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魔砲世界の絶対剣士  作者: 藤崎悠貴
第四章
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第四章 その3

  3


 ずっと昔。

 彼女がまだ子どもだったころ。


 アカネはソラリアという港町で育った。

 海沿いの、海以外なにもない町。


 町の半分ほどは漁師で、残りの半分ほどは町の維持に必要な職業、役所の職員やら警察官やら青果店やらをやっていて、この町には余計な人間というものはひとりもいなかった。

 だれかひとりが風邪をひいたりすると、代わりがないから、町の人間みんなが困る。

 その代わり助け合う精神も強く、町全体がよくも悪くもひとつの家族のような雰囲気だった。


 少女だったころのアカネは、なんとなく、そういう雰囲気が苦手だった。

 具体的になにが嫌だったというわけでもない。

 ただ生まれたときから当たり前のようにあった、となりに住んでいる人間も、そのまたとなりに住んでいる人間も、道向かいに住んでいる人間も、町の端と端に住んでいる人間も、みんな知り合いで、町ゆく人間はみなどこどこのだれだれさんだとわかったりするのが唐突に嫌になって、そのころ、アカネはだれもいない海岸で時間を潰していることが多かった。


 この町では、冬は漁を行わない。

 海がひどく荒れて、船を出すどころではないせいだった。


 だから冬のあいだ港はほとんどひとも近づかず、ただ波と潮風だけが昼夜を問わず打ち寄せ、砂利の海岸に無数の枝やゴミが流れ着いてもそれを掃除する人間もいなかった。

 アカネはそんな海岸に腰を下ろし、なにをするでもなく、ぼんやり時間を過ごしていた。


 もちろん、そんななにもしない時間が好きだったというわけではない。

 町のなかにはいたくなかったし、いっしょに町から抜け出す友だちもいなかったから、仕方なくそこでぼんやりしていただけだ。


 アカネはそこで、いろいろなことを考えた。

 たとえば、この町から離れ、大都会に住んでみたらどうなるだろうとか、もし自分が秘密の王族で、明日にでも豪華な身なりのひとたちが自分を迎えにくるのではないか、そうなったら自分はどうするべきだろうとか、そんなことをまじめに考えていた。


 恋や、死についても考えた。

 結局それはどちらもよくわからなかった。

 町のなかに年が近い男の子はいたが、恋愛となるとそんな対象でもなかったし、死はもちろん、死んでみたこともないのだからわかるはずがない。


 魔砲。

 魔砲についてもアカネは考えた。


 この世界には魔砲師という職業がある。

 魔砲といえばなんでもできる力で、一流の魔砲師ともなれば百人の人間が束になっても敵わないくらい強いらしい。

 でも、だからこそ、魔砲師は、すこし忌み嫌われている。


 都会では、とくに魔砲師の町といってもいいヴィクトリアス王国の首都ヴァナハマではそんなこともないのだろうが、地方都市に行けば行くだけ、魔砲師という職業は一種の変わり者のように思われていた。

 この港町ソラリアでも同じで、この町には魔砲師などいなかったし、魔砲師が訪ねてくるような町でもなく、魔砲は生活から切り離された、まったくちがう世界の話のようにも思えた。


 でも、もし自分が魔砲師だったら。

 やりたいことがなんでもできる魔砲師だったら、まず、なにをするだろう。


 この町から出ていきたいとは思わなかった。

 町の雰囲気は苦手だが、どこかで諦めてもいて、この町はこういう町なのだ、自分もやがてはそこに馴染まなければならないと思っていたから、町の外で暮らすイメージが浮かばなかった。


 もっと単純に、空を飛んでみたり、水の上を歩いてみたりしたいとは思う。

 もし可能なら、他人の心を読んでみるのも楽しそうだった。

 他人が本当はどんなことを考えているのか、それはひとりで考えていても絶対にわからないことだったから、魔砲の力でもないと一生知ることはできない。


 でも、結局、それも暇つぶしの妄想でしかない。

 自分が魔砲師になることなんてないのだし、と少女のアカネはすっかり諦めていて、すべての妄想を諦めてしまうとそれ以上やることもなくなり、仕方なく家に帰るというのがアカネの日課だった。


