第三章 その10(終)
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布島桐也には親がいない。
うそか本当か、孤児院の先生は、「だれか拾ってください」と書かれた段ボールに捨ててあった、と言っていた。
「そこでまあ、実に親切なおれが拾ってやったわけだ」
孤児院の先生はそう言って笑い、そんなこと子どもの言うもんじゃないと奥さんから頭をはたかれていた。
孤児院には桐也のほかに四人の子どもたちがいた。
孤児院としてはちいさいほうで、一般家庭に親のいない子どもを預かっているようなものだったから、全員が兄弟のような気分で暮らしていた。
桐也は下から二番目で、その下には玲亜がいるだけ、上のふたりは桐也とはすこし年が離れていたから、桐也が小学校に上がったころにはふたりとも孤児院を出て独立し、休みになるとたまに訪ねてくるくらいの存在になっていた。
親がいなくても、天涯孤独と思ったことはない。
孤児院の先生、それに奥さんはやさしかったし、もしかしたら本当の両親以上に自分を愛してくれたかもしれない。
そこには家族があったのだ。
だれひとり血が繋がっていない家族が。
「――ああ、そういえば、そうだっけ」
すこし、昔のことを思い出す。
強くなりたいと思ったのは、おそらく、なにか劇的なきっかけがあったわけではなかった。
もっとゆるやかな責任感――自分もしっかり成長し、この孤児院を守っていかなければという自覚が芽生えて、それで、すくなくともいまは家族を守れるように強くなりたいと、子ども心に感じたのだ。
本当は強くなる必要などなかったのかもしれない。
ただ家族を守れれば、それでよかった。
家族を守れるだけの力があれば。
「う……なんか、恥ずかしい話だな」
「よい話ではないか」
と言いながら妖精王も笑っている。
まあでも、昔の気持ちを思い出せたのはよかったと桐也も思う。
「――それでもおれは、強くなりたいんだ。家族だけじゃなくて、近くにいるひとたちも守りたい。それに、いまのおれじゃ手も足も出ない危ないやつがいるってこともわかった。あいつからみんなを守るには、もっと強くならなくちゃ」
「最終的な目的を理解して手段を行使するのと、目的もわからず手段を行使するのとでは大きな差がある。そう、おまえは強くならなければならぬ、キリヤ。守りたいものがあるならなおさら、だれにも負けぬ強さがいる。さあ、そいつを倒すがいい。いまのおまえなら倒せるだろう」
桐也はゆっくりと息を吐き出し、刀を構えた。
人影の目に、剣先を重ねる。
相手はただの影。
影に呼吸はない。
相手が動いたのを見てから身体で判断しなければ、防ぐにしても反撃にしても間に合わない。
桐也はゆっくりと相手が動くのを待った。
焦る気持ちはなかった。
身体は興奮していたが、心は落ち着き、頭のなかが冷えていく。
相手がふと右に動いた。
桐也はまだ動かなかった。
右からぐるりと回り込むように近づき、間合いに入った瞬間、桐也は構えた刀を真横に寝かせる。
影は刀を振りかぶってくる。
ぶんと風斬り。
桐也は力任せには受けず、真横に寝かせた刀で受けると、刀を傾けて相手の刃をすべらせた。
いなした先で、ひらりと桐也の刀が舞う。
手応えがあった。
なにか重たいものを斬るような感覚。
影が動きを止め、その場にゆっくりと崩れる。
「見事」
妖精王が上空から言った。
影はうずくまるように倒れ、ひとつの黒い水たまりのようになり、その水たまりから見たこともない剣の柄がぬっと現れた。
「なんだ、これ?」
日本刀ではない。
かといって西洋剣ほど太くも、無骨でもなく、その両方を合わせたような、直刃の剣である。
柄にも鍔にも装飾はなく、桐也はわずかに首をかしげる。
「剣、だよな」
「それが封印だ」
ふわりと妖精王が降りてくる。
「剣を引き抜け、キリヤ。それによって儂の封印が解かれる」
「引き抜くだけでいいのか?」
「そうだ――あの忌々しいサルバドールという魔砲師が、儂の深くにこいつを突き立ておった。ま、やつも寿命でとっくに死んでおるだろうが」
「ふうん――ま、なんにしても抜けばいいんだな。じゃ、一気にいくぞ」
桐也は柄を両手で握った。
