だって?」
「ここにいるのは私の教え子だ」
「それじゃあ、全部計画だったのか――ギンガたちを使ってなにをするつもりだった?」
「なにも――子どもたちはなにも知らない。私がここへくることも知らなかっただろう。おまえがこの学校にいることはわかっていた。いつ乗り込んでもよかったが、面倒がない方法を選んだだけのこと。無益な殺生は意味がない」
「……なんなんだよ、あんた」
「私はユーキリス」
男、ユーキリスの感情がこもらない声が地下広場に反響する。
「サルバドールの意思を継ぐ者」
「サルバドール? わかんねえよ、なに言ってんのか――なんで、おれを狙うんだ。あのときも、いまも、おれを狙ってきたんだろ?」
「おまえ自身にはなんの興味もない。しかしおまえが持っているものが私には必要だ」
「おれが持ってるもの? なんのことだよ」
「そうだな――犠牲になる者には、知る権利もある。よかろう、話してやろう。すべての発端を、おまえが犠牲になる意味を」
*
かつてこの世界は魔砲師が支配していた、とユーキリスは言った。
「何千年も昔のことだ。魔砲師という呼び方もない時代だった。力を持つ者は〈アース〉と呼ばれ、力を持たざる者は〈グール〉と呼ばれていた。世界は〈アース〉のものだった。〈アース〉は、数こそすくなかったが、〈グール〉にはない特殊な力を持ち、〈グール〉が束になっても敵わない圧倒的な力の差があった。その差は、いまの魔砲師と人間の差よりもはるかに大きなものだ。〈アース〉はその圧倒的な力で〈グール〉を支配していたのだ。しかし〈グール〉は、力の代わりに科学を用いた。やがて〈グール〉は〈アース〉の支配から抜け出そうと、反乱を起こした」
〈アース〉には力があり、〈グール〉には科学があった。
長い戦争になった。
「その長い戦争を、いまの人間は暗黒時代と呼ぶ。新たな町も作られず、それまであった町がすべて破壊され、破壊以外の一切の痕跡がなくなった時代だ」
やがて年月が過ぎ、不利になるのは〈アース〉だった。
「〈グール〉の科学は、敗北するごとに強くなっていく。やがてそれは〈アース〉とのあいだにあった圧倒的な力の差を埋めるほどになっていた――〈グール〉は、ある天然の鉱物が発する振動が〈アース〉の持つ能力を著しく低下させることを発見した。その発見により、〈アース〉の敗北は確実になった。〈グール〉はすべての〈アース〉の能力を失わせるため、特殊な装置を準備していた。しかしその計画が〈アース〉に気づかれ、装置は不完全な形で作動せざるを得なくなった」
「……まるで自分で見てきたみたいな言い方だな」
「無論、私はその時代を知らない。しかし語られなかった歴史を紡ぐものは必ず存在する。この石に刻まれている文字もまたそのひとつ――私はそれを知り得たという、ただそれだけだ」
〈グール〉が作り出した装置は、不完全ながら、作動をはじめた。
それによって〈アース〉の能力はほとんど失われた。
それまで圧倒的な力で〈グール〉を支配していた〈アース〉は、反対に力を失い、少数の者となり、敗れ去った。
「〈グール〉は〈アース〉に勝利し、自らの国を築いた。世界中にいくつも国が生まれ、〈グール〉と呼ばれた力を持たざる人間たちは戦争を繰り返した。そのなかで〈グール〉という呼び名も、〈アース〉という存在も忘れられつつあった――〈アース〉は少数が生き残っていたが、純粋な〈アース〉同士の交配ではもはや血を保てなくなっていた。そこで〈アース〉は持たざる者である人間たちと交わり、自らの血を薄めながら、それでも一滴でも自らの血が子孫へ流れることを願った。そうして〈アース〉は人間社会のなかにすこしずつ溶け込み、特殊な力を持った人間、魔砲師が生まれた。人間たちは魔砲師を嫌っていたが、その力に目をつけた国もあった――それがこのヴィクトリアス王国の前進、ヴィリア王国だ」
ヴィリア王国は多数の魔砲師を抱え、周囲の国に戦争を仕掛け、勝利し、肥大化を続けた。
そしていまから四百年前、ヴィリア王国はヴィクトリアス王国に名前を変え、さらに魔砲師の養成に力を入れはじめる。
「そうした魔砲師は、いわば人間のなかから出てきた魔砲師だ。なかには〈アース〉と呼ばれた時代のまま、人間社会には馴染まずに生きた魔砲師たちもいた。山奥や地下にこもり、自らが敗れた歴史を決して忘れず語り継ぐ一団、彼らは〈アース〉の血をひく者であり、魔砲師とはまたちがう種類の存在でもあった。そんな一団のなかから、ある男が世に出た。それがサルバドール。彼は偉大なる魔砲師であり、〈アース〉の末裔だった。サルバドールは再び〈アース〉が支配した世界を取り戻すため、人間に対して宣戦布告した――その歴史はいまでも鮮明に語り継がれている」
サルバドール戦争と呼ばれた一連の戦いは、古代から脈々と続く魔砲師対人間と同化しようとした魔砲師という特殊な構図で繰り広げられた。
サルバドール軍はいくつかの国を落とし、戦力をさらに高めた。
