第一章 その4
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クルスとジェイクは親友といってもいい間柄だった。
王立フィラール魔砲師学校に入学したのも同期なら、留年も多い同校において順調に三年生まで進級したのも同じ。
魔砲師としての特性はともに火であり、座学、実技の成績もよく似通っていて、見た目こそちがうが、お互いに生き別れた双子の兄弟ではないかと思うほどよく似たふたりだった。
当然のようにふたりは入学したその日、互いのフィギュアに選ばれた。
入学して以来三年間、これといったケンカもせず、むしろお互いに助け合い、ここまでやってきた――そんなふたりだったが、いや、そんなふたりだからこそ、決して退くことが許されない戦いというものも生まれ得る。
「クルス――おまえとこうして戦う日がくるとはな」
不敵にほほえむジェイクだが、その表情にはどこか、望まぬ戦いへ挑むような苦しみも見える。
「ジェイク――これがおれたちの運命だったのだ」
クルスもまた、避けられぬ戦いに眉をひそめる。
ふたりの周囲に人影はなかった。
あえて人気のないこの場所――水の広場を選び、対峙しているのである。
ざっと風が吹く。
向き合うふたりの距離は十メートル弱。
すぐそばにある大噴水からは大量の水が吹き上がり、鮮やかな夕焼けに輝いていた。
「どっちが勝っても負けても、それ以上のことは言いっこなしだ」
「ああ、わかっているとも。後腐れなく、全力をぶつけ合おう」
ふたりとも、心の底から戦いを望んでいるのではない。
しかしお互い、避け得ぬ戦いであることも理解していた。
これは拳でしか解決できない問題なのだ。
男には、そういうこともあるのである。
クルスとジェイク、ふたりの青年はしずかに向き合い、呼吸を整えた。
開始の合図を送る者はない。
これは試合ではない――実戦なのである。
「行くぞ、クルス!」
「こい、ジェイク!」
すでにお互い、〈血の契〉は済ませてある。
ジェイクは勢いよく手のひらを組み合わせた。
手のひらのあいだで、かっと赤い炎が上がる。
「はああっ――火炎弾っ!」
解き放たれた手のひらから人間大の火炎が上がった。
あたりの空気を焦がし、クルスへ向けて燃え上がる。
クルスは頬に熱い空気を感じ、それがジェイクの本気なのだと理解して、唇を噛み締めた――望まぬ戦いでも、負けるわけにはいかない。
もちろん、手を抜くなどできるはずもない。
相対する親友への最大の敬意は、全力をもって戦うことのみ。
「こっちもいくぞ――地獄の業火!」
クルスの前方数メートルの位置に巨大な火柱が上がった。
その高さ、優に五メートル――ジェイクの火炎は火柱に遮られ、クルスまでは届かない。
一撃で勝負がつかないことはわかっていた。
ジェイクはすぐに次の魔砲をはじめている。
「炎の右手、炎の左手!」
「なにっ――」
クルスは不意に両足を強く掴まれる感覚に動揺する――見下ろせば、その両足を、赤々と燃える二本の手がしっかりと掴んでいるのである。
炎のようだが、熱くはない――火のエレメントを実体化させた、いわば中級魔砲。
ついこのあいだできるようになったとジェイクがよろこんでいた魔砲だった。
「ジェイク――本気、なんだな」
「当たり前だ、クルス! おまえの本気は、こんなものじゃないだろう!」
「もちろん、おれだって負けるわけにはいかないんだ――」
両足は動かないが、魔砲を打つのに支障はない。
クルスはポケットに手を突っ込み、ばっと空中に粉を撒いた。
なんの粉だ、とジェイクは一瞬考え、慌てて身を伏せた――一瞬遅れていれば、その身体はすさまじい爆発に包まれていただろう。
「煉獄爆発!」
一瞬、空気に細い炎が走った。
と次の瞬間、可燃性の粉に引火し、恐ろしいほどの大爆発を引き起こす。
その爆風にジェイクはもちろん、クルスも吹き飛び、あたりに耳をつんざくような爆発音が響き渡った。
直撃を受ければ、とても無事には済むまい――そんな爆発を目の当たりにしてもジェイクの気分は変わらなかった。
クルスとジェイクはお互いに飛び上がり、拳に炎をたぎらせ、接近戦にもつれ込む。
「うおおおっ!」
「負けるかああ!」
ふたりの青年の殴り合い――鮮やかな夕焼けも相まって、それだけならおよそ青春の一ページのような瞬間だっただろう。
――ただひとつ問題があるとすれば、そこにそんな事情をまったく知らない、もうひとりの青年がいたということ。
一瞬の意識不明から回復した布島桐也が見たのは、ふたりの男のどちらかが巻き起こした大爆発のすさまじい威力だった。
桐也は瞬間的に戦いはまだ続いていると認識する。
左手にまだ竹刀を握っていることを確認し、桐也は自分でも許しがたいほどゆっくりと立ち上がった。
「玲亜、隠れてろ」
「お兄ちゃん、怪我が――」
玲亜の言葉は桐也には聞こえていなかった。
そもそも胸を貫かれたせいか、身体の感覚すべてが曖昧だった。
まるで全身がちりちりと燃えているように熱い。
指先から身体の芯まで、ぞっとするような火照りにまとわりつかれ、歩いているのか這っているのかもよくわからなくなる。
意識もまた、はっきりとはしていなかった。
目もよく見えない。
耳の聞こえ方も異常だった。
それでも、敵はそこにいる、と感じる――本能が命じているのだ、まだ戦いは終わっていない、戦え、と。
相手は魔法のようなふしぎな力を使うらしい。
それにどうも、先ほどまでの男とはちがう二人組のようだが、なんにせよ魔法のような力を使うのは同じだし、こちらに敵意を持っているらしいのだから、同じことだ。
魔法のような力を相手に、こちらの武器はといえば竹刀一本――いったいなにができる?