 ――その日もアカネはひと通り妄想を済ませ、すべて現実には不可能だと諦め、ゴミが溜まった海岸から立ち上がり、家に帰ろうとして防波堤を登った。

 その日も波は高かった。

 空は灰色で、海には白波、吹きつける風は冷たく、真冬というほどではないにしろ、今年の漁もとっくに終わったという時期。


 防波堤を登りきり、そんな海を振り返ったアカネは、ふしぎなものが海に浮かんでいるのを見つけた。


 はじめは白波かと思った。

 深い色をした海に、なにか青白いものが浮かんでいるのである。

 水面に見え隠れするそれは、どうも波ではないとわかり、次に大きなゴミでも流れ着いたのかと考えたが、それもちがった。


 人間だった。

 そう気づいた瞬間、アカネはきゅっと心臓を掴まれたような恐怖を感じ、身体をこわばらせた。


 青白い人間が水面に見え隠れしている。

 もしかしたら水死体かもしれない。

 港には何年かに一度、そういうことがある――どこかで船の事故があったあとや、行方不明者が出たあとなんかは、とくに多かった。


 死体だとしたら、ともかくだれかに知らせなければと思ったが、アカネはしばらく水面を漂うそれから目を離せず、防波堤の上に立ってじっと海を見つめていた。

 すると、どうも死体ではなさそうだとわかった。

 人間は人間だが、水面をただ漂っているのではなく、この荒波のなかを懸命に泳いで岸へ辿り着こうとしているのだ。


 アカネは防波堤を駆け下り、波がくるぎりぎりまで近づいた。

 その人間はゆっくりとだが、波に押し流されるように岸へ近づいて、浅瀬に入ると自分の足で立ち上がった。


「あ――」


 立ち上がった人影の異様さに思わず声が洩れる。


 どうやら男のようだった。

 髪は長い。

 濡れたそれが顔のほとんどを隠している。

 上半身にはなにも身につけておらず、下半身は黒いズボンを穿いていて、それ以上に異様なのが、男が片手に持っているものだった。


 腕である。

 だれかの腕を、男はしっかりと握りしめ、海から上がってくる。


 腕は肩から切断されているようで、青白く、男のものか女のものかもわからない。

 ともかくそんなものを持って海から上がってくる男に、アカネは声も出ないまま波打ち際に釘付けになった。


 男はアカネの数メートル前方まで近づいていた。

 アカネがそこに立っていることには気づいているはずなのに、男はまるでアカネの姿が見えないように砂利の海岸に上がり、そこでどかりと腰を下ろした。


 濡れた髪の先から雫が滴る。

 男はあぐらを組み、切断された腕をその前に置いた。


 見れば、男の上半身の至るところに傷がある。

 切り傷のようなものもあればひどい火傷もあり、凍傷のように肉が黒く腐ったような部分もあって、そんな男が海を泳いでともかくここまでたどり着いたのだとは信じられなかった。


 それに、男はなにをするつもりなのか。

 恐ろしい犯罪者なのかもしれないとアカネは思う。

 不用意に動けば、その視線が自分に向かい、ひどい目に遭うかもしれない――そう思うと波打ち際から一歩も動けず、男がしようとすることをじっと見ていることしかできなかった。


 男は荒く息をしていた。

 その呼吸を、時間をかけて整えると、不意に自分の右肩に指先を押し当てた。


「――っ!」


 アカネは慌てて口を塞ぐ。

 男の指がその右肩にずぶりと突き刺さり、血があふれ出してくる。

 それなのに、男は苦悶の表情ひとつ浮かべず、まるで他人の身体を傷つけているように自分の右腕を深くえぐっていく。


 世にも恐ろしい光景だった。

 男はそのまま指先だけで肩の半分ほどをえぐり、指を引き抜いて、その血に汚れた指で自分の手首を掴み、一思いに引っ張った。


 ぶち、となにかが切れるような音がして、男の腕が肩からちぎれる。


「――ふう」


 男はちいさく息をつき、もぎ取った自分の腕を捨て、海から持っていた他人の腕を、自分の切断した肩に添えた。

 すると、その肩があわく発光をはじめる。

 青白い光で、まるでそれが昆虫かなにかのように男の肩にまとわりついた。


 いったいなにが行われているのか、アカネにはまるでわからなかった。

 これが現実のことかどうかさえ定かではない――ほんのすこし前まで、普段どおりの退屈な時間をすごしていたのに、この男が現れてから現実とは思えないことばかりが起こっていた。