「サルバドール自身は、人間側についた魔砲師を憎んではいなかった。それらも同じ〈アース〉の血をひく者だとして、よほどのことがないかぎり殺そうとはしなかった。それが甘かったといえば、甘かったのだろう。サルバドールはやがて連合軍の魔砲師の前に敗れた。そのあとを継いだのはサルバドールの息子、ジルだったが、彼はサルバドールとちがい、人間側についた魔砲師たちを裏切り者として憎んでいた。ジルは捕らえた魔砲師を処刑し、それによって多くの魔砲師の信頼を失ったが、ジル自身が圧倒的な力を持っていたため、連合軍も攻めあぐねていた――そこで、なにかが起こった」
「なにか?」
「歴史はそこでなにが起こったのかは伝えていない。しかしなにかが起こり、ジルはそれまでの圧倒的な力を失い、リオンの丘で最期を遂げた。そうしてサルバドールの革命は終わった――結局、なにも変えることができないまま」
桐也はユーキリスがわずかに憎しみを、あるいは悔しさを声に滲ませたことに気づいた。
「歴史は、それで終わりだ。しかし歴史には語られていないことがある。なぜジルは力を失ったのか。そもそもジルにはサルバドールほどの魔砲師の才はなかった。サルバドールが死ぬまで、ジルはただの一魔砲師に過ぎなかった。それがなぜ、他を圧倒する力を得たのか。そもそもサルバドールが革命を起こしたのには理由があった。サルバドールは、かつて〈グール〉が起動させた装置、〈アース〉の能力に干渉する振動装置が未だに作動し続けていることを知っていた。それと同時に、その一定した振動をかき消す振動波を持つ鉱物が存在することを知ったのだ。サルバドールはそれを手に入れ、抑圧されていた力を解放した。おそらくはジルも、サルバドールの持っていたそれを引き継ぎ、力を発揮したのだろう。しかしジルは戦いのなかでそれを失った。力を失ったジルに待っていたのは、死だ。そして革命は終わり、すべては元通りになったはずだが――ただひとつ、サルバドールとジルが使った、魔砲師の能力を飛躍的に向上させるものだけがまだ見つかっていない」
「……それがおれと、なにか関係があるのか?」
「私はサルバドールとジルを強化させた鉱物を探した。そのようなものが実在することはわかっていた。しかしなぜジルがそれを手放したのか、そしてそれがどこへ行ったのかはわからないままだった。世界中のどこを探してもそのようなものは見つからない――ならば、ここではない世界にあるのだろうと、私は確信した」
時空魔砲。
桐也にとってはそれがすべての発端だった。
「時空魔砲は時空そのものに穴を空ける。その痕跡は遠い未来まで残る。私はその痕跡を見つけ出し、そして、おまえにたどり着いた」
「おれが――なんで」
「布島桐也。おまえのなかには、サルバドールとジルを強化させた鉱物が眠っている。私はそれを求めていた。それさえ手に入れば、サルバドールが成し遂げられなかった革命を、私の手で成し遂げられる」
ユーキリスは一歩、桐也に近づいた。
桐也は警戒を解いていたわけではなかった。
剣を構え、ユーキリスのどんな行動にも対応できると、自分のなかでは最大限の警戒をしていたはずだったが、ユーキリスはなんの前触れもなく、突然桐也の前から消えた。
「え――」
横へ移動したのでも、真上に飛んだのでもない。
まるでスイッチを切ったようにユーキリスの姿が消え――そして、桐也の一メートル前方に現れた。
すでに間合いのなか。
桐也にできたのは、剣を強く握り、全身の筋肉に始動を命じたことだけだった。
「あ――」
ずんと胸に衝撃があった。
胸を突き飛ばされたのだと桐也は思ったが、そうではなかった。
ユーキリスの右腕が、桐也の胸の中央を貫通し、背中のほうへぬっと突き出していた。
桐也の身体は串刺しになり、横へ逃げることも、後ろへ飛ぶこともできなかった。
ユーキリスの腕が血に染まる。
桐也は目を見開いた。
ユーキリスの目は桐也を見ていたが、そこに激情は見えなかった。
ただ冷たく、澄みきっている。
桐也の腕が痙攣するようにふるえた。
握りしめた剣が、からんと音を立てて落ちる。
「――なに」
ふと、ユーキリスが眉をひそめた。
「そうか、すでに――ならば、仕方あるまい」
ユーキリスはしずかに呟き、桐也の身体から腕を引き抜いた。
桐也の身体がどうと倒れる。
その瞬間、いままで時間が止まったように動かなかったユイやギンガたちが、はっとわれに返ったように動きはじめた。
ユイはどさりとなにかが倒れる音を聞き、はじめて桐也が地面に倒れているのを見た。
「キリヤくん!」
駆け寄るユイに、ギンガはあたりを見回し、首をかしげる。
「先生がいたような気がしたけど――気のせいやったんか?」
「あの、みなさん! キリヤくんが――」
「どうした、なに寝てんねん――ん?」
ギンガは炎で赤く照らされた桐也を覗き見て、ぎょっと目を見開く。
「なんや、その怪我――」
「早く、助けないと――お願いします、運び出すのを手伝ってください。早く先生に見せないと、キリヤくんが――」
ソラリアの魔砲師たちは一瞬顔を見合わせた。
やがてギンガがうなずき、
「しゃーない、上まで連れていくで。カナタ、手ぇ貸してくれ。ミオンは先に上がってだれでもいいから教師を呼んどいて――いつこんな怪我したんや、くそ、血まみれやな――」
ギンガとカナタがそれぞれ桐也の腕を担いだ。
桐也の身体はどっしりと重たく、意識は完全にない。
ユイが行く道を照らし、穴の底へ出たとき、ギンガは月の眩しさにすこし目を細めた。
青白い月が、桐也の青白い横顔を照らしていた。
――第四章、了