桐也は男たちに近づきながら自問し、うつろな目でにやりと笑った。
「竹刀一本、上等、上等――なにもかも叩き斬ってやる」
爆発の余韻はすでに収まっていた。
その左右から、手が燃えているように赤いふたりの男が飛び出してくる。
桐也に向かって、ではない。
お互いに向かい、飛び出し、殴り合いをはじめた。
桐也は一瞬立ち止まり、どういう状況だ、と考えるが、考えてもわかりっこない状況なんだろうと思うことにして、ともかく、相手の注意が自分以外へ向いているうちに接近してしまうことにした。
殴り合うふたりとの距離、十五メートル。
相手が気づくまで、こちらから動くつもりはない。
問題はどこで相手が気づくか。
桐也は歩いていく。
傷の痛みはふしぎと感じなかった。
それどころか、あらゆる感覚が曖昧に、同時に鋭敏になっていくように感じられる――それは矛盾した感覚だったが、はじめて経験するものというわけでもなかった。
過去に何度か入ったことがある、極度の集中によってもたらされる一種のゾーン。
時間が引き伸ばされたように感じ、スローモーションとはまたすこしちがって、桐也には殴り合うふたりのほんのちいさな動きまで肌の感覚で感じることができた。
ふたりとの距離はもう十メートルもない。
九メートル、八メートル――片方の男が桐也に気づいた。
その瞬間、桐也は残っていた距離を三歩で埋め、相手の懐に飛び込んでいる。
「え――」
戸惑う男の表情。
その表情すら見る余裕を持ち、桐也は懐に潜り込んで飛び上がるように竹刀の柄で男の顎を打っていた。
「ぐ――」
男がのけぞる。
脳が揺れ、そのまま膝をついた。
桐也はそれを見ることもなく背中で感じながら、もう片方の男に向き直っている。
「な、なんだ、だれだよ――」
男は半歩後ずさった。
戦う意思がないのか、と思う瞬間、桐也は横へ飛んでいる。
先ほどまで桐也が立っているそこを、火炎放射器から吐き出されたような赤々とした炎が薙いだ。
膝をついたはずの男が立ち上がっている。
回復が早い。浅かったか、と桐也は石畳の上を転がり、立ち上がると同時に距離を詰めた。
相手がとっさに顎を守って腕を上げる。
がら空きになった胴を、思い切り抜く。
いくら竹刀といえど、全力で振り抜けば有効な打撃になり得る。
男はぐふと空気を洩らし、再び膝をついた。
「おまえ、よくも――」
もうひとりの男が後ろから迫る。
桐也はあえて距離を取った。
この男たちは魔法を使う。出方を見るつもりだったが、後ろへ下がった桐也の真下から火柱が上がった。
「くっ――」
躱す余裕はなかった。
かろうじて横へ倒れるだけで、左半身が燃えるように熱い。
相手の男はどうだというように笑ったが、それが隙だった。
態勢を低く持ち、肉食獣のように突っ込む――剣道の作法など関係がない、実戦的な桐也の動きだった。
男は本能的な恐怖を感じ、わずかに態勢を後ろへ。
それでは桐也の勢いを止められないはずだが、桐也が竹刀を振りかぶって斬りかかろうとした瞬間、男の右手の手のひらが爆発した。
躱すには距離が近すぎた。
桐也は身体の全面に熱を浴び、しかし躱せないととっさに判断して、勢いは殺さなかった。
「やった――」
もくもくと上がる煙の向こうで男が呟くが、最後まで言いきることはできなかった。
「なっ――」
煙を裂き、桐也がぬっと現れる。
竹刀の先はさらにそれより早く宙を薙ぎ、鋭い風切り音とともに男の右肩を打っていた。
ぱしん、と軽快な音が響く。
男は想像していたよりも何倍も重たい衝撃に声も出せずうずくまった。
桐也は荒い息をつく――さすがに身体が悲鳴を上げている。
しかし相手ふたりは、もちろんまだ充分に動けるはずだった。
事実、ふたりはむくりと立ち上がり、身構える。
桐也はひりひりと痛む火傷を身体のあちこちに感じながら、どうやってこの状況を切り抜けるべきか冷静に考えていた。