そして黒い水たまりのような場所から、ずるずる、と一気に剣を引き抜く。
その瞬間、
「わっ――」
剣の刀身が白銀に輝き、周囲のすべてを飲み込むような圧倒的な光源となって、桐也は思わず目をつぶった。
そして目を開いたとき。
そこはもう、使われていない教室のなかだった。
*
桐也が目を開けるのと、真向かいに立っていたレンが目を開けたのはほとんど同時だった。
そしてほかのふたり、玲亜とユイも同じタイミングで目を開け、お互いふしぎそうに顔を見合わせる。
「――さっきの、幻だったのかな?」
「それにしてはリアルでしたけど――それで、結局、封印はどうなったんでしょう?」
「封印は解いたよ」
と桐也は自分の片手を見下ろす――そこにはいつの間にか剣が握られていた。
鞘に入っているが、日本刀とも西洋剣ともつかないその柄の形は間違いない。
どうしてそれを現実世界で握っているか、桐也はふしぎには思わなかった。
むしろそこにあって当然というように剣を見下ろし、顔を上げる。
四人は目を閉じたときと同じ形、手をつないで輪になった形のまま立っていたが、そのなかで桐也だけが手を離し、代わりに剣を握っているような状態だった。
妖精王は変わらず四人の真ん中に浮かび、うっすらと笑みを浮かべている。
「いまの、どれくらいの時間だったんだ?」
と桐也が言うと、そばで見守っていたリクが驚いたように、
「どれくらいって、ほんの一瞬もなかったよ。いま目を閉じて、四人とも、すぐ目を開けたんだ――それでほんとに封印を解けたのかい?」
「未視世界には時間の流れというものがない。こちらの世界で一瞬に思えたのも当然だ――しかし、封印は解かれた」
妖精王はふわりと天井近くまで浮き上がり、軽く頭を振った。
銀色の髪が鞭のように舞い踊り、あたりに細かい銀の粒子のような雪のように降り注ぐ。
「わあ、きれい――」
「結局封印を解いたのはキリヤくんだったんですか?」
「みたい、だな」
と桐也は妖精王の封印に使われていた剣を見下ろして、
「そういえば三人はなにしてたんだ? おんなじ空間にいたのかな」
「わたしたち三人は、途中からはいっしょでした。はじめはみんなばらばらで、合流したんです。それでキリヤくんを探してたんですけど、見つからなくて。みんなでどうしようって話してたら急に目が覚めたんです」
「そっか――おれだけ手を離したから、別のところに飛ばされたのかな。でもま、それが結果的にはよかったのか。三人はどんなとこにいたんだ?」
「最初は、王宮みたいなところにいたんです。わたしはそこで働いてて、もう亡くなったはずの祖父がいて――ふしぎな、夢のなかみたいな場所でした」
「ほんとに夢のなかだったのかもしれないぜ」
レンはふんと鼻を鳴らした。
「レンちゃんはどんなところに?」
「……昔の思い出を、思い出してた。別に大してなんにもなかったけど」
「ふうん、そうか――じゃ、玲亜は?」
「あたしはなんかそういうおもしろそうなことも起こんなかったなー。なーんにもないところをずっと歩いてただけ。そしたら途中でレンちゃんとユイさんに会って、そこからは三人で歩いてたんだけど――っていうか、お兄ちゃん、その剣、なに?」
「向こうで見つけたんだけど、これ、おれがもらってもいいのかな?」
と妖精王に聞くと、妖精王はこくりとうなずき、
「封印を解いた礼にやろう。しかしそれはただの剣ではない。なにしろ妖精王の剣だ。その剣には特殊な力がある」
「特殊な力?」
「まあ、試してみればわかるが、その剣は魔砲効果を消滅させることができる。要するに、四元素そのものを断ち斬ることができるのだ。魔砲師と戦うには有効な武器となるだろう――さて、封印も解かれたことだ。約束どおり、時空魔砲を使った魔砲師とやらを探してやろう」
「お、お願いできますか」
リクはソフィアと目配せし、うなずく。
「じゃあ、お願いします。なるべく詳しいことが知りたい」
「わかっておる。ま、しばし待て」
妖精王は空中で身体を丸め、目を閉じた。
その身体が球体のように空中でくるくると回転する。
桐也が何気なくそれを見ていると、玲亜に脇腹を小突かれて、
「えっち」
「な、なんでだよ、ただ見てただけだろ」
「目つきがちょっとえっちでした」
「ユイまで!?」