 男はしばらく他人の腕を自分の肩にあてがい、そのまま固定していた。

 その手を、ふと離す。

 本当ならそれで他人の腕は地面に落ちるはずだが、腕はその形のまま固定されていた。

 それだけではない。

 肩を這っていた光がすこしずつすくなくなっていくと、あろうことか、その腕がぴくりと動いたのである。


 男は感触を確かめるように何度か腕を動かした。

 指を折り、手首を曲げ、肩を回す。

 ほかの人間の腕が、男の肩に癒着したらしかった。


 そんなこと、あり得るはずがない。

 ふつうに考えればあり得ないはずのことが起こっている――あの男は魔砲師なのだとアカネは直感した。


 なんでもできるという魔砲師なら、自分の肩に他人の腕をくっつけることもできるかもしれない。

 でも、そうだとしたら、この男はきっと悪い魔砲師なのだろうとアカネは思う。

 もしかしたらだれかに追われ、ここに流れ着いたのかもしれない。

 魔砲師の犯罪者――無条件で世界中に指名手配されるような、大悪人。


 男は自分で引きちぎった自らの右腕を見下ろし、その腕に手をかざした。

 再び光があふれてくる。

 昆虫というより、蝶の幼虫のようだった。


 もぞもぞと細長い光を放つものが切断された腕にまとわりつく。

 あっという間にその腕は光に包まれ、形が見えなくなった。

 アカネは恐ろしさと好奇心が入り混じった気持ちでそれを見ていて、ふと、その芋虫のような光は男の腕を食べているのだと気づく。


 実際、光がなくなったとき、そこにあったはずの腕は骨も残さず消えていた。

 男はそれを確認すると、ゆっくりとした仕草で立ち上がった。


 濡れた髪を掻き上げる。

 存外に若い男である。

 男はアカネを見た。

 アカネの呼吸が止まる。


「――ここは、どこだ?」


 男は波音にかき消されるような声で言った。


「そ、ソラリア、です」

「――ずいぶん南へ流された。町は近いか」

「すぐ、近くに――」


 男はのそりと歩き出そうとして、不意に意識を失ったようにその場に崩れた。

 アカネはしばらく倒れた男を見ていたが、起き上がりそうにないことをたしかめ、ゆっくりと近づき、様子を窺う。


 男は目を閉じ、完全に意識を失っているようだったが、死んではいなかった。

 呼吸に合わせ、背中がかすかに上下している。

 しかしこのまま放っておけば寒さにやられてしまうだろう。

 濡れた身体に、この冷たい風は毒以外のなにものでもない。


 アカネはそれでもしばらく男を見下ろしていた。

 もしこれが犯罪者なら、助ける必要はない――むしろ助けることは自分の身にとって危険かもしれない。


 放っておけば、道を通りかかっただれかが見つける可能性もある。

 見つけたときに男が生きているかどうかはわからないが、そこまではアカネの責任ではないし、この異常な男を助けるのは明らかに間違った選択に思えた。


 しかし、あるいはだからこそ、アカネは男を助けようと思った。

 間違った選択でも、犯罪者でも、魔砲師でもいい。

 ただ、なんとなく、このまま死なせるわけにはいかない気がした。


 男がいったいなにをしていたのか、どんな人間なのかが知りたい。

 どこでなにをしてここへ流れ着いたのか聞いてみたいと思い、そのためには男をここで死なせるわけにはいかず、アカネは恐る恐る男の背中に触れ、目を覚まさないことを確認してから、その身体を引きずるように防波堤を登った。


 アカネの家は町の外れにあった。

 父親は漁師だったが、ちいさいころに海の事故で死んで、母も病気を患い、数年前にいなくなっている。

 それ以来ひとりで暮らしている部屋に男を運び込むのはさほどむずかしくはなかった。

 村人のだれにも見られなかったのは幸運だったが、ともかくアカネは男を家に運び、父親が使っていたらしいベッドにその身体を苦労して運び上げ、汗を拭った。


 男は目を覚まさなかった。

 このまま死んでしまうかもしれないと思う。

 それならそれで仕方ないと思ったし、もし生き返ったなら、こうやって助けてやった恩にきせていろいろと聞いてやろうと、アカネは男が目を覚ますのをじっと待った。

 まるで、夢物語がはじまるのを待つように。

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