相手はふたり、こちらの武器は竹刀しかなく、相手を戦闘不能にさせないかぎり戦いは終わらないだろう。
相手の実力はまだわからないが、すくなくともあの男――襲いかかってきたあの男ほどではない。
要するに、勝てない相手ではない。
問題は勝つまで体力が保つかどうかである。
「――ふう」
桐也は息を吐き出し、緊張していた身体をリラックスさせるように両腕を軽く振った。
それから心臓をとんとんと叩く――まだ動けよ、と合図を送るように。
一方、決闘に思わぬ邪魔が入ったクルスとジェイクは、お互いに視線を交わしながら桐也を警戒していた。
「な、なんだよ、あいつ?」
「知らねえよ、見たことないやつだ――もしかしたら、ほかの学校のスパイかもしれないぞ」
「スパイ?」
「ここには貴重な書物もあるから、それを狙って他校のスパイがくることもあるらしい――だとしたら、逃がすわけにはいかない」
「でも、魔砲師じゃなさそうだぜ」
「そんなのわかるか。それでいうなら一般人でもないだろ」
それはそうだとジェイクはうなずく。
本当なら教師を呼ぶべきところだろうが、そんな余裕はありそうにない――あの竹刀を持った男ひとりが、魔砲も使わず、ふたりの魔砲師候補生を圧倒しているのである。
桐也はふたりがこそこそと会話しているのは聞こえていたが、その言葉がまったく聞き馴染みがない言葉だというところまでは考えなかった。
戦いに関すること以外は、すべて頭の外へはじき出されている。
もう一度、深く息をつく。
それでも荒い呼吸は収まりそうになかった。
身体は限界だと叫んでいる。
それを、負けるな、という意思が無理やり突き動かしている。
保って五分。
桐也は自分の身体をそう判断する。
五分であのふたりを戦闘不能にする――どうもむずかしいかな、と思うが、同時にふしぎとわくわくするような、自分の限界へ挑めるという感覚に気分が高まった。
ともかく、時間がない。
様子をしている余裕はないのである。
桐也は竹刀を構え直し、自分から飛び出した。
ふたりは慌てて魔砲を構える。
「とにかくあいつをおとなしくさせるぞ――炎の右手、炎の左手!」
駆ける桐也の足を、炎の手がぐっと掴んだ。
思わず桐也の動きが止まる。
そこに、
「火柱!」
ごう、と音を立て、すさまじい火柱が上がった。
「やったか?」
「いや、まだだ――」
火柱の奥に人影が揺れる。
桐也は身体をひねり、足を掴んでいた手が消えると同時に後ろへ飛んで火柱を回避していたが、それを迂回するのではなく突っ切り、ふたりの間合いへ飛び込んだ。
接近戦になれば飛び道具は役に立たない。
ふたりは作戦を切り替える。
「飛び道具だけだと思うなよ!」
拳、あるいは足に炎をたぎらせ、ふたりは桐也に掴みかかった――しかしそれはまったく失敗といわざるを得なかった。
ふたりはなにがなんでも桐也から距離を取り、遠距離での飛び道具に終始するべきだったのである。
接近戦になれば、ふたりの肉体的反応は桐也のそれの足元にも及ばない。
ふたり同時に左右から殴りかかったところで、桐也にはまるで躱してくれと言わんがばかりの動きにしか思えなかった。
燃える拳も、当たらなければ意味がない。
桐也は右の拳をくぐり、柄で腹を強く突く。
返す刀で左からの拳を払いのけ、相手の腕に竹刀をすべらせるように移動、立ち上がり、高く竹刀を掲げる。
夕焼けに桐也の姿が燃えていた。
クルスはその殺意を込めた目つきに身体が凍りついた――持っているのは竹刀だとわかっていても真剣の刃をぴたりと首筋に与えられたような恐ろしさを感じ、どっと汗が吹き出す。
「あ、あ――」
腰が抜けたように座り込むクルスに、桐也はとどめを刺すべきかどうか迷った。
そこへ、新しい声が飛んだ。
「そこのふたり、ケンカをやめ――あれ、ふたりじゃない?」