「とんだエロ野郎だな」
「愛がない! レンちゃんの台詞には愛がない!」
ひとがまじめにやっているときくらい静かにしろよ、と言いたげなリクの視線を無視して四人がぎゃあぎゃあやっているうち、妖精王はぱちりと目を開けた。
すかさずリクが、
「ど、どうでしたか? なにかわかりましたか」
「時空魔砲を使った魔砲師はわかった」
妖精王はしずかに言って、にやりと笑う。
「なかなか愉快なやつだ。これほどの力を持った魔砲師がまだおったとはの。名前はユーキリス。もともとは西方におった魔砲師らしいが、いまどこにおるのかはわからぬ。しかしまたやつが大規模な魔砲を仕掛ければ、自ずとその居場所もわかるだろう。しかしやつは相当な力を持っておるぞ。小細工なしで時空魔砲を使っておるからの――昔おったどこぞのインチキ魔砲師よりよっぽどやりおる」
「ユーキリス――聞いたことがないな。どこで魔砲を学んだんだ?」
「おそらくは独学であろう。近くに教本となる魔砲師はおっただろうが。しかしやつには信念がある。敵対するなら一筋縄ではいかぬぞ――ん」
不意に妖精王が言葉を切った。
それから一瞬遅れ、学校中に警報が鳴り響いた。
「な、なんだ?」
リクとソフィアが教室から顔を出すと、ちょうど別の教員がふたりを探して廊下をさまよっているところで、ほっとしたような顔で駆け寄ってくる。
「ここにいたのか、ふたりとも――大変なことが起こった、いますぐきてくれ」
「なにがあったんだい? この警報は?」
「正体不明の魔砲師集団が強引に正門を突破して校内に侵入した。いまもまだ校内のどこかにいるはずだ」
「し、侵入? いったいだれが――」
「わからん。とにかく生徒たちを教室に避難させて、教師全員で侵入者を探すんだ。ふたりとも早く準備をしてくれ!」
「え、えらいことになったぞ――」
ふたりは慌てて教室を飛び出し、駆けてゆく。
教室に残された四人の生徒は事情がわからないまま首をかしげたが、妖精王だけはにやりと笑い、他人事のように呟いた。
「次から次へと問題が起こる。この世界は愉快だの」
*
これは罠だ。
罠にちがいないと思った。
「な、なんで、こんなに、入り組んでるの、この町は、はあ、はあ、こ、ここ、どこ……?」
似たような広場から、似たような路地が放射状に伸びている。
駅で聞いた話では目的地である王立フィラール魔砲師学校までは歩いて五分ほどのはずだが、かれこれ二十分ほどさまよい、駆けまわり、それでも学校の敷地はまったく見えてこなかった。
もしかしたら学校側はこちらの動きを読んでわざと迷子になるように入り組んだ路地を作ったのかもしれない。
いや、すぐに路地を作るわけにはいかないから、はじめから侵入者に対してそのように作られた町なのだ、忌々しい、と思い、それから先行している生徒たちもどこかで迷子になっているのだろうかと考える。
迷子になっているならいいが、もし先に学校へたどり着いているとしたら最悪だ。
あの血気盛んな生徒たちは、絶対、ろくなことをしでかさない。
「な、なんとかしてわたしも急がなきゃ――!」
とかけ出した瞬間、石畳に靴の先を引っかけて転んだ。
その転け方があまりに豪快だったせいか、まわりにいた通行人がざわめきながら近づいてくる。
「大丈夫かい、お嬢ちゃん」
「だ、大丈夫です、なんの問題もないです」
「でもいまかなり豪快に……」
「な、なんでもないですから!」
く、くそう、迷子にさせられ、転ばされ、あまつさえこんな辱めまで受けるとは、許しがたきは王立フィラール魔砲師学校である。
彼女は何食わぬ顔で立ち上がり、人混みから抜け出し、しばらくすたすたと歩いて人気がなくなったところで激しく打ちつけた肘をさすった。
ともかく、学校までたどり着かなければ話にならない。
あの生徒たちも、おとなしく正門前で待っていればいいのだが――。
「……そんなわけ、ないよねえ……」
ああなにか大きな問題が起きなければいいが。
もし生徒たちがしびれを切らして勝手に校内へ乗り込んだりしたら、それこそ最悪である。
そうならないうちに学校までたどり着かねばと、彼女は肘をさすりながら、ともかく学校があるであろうほうへ急いだ――本当は、学校はそれと正反対の方向にあるのだが。
――第三章、了




